桃太郎を追え 前編
桃
むかしむかーし、山ん中におじいさんとおばあさんが住んでいたと。
二人にゃ子供はなかったども、それはたいそう仲むつまじくくらしていたとさ。
そうしたある日のこと。おじいさんは山へしばかりに、おばあさんは川に洗濯に出かけてった……。
「タラランラン、ルルルルル……星降る谷間にようーこそー」
歌が大好きなおばあさんの歌声は一級品。せせらぎの音と交じり合い、その響きは小川にかぶさるように枝をのばした木々の葉を震わせる。
おばあさんは洗濯も大好き。洗えば洗うほどきれいになる、このわかりやすい気持ち良さが好き。ひまさえあれば、一日中だって洗濯している。ときにはやりすぎて、洗濯物がすりきれてしまうこともある。
「ルルル……いとしのあの人はーもうーいーないー」
おばあさんがきげんよく二度目のすすぎに入ったとき。
どこからか、耳なれない音が聞こえてきた。
――トプン、カプン……。
(なんだろうね?)
おばあさんは歌をやめて耳をかしげた。
――トプン、カプン、コツコッツン……。
リズムよく、何かが水の中で音を立てている。
おばあさんは上流を見た。
「あれま!」
口をおさえるおばあさん。
一抱えもあるほのかに赤い大きな桃が、半分以上水につかったまま、ぷかぷか浮いている。
「これは奇遇! ここで会ったが百年目! あれ、ちょっとちがうかな?」
おばあさんはぶつぶつ言いながら、着物のすそをたくしあげ、水の中にざぶざぶ入っていく。
「おっとー、重いじゃないの!」
流れてきた桃をしっかりとかかえあげると、おばあさんは力をふりしぼって桃をたらいの中に放り投げた。
「どうしたものかねえ……」
おばあさんは包丁を片手に、じりじりしながらうなっている。
板の間の真ん中に、まな板に乗せた大きな桃がある。
早く割ってみたくてしょうがないのだけれども、昼過ぎになってもおじいさんは帰ってこない。
(わたしだけで食べちゃいましょか)
そう思って包丁をふりかぶり、
(いやいや、こんなすごい桃を割るの、勝手にわたし一人でやったら文句を言われるな)
首を振って思い直すおばあさん。
でも、おばあさんはがまんできなかった。
桃の、つんととんがった先端を、思わずちょこんと切ってしまった。
ぷしゅっ……としぶきがあがって、甘いにおいが部屋に満ちた。
(あっ……)
と思う間もなく、光が走り、目がくらんだおばあさんはその場に倒れた。
「おげああーおげああーおげああー」
騒々しい泣き声が部屋中にひびいていた。
「ばあさん、ばあさんよ……」
震える手でおばあさんの手をにぎっているのは、おじいさんだった。
「こりゃあ、いったいどういうことだい。」
おじいさんの声でわれに返ったおばあさんは、痛む頭を振って立ち上がった。
「おげああーおげああー」
泣き声は響いている。
部屋の中央には、ぱっくり二つに割れた桃の実がきれいに左右に別れて転がっていた。
そしてまな板の上には、真ん丸に太った赤ん坊が乗っかって、盛大に泣き声をあげていた。
「あんれまあ、これはどうしたことだよ」
おばあさんは声を上げた。
「これ、わたしが裏の川で拾ってきた桃さ。そん中から赤ん坊出てくるなんて。いや、たまげた。信じられないよ。ね、おじいさん」
「……なあばあさんや、これはきっと、こどもがないわしらへの、天からの贈り物にちがいない」
おじいさんはそっと赤ん坊をだきあげた。
「桃から生まれたのか、この男の子は。なら桃太郎じゃな」
「まあ、おじいさん、そのまんまやないの。あなたの命名センスは最高だねえ」
おばあさんは皮肉たっぷりに言ったけれども、おじいさんは聞いてない。
「桃太郎、桃太郎、おまえの名前は、桃太郎じゃよ」
目を細めて桃太郎にほおずりをする。
「なにかあげたいけど、わたしは乳が出ないよ」
おばあさんは泣き止まない桃太郎の頭をなでて、ため息をついた。
と、桃太郎のかたく握っていた右手が開いて、床に転がっている桃の方をさした。
「うあ、うあ」
桃太郎が声を出す。
「……桃を食べたいのかい? 生まれたばかりのくせにぜいたくだね」
おばあさんは大きな桃を少し切り取って、手の中で握り、その汁を桃太郎の口につけてやった。
桃太郎は一生懸命桃の汁を吸う。おばあさんも一生懸命桃をしぼる。
「んま、んま」
たんまり汁を飲んだ桃太郎が満足そうな声を上げると、ずくん、と桃太郎の体が大きくなったような気が、おじいさんはした。
(はああ? まさかそんなことあるわけねえべな)
おじいさんは桃太郎に顔をよせる。
さっきまで泣き目だった桃太郎の目がぱっちりと開かれて、おじいさんの顔をじっとのぞきこんでいる。
「やだ、かわいいじゃないかい」
おばあさんも桃太郎のつぶらな瞳に引き寄せられるように、顔を寄せた。
「ふぁぶ」
桃太郎はにっこり笑って、ちょこっと生えた前歯を見せた。それから噴水みたいなおしっこをして、おじいさんの着物のすそに引っかけた。
「おわっ」
「やだー、おじいさん、おしめしてあげなきゃね」
おばあさんは明るく叫んで、家のタンスの中を引っかきまわし始めた。
(かわいいー)
明け方。ふと目をさましたおばあさんはそいねしてる桃太郎にふれる。
ちいちゃな指。ちいちゃな足。さらりとした髪の毛。
不思議なことに、桃太郎は桃の汁を飲ませるたびにずくんずくんと少しづつ重くなっていく。寝つく前には、桃のかけらを口に入れて食べてしまうほどだった。
(あしたには、うんと栄養のあるもんと、きれいな着物を買ってこなきゃ」
おばあさんは寝返りをうってから、となりに寝ている桃太郎をだきよせようとした。
いない。
冷たい風が、おばあさんの指先と心の中を通り抜けた。
暗闇の中に目をこらす。破れた屋根のすきまから薄明るい光が入っている。
その光の中に、真っ黒な大きい烏が一羽。桃太郎をつつんだおくるみをくわえている。
「おじいさあん!」
おばあさんは絶叫した。
「なんじゃ?」
おじいさんがとびおきたとき。
烏は二人をあざ笑うかのように、桃太郎をくわえて飛びたった。
「待て、待てい!」
おじいさんは烏のいた場所めがけてとび、ずでんとこけた。
カッハッハッハ、カアアー、カアアー。
あっというまに遠ざかっていく鳴き声。
「わたしの桃太郎……」
おばあさんは床につっぷした。
おじいさんは外に飛び出す。
朝方の白い曇り空にも、裏までせまってくる山の方にも、眼下の里へと続く森の中にも、どこにも烏の姿は見えなかった。
おじいさんは首をふりふり家の中にもどると、泣いているおばあさんの肩をだいた。
「泣くな、ばあさんや。だいたい、こんなにつごうよく赤ん坊がうちにくるわけはない。ただの、夢だったんじゃよ」
「夢なことあるもんか!」
おばあさんはわめいた。
「これ、ここにちゃんと桃だって残っているんだ!」
おばあさんが、たらいをさす。そこにはぱっくり割れた桃の実が入れてある。
「本当になあ……」
おじいさんは桃の実を少しだけ切り取って口に入れた。甘くて、汁気のおおい、とてもおいしい桃だ。一口、また一口……。
「ちょっと、おじいさん??」
おばあさんがすっとんきょうな声を上げる。
「あんた、何した? その髪……」
おどろいたことに、はげあがったおじいさんの頭のてっぺんに、一つかみの、しかも黒い髪の毛が生えていた。
「ええっ? わし、桃を食っただけ……」
おじいさんは頭に手をやって目を丸くする。
「桃だよ! 桃太郎もあっというまに歯が生えて、首がすわったじゃない。その桃のおかげだよ。これ、不思議の桃だ……」
おばあさんはたらいに首をつっこんで、半分に割れた桃の一方にかじりついてむしゃむしゃ食べ始める。
おじいさんも負けじともう一方を切っては食べ、切っては食べる。
夜明け間近の暗い家の中で、二人が桃にかぶりつき、汁をすする音が低く響き続ける。
ボウ、ボウ。ボウ、ボウ。
山鳩の太い鳴き声で、おじいさんは目を覚ました。
昼過ぎ。やけみたいに桃を食べてから寝てしまった。
立ち上がると、いつもと勝手がちがう。腰がしっかりと立つ。でも視点が低い。目のかすみがなくなって、家の中がはっきりと見わたせた。
からの大きなたらいにもたれかかるようにして、真っ黒な長い髪の美しい女の子が、すりきれた着物に実をつつんで、すうすうと優しい寝息をたてていた。
(だ、だれじゃこの子?)
