桃太郎を追え 後編

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「もーもたろさん、ももたろさん、おこしにつけたきびだんごー。ひとつーわたしにくださいなー」
 そんな歌が聞こえてきたのは、日の本一広い地方、「きび」の国に入って三日目。春と琴乃と月旦が浜辺の道をとぼとぼと歩いているときだった。
「なに? なんなのその歌! なんなのよ!」
 琴乃は、棒を振り振り歌を歌っている男の子の、かすりの着物のえりをつかんで問いつめた。桃太郎を思うあまり、口がとんがり目が血走っている。
「な、なんだよ、おまえー!」
 琴乃よりも少し年下の男の子がおびえる。
「やめろよ、琴ちゃん! きみ、ごめん、でも、桃太郎について知っていることあったら、教えてくれない? ほら、やめろって」
 春が、男の子の着物をつかんでいた琴乃の手をはなさせる。
 男の子はえりを直して、琴乃をじろりとにらんでから、語り始めた。

 なんだよ、痛いなあ。女のくせに馬鹿力だし。おれの名前? 弥次郎。桃太郎さんのこと? そう、あの歌は、桃太郎さんの歌だよ。一月ほど前の闇夜の晩に、あの人は、ここの村にやってきたんだ。漁師のおっちゃんの話じゃあ、まるで何かと戦ったみたいに、体がすごい傷だらけだったって。
 桃太郎さんの年? 十五とか十六くらいかな。おれんちの一番上の兄ちゃんぐらい。すごく色が白くて、顔もきれいなんだよ。桃太郎さんは、山に小屋を立てて、一人で住み始めたんだ。細い体なのに、ものすごい力持ちなの。近所のばあちゃんの畑を手伝って、麦とかキビとか野菜とかもらってた。で、ある日、きびだんごを作ったの。
(「きびだんご?」琴乃が口をはさんだ)
 そ。でっかいきびのだんごに黄な粉と砂糖をまぶした、とてもおいしそうなやつ。そんで、桃太郎さんは、村の乱暴者たちを集めた。でっかい体してるのに、ふだんはごろごろしていて、となり村とのけんかのときにはりきるようなやつらさ。桃太郎さんは、座敷にやつらを通して、「どうぞ一人一つずつ食べてください」ときびだんごをあげた。
(弥次郎は、ごくりとつばを飲んだ)
 桃太郎さんのことを大っきらいなやつが一人いた。そいつが、みんなが食べようとするのをやめさせて、窓の外のやぶに、きびだんごを放り投げた。しばらくして、一羽の小さな雉がやってきて、それをつついたんだ。
(「で?」春と琴乃と月旦は息を飲んだ)
 ころっと雉は倒れた。「おれたちを殺そうとしたな!」乱暴者たちは次々にきびだんごを桃太郎さんに投げつけて、家に逃げ帰って、棒や熊手や鎌を持って、桃太郎さんをたおすためにもどってきた。でも、桃太郎さんも桃太郎さんの家も消えてて、そこには、一人のじいさんがいたんだ。
(「じいさん?」琴乃が口をはさむ)
 うん。村はずれの山奥に住む、妙秀って変なじいさんだ。「あのものは、おぬしらを殺そうとしたわけではない。だが危険なものなので、わしが預かった」そう言って、じいさんは煙の中に消えちゃった。乱暴者たちはむかついたけど、妙秀は変な術を使うから、しかたなく家に帰ったんだ。それから、桃太郎さんは妙秀のぼろ家に閉じこめられてるっていうけど、だれも見たことのある人は、いないや。

 弥次郎は、にっ、と笑って話を終えた。
「村の人たちは桃太郎をどう思っておるのかな? 乱暴者たちを殺そうとしたなら、罪人だが……」
 月旦が聞く。
「桃太郎が罪人のはずないよ!」
 と、琴乃。
「さあねえ。おれは桃太郎さん好きだよ。なんだかね、あの人の目を見てると、なんでもかんでもどうでもよくなっちゃうんだ……」
 弥次郎は、つぶやいた。
(……危険といえば、たしかに危険じゃ)
 春は、にじみでてくる汗を、そっとふいた。
「じゃあな」
 弥次郎は手を振った。
「あーげましょうあげましょう。そうしてたべたらしんじゃったー」
 歌いながら、棒を振り回して歩いていく。
「行くところは、決まったわね」
 琴乃はぐっとこぶしをにぎった。

