山歩日記「中禅寺湖」2/4

↑フランス大使館別荘(6)。この近くにはイギリス大使館別荘もあり、イタリア大使館別荘跡は記念公園になっていました。
上右は立木観音、「日光山 中善寺 立木観音」となっていました(7)。中禅寺湖の名前の出所のようです。中宮祠からこの辺までは観光客で賑やかです。

半月山への車道を分けると、湖畔の道は林道といった細い道になり、民宿の最後の建物を過ぎて阿世潟↑(8)に出ます。十何年か昔は夏のキャンプ場がありましたが、今はキャンプ禁止となっていました。
阿世潟からの男体山(8)→。
湖を隔てて向かい合う形です。
 
ここまでは山歩きの人達が見られましたが、社山(しゃざん)の登り口を過ぎると人影が消えてしまいました。
途中でひとりの方に追い越されましたが、それきり夕方まで出会う人も無かったので、多分、この日南岸歩道を歩いたのは二人きりだったようです。
この先は菖蒲が浜まで、ひとりが通れるだけの山道になります。

↑中禅寺湖から戦場ヶ原、湯元にはミズナラの大木が多く見られます。

↑上野島(こうづけじま)(9)。
奈良時代にこの地を開いた勝道聖人の遺骨の一部を葬った人工の島で、水位が下がると歩いて渡れるそうです。
 
二十年以上の昔、上野島の手前あたりに大日堂という二間四方くらいのお堂がありましたが、その後老朽化して解体されたようです。
その頃は電車、バスで紅葉見物に来ていましたが、紅葉期の土日は、いろは坂の渋滞で日光駅から中宮祠まで3時間半も掛かることがあり、午後から南岸歩道を歩くと途中で野宿となりました。
 
ある年の秋も渋滞で遅くなり、大日堂に泊まることにして薄暗くなった5時頃ラーメンなど作っていると、観光客らしい四五人連れの若い女性が前を通りました。
呼び止めて尋ねると、途中まで歩くと船が出ているのでそれで菖蒲ヶ浜に来るといいと、宿泊先の民宿の人に言われたそうで、船はどこから出るのかと聞かれました。
それは通り過ぎた歌ヶ浜で、この時間では船は出ないし、菖蒲ヶ浜まで歩くと4時間以上かかり、6時過ぎるとまっ暗で道も悪いことを説明して引き返してもらったことがありました。
今は木の階段がありますが、当時は岩にすがって乗り越えるような所もあり、夜にあのまま歩いていったらどうなったかな…と、そこを通ると思い出したりしました。