おじいさんはあわてて女の子を揺り動かした。
「うーん……」
女の子はうめいて、ぱっちりと目を開いた。
「きゃっ?」
女の子はおじいさんの顔を見てぴょんととびすさった。あまりにいきおいがよくて、たらいをとびこえてしまった。
「ぼうや……だれ?」
「だれって……おじょうちゃんこそ」
言いかけて、二人は顔を見合わせて叫び声をあげた。
「もしかして、ばあさん!」
「あんたは、おじいさん!」
それから二人は自分の体を見た。
着ている着物は前と同じものだけれども、手も足も小さくてつるつる。しわもきれいさっぱりなくなっている。何より、体の底から力がわき出てきて、今すぐにでも全力でとびまわりたい気分だ。二人は、こどもにもどっていた。
「こんな……信じられない」
おばあさんは手鏡を引っ張り出してきて、のぞきこみながら体を震わせた。
「まさかこんなに若返るなんて、のう、ばあさんや」
おじいさんは小さな娘にもどったおばあさんの肩をぽん、とたたいた。
おばあさんはおじいさんの手を振り払って男の子になったおじいさんをにらみつけた。
「そのばあさん、ていうのやめてくれない?」
「えっ?」
「わたしたち……昔の幼なじみ同士にもどったのよ。まだちっちゃいままの琴乃と春に。わかった? 春坊。気安くわたしにさわったりしちゃだめなんだからね」
「そんなこと急に言われても……うーん、春か、春、春、そういやわし、春坊って呼ばれておったっけな……ばあさんは琴乃、琴ちゃんと呼んどったっけ」
おじいさん――今は男の子の春は、とまどって黒髪のぼさぼさはえた頭をかいた。
「それからね、そんな顔して年よりの言葉使ってるのはおかしいんだからね!」
おばあさん――今は女の子の琴乃はずいと前に出た。近くに並ぶと、琴乃の方が春よりこぶし一つ分くらい背が大きい。
「さあ、行くよ」
「どこに……」
「わたしたちの桃太郎を助けに行くに決まってるじゃない」
琴乃は荷物をまとめ出した。
「そんなの無理じゃろ……」
「なんとしても探すの! 桃太郎がさらわれたまま、黙っていていいの? わたしたちには若さと時間があるんだから。これはすばらしいことじゃない?」
「でも……」
「ぐちぐち言わない! 行くの!」
琴乃は春に行李をしょわせると、自分も大きなずだ袋を持って立ち上がった。
「けんど、子ども二人だけで旅なんて……金もないし」
しぶしぶ琴乃の後について家の前の道を下っていきながら、春はぶつぶつ言う。
「お金なら、あるよ。何十年働いてきたと思っているの?」
琴乃は言って、背後に遠ざかる自分たちの住み慣れた家にひらひらと手をふった。
「でも、わたしたちは、お金では手に入れられないものを取り戻しにいくの! かわいい桃太郎を!」
月旦
「琴ちゃん……すごいねえ」
一日かけて山を下った次の日の昼過ぎ。春の言葉遣いもようやくこどもらしくなってきた。
目の前を行き交う人の流れに、二人は目を見張っていた。
「小郡」と呼ばれる下の里は、人だらけだった。どの角を曲がっても人通りがある。家と家の間には少しもすきまがなく、店が十軒以上もある。
「この間里におりたのは三年以上もまえだもんね……。」
二人はずっと山に住んでいて、必要なものがあっても、ほとんど山に登ってくる行商人から買っていたのだ。
道行く人々は、ぼろぼろの着物を着てつったっている二人の子どもを邪魔だというように、大きくよけていく。中には、ぶつかって小さく毒づいていくものもいた。
「わし、なんか、こわい……」
「春坊! わし、なんて言葉を使わないの!」
琴乃はぴしゃりと言って歩き出す。ここでめげるわけにはいかなかった。
「琴ちゃん、いったいどうするつもりだい?」
「あてがあるの」
琴乃は汗をぼろ雑巾のような手ぬぐいでふこうとした。
その前を錦糸で鳳凰の模様をつけた朱の着物に身をつつんだ女の人がしゃなり、しゃなりと通りすぎていく。琴乃はああっ、とため息をついて奥歯をかみしめ、ぼろぼろの手ぬぐいを帯にぎゅっとはさみこんだ。
「なに、あてって?」
春がまのぬけたような顔をして琴乃のすそを引く。
琴乃は自分や春のみすぼらしさがなんだかいやな気分になって、思いっきり春の手を振り払った。
「なに怒ってんだ?」
「……怒ってなんかいないよ。……行商の人に聞いたことがあるの。最近、この里に月旦ていう若い占い師がやってきて、探し物、失せ物、なんでもぴたりと当ててくれるって」
琴乃はそれだけ言って、足早に、夕闇のせまる町を進んでいく。
広い小郡の町をさまよい歩き、ようやく月旦の占い館を探し当てたころには、あたりは真っ暗になっていた。
「こんな暗くなっても、やっているのかな?」
大きな看板の前に立って春は弱音を吐いた。
「この人は月の出てる夜しか仕事しないから月旦と呼ばれているの。さあ、行くわよ」
琴乃は春の着物をぐっと引いて、入り口をくぐった。
受付にはぎょろ目をしたおばさんがいた。
「物乞いはお断りだよ! 出てっておくれ!」
「待って、わたしたち、占ってもらいにきたんです!」
「あんたたちみたいな貧乏人に月旦先生の見料が払えるもんかね! 出ていきな!」
「お金ならあるわよ!」
琴乃は、ふところから銅銭がつまった巾着袋を出し、受付代にドチャッと乗せた。
おばさんは、せせらわらってそれをはらい落とした。
「どうせ、縁日で買ったこども銀行のお金だろ! それともあさましくあつめた貝殻とか、一文銭とか……」
「本物だっちゅうの!」
琴乃は、血相を変えた。春はおろおろするだけだ。
「どうした、そうぞうしい」
受付の奥から白い髪を肩までのばした、五十才ほどの落ち着いた感じの男が出てきた。
「あらせんせ、この子たちがお金もないくせに先生に占ってもらうなんて言ってね……」
受付のおばさんは突然声を高くして、手を口に当ててにっこり笑った。
「お金ならあります!」
琴乃は叫んだ。
「ああよいよい、今宵は客もなくてひまだったところだ。話ぐらいだったらただで聞いてあげますよ」
月旦はおだやかに笑って二人を手招きした。
「ただでなんて。月旦せんせは本当に欲がないこと。そんならあたしのお給金をあげてほしいですわ」
ぎょろ目の女はぶつぶつ文句を言う。
「お金はあるって言ってるのに……」
琴乃もぶつぶつつぶやく。
「若いって言ってたけど、けっこう年とってるじゃない」
春が琴乃にささやく。
「おじいさんおばあさんだったときのわたしたちからすれば、すごく若いでしょうが」
琴乃はうんざりしたように言う。
「さて、何を探しているのかな?」
四方に紫の幕がかかった部屋に春と琴乃を通した月旦は、優しく聞いた。
「烏にさらわれた桃から生まれた赤ちゃんを探してほしいんです」
「帰ってくれ」
月旦は即座に言った。
「おとぎ話につきあっているひまはないんだよ」
「うそじゃありません!」
琴乃は食い下がる。
「その証拠に、わたしたちはその桃を食べて若返ったんです!」
月旦はだまって部屋の天窓を開けた。
「……今宵は満月がきれいだなあ。こんな夜は、月に帰ったかぐや姫も、この地球のことを思って泣いているのだろうか。ああでも、かぐや姫は地球での記憶を忘れてしまっているんだったかな? ――あはは月旦、ばかじゃないの? かぐや姫なんておとぎ話だよ、ばーかばーか」