「妙秀……妙秀」
 月旦は、ぶつぶつ言いながら、首をひねる。
 秋風がすすきの穂を揺らす中、三人は、妙秀という男が住む山奥への道を急いでいた。
「どこかで聞いた名前だなあ……」
「また、お知り合いの方ですか?」
「いや。でも、何かの折に聞いたことのある名前なのだよ……」
 道はつづら折りの山道になり、おいしげるすすきは、いつか笹やぶになり、背の高さほどにもなった。いくらなんでも、この先に人の家などあるのだろうかと思ったそのとき、ぱっと前方が開けた。
 人一人通れるぐらいの間をあけて立った二本の太い杭は、門だろうか。そして、その門の両脇には、長さと太さがまちまちの、切り口のささくれだったくいが、まるで歯の抜けた櫛のようにいいかげんな間隔で、何本も乱雑に打ちつけてあった。乗り越えようとすれば痛そうな、あからさまに他人の侵入を警戒する垣根。その向こうに、白い塗料を塗りたくったけれども、ところどころはげ落ちたような、こぢんまりとした小さな木造の家が、たっていた。
「あれが……」
 表札はないけれども、明らかに、桃太郎を閉じこめている妙秀という男の家だった。
「よし、行ってみよう」
 緊張した声で春が言い、門に足を踏み入れようとする。
「待ってくださいっ」
 悲鳴に似たような、高い声が後ろからした。
「だれ?」
 三人は振り向いた。
 笹やぶの向こうから現れたのは、一人の大男だった。光沢のある着物を着て、頭は後ろで結んでいる。
「危ないですっ」
 声が、妙に高い。
 男は足元の笹の枯れ葉を拾うと、風に乗せて門柱の間に飛ばした。
 門を通りすぎようとしたとき、ボッ、と音がして、枯れ葉は一気に燃えて灰さえも残さずに、消えた。
「うそ……!」
 琴乃が手を口に当てた。
「この家は、何重にも結界がはりめぐらされていますっ。わたしは、危なく丸焼きになるところでしたっ」
 男は、焼けてちりちりになった腕の毛を見せてくれた。
「わたし、雉彦ともうしますが、あなたがたはっ?」
「わしは月旦、そして春に、琴乃。ここにとらえられているという桃太郎を探しに旅しているのだが……」
「なんと! わたしも桃太郎さんに会いたいんですっ! 会ってお礼をしたいんですっ!」
「けど、結界があるなんて……」
 春は、垣根に向かって石を放り投げた。石は何かに打ち返されるようにはねかえり、春の額にびしっと当たった。
「あいたた……」
「そうか! 妙秀とは、はぐれ陰陽師妙秀!」
 月旦は、ぽんと手を打った。
「知ってるの?」
「うむ。かつて平安の時代に活躍した陰陽師たちの技をきわめた男。先の将軍に仕え、その信頼厚く、「さがみ」公府の乱のときには、火の術、水の術を駆使して公府軍を苦しめたそうだ。やがて戦いに嫌気がさし、田舎に引きこもったと聞いている」
「じゃあ、すごい人じゃないですか」
 春が目を見開く。
「なぜ、桃太郎を閉じこめているんだろ?」
「ああ、あの桃太郎さまの若々しくすがすがしく清らかな気が、老獪な陰陽師の結界にはばまれておさえつけられているのがわたしには見えますっ」
 雉彦は、するどい目で妙秀の家をにらみつけた。
「どうしよう」
「作戦を練らないと」
 春と月旦は顔を見合わせた。
「こんにちは、妙秀さーん! こんにちはあ!」
 いきなり琴乃が大声をあげた。
「な、なにをする?」
 月旦はとびあがった。
「どうせあたしたちがいることはわかってるんでしょ! 出てきて話を聞いて!」
「うわ……わしはそんな鬼みたいな陰陽師に会いたくない……」
 月旦はそわそわして、手をせわしくすりあわせた。
「去れ」
 重々しく、苦しげな声が聞こえた。
「とく去れ。おまえたちに、用はない」
「弱ってますっ」
 雉彦は声をひそめた。
「あんなに、弱ってる妙秀の声は初めてですっ。桃太郎さんの気の勢いが、すごく強まっていますっ。あなたがたが来たせいかもしれないですっ」
 雉彦は、ぐんと背筋をのばした。
「行きましょうっ。わたしと坊ちゃんとじょうちゃんなら入れるかもしれないですっ」
「えっ、どうやって? 結界に近づいたら、燃やされちゃうよ?」
「飛びますっ! 空には結界はありませんっ! 気弾をよければなんとかっ!」
 琴乃がどうやって飛ぶのかと疑問の声をあげようとしたとき、雉彦は着物を脱ぎ捨て、大きく腕を広げた。腕は大きく広がり、一瞬にして、美しい緑がかった羽根が生えそろった。
「雉彦どの、おぬし、もしや!」
 雉彦は、月旦にうなずいた。
「そうですっ。わたしは、桃太郎さまのきびだんごを食べて力を身につけ、人に変化することが可能になった雉なのですっ。さあ、坊ちゃん、じょうちゃん、わたしの足にっ!」
 春と琴乃を足につかまらせ、雉彦ははばたいて飛び上がった。
「桃太郎……そこまでの力をあたえられる桃太郎とは、いったい何者なんだ?」
 月旦は飛ぶ雉彦を見上げて、白髪頭をかき上げた。
 雉彦は、妙秀の家の上空を大きく一回りすると、家に向かって急降下した。
 バスッ!
 屋根を突き破って、光る弾が飛んでくる。雉彦はひょいとよけた。
「二人ともっ! わたしが言ったらとびおりてくださいっ!」
「合点!」
 琴乃が答える。
 バスッ、ビュッ、ビュッ、ビュッ!
 連続で飛んでくる気の弾を雉彦はかろうじて避けた。
「やはり、弾の力が弱っているっ。けれども、相手はおそろしい陰陽師、気をつけてっ……! 今ですっ!」
 雉彦の言葉に、春と琴乃は雉彦の足から手を離して、屋根にとびおりた。
 バスッ!
 気の弾が、雉彦の頬をかすめる。
 ケーン!
 一声鳴いて、雉彦は一気に上昇した。
 ダン!
 春と琴乃は、すばやく地面におりたった。
「裏の納屋ですっ!」
 空から雉彦が叫ぶ。
 二人は、母屋によりかかるようにたてられた、これも白塗りの小さな納屋の戸を開けた。
 ぱっ、と白く淡い光と、桃のように甘いにおいが、二人をおおった。
「のうまくさまんだばざらだんかん!」
 声とともに、光とにおいはかき消えた。
 納屋には、格子でしきられた一室があり、その奥に、白い人影があった。その前に立ち、震えながら印を結んでいるのは、げっそりやせこけた一人の老人だった。
「桃太郎!」
 琴乃の大声。
 格子の向こうには、青白い顔、茶色の髪に白い着物の、やせた少年が見えた。まるで眠っているようだったが、琴乃の声に、薄目を開ける。
 ふっ、と白い光が少年から発せられたような気がした。
「おんさんまやさとばん!」
 老人が、印を組み替えて、叫んだ。光は、すぐに消えた。
「何をしにここまで来た! すぐ消えろ……!」
 老人は、苦しげに言って、はあはあと息をついた。
「妙秀ね?!」
「小娘に呼び捨てにされるほど、わしは落ちぶれてはおらん!」
 するどい眼光で、妙秀は琴乃をにらみつけた。
 琴乃は目をそらして、その視線をすっと受け流した。
「悪いけど、わたし、本当はあなたより一歳か二歳は年上ですから。そんな、目の力でおどかそうとする術を使っても無理!」
「くっ」
 妙秀はたらたらながれる脂汗をぬぐおうともせず、立ち続けている。
「そこをどいて!」
 琴乃はずいと前に出た。
「やめんか……おまえらが近づけば近づくほど、わしにはこの怪物をおさえつけることがむずかしくなる……」
「怪物ですって?!」
 琴乃が歩みを進める。妙秀が目を見開き、歯を食いしばる。格子が、カタカタとゆれる。見れば、何種類もの梵字の札が格子にははりつけられており、それらが今にもはがれ落ちそうになっている。
「待つんじゃ、琴ちゃん」
「なによ! そこに桃太郎がいるのよ!」
 春は、琴乃の肩をしっかりおさえて、妙秀に顔を向けた。
「妙秀さん。桃太郎は、三月前にわしらが拾った桃から生まれたのですじゃ。しかし生まれたその夜に烏につれ去られ、残った桃を食べたわしらはこのように童の姿となった。それからずっと桃太郎を追って旅をしとります。桃太郎に不思議な力があるのは、わしら、気がついておる。じゃがなぜ、桃太郎をとらえなさる?」
「くっ」
 妙秀のひたいに血管が浮き出ている。結界を維持して桃太郎をおさえつける力が、限界にきているのだった。
「おぬしら、桃を食べただと? 桃はこやつの卵にして、力の源。道理で何日もの間おとなしかったこやつの力が増しているわけじゃ……。よいかこやつは怪物じゃ! 日の本を暗黒の地におとしいれようとする、邪悪なる天魔じゃ! じゃからこそ、鬼は桃太郎をつれていこうとする! まだ遅くない、下がれ! わしが命をかけてこやつを封印してみせる!」
 春はとまどった。鬼は、桃太郎を仲間だから連れていこうとしているのだと?
