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                   猫のたま次郎(第2部)

 第2部

 猫が猫をかぶる
 こうして、僕とたま次郎の同棲生活が始まった。すぐにたま次郎はメス猫だと気づいたけれども、別に男の名前だってかまわないと思った。猫をひとつの命として尊重する気持ちがあるのは確かだが、名前についてはこだわらないのだ。シェークスピアもいっているではないか。「何と呼ぼうと、バラはバラの香りがすると」。たま次郎からは、なんとなく幸せの香りがするような気がした・・・。
 けなげに、慎ましやかに庭先に座っていたたま次郎だったのに、僕の家に飼われることがわかったとたん、急に人格が変わり、いや、「猫格」が変わったというべきなのか、ずうずうしくなった。外から帰ってくると、縁側の戸を前足でかりかりとこする。そっと開けてやると、まるで自分がこの家の主人なのだといわんばかりに、悠々とした足取りで中に入り、僕が座っていた座布団の上にからだを横にする。「たま次郎、そこは僕の座る場所なんだぞ」と怒っても、たま次郎は横目でちらりと見て終わり。「それがどうした?」といわんばかりで、あとは目を細め、後ろ足で首のあたりを気持ちよさそうにかきむしっている。
「ああ、大人しくて、いじらしい猫だと思っていたのに。さては、たま次郎の奴、今まで猫をかぶっていたんだな・・・」
 猫が猫をかぶるという、思わず自分の口から出た奇妙な言葉に、僕はくすりと苦笑いを浮かべた。そして、居候の身分であるたま次郎を上座に座らせ、僕は下座に座りながら、ごはんとみそ汁と漬け物だけの質素な昼食を摂った。

 僕の妻のこと
 僕の妻は、二年前に病気で死んだ。
 僕は、大学でイギリス文学を教えていた。生まれつき身体が弱かったが、若い頃はロンドンに留学したこともある。けれども、戦争が始まり、学生たちが次々と戦地に駆り出されるようになると、大学は教員を解雇した。僕は仕方なく、趣味でやっていた油絵を教える塾をしながら、何とか生計をつないできた。
 しかし、それも妻が他界したのをきっかけに閉じてしまった。今は年金で細々と暮らしている。尋ねてくる人などもめったになく、親しい友人といえば、まさに猫のたま次郎くらいなのかもしれない。

 たま次郎のしぐさ
 みそ汁の底に、だしに使った一匹のにぼしを見つけた僕は、それを箸でつまみ、たま次郎の前にぶらさげる。するとたま次郎は目を丸くして、僕に飼われる前の猫に戻り、ちょこんと姿勢よく座るのだ。そして、甘えるような声で「にゃー」と鳴くのである。それでも僕がじらしてにぼしをあげないでいると、たま次郎は近寄り、顔を僕の背中にすりつける。ああ、何という態度の変わりようだ。何というげんきんな奴だ。僕は笑いながらにぼしをあげる。たま次郎は首をかしげながらムシャムシャ食べる。食べ終わると、満足した様子で上座の座布団に戻り、前足をなめながら顔を洗うのだ。
 たま次郎のしっぽはよく動く。まるで独立した生き物のように。あるいはメトロノームのように。、右に左に、はねるようによく動く。僕はそのしっぽにちょっかいを出す。手で握って動きを止めてしまうのだ。この家では、猫が主人にじゃれるのではなく、主人が猫にじゃれているのである。たま次郎は、しっぽを触られるのが嫌いだ。しっぽを触ると、私の手に軽くかみついて警告する。
 たま次郎は怒りっぽい。
 だが、決して根に持つことはない。僕たちは、お互いに嫌な思いをすることがあっても、次の瞬間には何もなかったかのように、すっかり忘れて仲良くできる。

 やかましい音
 天気のいい日には、たま次郎は縁側で昼寝をする。おかげで鳥がこなくなった。もっともたま次郎の方は、庭に鳥がこようとも、まるで関心がない様子であったけれども。
 夜になり、僕はテレビのスイッチを入れた。真空管があたたまって、ようやく画面が映し出された。ニュースをやっている。賄賂をもらって政治家が逮捕されたとアナウンサーが報道していた。僕は馬鹿らしくなり、チャンネルを回した。すると今度は、最近はやりの「ゴーゴー喫茶」とやらの、店の中が映し出されていた。サングラスをかけ、派手で妙ちくりんなシャツを着た若者たちが、まるで犬かきで泳いでいるような踊りに興じている姿が見えた。
 僕は空しい気持ちになり、スイッチを消した。すると今度は、外でバリバリバリという、けたたましい音が聞こえた。雷族だった。奇声を上げ、クラクションを鳴らしながら数台のオートバイが家の前を通り抜けていったのだ。寝ていたたま次郎も驚いて頭をあげ、不安げに私の顔をのぞき込んだが、音が遠くに去っていくと、すぐにまたぺしゃんとなって眠り続けた。