月旦はふうとため息をついて天窓を閉め、二人に向き直った。
「と風情のない女に言われてから、わたしはおとぎ話は嫌いになった。じゃ、帰ってくれ」
「信じて、くれないの?」
琴乃は瞳をうるうるさせながら問いかけた。女の涙に勝る武器はないと、昔からいう……。
「もうひとつ、嫌いなものがある」
月旦は、指を立てた。
「ふだんは血も涙もないことばかり言ってるくせに、都合が悪くなると流れる女の涙だ」
「先生、女で苦労してきたんだなあ……」
春は目頭をおさえて、うんうん、とうなずく。
「あほ」
琴乃は、春の頭を引っぱたいた。
「あのねえ、わたしたちは、本当に、大人だったんです。そうだ、九九言ってみせましょか? いんいちがいち、いんにがに……」
「そんなのは、おじょうちゃんくらいのませたがきならだれでもいえるだろうが」
「じゃあじゃあ、円周率を言ってみる! そんなの、普通の子どもは知らないでしょ? 3.14159265358979323842465223……」
「待った、待った。そこまででいい。わしもどこぞの数学者が解析した円周率のことは知っているが、正直言っておぬしの言うその数字があっているかどうか、この田舎町の小郡では確かめようがないのだよ。なあ頼む、おぬしたちがちょっと変わった子だってのはわかったから、今日はこのへんで……」
「ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」
突然、春がしゃべり出した。
「よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし」
「鴨長明の『方丈記』だな。それもどこぞの塾で習ったか? わしは好きだが……」
月旦は言った。
「さよう、わしもこの無常感を表す冒頭は好きでね」
春は、子どもらしくない笑いを片頬に浮かべる。
「でも結局本文の方は読まずじまいじゃ」
ぱちりと月旦に片目をつぶってみせる。
「そうそう、そんなもんですな。わしもいつか読もう読もうと思ってこんな年に……」
月旦はなにげなくうなずいて、しげしげと春の顔を見た。
「おぬし……」
「じゃ先生、平家物語も好きでしょう? 祇園精舎の鐘の音……」
「諸行無常の響きあり……」
「では、西行どの一首、願はくば花の下にて春死なん……」
月旦は目を輝かせる。
「その如月の望月の頃!」
二人は、声を合わせて詠み切った。
「いやー、最高です、西行法師。あのような生き方をしてみたい……」
月旦は深くうなずく。
「それにしても、おぬし……いやあなた、まさか、本当に若返った年寄りのようですが……」
「何度もわたしが言っているのに!」
琴乃がぷうっと口をふくらませる。
「……失礼、おじょうちゃんの方は、どう考えても年寄りだったとは思えない」
「むか……!」
「怒るのはよせよ、琴ちゃん。若いってほめられてるんじゃよ」
「あら、そう?」
琴乃はとたんににこにこする。
「そうだ、一つ質問だ。二人とも、こどもをどうやってこしらえるか知ってるかな?」
「やだわ、先生。そんなこと聞くなんて」
琴乃は意味ありげに笑う。春は少しばかり顔を赤くして、月旦の顔を探るように見た。
「うむわかった。こどもなら、もっと素直でキレのいい反応をするだろうからな。……今宵の月に浮かされ、たわむれにあなたたちの奇怪な話を信じて、烏にさらわれた桃から生まれた赤ちゃんとやらの行方を占ってみよう」
月旦は天窓を再び開き、ふところからぜいちくを取り出すと、月光の当たる卓に広げた。
「これは……」
「むむ……」
しばらくの間、月旦の声と、ぜいちくのこすれあう音だけが部屋にひびいた。
「出た!」
壁によりかかってうとうとしていた春は、その声で目が覚めた。普段ならもう寝る時間なので、ひどく眠い。
「この日の本で、人をさらうものと言えば……」
月旦は長い髪の先をいじる。
「言うまでもなく銀次や八兵衛といったやからが元締めをつとめる人買い組……」
月旦は白髪の先端をしきりにのばす。
「そして、鬼」
「鬼?!」
「うむ。かつて大江山にもありし鬼。公達の子息、御所の女房はいうにおよばず、恐れ多くも帝の皇子までさらったことのあるという、恐ろしきものどもだ……その姿異形にして異能、人を食ろうて生きているという……」
琴乃はごくりと息を飲む。
「しかし、大江山の鬼は退治されたのでは?」
春が問いかける。
「うむ。あれは一条の帝の御代だったか。源頼光、坂田金時といった豪傑たちによって、大江山の鬼どもは滅ぼされた……だがしかあし!」
月旦はビッ、と指先を春につきつけた。
「今、東海の沖にあるといわれる鬼が島に鬼たちは住み、『はりま』や『きび』の国の人々をおそっているときく。そして、桃から生まれた子をさらったのは、鬼たちの手のものに違いない!」
「ここは『はりま』の国からずっと北。『不二山』をのぞむ『するが』の国の山のふもとよ。こんなところまでわざわざ鬼がやってくるわけないんじゃない?」
琴乃は疑わしそうに言った。
「わしの占いを信ずるも信じないも、あなたたちの勝手。けれどもわしは、あなたたちの話を信じたよ」
月旦は天窓をしめて、おだやかに笑う。
琴乃と春は顔を見合わせた。
「行こう、琴ちゃん。ほかに手がかりはないんだ。……鬼が島へ」
「わ、わたしもそう思っていたところよ。……もちろんよ、行きましょう!」
琴乃は迷った自分を恥じるように声をあげると、月旦を振り返った。
いない。
「あの人は?」
「部屋を出ていったよ」
「お礼しないと……」
二人が月旦を探しながら館の玄関まで行くと、そこには行者の装束を着てしゃくじょうを持ち、すげがさをかぶった月旦がいた。
「あ、あの、どちらへ?」
「鬼が島だよ」
月旦はこともなげに言って、すたすた歩き始めた。
「えっと……何の理由があって?」
「もちろん、桃の子を救うためさ! 占いばかりしてる生活にもあきたんでね」
月旦は陽気に言ってしゃくじょうをしゃんしゃん鳴らした。
「あー!! 先生!! あたしのお給金はどうなるんですか! 待て、待ちなさい!」
後ろから受付のおばさんとその声が追いかけてきた。
「やばい! 逃げろ!」
月旦は走りだす。
「もー、なんでわたしたちまで走るのー?」
「わ、ひさしぶりじゃー、走るのなんて。脚も腕もくるくる動きよる。若いってええのう……」
「春、年よりくさい言葉使わないで!」
ぶつぶつ言いながら、琴乃と春は月に白く照らされた月旦の後ろ姿についていく。
犬
「月旦さん」
「……」
「起きろ! 月旦っ」
「ええい、そうぞうしい、やかましい、静かにしてくれんか!」
月旦は琴乃のきいきい声にうんざりしながら目を開いた。
空はまっ暗。くすぶるたき火の弱い光が、自分たちの姿をぼうと照らし出していた。
「あなたねえっ」
こどもの姿の琴乃は、自分よりずっと年上の姿である占い師月旦の横に立って彼を見下ろした。