「わからん! 桃太郎のどこがどう怪物なんじゃ?」
 春は、両手を広げて問いかける。
「まだわからぬのか!」
 妙秀がどなったとき、納屋の屋根に大きな穴があいた。
 ドカッ!
 雉彦が、その巨体で頭から突っこんでくる。
 ドスッ
 雉彦が着地した瞬間、桃太郎の体から、白く強烈な光が発せられた。
「わああ!」
 妙秀は血を吐いてあおむけに倒れた。
「妙秀どの!」
 月旦が納屋の入口からとびこんできた。もはや、すべての結界が無効となっていた。
 格子の札がすべてびりびりに裂けて、はがれ落ちる。そして、格子の向こうで、桃太郎が、ゆっくりと目を開いた。
「桃太郎さま!」
「桃太郎!」
 歓喜して、雉彦と琴乃と春がかけよる。
「あっ、待て!」
 月旦が三人を止めようとしたが、遅かった。
 カッ! と桃太郎は再び激しい光を発した。
「うわあ!」
 雉彦と琴乃と春は、光におされて転がった。
「虫けらどもが……」
 桃太郎は声変わりしていない高い声でつぶやくと、格子に両手をかけた。ぼろぼろと、まるで砂糖菓子のように、格子は崩れていく。
 そして桃太郎は、一歩、足を踏み出した。
 すりきれた汚い着物を着ているが、その肩までのびたなめらかな黒髪、整った顔、すきとおるような肌、均整のとれた引きしまった肉体はあやしく美しい。
 琴乃はうつぶせになったまま桃太郎を見上げて、ただため息をつくしかなかった。
「桃太郎! 覚えていないかもしれないが、この琴乃がおまえを拾い、このわしが名前をつけ、二人でおまえを育てようとしたのじゃ!」
 桃太郎は叫ぶ春を、冷たく見すえた。
「忘れるわけがない。よくこの脳裏に焼きついている」
「本当に?」
 琴乃がうれしそうに声を上げる。
「だが、わたしの体の一部となるべき生命の実をわたしに食べさせずに、しかも烏にわたしをさらっていかれるなど、よくも不注意な真似をしてくれたな……さらに実を自分たちで食べて若返るとは、言語道断」
 桃太郎はぱきぱきと指の関節を鳴らして、次に雉彦を見る。
「おまえも、鳥のくせにわたしのきびだんごを食べるとは……。あれは鳥を人間化するためのものではない。人間を超人間にするためのものだった!」
 殺気を感じて、雉彦は身を引いた。
 バシュっ!
 雉彦の立っていた場所から、白煙が上がった。納屋の土間が、焼けこげている。
「! いったい、どういう術だ……」
 月旦は、おののいて後ずさった。
 そのとき、カアカアと鳴き声が近づいてくるのを人々は聞き、空を見上げた。
(!)
 茜色の夕焼け空をうめつくすように、何十羽のも烏が飛んでいる。
「桃太郎さま。あなたになんと思われようと、わたしはあなたに感謝しているのですっ! そのあかしを、今見せますっ!」
 雉彦は、ばっと翼を広げて、飛び立った。
 ガッ!
 雉彦と烏たちが衝突して、激しく音を立てた。
 雉彦はすばやく反転して舞い上がり、上から烏たちをねらおうとしたが、烏たちは集まって黒いかたまりとなり、下から雉彦をおしつつんだ。雉彦の暗い緑色の羽根は黒の中に見えなくなり、数秒後、烏たちがぱっとわかれて飛び散ったとき、その姿は、影も形もなかった。
「いやだあ!……」
 琴乃は体を震わせて、自分の両肩を抱きかかえた。
「きじは……もどってきじ」
 月旦がつぶやいて目をつぶった。
「正しくは、もどってこじ、では……?」
 指摘する春。
「雉彦さんがやられちゃったのに、そんなだじゃれ、どうでもいいでしょ!」
 琴乃が悲しげに叫ぶ。
「来る!」
 烏たちは黒い滝のようになって、一気に屋根の穴から突っこんできた。
 桃太郎は烏をちらりと見もせずに、右手のひとさし指を立てた。天から赤い光の柱が、地から青い光の柱が立ち、黒のかたまりとなった烏たちを飲みこもうとする。
 次の瞬間、ぶつかった光の柱が目もくらむようなまぶしい白い光と、同時に巨大な炎のような熱を発した。
 黒い無数の羽根が舞ったが、烏たちは寸前でさっと散って、光に焼かれたものは、いなかった。
 と、ギシギシという異様な音に気づいた月旦が、春と琴乃を抱きよせて、体でおおった。
「いかん! 屋根が落ちるぞ!」
 バリバリバリッ!
 耳をつんざくようなすさまじい音を立てて、屋根がくだけて落ちてきた。破片をさけた月旦は頭を上げた。烏たちは、雉彦を襲ったものたちだけではなかったのだ。何百という烏が納屋の上に乗っており、その重みで屋根が落ちてきたのである。
 一瞬意表を突かれた桃太郎のまわりを、舞いおりた数百の烏が円形に取り囲んだ。
「……滅殺封殺の陣か!」
 同心円状に、一定の間隔を取ってならんだ烏たちを見て、月旦は目を見ひらいた。
「ここまでのことができる知恵を持つとは、いったい、いかなる烏!」
 ザワッ、と羽音を立てて、桃太郎の頭上から、先ほどの光の柱から逃げおおせた烏の一団が襲いかかった。
「こざかしい!」
 桃太郎は右手を上に、左手を横にして、同時に気を放つ。しかし、烏たちが陣をはって作りあげた暗黒の気におさえられ、気は不発に終わった。
 烏たちは一気に桃太郎に飛びかかり、するどい爪でその体に取りついた。
「んぐわあああああ!」
 桃太郎は化けものじみた声をあげた。
「桃太郎!」
 月旦は行こうとする琴乃のえりを引く。
「今わしらが行けば、殺される! あの烏どもは、ただものではない!」
 烏たちは桃太郎を仲間ごとおしつつむようにして、ゆっくりと飛び上がった。
「桃太郎ー!」
 琴乃の叫びもむなしく、烏の大群は夕焼け空を海に向かって去っていった。
「連れ去られてしまったか……」
 春は、安心したような、悲しいような、複雑な気分で顔をなでまわした。
 かすかなうめき声が、がれきの下から聞こえる。
「妙秀どの!」
 月旦があわててがれきをとりのける。ほこりだらけで、額から血を流しているが、かすり傷のようだ。
「おまえらは、ばかじゃ、あほうじゃ、くそたわけじゃ」
 妙秀は、琴乃に軟膏を傷にぬってもらいながら、三人を口汚くののしった。
「桃太郎を心配して来たのよ! 何がばか?」
 琴乃はむっとして口をとがらせる。
「やつが普通の人の子に見えるか? 生まれてわずか三月であのような力を得る人間がどこにいる? そしてやつには、ほかのものにも強い能力をあたえる力がある!」
「たしかに」
 春は、妙秀の言葉にうなずいた。犬、猿、そして雉もそう。
「やつは、その力で日の本の帝王になろうとしていたのじゃ!」
 妙秀は苦々しく吐き捨てた。
「なにそれ。そんなのわかんないじゃない! 本人の口から聞いたの?」
「それもわからんとは、頭の中花盛りでおめでたいぱっぱらぱーのおなごじゃ」
「言ったな」
 琴乃は乱暴に包帯を巻く。
「あいててっ! おぬしなあ……人を人とも思わぬ桃太郎の態度、一目見てわからぬか? わしはこれまでに様々なおそるべき支配者とつきあってきたが、あそこまで非情で強力な男に出会ったのは、初めてじゃ」
 そしてがっくりと肩を落とす。
「おまえたちが来なければわしの力を尽くして封じられたはず……残念じゃ」
「……あの烏は鬼が島のものでしょう? なんのために桃太郎を連れ去ったのです? あの力を必要としているのですか?」
 月旦が問いかける。
「鬼が何者かも、知らぬのか」
 妙秀はあきれ顔をする。
「かつて『わ』と呼ばれた日の本の国が長い戦いの末に統一されたとき、ときの大王が日の本中の異能者を鬼が島に送りこみ、そこから日の本の平和を守るように命じたのじゃ。以来、山湖の争いや源平の争いなど大きな争いはあったものの、日の本全体を巻きこむほどの戦にならなかったのは、その鬼が島の住人が関与してきたからなのじゃ。……わしが遠征した公府の乱のときも、鬼の手のものが何かとからんできおった」
「では、鬼は、桃太郎を封じようとしているのですか?」
「そのつもりじゃろう。じゃがわしは、わしの力で、あの怪物を封じたかった! そうすればさらにわしの名は上がったのに! いて」
 びしっと妙秀の頭をはたいたのは、琴乃だった。
 ケーン!
 山奥の静寂を破るように、鋭い雉の鳴き声が響いた。
 雉の群れが、次から次へと飛びたっていく。
「見て!」
 琴乃が指をさした。
 雉の編隊の先頭には、どの雉よりも大きな、夕日に光輝く羽根を持つ雉が、力強くはばたいている。
「雉彦! 生きていた!」
「まさか、鬼ヶ島へ桃太郎を助けに行くのか……」
 月旦はその忠誠心の強さに、嘆息した。
「わしらも、行こう」
 春は、琴乃に言った。
「わしらには、桃太郎のことに責任がある」
「言われなくたって!」
 琴乃は、ぱっと立ちあがり、強くうなずいた。

