幻のトラクター発見!
重要文化財「札幌農学校第2農場」
北海道大学創基125周年記念事業にて
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 4月
 2001年の4月3日、雪の残る北海道大学の重要文化財「札幌農学校第2農場」を私は歩いていた。日本最古の洋式農業建築物であるモデルバーン(模範家畜房)や、隣接する建築物を一度見ておきたかった・・・というのは表向きの理由で、本当は農学部が保存しているという古農機具コレクションの手がかりを探しに行ったのである。ウワサでは憧れのフォードソンFも残っていると聞く。


 窓から撮った2台の耕耘機。右側は輸入物。この2台は後日展示されなかった。という事は他にも・・・?

 警備員詰め所前のノートに記名して敷地内に入ると、明治期の建物が何棟か見える。大部分の建物は、窓が高い位置にあったり、板で覆われていたりして中は見えない。しかしモデルバーンの2,3の窓だけは鉄格子越しに中を見ることが出来た。中は家畜房だけに仕切りがあって見渡せないが、通路部分に小さいトラクターが有るのが見えた。後ろ向きで機種は分からないがフォードソンではない。(今思えばファモールカブだった) 半ばガッカリしながら建物裏側に回って窓を覗くと、今度は耕耘機とホルダーが見えた。ナカナカ面白い車種だ。さらに先ほどの小型トラクターの前には農民車コマツ(ユニカ)が有ることが判明。そして裏側3つめの窓を覗くと正面に2台の耕耘機と、端の方にかろうじてトラクターが見えた。ランツブルドッグだ!戦後の、しかも小さい奴だが、家の近くに憧れのランツがあるとは感激である。その奥には大きめの黄色いトラクターがあるが機種はハッキリ分からない。色から見てフィアットであろうか・・・。

 とりあえず大収穫であった。農機具どころか古い輸入トラクター数台を見つけたのだ。内部が非公開なのは承知しているが、やはり中に入って見たい。そこで、警備員に中を公開する事はないか聞くと、2人とも分からないと言う。実は警備会社のシフトが変わり2人とも前日に来たばかりの新人だったのだ。

 その後、風の噂で「今年の夏か秋に公開するようだ」と聞いた。夏休み期間中にでも公開するのかと思い、8月にもう一度行き警備員に聞いてみた。今度は「来月の下旬だよ。」とハッキリ教えてくれた。北大のHPを見るとこの9月28日〜10月3日、「北海道大学創基125周年の記念事業」が1週間行われるらしい。各学部が持つ資料や標本の一部を公開するという意欲的なイベントだ。農学部はモデルバーンの内部公開との事。よし、上手くすれば中のトラクターも見れるかも。



 9月
 咳がが止まらず体調が悪いが、土曜日、ようやく天気が良くなったのでモトラで出かける。あそこは駐車場が無いのだ。今日は記帳ノートが入り口にあり、真新しいカラーパンフも置いてある。これだけで随分特別な感じがする。ワクワクしながら歩いていくと、早速左側に何か見えた!驚いた!建物内のトラクターをそのまま見れればラッキーと思っていたのに、意外にも数台のトラクターが外に並べて展示してあったのだ。そして、一見して普通じゃない装軌トラクターがあったのだ!(長い前フリだったな・・・)

発見! 「カトウ P型」
 遠くから見てもキャタピラ(履帯)が明らかに旧軍戦車のソレに酷似していて驚く。幅は約20センチで、ディテールを詳細に見ると九七式軽装甲車(テケ)の物である事は間違いない。正面にぶら下がったメモには「加藤製作所、加藤P型クローラートラクタ」と有るだけで、他車にあるような解説が一切ない。常識的に考えて敗戦後に製造された車両と思われるが、そうだとしても、自動車などでは戦前型の再生産から始めた例があり、生産時期だけで「戦後型」とは決め付けられないだろう。事実、加藤製作所は戦前もトラクターの生産をしていたという(関連記事)。なお、後に説明する「コマツG25型の図面を提供された会社」に加藤製作所も入っている様だが、どうやら生産までは行っていない。その替わりに自力でこのP型を作った可能性はある。