「いいかげん、わたしのかんにんぶくろの緒も切れるわ。出発してから一カ月がすぎているのよ。なのになんでこんな山の中をうろついているの? あなたは春とばかばなしばかりしていて、急いで進む気はないみたいだし、夜になったらすぐ寝ちゃうし。……これは単なる旅じゃないんだからそこらへんをわかってほしいわね! 昼でも夜でも急いで、さっさと鬼が島に案内しなさいよ!」
月旦は顔をしかめた。
「別にうろついているわけではない。鬼が島に渡る準備をするために、まずは京に向かわなければな。京に行くには、この東山道が近道というくらい、あんたもわかるだろ? それに春どのとはばかばなしではなく、古人の愛したこの街道の風情について語り合っているのだ。しんぼうなさい。せいてはことをしそんじる」
「のんきな!」
琴乃はどなった。
「京になんか向かわずに、東海道を南下して、直接『きび』の国にむかえばよかったのよ! そこに行けば黙っていても鬼が来るんでしょう?」
「ふん、東海道はきびしい道のりだ! こどもの足で『とおとうみ』の遠つ淡海や『みかわ』の三河を越えられると思うか! 寝ときなさい! こどもに睡眠不足は毒!」
「わたしはもうこどもじゃないって言ってるでしょーが!」
琴乃はぎゃんぎゃんわめきたてた。
「だったらなおさら悪い! 八十のばあさんにもなって世の道理をわきまえんのですか!」
「ばあさんとは失敬な! それにわたしはまだ七十代だわっ!」
月旦はうんざり、というように肩をすくめた。
「十歳くらいの違いたいしたことないでしょうが! まったく女というものは道理も風情もわきまえず、ああいえばこういうから始末が悪い!」
「あっ、女をばかにしたなっ! もてない月旦め」
どなり合う二人は、後ろにあやしい影どもが近づいたのに、気づかなかった。
「ほわあああ……」
春は朝早く、木の上で目を覚ました。
とても気持ちよく熟睡していた。
「若いというのはいいことじゃ。こんなにすっきり寝れて、こんなにすっきり起きれるのじゃからな」
春はつぶやいて、木から飛びおりた。
「……?」
琴乃と、占い師月旦の姿がない。荷物もない。たき火はきれいに踏み固められて、消されてた。
「どうしたことじゃ?」
いぶかしむ春の目の前に、白い犬が現れた。春の背丈をこえる大きな犬。
「おわっ、なんじゃ? ……きみ、だれだい?」
ずーっと昔、こんな大きな犬を飼っていた。
少年の気持ちになって、春は犬に問いかけた。
犬はちょっとしっぽを振ると、向こう側を向いてお座りした。そして、乗れというように、ちらりとこちらを見て舌を出した。
「わん」
春は大きな犬の背に、腹ばいになった。まっすぐ続く道をゆられていく。
ふわふわと、たんぽぽの綿毛がとんでいる。二匹のとんぼが、追いつ、追われつしている。水の張られた一枚田には、青々とした稲が息づいていた。
どこにでもある、村の一風景だった。ただ奇妙なことに、人の姿が見えなかった。
(昼前なのに、みんな家に帰ってしまったのじゃろうか?)
と、しがみついていた犬の白い体がゆれ、春はずるずるとすべり落ちた。
犬は大きな鼻面を春の方にかたむけ、少し頭をふってから悠然と去った。
春は広場に立っていた。この近くに琴乃と月旦がいるわけではなさそうだ。
カタッ。
広場に面した立派な館の戸口がかすかに開いた。春のことを中からうかがっている。
やがて、家の中からはかっぷくのいい主人と、下男下女たちが続いて姿を現した。
さらに、どこに隠れていたのか――薄汚いぼろをきた人々が、広場に続々と集まってきた。
やがて、主人の男は春の前に進み出て、驚いたことにひざまづいた。
「もしや桃太郎様……ですか? もどってこられたのですね?」
「桃太郎??」
思いがけない名前に、春は目を丸くした。
「いや、わしは……いや、ぼくは春。桃太郎ではありません」
「そんなばかな! ならばなぜ、うちの村のものを何人も血祭りにあげたあのシロに乗ってくるなどということができたのです!?」
「血祭りに? とってもやさしそうな犬じゃありませんか」
「やさしそう?? もう一度聞くが、本当に桃太郎様と関係ないので?」
「……ぼくは桃太郎の親」
主人は目を白黒させた。
「そんなばかな!」
「あの、何がこの村であったのか、聞かせてください」
春も男の前にひざまづいてあらたまって聞くと、太った主人は春の目の前に腰を落ち着け、おそるおそるまわりを取り囲む村人たちを安心させるように手招きをした。
そして、話を始めた。
わたし、この上田村の庄屋、孫兵衛と申します。
一カ月前の、星降る夜のこと。裏の納屋の屋根を突き破るすさまじい音が聞こえたので、あわてて家の者と行ってみると、わたしの飼い犬だったシロがあの方……白いおくるみにつつまれた桃太郎様を守るように立ち、その顔をぺろぺろなめてやってました。本当にそのお顔は光を放つがごとく、神々しく……わたしは身震いいたしました。生後一年ほどと思われましたので、(「一年?」春は首をかしげた)キビの粉をやわらかい団子にしたものを差し上げたところ、召し上がってにっこりお笑いになって……(孫兵衛は本当にうれしそうに身をよじった)けれども桃太郎様はシロに一番の恩を感じているようで、シロに不思議な力をおさずけになりました。シロの一吠えでこの付近の飼い犬、野犬、山犬が動くようになったのです。そして桃太郎様はわたしたちにお命じになりました。
(「待ってください、桃太郎はしゃべれたのですか?」春は聞いた)
……そりゃそうですよ。あの方の成長は普通の人とは違います。わたしたちの所にいる四日の間に立ち、歩き、そして話せるようになりました。だからこそ、あなたが来たときに、桃太郎様の成長した姿かと思ったのです。
で、桃太郎様はおっしゃいました。「ぼく桃太郎を大事に思うなら、この犬たちも村をあげて育て、大切にしてね」と。だれよりも桃太郎様を好きなわたしたちのことです。当然その言葉に従いました。
しかし、です。その夜。烏の群れが来て、桃太郎様をはるか大空のかなたへと連れ去ってしまったのです。不意をつかれたわたしたち村の男も、もちろん犬たちも、桃太郎様を守ることはできませんでした……。(孫兵衛は涙ぐんだ)
そのときからです。わたしたちの不幸が始まったのは。桃太郎様を失ったシロと犬たちはいらだち、あるときは餌が少なかったから、あるときは村から出ようとしたから、あるときは道をゆずらなかったからと、気まぐれに村を歩きまわっては、罪のない村のものをよってたかって半殺しにするのです。
わたしたちはおそれ、この一カ月というもの村に閉じ込められ、ただあの犬どものために働く毎日です。だからシロに言うことを聞かせられる桃太郎様が帰ってくるのをひたすら待っていたのですが……。ああ、シロめ! 桃太郎様がいなければあんなのただの犬ころにすぎないのに……わしが育てた恩も忘れて、いばりやがって……。
孫兵衛がそんな話を続けているところに、十匹ほどの部下を従えた大きな白犬――シロが現れた。
村人たちの人垣がさあっと左右にわかれる。必死に自分の家へ逃げ込もうとした人々の行く手を、数十匹の野犬、山犬がふさいだ。
孫兵衛は腰をぬかして立てなくなってしまった。
“そう思っていたのか、このくそ野郎”
シロは牙をむきだしにしてうなった。
“何が育てた恩だ、ろくな餌もくれなかったくせして……殺してしまおうか?”