鬼が島

 ギイ、ギイ、ギイ……
 単調な櫓の音が響く。大波が船をぐうんと持ち上げて、すとん、と落とすように去っていく。
「もう、やだーっ」
 琴乃は泣き声をあげた。
「気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い」
 船底をごろごろと転がりわめく。それでもひどい気分はおさまらず、琴乃ははしごをのぼり、天板を持ち上げて甲板に出た。
 雲一つない空から、太陽が照りつける。
 せまい甲板には月旦と春がならんで、舷側につかまって行く手をながめている。
「もうがまんできないよ! いつ着くの!」
 琴乃は春にぎゅっと抱きついた。
「琴ちゃん……中にいろと言ったろう」
 また大きなうねりが船を持ち上げる。
「もう、だめだよう。地面の上に行きたいよう」
 琴乃はべそをかく。春は困ってため息をついた。
 鬼が島に渡ってくれるような命知らずの船乗りは、いなかった。しかたなく、春と琴乃と月旦の有り金をはたいて古い漁船を買い、妙秀に頼んで舵と櫓にまじないをかけて自動に航海できるようにしてもらい、三人は鬼が島を目ざしている。けれども天気がよくても、二週間はかかるという海路。まだ一週間しかたっていないのに、琴乃は船酔いで食事はのどを通らずげっそりとやせて、安眠もできず目の下にくまを作り、かわいそうなぐらいにやつれていた。
「もうやだ、やだよう……」
 琴乃は春の手をにぎっていると落ちつくのか、ようやく泣くのをやめた。
「さあ、中に入って」
「春坊もいっしょじゃなけりゃ、やだよ」
「わかったわかった」
 春は、琴乃の手を引いて歩む。
「月旦さん、ここまでつきあわせてしまい、申し訳ないのう……」
「いやいや、わしも一度は鬼が島なるもの、見てみたかった。ここまで来れば、われわれは同志です」
 月旦も海を見るのにあきて、春と琴乃の後から船底に下った。
 ギイ、ギイ、ギイ。
 船底は暗く、櫓の単調な音が鳴り響く。
「何か話でもしましょう」
 暗い雰囲気を吹き飛ばそうと、月旦は明るい声を上げた。
「こわい話はやだよ」
 琴乃は涙目になった。
「海坊主とか、幽霊船とか、空飛ぶイカとかタコとか……」
「大丈夫です」
 月旦は琴乃の頭をなでて、にっこり笑った。

 わたし、月旦は占い道をきわめるために日の本全国を旅し、船に乗って遠く「りゅうきゅう」の国までも足をのばしましたが、残念ながら日の本の外の国に足を踏み入れたことはありません。
 聞く話によれば、日の本の西には「から」の国があって、漢字や紙や鉄や仏さまにいたるまで、すべて「から」の国からわたってきたものだとか。(「へえー」と琴乃)ところが「から」の国の西にはさらに「てんじく」の国があって、仏さまの教えは、そもそもそこからわたってきたものだとか。「から」の国のお坊さんが「てんじく」にお経を取りに行くために、猿とともに冒険する話がありますよ。(「『てんじく』が世界のはてですか」春は遠い目をした)いや、それで終わりではありません。「てんじく」の向こうに「ぺるしあ」があり、「ぺるしあ」の向こうに「あらびあ」があり、「あらびあ」の向こうに「とるこ」があり、「とるこ」の向こうに「ぎりしあ」があり、その向こうに「ろおま」があります。(「何それ? はてしない。うそじゃないの?」琴乃は信じられないように首を振る)
 本当です。さて「ろおま」をおさめる王さまの前に、あるとき北の国からやってきた船乗りがやってきました。
「わたしの国は年中氷にとざされた島にありますが、そのはるか西、海を何日もかけてわたったところには緑におおわれた大地が広がっております。そこにも人は住み、住人はこんなものを持ってました」
 船乗りは、金箔におおわれた古い杯を取り出しました。
「その国の王子があるとき西へ西へと陸地を旅して、やがて広大な海を望む漁村に着いたときのことです。めずらしい客人を歓迎して、村の人々は盛大な宴を開き、さらに多くの贈り物をしてくれました。この杯は、その贈り物にあったのです。聞けば、昔漁村に、ずっと西のかなたから人の乗っていない船が流れ着き、その荷物にこの杯や、見たこともないめずらしい宝があったとか」
 そして、船乗りは杯を引っくりかえして見せました。そこには、「日の本」と書いてありました。

「うそだあ!」
 少し元気になった琴乃がつぶやいた。
「それじゃ、ずっと西に進んでいったら、ここにもどってきちゃうって話でしょう?」
「うむ、わしは、そういうこともあるんじゃないかな、と思っている」
「まるでおとぎ話ね」
 琴乃は肩をすくめた。
「それじゃ、わしがおとぎ話をしよう」
 春が、話を始めた。

 昔々、鬼の国にひげもじゃで立派な角を持ち、虎の皮のふんどしをしめた赤鬼がいたと。(「ねえなんで虎の皮なの?」琴乃が口をはさんだ)