 世の中のことなんてどうだっていい
 僕は息子のことを思い出した。
 ちょうど、彼らと同じくらいの年頃に、息子は戦争へ行き、そして死んだのである。
 息子は、国のために、若い命を捧げたのだ。僕は今なお、そのことを誇りに思う。
 ゴーゴー喫茶だとか、雷族といった遊びに興じている今の若い連中よりも、国のために命を捧げて死んでいった息子、また当時の若者たちの方が、よほど意義のある人生を生きたと思う。今の若者たちの目は死んでいる。だが、息子たちの目は生きていた。僕は息子を誇りに思う。
 しかし、こんなことをいっても、今の若者たちは聴く耳など持つはずがない。
 老いぼれじいさんのたわごとだ! と笑われるだけだろう。
 僕も若い頃は年寄りに言われたものだ。「最近の若い者はなっとらん!」と。そして若かった僕もいったものだ。老いぼれじいさんのたわごとだと。説教臭いことばかりいう年寄りが嫌いだった。僕はかつて、年寄りにしたことを、自分が年寄りになった今、されているにすぎないのだ。
 けれども、僕は何もいうつもりはない。僕は世の中に対して何もいわない。世の中のことなんて、どうだっていいのだ。僕にとって、この小さな長屋が世の中なのだ。死んだ妻と息子と、そしてたま次郎だけが、この世の住民なのだ。僕は隠居の身であり、僕は世の中を捨てた身である。あるいは、世の中が僕を捨てたのかもしれないが。誰も、僕の話など聞かないだろうし、僕も話したいなんて思わない。僕はもう死んだと思われているかもしれない。事実、僕はこの世の中においては、死んでいるのだから。

 たま次郎に語りかける
 こたつに入りながら、ふと自分の姿が戸のガラスにシルエットのように映し出されているのを見た。それを見て、僕は少しぎょっとした。僕の背中は、いつのまにこんなに丸くなってしまったのだ。こんなふぬけた姿が僕であるはずがない!
 僕は背筋を伸ばした。だが、慣れないことをしたために、思わず咳き込んでしまった。たま次郎が僕の横に並んで座った。ああ、僕の背中は、まるでたま次郎のようではないか。何という猫背なのだろう。ペットは飼い主に似るというが、この家では飼い主がペットに似てくるのだ。
 僕はたま次郎を膝の上に乗せ、顔をのぞき込んでいった。
「たま次郎よ。僕の息子は、国のために命を捨てたのだよ。だが、汚職に手を染める政治家や、堕落した若者が住むこんな日本国のために、命を捧げたのでは決してない。こんな世の中になるんだとしたら、いったいなぜ、まだ二十四歳という、人生で一番幸せなときを、捨てなければならなかったのだ。これでは、息子の死は無意味ではないか。たま次郎よ。この言葉を、おいぼれた老人の、古くさい説教だと思うか? 過ぎ去ったむかしを未練がましく愚痴っていると思うか。だが、僕にとって、息子の死はまだ「むかし」なんかではないのだ。息子が死んで以来、僕の人生の時計は刻むのを止めてしまったのだ。僕は今までだって、こんな言葉を外に向けて吐いたことはない。老いも若きも、今の恵まれた生活は、過去のたくさんの犠牲の上に成り立っていると訴えたいだけだ。そのことに少しでも感謝の気持ちをもって欲しいだけだ。今の年寄り連中だって、情けないことに、こんな説教をしなくなった。口にすれば若者から煙たがられ、嫌われるのが怖いからだ。説教がましいといわれるのが恥ずかしいのだ。ふぬけになったものだ。未来の若者たちのために、こうしたことはいわばければならないのに。それなのに、若者たちのご機嫌取りばかりしているのだ!」
 たま次郎は、目を閉じてじっとしていた。僕の言葉を、聴いているようでもあり、聴いていないようでもあった。だが、少なくても眠っているのではなさそうだった。僕はそのことがとても嬉しい。もちろん、人間の言葉が猫にわかるはずがない。それでも、この思いの、ほんの断片だけでも感じてくれたら、それで僕としては嬉しかったのだ。
 僕はこたつにもぐって横になった。たま次郎もこたつの中に入って丸くなった。
 まもなく、うつらうつらした状態の中で、僕は想い出とも夢ともつかない映像を見た。
 それは、息子が戦場に向けて旅立つ直前の様子だった。すなわち、息子との最後の別れのときだった。僕は妻と一緒に、軍服姿となった息子を玄関で見送った。そのとき僕は、息子に次のようにいったのだ。
「君の出征に臨んでいっておく。われわれ両親は、完全に君に満足し、君をわが子とすることを何よりの誇りとしている。僕はもし生まれ変わって妻を選べといわれたら、幾度でも君のお母様を選ぶ。同様に、もしも我が子を選ぶことができるものなら、我ら二人は必ず君を選ぶ。人の子として、両親にこういわせるより以上の孝行はない。君はなお父母に孝行を尽くしたいと思っているかもしれないが、われわれ夫婦は、今日まで二十四年の間に、およそ人の親として受け得る限りの幸福はすでに受けた。親に対し、なおやり残したことがあると思ってはならぬ。今日、特にこのことをいっておく。今、国の存亡をかけて戦う日はきた。君が子供の時からあこがれた帝国海軍の軍人として、この戦争に参加するのは満足であろう。二十四年という年月は長くはないが、君の今日までの生活は、いかなる人にも恥ずかしくない。悔いることのない立派な人生だった。日本のために、日本の未来のために、戦うことを期待する」
 息子は唇をかみしめながら微笑み、深々と頭を下げ、そして向きを変えて門を出ていった。僕と妻は門のところから、長い長い坂道を降りていく息子の姿を見守った。息子は決して振り返ることなく、遠い交差点の角をまがり姿を消した。それを見て、妻はこらえていた思いを吐き出し、狂ったように息子の名前を何回も何回も叫んだ。

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