「シロさん……やめて」
春はシロの前に立って頭を下げた。
“おまえ、おれの言葉がわかるのか”
シロは不思議そうに言った。
“おまえ、普通の人間とちがう。桃太郎様と同じいいにおいがする。だから背に乗せてやった。何か桃太郎様と関係があるのか?”
「わし……いやぼくは、桃太郎の親なんだ」
春は胸をはった。
「鬼にさらわれた桃太郎を探して旅してる」
“鬼? 桃太郎様をさらったのは鬼だと言うのだな?”
春がうなずくと、シロはくるりと回ってうなりながら足を踏み鳴らした。
“仲間たち! 聞いたか? われらがあるじ桃太郎様は鬼にさらわれたのだ! 追いかけるぞ!”
一声吠えると、シロは南に向かって走りだした。百余りの犬の集団がその後に付き従った。
「教えて! 小さな女の子と白髪の男がいなかったー!?」
春は犬たちに追いすがるように声をはり上げた。
“あいつらうるさい。西。社”
しんがりを走る山犬がつぶやくように言って、春の目の前を走りすぎる。
後には、薄汚れた服を着た人間たちだけが残された。
「……では、ぼくも行きます」
春はふうと息を吐いて座りっぱなしの孫兵衛に告げた。
「お待ちください、わたしたちも桃太郎様を探すべきではないでしょうか?」
孫兵衛はすがるような目で春を見た。
春は稲のまだ青い田をながめわたして、首を静かに振った。
「田畑をほったらかして旅に出るとでも? それはお百姓さんのすることではないでしょう」
春はきっぱりと言った。
「今までのことはなかったと思って忘れるんです。上田村のみなさん、忘れて……」
(苦しいー!)
琴乃はうめいた。
犬だかなんだかわからない野獣たちにいきなりくわえられ、せまい場所におしこめられて何時間も何時間もすぎた。動けない。声も出せない。体がかたまって激痛が走る。限界がなんども訪れて気が遠くなっては目が覚めた。
(死にたくないー!)
「だいじょうぶ?」
春の声がして、ぴったり閉じられたとびらが開いた。
小さな社のとても小さな本殿にぎゅうぎゅうにつめられていた琴乃と月旦の体が転げ出た。
「やれやれ、さすがのわしももうだめかと思った」
月旦がのびをする。
「やい、春坊! あんたはなんでだいじょうぶなのよ!」
「さあ、わしはぐっすり寝てたから。犬が『うるさい』って言ってたから、二人とも、よっぽどうるさかったんじゃろ?」
「犬! そういえば犬は??」
「いぬは、もういぬ(いない)」
ぷぷっ。
月旦が吹き出した。
「ふん、ばっかみたい。おやじどうしで盛り上がってれば? ねえ、なんでもっと早く探しに来てくれなかったの? こんなに長い年月付き合ってきて……」
「じゃから、愛しておるぞ、琴乃」
琴乃は顔を真っ赤にした。
「ばっかみたい。わたしたち、こどもでしょ? こどもらしい言葉使いなさいよ! ばっかみたい……!」
月旦が、からかうように口笛をひゅうひゅう吹いた。
「さ、行こうぞ。桃から生まれた桃太郎を助けに。鬼が島に」
「あたし、今回なんにも活躍できなかった。ばっかみたい」
琴乃がぶうとほおをふくらませた。
(それにしても)
春は考える。
(犬の言葉がわかるようになったとは、やはり桃のせいじゃろか? 桃太郎がそんなに早く成長してるのも桃のせい? 桃太郎があんなに多くの犬を従えたのも桃のせい? ……わからんことだらけじゃよ、とにかく鬼が島に行かねば!)
猿
「いとしーのみやこーは花ざーかりー」
琴乃は歌いながら、くるくる回る。
「やめなよ、琴ちゃん、みっともない」
春は渋い顔をする。
「あら? わたしはこどもだからね、気分におうじてからだを動かしたって、全然普通のことじゃない? ルールルー花花、フラワ〜」
何日ものつらい旅路を乗り越えて、ついに行く手に見えるは花の京。町好きの琴乃は、とても上機嫌だ。
「ちょいとちょいと。ちょいとそこ行く行者に坊ちゃんに、お嬢ちゃん」
街道沿いの茶屋のおばあさんが、三人に声をかけた。
「あら、なーにい?」
琴乃は、満面の笑みで答える。お嬢ちゃんと呼ばれるのが、とてもうれしいのだ。
「あんたら、京へ行かはるのかえ?」
おばあさんは、琴乃を完全に無視して、月旦に話しかけた。
「うむ、そのつもりだが、何か?」
月旦は、しゃくじょうをシャンとならした。
「行かん方がええよ。うちで団子でも食うて、田舎におもどり」
「そうはいかの玉手箱よ! わたしたちは京の町に用があるってのよ! おばさん、客引きにしては、下手ねえ! むがっ」
意気高くわめく琴乃の口を、春はふさいだ。
「わしらはこの先、『きび』の国まで旅する予定でな。京ならなんでも手に入るし、旧知の顔も多い。このまま行くとするよ。それとも、何か行かない方がいいという理由が?」
月旦の言葉に、おばあさんはもったいぶってうなずいた。
「今、京にはな、ましらの大将がいてはるのや」
「ましらの大将?」
月旦の初めて聞く名前だった。
「幕府の将軍様はまだ健在だと思ったが……」
「今の将軍はんなんて、あんたも知っての通り、有名無実や」
おばあさんは笑った。
「ましらの大将は、つい三カ月前から、京のことを一手に取りしきってはるのや。商人は都に入れず、そのほかの人は、京に入れはするが、出てきたためしがあらへん。おそろしいことですやろ」
「にわかには信じられない話ですね」
月旦は、あごをなでた。
「とにかく、行ってみます」
おばあさんは、顔をぷいとそむける。
「わしは止めたからね!」
三人はまっすぐ進み、大木戸のある関所で関銭をはらって、京の町に入った。
「なんだ〜、どうってことないじゃん! 心配して損しちゃった!」
琴乃がきゃっきゃととびはねる。
「いやー、そんなこと、ないみたいだよ」
春が鼻をすする。
京の町の上には黒い雲がかかり、町の空気はどよんとよどんでいる。どこの店も家もかたく扉がとざされていて、人の気配もない。
キャッキャッキャ。
「げ、なに、あれ、見た?」
琴乃がぴょんととびあがって、春の肩をたたく。
「猿……」
キャッキャッキャ。
数匹の猿たちが騒ぎながら、いものつまったずだ袋をせおって、大路を走っていく。