「口をはさまないでほしいのう……」
 春は口をとがらせた。
「鬼は鬼門に住むからだ。鬼門とはすなわち東北。ねずみの『ね』からいのししの『い』までの十二の干支を北から順に方角に当てはめると、東北は『うしとら』。だから鬼は牛の角を持ち、虎の毛皮を身につけているのだ」
 月旦が解説した。
「おっ、豆知識だね!」
 琴乃はふむふむとうなずいた。
「……では続けるじゃ」

 赤鬼は、昔話に出てくる人間のことがとても好きで、あるときどうしても人間に会いたくなって、海の向こうにあるという人間の国に向けて船出したのじゃ。
 来る日も来る日も大変な航海が続いた。嵐で転覆しそうになったり、雨が降らずに乾き死にそうになったり。食料がなくなってしまったときには魚を釣ったり、海鳥をとったりして飢えをしのいだのじゃ。(琴乃は自分よりも大変な船旅を送る鬼に思いをはせて、目をうるうるさせた)そしてついに、鬼は陸地にたどりつき、ぼろぼろのいかだのようになった自分の船を捨てて、川に沿って登っていった。すると、自分の住んでいたようなかやぶきの家々がたつ集落に着いた。鬼が懐かしい感じのする家のとびらをひらくと、そこには一人の婦人が立っておった。その人は振り向いて、鬼を見てにっこり笑った。
「お帰りなさい」
(「えっ、どうしたの?」と琴乃)
 それは、鬼のお母さんだったのじゃ。おしまい。

「……春坊、なにそれ? 月旦の話を聞いて考えついたんでしょ? ずっと船に乗ってれば一回りして元にもどるとかいって。もう、きらい!」
 琴乃はつんと鼻をあげた。
「わたしはもっとちゃんとした話ができるもんね!」

 箱根の足柄山に、とてもきれいなやまんばが住んでいました。あるときやまんばはとってもかわいい子供を生みました。名前は金太郎といいます。金太郎はすくすくと育ち、山の動物たちととてもなかよくなりました。
 あるとき金太郎と動物たちは、となりの山に栗を取りに行きました。すると、そこに真っ黒な大きな熊がいて、言いました。
「この山の栗は、全部おれのものだ。おまえたちよそものにはわたさない」
 金太郎はびっくりして言いました。
「そんなこと、いつ決まったんだ。こんなにたくさん栗があるんだから、みんなでわけあえばいいじゃないか」
「うるさい! 出ていけ!」
「このわからずやめ、それなら、ぼくとすもうで勝負だ」
「こわっぱめ、望むところだぜ」
 金太郎と大きな熊は、がっちりと組み合いました。熊は体重にまかせて金太郎をおしつぶそうとします。危ない! 金太郎!(琴乃は話ながら興奮してこぶしを振り回した)
「えーい!」
 金太郎は顔を真っ赤にして、熊の体を持ち上げると、ぶん! と熊を放り投げました。金太郎は、見事に勝ったのです。
「えーん」
 逃げていこうとする熊を、金太郎は止めました。
「ねえ、君もぼくらの仲間になろうよ。そうして、いっしょに栗を食べよう。みんなでいっしょに食べる栗は、一人で食べる栗よりずっとおいしいさ。さあ、今夜は栗宴会だ! いえい!」
 こうして金太郎たちは毎日楽しく愉快に暮らしました!

 琴乃は、にっこり笑って話を終えた。
「なんだか落ちがないような気がするんじゃが……」
 春が首をひねった。
「ふん、最後はみんな幸せになるのが物語の基本よ」
 琴乃は春をにらみつけた。
「わしは思ったのだが……」
 月旦はひげをひねった。
「金太郎と桃太郎はどこか似ているなあ」
「は? どこが?」
「金太郎は多くの動物を味方にして、京にのぼって源頼光の家来になり、名を金時とした」
「そして、大江山の鬼……酒呑童子を倒したのでしたな!」
「そう。そしてそれ以降武士たちが力をつけ始め、やがて源平の争いが起こることになる。やはり、鬼たちは平和を守るために存在しているのかもしれない」
「なるほど」
 春はうなずいた。
「それ、どういうことよ?」
 琴乃は声を荒らげた。
「桃太郎の場合、鬼たちを倒しに行くんじゃなくて、鬼たちが勝手に桃太郎をさらっているんです!」
「それはつまり、桃太郎が金太郎のように強くなる前に、小さいうちに封じこめようとして、鬼たちは桃太郎をさらったのではないかな」
「どんな理由があっても、あんなかわいい赤ん坊をさらうだなんて、ひどい!」
 琴乃は月旦をにらんで、こぶしでガツンと船底を打った。
「うーん、そうじゃよな……」
 春はうなずいた。
 そのとき。
 ガシィッと大きな衝撃が走って、船がかたむいた。
「きゃあっ!」
 三人はよろけて船底を転がった。
 春はすぐに起き上がり、はしごを登った。琴乃と月旦が続く。
 船は浅瀬に乗り上げていた。目の前には岩礁、そして白い砂浜。その向こうには、うっそうとした森が茂っている。
「……着いた?」
 春は間の抜けた声を出した。
「風のおかげか海流に恵まれたか、はたまた夢か幻か……」
 月旦はまだギイギイ音を立てて自動で動いている櫓から、まじないの札をはがして動きを止めた。
「ここが……」
 三人は顔を見合わせて声をそろえた
「鬼が島だ!」

桃太郎

 ギャア、と鳥の鳴く声が聞こえてくる。
 琴乃はびくりとして、前を進む春の着物のすそをつかんだ手を、ぎゅっとにぎりしめた。
 春と琴乃、月旦の三人は、鬼が島の森を奥へと進んでいた。森は深く、そしてときおり聞こえる鳥や虫の声をのぞいては、奇妙なぐらいに静まり返っていた。
「どうも不気味だ」
 後ろからついていく月旦が、あたりを見まわしながらつぶやいた。
「うん、よくない予感がする」
「やめてよ、月旦さんも、春坊も!」
 琴乃が高い声を上げると、ヒュッと空気を切る音がして、矢が飛んできた。
「危ない!」
 三人はふせた。矢は次々に飛んできて、足元に、まわりの木々に、ザクザクと容赦なくささった。
「やめろ! あやしいものではない!」
 月旦は叫んだ。
「人間ども! 両手を上げろ!」
 おそろしい、うなるような声が、森に響きわたった。
 三人は手を上げた。
 ガサゴソと木をかきわけながら、弓を背負った男たちが出てきた。背は高く、緑に染めた麻の衣にたくましい体をつつんでいる。肌は赤銅色に焼けて、汗が光っている。そして、その頭に、とがった白い角が生えていた。
「鬼……!」
 三人は顔を見合わせた。
「こちら三郎隊。人間を捕獲した。子供二人、大人一人」
 赤い鉢巻きをした隊長らしい鬼の角が光った。目の前にいない仲間と話している。
 部下の鬼たちが、三人を後ろ手にしばりあげた。
「おまえら、桃太郎の仲間か……!」
 赤い鉢巻きの鬼がぎょろりとした目でにらみつける。
「桃太郎の親よ!」
 琴乃がにらみ返す。
「なんだと?」
「話せば長くなるんですが……」
「岩屋に着くまでに、話せ」
 道なき森を引っ立てられながら、春と月旦は、これまでの事情をかわるがわる鬼たちに話した。
 やがて森の斜面に大きく口をあけた洞窟にたどりつき、三人はほうりこまれるようにして中に入れられた。ここが、鬼たちの言う岩屋らしかった。
「なるほど、おまえらの言うこと、わかった」
 赤い鉢巻きの鬼は、三人を地べたに座らせ、自分はおりたたみのいすにどっかりと腰を下ろした。大きな体を曲げると、肉のくさったようなにおいの息を吐きながら、春、琴乃、月旦の順番に顔を近づけては大きな目で見つめた。
「春に琴乃と月旦、だな。おれは、鬼が島の王子、三郎だ」
「はぁ」
「頭が高いぞ! ひかえおろう!」
 部下の鬼が、どなりつける。
「まあ、よい。人間どもは、鬼を怪物だといって差別しているようだからな」
「そんなこと、ないよ」
 琴乃が首を振る。
「ほう、どのように、そんなことないんだ?」
 三郎はおそろしげなほほえみを浮かべた。大きな牙が口からのぞき、暗がりに光る。
「うわ……」
 琴乃は言葉を失う。