 足まわりは誘導輪の前にアームが伸び、そこにリーフスプリングが付いた不思議な構造で、車体裏には足まわりの横方向のガタツキを規制するアーム(ダイヤゴナル・ブレース)がなかった。代わりに細い板を折り曲げた頼りないガイドで対処していた(説明下手で御免)。牽引具は穴の開いた上下可動式の板(ヒッチレール?)が有るだけで、牽引棒は無かった。

 牽引具の形状から軍用ではなく農用トラクターなのは間違いなさそうなのだが、作りが全体的に弱々しく、実際、歪んでいるのか寸法を計ると左右一致しない部分があった。こんな車体でエンジン出力を生かし切れるのか疑問を感じた。隣りの三菱TA25は同サイズながら遙かにゴツイ作りである。つい、コマツが試作したという空挺用の軽量トラクターってこんなだったろうかと妄想してしまった。 

 なお、グリル上の「KATO」の書体は少々普通とは異なっていて偽物かとも思われた。昔は、中古機械を売る際に有名メーカーのマークを描き込む例があったとか! しかし、ボンネット上には、○の中に「K.S.T」という戦前からのトレードマークが大きく描かれていて、ここれまではしないだろうと思った。そんな事からも、当時の塗装がそのまま残った非常に状態の良い個体である事が窺える。

関連記事!続報、知られざるKATOのトラクター
発見!三菱TA25
 カトウの横には、同サイズの小型クローラトラクターがあった。昔のトラクターやブルドーザーの典型的なスタイルだが、こんなに小さいのは初めて見た。流石にカトウを見た直後で感動は薄いが、非常に珍しい車両である事は間違いない。幸い、こちらの素性は少々分かっている。

 戦後、農林省の戦後復興-食糧増産政策である「緊急開拓事業」に従い、小松製作所は、昭和21年からトラクター(G40)の生産を開始、さらに、三菱重工、久保田鉄工所、新潟鉄鋼所、加藤製作所、池貝自動車製造、等へ、戦前の小型モデルであるG25の図面を公開し、6000台(異説あり)整備するという計画がスタートした。 資料が少なく断言できないが、少なくとも、三菱重工・久保田鉄工所・新潟鉄鋼所、の3社は『25型』を生産し、本家の小松は生産していない様だ。ちなみに、ディテールや寸法データを観察すると、この25型は小松G25と同一ではなく、アメリカ製小型モデルを参考にリファインされていたと思われる。

・・・結局、農林省の計画は諸問題があり、早くも昭和22年9月にGHQの判断で中止が決定(ブラウン旋風と呼ばれる)、この種の国産トラクターは一時絶滅しかけたらしい。この三菱重工-東京機器製トラクターは上記25型の三菱バージョンであり、グリルにぶら下げられた手書きメモに昭和22年4月の製造とあった事から、緊急開拓事業当時の個体である事がわかる。

 後ろから画像でダッシュボードの類が全くないのが分かる。足元にメーターがあるのが面白い。「帝国陸海軍の戦闘用車両」という本に出ていた小松3トンとされるトラクターに似ている。 それにしても、このハデな塗装は学生のイタズラか、パレードにでも使ったか、あまりに格好悪すぎる。まぁ、それもヒストリーの一部だから今更塗り直して欲しいとは思わないが・・・。水色だけはオリジナル塗色だと思う。

 

 なお、「加藤P型」と、「三菱TA25」のクローラー2台だけは、他車より状態が良かった。三菱TA25は昭和32年に開発局から譲り受けた物だという。多分、加藤も同時にやって来たのではないだろうか。何れにしろ両方とも現存する唯一の個体と見てほぼ間違いない。


 

続く。(2)NEXT,


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注意!これら展示物は現在非公開です。将来的に公開の構想も有るらしいので期待しましょう。北大に迷惑かからぬよう問い合わせ等は控えましょう。(建物外観は見ることが出来ます)
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