「どうなってんの?」
「この前は犬。今度は猿。またしても桃太郎がからんでいるのかな?」
春は首をひねった。
「あーん、どうでもいいけど、おなかすいたよーっ!」
琴乃が足をばたばたさせる。
「有名な、薄味の京うどんが食べたい!」
「わがままだなあ」
春がひょいと築地塀を見上げると、
「うどん、こちら」
と書かれた貼り紙がある。
「お、行こ行こ、琴ちゃん! 月旦さん!」
春は二人のそでを引いて、路地に入っていく。薄暗い路地の奥に、「うどん」の看板がかかっていた。
「ごめんよ」
三人はのれんをくぐった。広い土間はがらんとしていて、人影はない。
「はきものは、ここでおぬぎください」
と貼り紙がしてある。
「うわっ、お座敷?」
春が尻ごみする。草履をはいているのは、月旦だけ。月旦は草履をぬいでしゃくじょうに結びつけた。
三人は土間から板の間に上がる。
「にもつ、うわぎはここにおいてください」
「それはいいが、店の者が出てこないのは失礼だぞ」
月旦はぶつくさ言った。
「袋に、全財産入ってるの。ちょっと心配」
琴乃はずだ袋を持ったまま立ちつくす。
「しょうがない」
月旦は自分と琴乃と春の荷物をしゃくじょうに縄でぐるぐる巻きつけて、簡単にほどけないようにして、部屋のすみに横たえた。
「大丈夫?」
春はしゃくじょうを持ち上げようとした。
「……重っ!」
「ふふふ、わしのしゃくじょうは、『かい』の国のほったら天狗がきたえた怠けのしゃくじょうなり。立てれば重さは一貫、横たえれば重さは十貫。そんじょそこらの非力なこそ泥には持っていけまい」
月旦はかっかっと笑った。
「さすが日の本一の占い師どの。不思議なものをお持ちじゃな」
「いえいえ春どの、あなたたちに起こった摩訶不思議にくらべれば、どうってことありませんぜ」
「二人ともおやじな会話やめて、行くよ!」
琴乃はふすまをばっとあけた。
「うわっ、いいにお〜い」
次の間にはござがしいてあって、三人分のどんぶりとはしが用意してあった。
貼り紙には「どうぞおめしあがりください」とある。
「よかったよかった。この調子だったら次は着物をぬがされるかと思ったよ」
春が笑う。
「食べよ、食べよ!」
琴乃はござにちょこんと座った。
ほんのり色のついた京風のかけうどん。鮮やかな緑のねぎがみやびにパラパラと散らしてある。
「いたっきまー!」
琴乃は言う時間も惜しく、うどんをすすった。
「うまい! さすが京だね!」
「むむむ……」
月旦は微妙な顔をして首をひねっている。
「うどんのこしがいまいちかなー」
「薄い……」
春には、味が物足りなかったようだ。
「おだいはこちらで」
次の間に続くふすまに、貼り紙がしてある。
食べ終えた三人は、ふすまをあけて進んだ。
「うわっ?」
いきなり土間になっていて、三人は足をふみはずして転落した。
「なに?」
キャッキャッキャ。
猿どもが笑い、後ろのふすまがぴしゃりと閉じられた。
「どうなってんの!?」
琴乃は信じられないというように、目をこすった。広くて暗い土蔵のような場所で、大勢の人々がはだしで働いている。
臼で小麦をひく人、水とまぜる人、こねる人。さらにのばす人、麺を切る人、ゆでる人、できあがりを運ぶ人……。まるで工場のような熱気につつまれているが、働いている人たちの目には、生気がない。
「それではここではたらきなさい。ちゃんとはたらけば、またうどんをあげます」
と土蔵の壁に書かれている。
「じょうだん!?」
春は後ろにもどろうとしたけれども、ふすまはぴったり閉じている。
グキキキキキ。
何匹もの猿が近よってきて、春を威嚇した。
「むだむだ。あきらめるがよし」
粉を袋につめて運んでいる老人に声をかけられた。
「ましらの大将は京の人間と、京に入った旅人をこんな工場で働かせてるんだ。さからえば、猿に半殺しにされるのが落ちだよ」
「そんな馬鹿な……」
月旦がうなった。
キャッキャッキャ。
猿が、老人のそでを引いた。
「おっ。うどんの時間らしい。あんた、悪いけど粉運び代わってくれるかい?」
「……」
月旦はとまどう。
「ほら、そこの坊主たちも一緒に。働かないのは勝手だけど、食い物をもらうには働かないとだめなんだ」
老人は粉袋を置いて、猿の後についていった。
「そんな」
「ばかな」
グキキキキキ。
猿が目をギョロリとさせて三人をにらんでる。粉袋を運べということらしい。
「あ、あたし、やーよ!」
琴乃は、工場の奥に向かって、走り出した。
臼をとびこえ、男のまたの下をくぐり、ひらりひらり。猿に負けない速さで、琴乃は走っていく。小さなくぐり戸をぬけると、そこは中庭。うどんを天日で干している。女の人たちが、乾いたうどんをとりまとめて、次の蔵に運んでいく。
うどんは箱詰めされて、封をして、「猿印の京うどん」になった。
キャッキャッキャ。
つみ上がったうどんの木の箱を、猿たちがかかえたり頭の上に乗せて運んでいく。琴乃はその後に続いて蔵の外に出ようとした。
ギロリ。最後尾の猿ににらまれる。
「う。キャッキャッキャ」
琴乃は猿声を出し、頭とあごをかきながら猿面をして、うどんの箱を、こわきにかかえた。
「キャッキャ?」
「ウキャキャ」
猿語で聞かれて、琴乃が適当に返事すると、
「ウ、キャーウ」
最後尾の猿はついてこいという風に前を向いた。
(やった! あたし、猿!)
琴乃は、心の中でガッツポーズをした。
(……あんまりうれしくないけどさ)
キャッキャッキャ。
猿たちの行列にまぎれた琴乃は蔵を出て、見張りの猿がいる塀の勝手口からも出ることができた。
キャッキャウキャキャ、ウー。
うどんをかかえた猿たちの行列は、都大路をじぐざぐと、歌うように声を出しながら歩く。
(猿、楽しそー。人間様はあんなにせっせと働いていたのに)
琴乃は猿たちに合わせてひょこひょこ走りながら、思った。
猿たちは、都大路の入口、京に入る関所の木戸の横に、次々とうどんの箱をつみ上げていく。
「よーし、よう来たな、猿たち」
半分開いた木戸の向こうから番人の声がする。
(え、何やってんの?)
