幻のトラクター発見!加藤製作所P型トラクター関連の記事です。

 
幻のトラクター「続報」
知られざるKATOのトラクター

 加藤製作所の名は、「KATO」マークの付いた大きなクレーンやユンボを街角で見かけるのでご存じの方も多いでしょう。自衛隊の戦車回収車のクレーン部分も加藤製作所が担当しています。現在ではクレーン車を主とした建機メーカーの色彩が強い同社ですが、鉄道趣味の方達には狭軌の内燃機機関車(GL,DL)を製造していたメーカーとして知られています。大正13年の1号車から昭和30年代後期まで多種を生産、主に工事用の軽便鉄道で活躍していました。

 戦前期の加藤製作所のカタログには、現在一般には全く知られていない数々の車両が載っています。国産農耕トラクターの歴史は戦後から始まるというのが定説なのですが、戦前、既に民需用として(?)存在した事は驚きに値します。ロードローラーも得意としていたようで、タンデム型、マカダム型それぞれ数種がリストアップされ、陸軍に納入した星印付きの写真も載っています。(ちなみに、海軍の錨マーク付きの狭軌機関車も作っていて少なくとも2台は国内に現存しています)。
 資料的には、このカタログの製作時期が分からないのが残念ですが、たまたま持っている昭和15年の科学雑誌の広告には製品種目の「ロードローラー」と「内燃機関製造」が消えているので、それ(昭和15年)以前の物でしょうか。ただし、カタログには既に「代燃」機関が載っているので時期的にそう離れていなさそうです。

K・S・T KATO WORKSの戦前のカタログより

 装輪トラクターは、40,50,60,80hpの4車種があります、カタログには2種類のボディが出ていますが、それらがどれに当たるかは不明です。仕様としては、『鉄車輪=農耕用』、『ソリッドゴム車輪=牽引用』、『空気ゴムタイヤとウインチ=工業用』、の3種あり、計算上は3x4の12バリエーションが存在した事になります。車体はフォードソン(Fordson)型のフレームを持たない構造で(註1)、例の「加藤P型」とは全く異なります。
 農事耕作用トラクター・・・・鉄車輪の形状がフォードソンとそっくりで互換性が有りそうです。この画像と同等ボディの日本海軍仕様(錨の飾り付きが『別冊1億人の昭和史・兵器大図鑑』などに基地設営用トラクターとして出ています。ただし、それはソリッドゴム車輪をダブルで履いた「牽引用」でした。なお、資料に「日本トラクター」の「50」という謎のトラクターがあるのですが、これの事ではと思います。

 工場トラクターつまり空気ゴムタイヤ装着仕様。私はこのトラクターを見て驚きました。基本形がフォードソンそのものである上、前部に装備されたウインチまでもがフォードソン用とそっくりで有ること、そして何よりヘッドライトが、日本陸軍のフォードソンと同じ位置に付いている事です。
 軍のフォードソンは、社外品Trackson社製のクローラーを装着した物で、後に長山「無線操縦戦車」へ改造された気になる存在なのですが、あれは実は加藤だったのでは?と一瞬思ったりしました(やっぱりフォードソンでしたが)。何れにしろ、加藤がフォードソンのコピーをしたのは間違いないでしょう。コピーは当時の日本では仕方ないところ。むしろ世界的にベストセラーのフォードソンを選択した事に適切さを感じます。なお、フロントグリルのシャッターが無い物も有ったようです。

 装軌(クローラー)トラクター写真は30hpガソリンエンジン仕様です。 同じ30hpのディーゼル仕様も有るのですが、不思議な事にこの2台はエンジンのみならず全てにおいてディテールが異なる別車両です。どこかのOEM商品なのでしょうか。 この他、50hpと100hpのディーゼルが有ります。 戦前では小松や大阪鐵工所等、数社がこの手のトラクターを作っていますが、恐らくどれもキャタピラーやインターナショナルのコピーと見て良いでしょう。もっとも、部品の質が劣り、性能や信頼性まではコピー出来なかったようですが・・・。この形、どちらかというと、土木工事や牽引、農地開墾に向いていたでしょうが、農耕用には向いてなさそうです。

 註1、フォードソンにそっくりという先入観からこう書いてしまいましたが、判然とはしないものの加藤には全車フレームが存在するようです。大量生産を前提にゼロから設計されたフォードソンは、エンジンブロック自体が荷重を受け止める構造を思いつきましたが、加藤は既存の自社製エンジンを搭載、元々そのエンジンに荷重を受ける強度はなく別体のフレームが必要になったのだと想像出来ます。
KATO・P型の原型発見!

男爵記念館のトラクター

 北海道、北斗市(旧上磯町)当別の男爵資料館(記念館)に有るトラクター。

 説明書きには単にクリーブランド製とありましたが、後で調べてみるとクレトラック(Cletrac, Cleveland Tractor Company)のH型という機種でした。何台入ってきたかは分かりませんが日本に現存するのはこれ1台の貴重品です。Cletracは戦前のアメリカに存在した「農用クローラ式トラクタ」を専門に作っていたメーカーで、細いキャタピラも果樹園(オーチャード)トラクターというコンセプトに従った物と思われます。この個体は自社製エンジン仕様ではなくWeidley社製のエンジンを搭載したタイプでした。

 各所を見てみると、コラムが直立した丸ハンドルなど1部が違うだけで、基本構造は加藤P型と驚くほど似ています。特に、あの特徴的なサスペンションと足まわりはCletracでもこの頃にしか見られず、この型をコピーした事は疑いようが無いと思います。

 註、私は当初W型と書いてしまいましたが、専門家steel-wheels.netのDavid Parfitt氏からH型の初期モデルと判定頂きました。クレトラックはこのタイプの足回りをR(1916〜17)、H(1917〜19)、W(1919〜32)と3世代で使用しましたが、この個体はR型で見られるナロートラック(鋳鉄製の幅の狭いキャタピラ)を履いたH型という珍しい仕様との事。日本で使用されるこのタイプのクレトラックの写真は2枚見つけましたが、いずれも幅の広いキャタピラでコレより新しい型でした。

 異様に古くさく見えるこのCletracですが、調べてみると上記のような事情ですので1917年の生産と見てよいでしょう。勿論、十分古いのですが、この個体はラジエター部分が手作り補修されていた為に実際より古く見えた様です。

 戦前、既に日本で最も充実したトラクターのラインナップを持っていたであろう加藤が、何故、戦後になってクレトラックを真似したのか不思議です。他社では戦後、戦前型と大差ないトラクターから初めているのに・・・。ただ、「農作業に特化したクローラートラクター」というコンセプトは日本には無く(特にキャタピラの細いオーチャード・トラクターはニッチ)、加藤だけがその必要性を見ていた・・・あるいは、他社と競合するトラクターでは勝ち目がなかった・・・と考えるのが適当かもしれません。いずれにしろ、加藤P型は非常に個性的である事だけは確かです。

 しかし、結局、加藤P型の正体は今だ何も分からないままです・・・。

 このページは、ある方の多大なる協力によって初めて作る事が出来ました。感謝感激。氏はHPの製作も予定されているので、楽しみです!。

幻のトラクター発見!(1)へ
大きなひとり言
ホームへ
2001年12月22日