↑先の穴路峠までもどって、浜沢の隣、無生野に下ります。無生野も何かいわれのありそうな地名です。↑は杉の木についた大きなつらら。何かの具合でこの木から水がしたたり落ちて、このところの寒さで氷が増えていったもののようです。
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里近くなると道が沢の中を通ったりしてわかりにくくなりますが、裏山といった感じで民家の裏を抜けるように何となく車道↑に出ました。この辺はあちこちに雛鶴という名前がついていますが、上右はそのいわれを記した石碑。
「建武二年(鎌倉時代末期)、後醍醐天皇の皇子護良親王の妃雛鶴姫は、殺された親王の首を持って鎌倉を脱出、首を供養してから戦乱の東海道を避けて鎌倉裏街道をたどり、その年の暮れ、秋山の無上(生)野で男子を出産されたが重なる疲労から母子ともに亡くなられた。数年後に護良親王の王子、陸良親王が戦乱の中、ここに落ち延び、村人の話に不思議な因縁を感じてこの地に永住して天寿を全うされ子孫も繁栄した。村人は両親王と姫を神と崇めて祭祀を続けて今日に至っている」といったことが記されています。
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↑岸から川に流れ込んでいる水流がここ何日か続いた寒波で凍ったらしく、ちょっとした氷瀑になっていました。
上右は出発地の浜沢スポーツ広場わきの「ほたるの里」という表示。
さびしい感じもしますが、そのよさもあるので、無理して新しい物を作るより「何もない」とか「昔からの暮らしが残る」とかを地域振興に活かしたら──などと考えながら出発地に戻りました。
歩行時間は4時間半ほど。
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