琴乃は、うどんの箱を置いて、つまれた箱のかげから、木戸の向こうをのぞいてみた。
「よーし、商人ども待たせたな! 名物『猿印の京うどん』の取引をこれより開始するぞ!」
番人が言うと、ばらばらに座りこんでいた商人たちが立ち上がって、次々と商品を持ってくる。
「よし、小麦一俵だな。うどん十箱!」
番人の手がにゅっとのびて、うどんの箱を取っていく。
「はりま、なだの生一本か! よし、うどん二十箱!」
ごっそりとうどんが持っていかれる。
(そっか。こうやって京にいる人間と猿をただ働きさせて、ここで商人と取引してもうけようってことね! あくどいわ!)
と、琴乃はびしっびしっと背中をつつかれた。さっき最後尾についていた猿が、ぎょろりと琴乃をにらんで着物のすそを引く。
見ると、うどんの箱を運んできた猿たちはそれぞれ近くにつまれていた小麦の俵を二匹一組で重そうに抱えている。そして琴乃と最後の猿で、もう一俵運ばないといけないようだ。
「えー、やだ、そんな重たいの。だいたい、もうもどりたくないよー」
琴乃は思わず文句を言った。
「キャッキャ?」
猿がにらむ。
「んあ?」
「ムキャ! ウキキ!」
「ウキ! グキャー!」
突然、猿たちが目の色を変えて、琴乃に向かってとびかかってきた。
「大変、あたし、猿じゃなくて、かわいい琴ちゃんだってばれちゃったんだ!」
琴乃はあわてて逃げた。都大路を横切って、路地をじぐざぐに曲がっていく。
ウキ! キャッキャー!
猿たちの叫び声が大きくなった。数十匹以上の猿が群れをなして、後ろから追ってきている。
「ひええー!」
琴乃は転がるように走って、本当に転げ落ちた。坂を転げてついた先は、京の町を流れる、かもの川。
(やば。琴ちゃん、絶体絶命、かもね)
着物の砂をはらって、追ってくる猿たちを振り返った琴乃には、まだだじゃれを考える余裕があった。
「なにかない? なんかなーい?」
琴乃は河原をばたばたかけまわって、底の割れた鉄鍋と、取っ手の曲がったお玉を拾った。
「おお! これこそは伝説のお玉と鍋! ……そんなわけないか」
琴乃はお玉と鍋を太陽にかざした。
河原を涼しい風が吹き抜ける。一人立つ琴乃に対して、そのまわりを取り囲む猿、百数十匹以上。
(果たして勝てるか、琴ちゃん)
ふっと笑って、琴乃はお玉を額の上に、鍋を胸の前に構えた。
グキキキキキ。
猿たちがいっせいにうなり声をあげる。
「えーい!」
琴乃はお玉を思いっきり鍋に振り下ろした。
カーン。
乾いた音が、響き渡る。
カンカンカン、カンカンカン!
「あ、そーれ」
琴乃はお玉と鍋を打ちつけながら、くるくる回って、ひょこひょこ歩き始めた。
「はーい、はーい猿のお兄さんもさ、お姉さんもさ、よく聞きな、よく聞きな」
カンカンカン、カンカンカーン、ポイン。
琴乃は転がっていた大きなたらいをわきにかかえて、お玉で打つ。
「あくせくせっせと働いてなんになるっていうのさ〜どうせ死ぬときゃみんな一緒だよ〜とりあえず、父さん母さん、歌って踊りましょ、ウッキー」
ガンカンカン、トントコトン、カンカンカン、ポインポイン、トントコトントコ。
琴乃は落ちていた流木の枝を帯にさして、お玉で打つ。
ウキッ? キキキキキッ?
あっけにとられて道をあけた猿たちは、琴乃の出す音に巻こまれていく。
トントコトン。
ウキキキッキ。
カンカンカン。
ウッキウッキ。
ポイーン。
キャッキャ。
百数十匹の猿たちが、琴乃のリズムにあわせて、踊るように歩きだす。
「さーさ、たらたら行きましょ、無理してるーからだめなんだよ〜適当に力抜いて〜やるときゃやるのさお猿さんも!」
琴乃は坂をのぼり、道に出て、鍋やたらいや流木を打ち鳴らしながら都大路を練り歩く。と、あっちこっちの家や店から、それにつられるように猿たちが現れて、行列に加わっていく。
春と月旦は、いやいやながら、粉袋を運んでいた。
「はあはあはあ」
「ふうふうふう」
二人はどさりと小麦の俵を臼の横に積み上げて、座りこんで顔を見合わせた。
「うどんはまだ?」
春は形のよい眉を八の字にして、つらそうにうめいた。
「ううむ……まだ、みたいですな」
月旦は、春の細い肩をなでた。いくらなんでも子供の春には重労働。けれども、うどんにありつくためには、ちゃんと猿の目に止まるように働かなくてはならない。
「琴ちゃんは、無事かな」
春は、深く息を吐く。
「うん、大丈夫でしょう。踏まれても死なんよ、あの娘は」
月旦は励ますつもりで言ったが、春ににらまれた。
「おてんばじゃが、わしの妻です。今すぐにでも助けに行きたい……」
けれども、猿たちが増えて、逃げるすきもない。
「もうしわけないことを言いました」
月旦はうなだれた。
「がんばります」
春は、歯を食いしばって立ち上がった。
「長い間生きてきて、人生終わり近くで、こんなに若返って……。うん、つらいことなんて、なにもない」
春は、着物についた砂や粉を、ぱっぱっとはらって、にこり、と笑った。
「琴ちゃんは、もっとつらい目にあってるかもしれない。わしらがめげてはいけない」
二人がふたたび仕事に戻ろうとしたとき。土蔵の大きな両開きの扉が、バンと音を立てて開いた。
「ましらの大将のおな〜り〜」
歌うような声がひびき、猿たちがキャッキャ叫びながら、扉の両脇にひかえた。
さんさんと照る日の光を存分に浴びて、甲冑姿の小柄な男が、ふんぞりかえって立っている。両脇に二人の武者と、強そうな赤毛の大猿二匹とを従えている。
男は一歩、二歩と進んで、かん高い声をあげた。
「みなのもの、つとめ、ご苦労である!」
「大将さま!」
数人の人が、その足元に土下座した。
「わしは『みかわ』の国の庄屋です! ただ京見物にきただけで猿にこんなところにつかまり、働かされています! どうかお助けください!」
「ぼくは、『ひゅうが』の国の学生です! 京で勉強するために上ってきたのに、こんなところで無理やり働かされています! 助けてください!」
人々は、口々に訴えた。
「くっくっく」
男――ましらの大将は、高い笑い声をあげた。笑うと、赤い顔がくしゃりとなって、、猿に似ている。
「この京では、人も平等、猿も平等。どんなやつらも、平等におれのために働くんだ! 文句は許さん! 聞く耳は持たん! 黙って働け! はっはっは」
「こんなことをして! 将軍さまが! 帝が黙っていないわよ!」
きれいな着物を着た女が、どなる。何度も猿に反抗したのだろう、顔はひっかき傷だらけだ。
「ふっふっふ」
ましらの大将はぺろりと舌を出して口のまわりをなめた。
「猿は御所にも内裏にもいる。おどされて、いやいやでも、おれにまつりごとをまかせてくれたのはあの方々だ。おれを罰するなんて、無理だぞ!」
将軍や、帝でさえましらの大将に手を出せないというのだ。人々は、うなだれた。
「言いたいことはそれだけか?」
「ちょっと待った!」
タン、タンタンタンタン、タン!