「あの、こわがられているのはたしかだけど……。話に聞くような赤鬼とか青鬼とかいなかったし……虎の皮じゃなくて普通の着物を着ているんですね……」
 春が汗をぬぐうと、三郎はぐぐ、と笑った。
「ほら、おれたちをばかにしている! 赤や青だったら、目だってしょうがないだろうが! 虎の皮など、高価で数少ないから、身につけているものなどいない!」
「三郎さま、このがきども、丸々していてうまそうですな。食いませんか?」
「いいですなあ、手足をもぎとって、新鮮なところをぱくっと……」
「ひえっ」
 春と琴乃はすくみあがった。
「冗談だ。人間など食ったら、腹をこわす」
 三郎はおもしろくなさそうに手を振った。その角が、ぴかりと光を発する。
「なんだ」
 目をつぶって集中した三郎の顔が、みるみるうちに赤くなる。
「一郎隊が、犬どもにやられただと?」
 三郎の角はさらに光る。
「二郎隊が、猿どもに捕らえられた?」
 三郎の角が激しく光る。
「烏たちが、雉どもと戦って全滅した?!」
 カッ、と目を見ひらいて、三郎は立ち上がった。
「ど、どうしました?」
 月旦が聞く。
「おれたちは、きさまら人間の平和のために、日の本に害をなす桃太郎を烏にとらえさせて、鬼が島に連れてきた! そして釜に封印して殺すつもりだったんだ! だが、空から雉が、泳いで犬が、いかだで猿が桃太郎を助けにきた! しかたなく、おれたちは桃太郎を鬼ヶ城の宝物庫に封印して、やつらと戦った! ……だが、みんなやられてしまった!」
「殺すだなんて! 罰が当たったんだよ!」
 琴乃が叫ぶ。
「やつは殺されて当然の極悪人だぞ!」
 三郎が言い返したとき、岩屋の奥の方から、ムーン、と不気味な音が聞こえてきた。
「や、しまった。鬼ヶ城が危ない!」
 鬼たちは、岩屋の奥のせまい通路に走っていく。
「わしらも行こう!」
 しばられたまま、春と琴乃、月旦も後を追った。

