山歩日記「中禅寺湖」4/4
↑(14)しばらく岩まじりの道を上り下りしたり、南側の黒檜岳、社山からの沢を木の橋で渡ったりして、だいぶくたびれた頃、千手堂跡を過ぎて千手ヶ浜(上右)(15)に出ました。
西暦784年3月、日光開山の勝道上人が「千手院」というお堂を造られ、以来千手ヶ浜と呼ばれ、堂は後に「千手堂」として昭和まで存在したが、永年の風雪により崩壊した──という説明が千手堂跡にありました。
そこに高さ48mほどの石像があって、現在は立木観音に移されているとのことです。
↑千手ヶ浜から中宮祠方面(左手のくぼんだ所)。遙々と来たものだ……という感じです。↑は高山。まだこの縁を廻って2時間近くも歩くことになります。(15)
紅葉の千手ヶ浜の道(15)→。
以前、この辺にバンガローやキャンプ場がありましたが、撤去されたようです。
ある年の秋、キャンプ場の管理棟といった小屋の軒下で、ムササビの声など子守歌に寝ていたところ、夜中(といっても暗くなると寝てしまうので9時頃)突然電話のベルが大音響で鳴り出し、こんな所で予想していなかったので心臓が飛び出すかというくらい驚いた事がありました。
すぐ脇の室内に電話があり、たぶん、まだキャンプ場は開いているかといった電話だったのでしょう。
赤沼から千手ヶ浜への車道があり道沿いに電話線などが引かれていたようです。現在車道は一般車通行止で、シーズン中は近くまで公営のバスがはいっています。
↑熊窪という開けた場所(16)。黒い柱の所を左に行くと高山、小田代ヶ原に出られます。
これも以前、柱の向こう側に六畳一間ほどの小屋が建っていました。管理者も不明で、何の小屋ともわかりませんでしたが、鍵が掛かっていないので定宿のようにしていました。新緑の頃ここに泊まり、ホトトギスやジュウイチなど夜の鳥の声を楽しんでうとうとしていると、突然外から声を掛けられ、飛び起きたことがありました。この時は行方不明になった仲間を捜しているというものでした。
湖畔を廻るだけの道ですが、たまに遭難者が出たりするようで、行方不明者の紙が貼られていたこともありました。
朝7時過ぎに歩き始めたのですが、赤岩(17)のあたりで日没となりました↑。
湖の周囲は 24 kmくらいだそうですが、↑菖蒲ヶ浜(1)に着いた時は5時近くで、薄暗くなっていました。
歩行時間は7時間45分ほど。