足を踏み鳴らしながら、月旦が前に出る。
「ましらの大将というから、どこぞの名のある武士かと思いきや、お主、わしの友ではないか、赤丸! またの名を、猿!」
「ん?」
ましらの大将は、白髪の月旦の顔を、まじまじと見た。そして、手をたたいて笑った。
「おまえ、こんなところで何やってんだ? 正月!」
(えっ、正月? それが本名?)
春は、ましらの大将とにらみあう月旦を見上げる。
「へっへっへ。たしかにおれはがきのころ、猿と呼ばれた男よ、正ちゃん」
ましらの大将はくいっと鼻の下をこすった。
「じゃあなぜ? 田舎で桶屋をまじめにやってんじゃなかったのか?」
「風が吹かねえと、桶屋はもうからねえ」
ましらの大将は、遠い目をした。
「でもついこの間、もんのすごい風が吹いて、おれはつきを手にしたのよ。天から桶に落ちてきた一人のこども。やつはおれに、猿の言葉と、猿を従える力を教えてくれた。そして、二人で天下を取るために、猿たちと京にのぼってきた。そして猿の力でおれは大将になったっていうのに、こどもはどっかに消えちまった。まあいい、おれは猿どもの頭領、京の元締め、ましらの大将よ。このままみんなを働かせてとことん金儲けしてやるぜ! ひっひっひ」
「なにをたわけたことを!」
額に青筋を立てた月旦をおさえて、春が前に出た。
「ましらの大将さん、そのこどもは、もしや桃太郎という名前だった?」
「なんだ、ガキ」
ましらの大将は、目を細めた。
「たしかにおまえの言うとおり、こどもは桃太郎と名乗った。おまえと同じくらいの年よ。なんでわかった?」
「それはの……」
春は大きく息を吸った。
「桃太郎はわしの息子だからじゃ!」
「正ちゃん、このガキ、頭おかしいのか?」
ましらの大将は自分の頭の横で指をくるくる回してみせた。
「いや……ま、いろいろな理由があって、わしらは桃太郎を探しているのだ。しかし、京に来ていたとは! いったいどこに消えたのだ?」
「知らねえなあ。でもまあ、ガキのくせにえらそうだったし、かえっていない方がおれにとっては好都合かもなあ!」
ましらの大将が言い放ったとき、一人の武士がかけよってきて、ひざまづいた。
「大将さま、大変です!」
「なんだよ」
「猿たちが、持ち場をどんどん離れています!」
「なに? そんなばかな」
「そしてですねえ……働いていた人々や、内裏の兵士や、御所の兵士たちが立ち上がって、大将さまをとらえようとしています!」
「にゃに!」
ましらの大将は赤い顔を、さらに真っ赤にした。
「どういうことだ!」
どこからか、楽しげな音楽が聞こえてくる。
カンカンカン、ドンドコドン、ウッキャッキャー、ウッキャッキャー。
猿たちが、落ち着きなく体をそわそわし始めた。
そしていきなり、われ先にと蔵を出て、塀や門をこえて、大路に飛び出していく。
「おい、待て、待たんか!」
ましらの大将は猿たちの後を追って、門を出る。その後ろに、人々が続いた。
「歌は〜歌う歌だよ、とっても楽しいもんなんだ〜」
カンカンカン、ポインポイン。
おかしなはずれたような歌を歌い、鍋やたらいをたたきながら、女の子が先頭に立って歩いてくる。
「こ、琴ちゃん!」
春はとびあがった。
「猿を従えるとは」
月旦が目を丸くする。
琴乃の後ろには、無数の猿が踊り、鳴きながらついてくる。さらに、太鼓や笛を鳴らしながら、京の町の楽人たちも音楽に加わっている。
ウッキャッキャー、ビョービョー、ドンドコドン、カンカンカン、ピーヒョロロ。
騒がしい行列が、目の前を通り過ぎようとする。
「うぬ、待てこら! 猿ども、わしの言うことを聞け! こんな行列に加わるな! ぬおー!」
ましらの大将はどなりまくって手を広げて猿たちを従える念力をかけようとしたが、猿たちは楽しげに踊って、見向きもしない。
「んな、ばかなー!」
「おい、赤ちゃん」
月旦がましらの大将に声をかける。
「赤ちゃんて呼ぶな!」
「じゃ、猿」
「猿とも呼ぶな! おれはましらの大将だ!」
「どうでもいいが、おまえ、やばいぞ」
猿たちの行列が通り過ぎた向こうから、御所や内裏の兵士、そして働かされていた人々が、土煙をあげてやってくる。
「うわっ! どうしよう?」
ましらの大将はかたわらの家来を振り返った。が、家来たちはクモの子を散らすように逃げてしまった。そして、うどん工場で働かされていた人々が、鬼のような顔をして、大将にせまってくる。
「猿のいないましらの大将なんて、たんなるおやじだ! やっちまえ!」
「ひええっ! 桃太郎、助けてくれえ!」
ましらの大将は重い太刀を捨て、鎧も脱ぎ捨てながら、全速力で逃げ出した。
「さるはさる、か……」
月旦はつぶやいた。
「あはは」
春はお愛想笑いをして、琴乃の後を追った。
「ほーい、いよいよここが、最終だ! みんな、気合入れていくよーっ!」
ウッキー!
ほがらかな琴乃の叫びに、猿たちがこたえる。都の正面玄関、羅生門。その前の広場で、激しく琴乃は鍋や流木を打ち鳴らし、猿たちは踊りまくる。
カンカンカン! ダンダンダン! ウッキーウッキー!
カンカンカン! ダンダンダン! ウッキーウッキー!
カーーーン!
最後にのびあがり、お玉で思いっきり鍋を打ち鳴らすと、琴乃はしばらくその余韻にひたった。
(終わった……)
琴乃は猿たちを振り向いた。
「行け! みんな山に帰りな!」
その言葉に、猿たちは門に殺到して開き、次々に都の外にとびだした。
音楽は、終わった。
「んじゃ、バーイ」
琴乃は猿たちの後ろ姿に軽く手を振って、ふいーっと息を吐き、鍋とたらいと流木を放り出して地べたに座りこんだ。
「琴ちゃん!」
「琴乃どの!」
しゃくじょうと、荷物を持った春と月旦が走りよってくる。
「すごいよ! 猿たちをあやつることができるなんて!」
「そして、また新たなことがわかった。ましらの大将に猿をあやつる力をあたえたのは、桃太郎らしいのだ!」
「桃太郎が……?」
琴乃はまゆをひそめた。
「犬のことといい、猿のことといい、桃太郎はずいぶん早く成長して、何かをなそうとしているらしい。とんでもないことが起こる前に、早く探し出さねば」
琴乃は、月旦の言葉に、首を振った。
「わたしたちの、桃太郎。何か理由があるに違いないわ」
「おーいおじょうちゃん、猿をも楽しませるあなたの新しい音楽に感じ入った! この音楽を猿楽と名づけ、われらといっしょに猿楽一座を結成しませんか!」
琴乃についてきた京の笛吹きや太鼓たたきが、琴乃に声をかけた。
「うわあ、ごめん、あたし、この先を急ぐので」
「そうか、残念です……!」
新しくできた猿楽を演奏し始めた人々を残し、琴乃と春と月旦は元に戻った京の町を行く。
「ところで月旦どの。なんで本名は正月なのに、月旦なのです?」
春が、聞いた。
「それは……正月ってあんまりおめでたい名前なもんで……正月の月と、元旦の旦で、月旦としたんです。月が出てないと占いができないとか、実はうそっぱち」
月旦は舌を出して、頭をかいた。