終わらぬ戦後サイパン編

2002年6月12日(水) サイパン

irei2


サイパンへ移動
tinian-express2 旅行の最終日、帰国の日。
行きと同様に高速フェリーに乗り、テニアンを離れサイパンへ向かいます。

出港は午前8時。昨日の金環日食からちょうど1日後です。
空を見るとたくさんの雲があり、太陽を覆っていました。 金環直前に太陽の周りから雲が消えた奇跡が未だに信じられません。

この日も波は穏やかで、船が揺れることもなく1時間でサイパンに到着。

大都市サイパン
saipan-street テニアン島の人口は3千人ですが、サイパン島の人口は6万を越えるそうで、もちろん観光客の数も比べ物になりません。
テニアン島に無かった信号も、サイパン島にはちゃんとあります。
店の数も多く、日本語の看板も目立っていました。

日本行き飛行機への搭乗は午後のため、それまではバスで島内観光。 観光と言ってもテニアン同様に太平洋戦争跡めぐりです。

悲しきバンザイ
banzai-cliff 島の北端近くにある "Banzai Cliff" と呼ばれる崖。
テニアンの "Suicide Cliff" と同様にアメリカ兵に追い詰められた日本人が集団自決した場所で、この崖から「天皇陛下万歳」と叫びながら飛び降りたそうです。
同じバンザイでも日食を見られてバンザイとはあまりにも違う悲劇。 しかし空と海の青さが鮮やか過ぎて、感傷的にもなり切れないという複雑な心境でした。

バラバラに立てられていたテニアンの慰霊碑と違い、ここの慰霊碑は崖に沿って並んでいました。 道を挟んで反対側には大掛かりな慰霊碑もあります。
別に競い合っているわけではないと思いますが、新しいものが目立つので年々増えているのは確かでしょう。

自殺崖サイパン版
suicide-cliff2 これも同様の "Suicide Cliff" ですが、崖の下は海ではなく地上です。 海なら奇跡的に助かった人もいたでしょうが、前出の二つの崖より落差のある断崖絶壁で下が地面では絶望的。

慰霊碑の数は多くありませんが、対象の国籍を問わないと書かれた慰霊像が仏像の後ろに十字架を配したデザインで目を引きます。

日本軍司令部サイパン版
command-post2 二つの崖の近くにある旧日本軍の司令部跡。
大砲や戦車などの赤錆びた残骸が、野ざらしのまま生々しく残されています。

司令部はテニアンのような建造物ではなく、岩山を利用したトーチカ(防御陣地)タイプです。 壁には砲撃によって大きな穴が開いていました。

新世界遺産
テニアンやサイパンには、過去の日食旅行で見てきたような大きな滝も、奇妙な岩も、由緒ある建造物もありません。
短い旅行中に日食以外の観光はほとんどありませんでした

しかし約60年前の戦争遺跡を前にすると、遠くの国で見たような昔むかしの戦争の跡とは違う気持ちでシャッターを押していました。
日本とは距離が近いだけでなく、もっと強く、切ってはいけない繋がりを感じた旅行になりました。


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