船上から機上へ

1999年8月16日(月) イスタンブール

cruise


クルージング
cruise-1 旅行もいよいよ観光の最終日。 午前中は希望者による、船でイスタンブールのクルージング。
まずは金角湾の旧市街側の岸から乗船し、新旧の市外を両側に見ながら下ります。 ポスポラス海峡へ出たところで北へ進路を変え、 ヨーロッパ側とアジア側を両端に見ながら黒海方向へ進みます。
少々雲がある天気で日差しの具合が丁度よく、風を受けて進む船の上は快適。

cruise-2 cruise-4 川や海峡の両側には、豪華な建物が並んでいます。 海峡のヨーロッパ側は公的な施設やモスク、遺跡、古城などが目に付きました。
アジアとヨーロッパを結ぶこの地が、古くから重要な場所であることを認識させられます。
アジア側には富豪の別荘が並んでいます。それを建て直す場合、 景観を壊さないよう同様の外観にしなければならないそうで、 それだけのお金がない別荘は荒れ家になっていたのが少しあわれ。

cruise-3 ボスポラス海峡には橋が二つかかっています。 古い南側はイギリスが、新しい北側は日本が建造したとか。 どちらもアジアの最西端とヨーロッパを結ぶ、世界で有数の長い橋。 その上はたくさんの車でいっぱい。

一足お先に日本の味
udonya 昼食は、イスタンブール市内の日本料理レストラン「優曇也」。 これで「うどんや」と読ませています。
メニューは寿司、みぞれうどん、天ぷらの3種類で、あらかじめ注文済み。 私は天ぷらでしたが、獅子唐に見えたものが青唐辛子で辛かった以外は普通の味。 他のメニューは首をかしげている人がいたので、天ぷらで正解だったのかも。

トルコからの脱出
delay これでトルコ観光は全て終了。 名残を惜しみつつ、イスタンブールの空港へ向かいます。 飛行機は午後4時ごろ出発の予定が、1時間半以上遅れて午後5時近くになりました。 その間は飛行機の中で待ちぼうけ。 窓の外を見ると、後ろにずらっと出発待ち飛行機の列ができていました。

この時はどうせならもう一泊していこうか、 などと軽く冗談で考えたりもしていたのですが、 まさかあのようなことが起こるとは…

トルコの未来はこれから
イスタンブールからパリ経由で成田へ到着。 ここで思いもしなかったニュースを聞かされました。
イスタンブールの近郊、イズミットという町で大地震が起きていたのです。 私たちが出発してから10時間余り後の17日午前3時。 イスタンブールでも被害が出ており、 私たちもあやうく惨事に巻き込まれるところだったのです。
楽しかった旅行の思い出と、TVや新聞などで報道されてる現実がなかなか自分の中で重ね合わせられません。 自分は真のトルコの姿を見てはいなかったのだろうか? としばらくは自問することになりそうです。


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