「あっ」
 ぱっと視界が開けた。長い通路の暗がりを抜けた三人の目を、光が射る。風が、緑の香りを鼻に運んで去っていく。
「これは……!」
 月旦は驚きの声をもらした。
 断崖絶壁に囲まれた広大な窪地が、目の前に広がっている。草地が風に吹かれてなびいている。梨や、桃や、栗や、柿の木が、たわわに実らせた果実をゆらしている。
 小川が草地と果樹の間を流れて澄んだ池に流れこみ、その向こうには、あざやかな朱色にいろどられた、石造りの小さい城がそびえたっていた。
「まるで桃源郷だ……鬼が島とはなんとすばらしいところではないか」
 しかし、城の前には、悲惨な光景が広がっていた。
 血まみれで横たわる十数人の鬼たち。その前を、返り血を浴びた白い犬を先頭に、勝ち誇ったように尾をあげて歩き回る犬たち。
「シロどのではないか」
 春はうめいた。
 右手の方からは、一人の赤ら顔の人間が、ふんぞりかえって歩いてくる。その後ろから、数十匹の猿の集団が、縄でぐるぐる巻きにした鬼たちをかつぎながら、踊るように歩いてくる。
「赤ちゃん……」
 月旦はくちびるをかんだ。
 そして、ひゅう、と音がして、雉の群れが飛来した。
「うおおっ!」
 三郎たち鬼が、あわてて散る。
 巨大な雉が、春たち三人の前におりたった。
 今はほとんど雉の姿をしているものの、体の大きさはまだ人間ほどもあり、大きな目や、やさしい口元がどことなく人間くさい。
「雉彦さん!」
 琴乃の言葉に雉彦はうなずき、右の翼を大きくはばたかせた。雉たちが近寄り、三人の手をしばった縄を、次々とくちばしでつついて切ってくれる。
「わっ、ありがとう」
「おまえら、やはりそいつらと同類か! 桃太郎を助けにやってきたわれらの敵なんだな!」
 刀を抜いて、犬たちとにらみあう三郎が、遠くからわめく。
「敵ってわけじゃないけど……」
 三人は反論できない。
 そして、
「よくやった、わが忠実なるしもべたちよ」
 涼しくさわやかな、いや、むしろ冷たいくらいに高く美しい声が響いてきた。
 城の門が大きくひらき、背の高い男が姿を現した。
 鬼のものを奪ったのだろうか。虎皮の裃に上下をつつみ、白い足袋に、白手袋、腰には金の太刀。桜色の頬をした美青年。彼こそが、麗しく成長した桃太郎。桃太郎を助けるために城の中で戦った犬、猿、雉の精鋭たちが、その足元にならぶ。
「よっ、日本一!」
 ましらの大将こと赤丸が、かけ声をかけた。
「おのれ桃太郎、封印を解いたか……」
 三郎がわなわなと震える。
「来い」
 氷のように冷たい声で、桃太郎は後ろを振り返った。角を折られ、丸裸にされて、後ろ手にしばられた毛むくじゃらの大きな鬼が、弱った様子でよろよろと歩いてきて、桃太郎の前にドスッと音をたててひざまづいた。
「父上!」
 三郎が叫ぶ。
「城中に避難していた鬼たちもすべて捕らえられた……」
 鬼が島の大王は力なくうなだれ、目もあげられない。
「鬼ども……わたしを捕らえて殺そうとした罪、決して許すわけにはいかない。が、おまえたちは、人間をこえる超能力者。もしわたしの作った黍団子を食べ、わがしもべとなり、わが木偶となり、わがあやつり人形となってわたしがこの世界の帝王となるために身を粉にして尽くすなら、命だけは助けてやろう。さあ、生き残ったものどもよ、武器を捨て、こっちへ来い」
 桃太郎はぞっとするような笑いを、その端正な顔に浮かべた。
「もし拒否するのならば、人質を一匹一匹、身の毛もよだつような方法で殺すぞ。手始めにこの愚かな王から……」
「父上!」
「いかん、三郎、いかんぞ……」
 鬼の大王はすすり泣いた。
「わしは死にたくない……が、もしこの男の言いなりになれば、日の本はおろか、はては『から』『てんじく』『ろおま』まで、世界中がこやつが好きに支配する地獄になることは確実……絶対に言うことを聞いてはいかん!」
「言いたいことは、それだけか?」
 桃太郎は太刀を抜いて、鬼の大王の首に当てた。
「うわあああっ! 死にたくない!」
 鬼の大王はぼろぼろと涙を流した。
「くくく……情けないやつ」
 桃太郎は残酷な笑みを片頬に浮かべた。桃太郎の美しい姿に見とれてしまっていた春や琴乃でさえ、その人離れした笑いに、正気にかえった。
「お、おれはどうすればいいんだ!」
 三郎が混乱して、ぐるぐる回りながら苦しそうに頭をかかえる。
「やめなよ、桃太郎!」
 小柄な二つの影が、たっ、とすばやく走って、桃太郎の前に立った。琴乃と、春である。
「桃太郎、もう十分でしょ? 鬼が島の人たちはあなたをさらって苦しめたかもしれないけど、ここまでのことしていじめたなら、もう十分じゃない? ねえ?」
 桃太郎は目だけ動かして、不快なものを見るように、琴乃に凍りつくような視線を浴びせかけた。
「また来たのか……目ざわりだな、おまえたち」
 桃太郎は、大王の首に当てていた太刀を、琴乃の鼻先に突きつけた。
「わっ……」
 光り輝く太刀先を見つめて、琴乃の体ががくがくと震える。
「やめろ! てめえ! 桃太郎!」
 いきなり春が、その小さな体で、桃太郎に体当たりをした。
「その手を離せ! 琴乃に刀を向けるなんて! どんなやつでも許さないぞ!」
 春は、小さな手で桃太郎の右手をたたき、太刀をもぎとろうとした。
「!」
 桃太郎は、はっとしたように目を見ひらいた。
 桃太郎の大きな手は、春のちっぽけな力にされるがままになり、太刀を離してしまった。
 春は、自分のせたけの二倍ほどもある太刀を、顔をゆがめながらにぎりしめ、肩にかつぐようにして持ち、桃太郎をにらみ上げた。
「……犬丸、猿、雉彦。このがきどもを、始末しろ」
 桃太郎は言い放ち、すっと下がると、護衛の動物たちとともに、鬼ヶ城の中に消えた。
「父上!」
 三郎が、しばられた大王にかけよる。
 ガチャン
 春が、太刀を地面に落として、へたりこむ。
「春坊! 大丈夫……」
 琴乃がいたわるようにその背に手を当てた。
「う、うん」
 春はうなずき、顔を上げる。
「大丈夫だけど……大丈夫じゃないようじゃ」
 二人の前に、本田村のシロを先頭とする犬たちの集団が、うなり、歯をむきだしにして、やってくる。
「シロどの」
 春は悲しげな目をする。
“悪いな。おれにとって、桃太郎さまの命令は絶対だ”
 シロは一吠えすると、一気に二人におそいかかってきた。
 と、二人の体が突然、犬たちの前からかき消える。
 春と琴乃は、数匹の猿たちにかかえられて、鬼ヶ城の城壁の上にあった。
“何をする”
 シロはうなり声を上げた。
「犬っころごときに手柄を横取りされてたまるか!」
 えらそうに叫んだのは、ましらの大将こと、赤丸。
「その二人は、桃太郎さまに力を与えられた唯一の人間、このおれましらの大将が捕らえた!」
 赤丸が高々と宣言すると、シロは、ぐわっとものすごい声で吠えた。
“猿人間が! ものども、やってしまえ!”
 犬たちは、ましらの大将と取り巻きの猿たちにおそいかかる。
「猿を甘く見るなよ!」
 ましらの大将の号令で、猿たちは牙をむきだし、つめを立てて、犬たちをむかえうつ。
「犬猿の仲とはこのことか……」
 じっとなりゆきを見ていた月旦は、ふところからお札をとりだして、城の方に走りよった。
「猿! はなして! わたしたち、仲間みたいなもんじゃない!」
 琴乃は、自分の手足をがっちりつかむ猿にどなった。
「いっしょに歌ったり踊ったりしたでしょ? ウッキッキー、ウッキッキー」
 そこに、一陣の風が吹いた。巨大な影が猿の尻をつつき、頭をつつく。たまらず猿たちは春と琴乃を置いて、城壁をとびおりた。
 影はかぎづめのついた二本の足で城壁をがっちりつかみ、二人の方を向いた。
「雉彦さん!」
 雉彦は答えない。
「桃太郎さまのおおせのままに、桃太郎さまのために……」
 ぎらぎらと光る赤っぽい目で二人をにらみ、太いくちばしをふりあげた。
「うわ!」
 そのとき。
「おんあらはしゃのう!」
 呪文とともに、月旦のしゃくじょうが下から雉彦を打つ。不意をつかれた雉彦は、城壁から転げ落ちた。
「なんじの魔力を解き放ち、きたるところに帰るべし!」
 月旦が雉彦の額に札をはると、雉彦の体はたちまちにして縮み、一羽の雉にもどってしまった。
「すごい! 月旦さん」
 琴乃がとびあがる。
「うむ、さすがは当代随一の陰陽師、妙秀どののお札!」
「なんだ、妙秀の手柄か」
 琴乃はおもしろくなさそうに口をとがらせた。
 雉たちはたちまちにリーダーを失って好き勝手に飛んでいく。犬と猿の戦いは、終わらない。
 月旦はしゃくじょうをふりかざして、鬼ヶ城の門をたたきあけた。
「行こう!」
 三人は鬼ヶ城にとびこむ。
「待ってくれ! おれたちも行く」
 三郎たちの一隊が、後に続いた。
 春は、ただ心のままに走った。桃太郎の気配、桃太郎の空気、桃太郎のにおいを感じて、それを追うように。
 地下へと続く階段をおり、せまい廊下をくぐりぬけ、ついに鬼ヶ城の奥深く、儀式を行うための、がんじょうで暗く広い部屋の前に、たどりついた。
 桃太郎はただ一人、部屋の中央の大きな黒い石の祭壇の前に立っていた。
 ろうそくの光が、桃太郎のひきつった横顔を照らし出す。
 手には儀式用の、巨大な刃を持つ鬼包丁。桃太郎の周囲には、打ちのめされて倒れた数十人の鬼たち。女性と子供が多い。
「よるな!」
 桃太郎は鬼包丁を振りかざして、激しくどなった。
「きさまら、近づけば、この部屋を、一瞬で血の海と死体だらけのおぞましい地獄にしてやる!」
 三郎が、おそろしげに息を飲む。月旦がしゃくじょうをにぎりしめる。
 数秒の静寂の後。
 琴乃がものすごい速さでとびだして、桃太郎の前に立った。
「桃太郎! 切るなら、まず、わたしを切りなさい!」
 琴乃は息を大きく吸い、胸をぐんとはった。
「……!」
 桃太郎は包丁をにぎった手を、ぶるぶる震わせた。動けない。どうしても力が出ない。自分の体に逆らえない。
「……もう、やめるんじゃ、桃太郎」
 後ろから静かに近づいた春が、桃太郎の手を引き下げ、そっと包丁を取りあげた。
 桃太郎は顔色を赤黒く変え、大きく肩で息をする。
「きさまらが食べた桃の果実は、わが体の一部」
 桃太郎はつぶやいた。
「わが体を自ら傷つけることは……決してできないのだ」
「桃太郎どの、やはりそなたは陰陽師妙秀どのが話した通り、天魔の一族だな」
 月旦がしゃくじょうを突いて、前に歩む。
「天魔の卵は果実となりて宇宙をさまよい、拾ったものの思いの形をとって種は生まれ、果実を食して高速に成長し、人の精神と肉体を思うがままにあやつって星の魔王となる。数万年の暴虐と贅沢とを尽くし、やがてまた卵となって去る」
「鬼どもがわたしの存在に気づいて、さらうなどということをしなければ、こんなめんどうなことにはならなかった!」
 宙空を見つめ、桃太郎はぎりっと歯をかんだ。
「だがそれでも、わたしには普通の人間をはるかに上回る力があった。鬼と呼ばれるこやつら超能力者をしもべにすれば」
 桃太郎は倒れた鬼たちを見まわす。
「もう一歩で王となれたのだ……」
 琴乃は、力なくつぶやく桃太郎の両手をつかんだ。
「桃太郎、あなたが本当に天魔でも、あなたはわたしの息子。わたしはあなたの親。王になる、なんてことのほかにも人生はあるの。あなたに教えたい!」
 桃太郎は、手をふりはらおうとした、が、どうしても力が入らない。
「なぜこんなところまでわたしを追ってきた! なぜわたしの邪魔をする!」
「親だからだ!」
 春が、背のびして叫ぶ。
「ともに過ごしたのはほんの一瞬だったかもしれない。それでも、桃太郎、きみは、わしと琴乃の子供なんだ! さらわれれば、どこまででも探しに行く! 成人するまでは、力のかぎり見守る!」
「なんと愚かな、なんと面倒な、なんと厄介な!」
 桃太郎は顔をしかめ、頭をかかえて吐き捨てた。
「わたしには、自分以外のものを心配する気持ちがわからない! なんなのだ、それは!」
「人間とは……」
 そう言いながら、春は鬼たちを見た。
「いや、親と子というものを持つすべての生き物が、そういうものなのだ」
「さあ、行こう、そしてわたしたちの家にもどろう、ね、桃太郎。本当のくらしをしよう」
 琴乃が、桃太郎の手を引く。
「行かぬ」
 桃太郎は、胸をおさえてひざまずいた。体が、にぶく光を発し始める。
「わたしはきさまらに天魔と呼ばれる存在。星々を旅して、その地の生物を従え、王として君臨し、わがために奉仕させる。悠久の太古から続けているこの生き方を変えられるわけがない。失敗した今は、ただ次に生きる星をめざして去るだけ……。だがもし、もしもだ。次生まれるときにわたしを子供としてあつかい……親としてわたしのためにその力をさいてくれる人に出会えたならば、わたしは、そのものたちのために戦ってやろう」
「な、なに別れの言葉みたいなこと言っちゃってんのよ!」
 琴乃はもっと強く桃太郎の手をにぎろうとした。しかし、琴乃の小さい手の中で、それはとけていく。
「さらば、親よ……」
 桃太郎の体は光と化し、春と琴乃の体まで飲みこんだ。
「待て! 行くな!」
 二人は光となった桃太郎を真ん中にはさんで、抱き合った。
 フッ、と光は消え、固まった。
 ドン!
 光の凝縮された小さな黒い玉は、部屋の天井、さらにその上の床板や天井をぶち抜いて、鬼が島の、はるか上空に消えていった。
 玉の去った後には、年老いたおじいさんとおばあさん……春と琴乃が残されていた。

