山歩日記「越前岳」1/4
右は登り口の山神社。この左側に駐車場があります。
中央やや右寄りに石碑が見えますが、「松永塚」というもので、左側の説明板に、だいたい次のように記されています。
「愛鷹山(あしたかやま)は側火山の黒岳と、越前岳、呼子岳、大岳、位牌岳、愛鷹山からなる壮年火山で、火口跡がふたつある。
南端の愛鷹(足高)山には源頼朝が信仰した愛鷹神社があり、信仰登山の道が古くからあったが、その他には登山道は無かった。
昭和三年十月の快晴の日、静岡商業学校の生徒ふたりが愛鷹山に登ったが、地震が起き、そのあと突然、大暴風雨となった。慌てたふたりは北側に道を外れ、位牌岳から鋸岳を過ぎたが、そこでひとりが疲労のため休んだまま亡くなった。(これは記載されていませんが、もうひとりは下山したようです)
これを聞いた地元の学生六人が登山道を開くことを発起、村民たちも協力して六峰を結ぶ登山道が完成した。その後、昭和十三年に越前岳から撮影した富士山の写真が、五十銭紙幣の図柄に使われて、山名が知られるようになった」
松永は亡くなった方の名前で、碑銘は冠松次郎という登山家の書だということです。

ここから右にはいり、神社↑の脇を通り、杉林の中を、越前岳から黒岳に伸びる尾根に登ります。
←尾根が近づき、杉林が落葉樹林に変わると、枝越しに位牌岳が見えます。
 
下左は尾根のすぐ下にある愛鷹山荘。柵があるのが変わっています。
「山荘兼避難小屋、無人、無料、収容七人、先着優先」と書いてあります。
そばに「保存柱1930年」と書かれた朽ちかけた柱があり、簡単な説明文から推測すると、その頃、60人を収容できる小屋があり、現在の小屋はその管理棟と風呂場のあった所だということのようです。
現在でも風呂のある山小屋は少ないので、林業に使う作業小屋だったのかも知れません。

地図にはこの辺に「水場」とありますが、現在は水は出ていません。モグラやネズミが住みついたりして水質が悪化したため廃止したと、登り口に注意書きがありました。ここから少し登ると富士見峠↑です。昔は見えたのでしょうが、今は杉林がさえぎっていて、富士山はみえません。