後日譚

 多くの負傷者と何人かの死者を出した鬼たちは、それでも、自分たちが桃太郎の存在を察知してさらったことが、桃太郎の野望を阻止することに役立ったのだと、祝いの宴を開いて大さわぎをした。
 春と琴乃は逆に、桃太郎がさらわれずに自分たちとともに多くの時間を過ごしていればこんなことにはならなかったと思っていた。二人と月旦、そしてましらの大将こと赤丸は、力を失った犬のシロと仲間の犬たち、猿たち、そして雉にもどった雉彦と雉たちを船に乗せて、ひっそりと日の本に帰った。

 ザザーン。
 波が浜辺を洗う音がくり返し、くり返し聞こえる。海から吹きつける潮風が松林をゆらし、道筋に落ちた松ぼっくりをころころと遊ぶように転がしていく。風は冷たく、晩秋を感じさせた。
「いずこも同じ秋の夕暮れ、じゃな」
 腰を曲げた春は、つぶやきながら杖をつき、ゆっくり足取りを進める。
「ほら、なにすっかりお年寄りにもどっちゃってんのよ! 早く行かないと、宿しまっちゃうよ!」
 琴乃は、おばあさんにもどったのに、やたらと元気なままだ。
 二人は月旦たちと別れて、海沿いの街道を通って、わが家への旅路をたどっていた。
「まあゆっくり行こうや。年とった体も悪くないじゃろ。子供の体が落ちつかないよくはねるまりのようなものだったら、年寄りの体は、日ざしの中にうららかにゆれるつり寝床のようなものかな? 琴ちゃん」
 ぷっ、と琴乃おばあさんは吹き出した。
「琴ちゃん、はもういいよ、おじいさん。さすがに恥ずかしいわ」
「ほう」
 春は、白髪頭をかいた。
「まあ、わしは気に入ったからこれからそう呼ぶぞ」
「はいはい」
 琴乃は立ち止まって、うーんと腰をのばした。
「さあて、帰ったらまた洗濯ものいっぱいしないとねえ」
 洗濯好きの琴乃の目が、らんらんと輝く。
「そうするとまた桃が流れてくるかもしれんぞ……」
 二人は、大きな桃が川をどんぶらこと流れてくるようすを想像して、幸せにひたった。
「そしたら、かわいい赤ちゃんがまた出てくるかも……」
「そしてまたわしら……いやぼくら若返る!」
 二人は、顔を見合わせて、にかっと笑い合った。

 ……もしも、とんと上の方から桃かなんかが流れてきたらばさ、どっこいしょと拾って持って帰ってさ。あんたのいい人といっしょにそっと割ってみなされ。きっとめんこくてかわいくて、いとしいもんが出てくるから。大切にな。
 どんぶらこっこのよっこらしょ。