宮沢賢治幻燈館
「銀河鉄道の夜」 50/81

誰が投げたかライフブイが一つ飛んで来ましたけれども滑ってずうっと向ふへ行ってしまひました。私は一生けん命で甲板の格子になったとこをはなして、三人それにしっかりとりつきました。

どこからともなく(原稿空白)番の声があがりました。たちまちみんなはいろいろな国語で一ぺんにそれをうたひました。そのとき俄(には)かに大きな音がして私たちは水に落ちもう渦に入ったと思ひながらしっかりこの人たちをだいてそれからぼうっとしたと思ったらもうこゝへ来てゐたのです。この方たちのお母さんは一昨年没(な)くなられました。えゝボートはきっと助かったにちがひありません、何せよほど熟練な水夫たちが漕いですばやく船からはなれてゐましたから。」
そこらから小さないのりの声が聞えジョバンニもカムパネルラもいままで忘れてゐたいろいろのことをぼんやり思ひ出して眼が熱くなりました。
(あゝ、その大きな海はパシフィックといふのではなかったらうか。その氷山の流れる北のはての海で、小さな船に乗って、風や凍りつく潮水や、烈しい寒さとたたかって、たれかが一生けんめいはたらいてゐる。ぼくはそのひとにほんたうに気の毒でそしてすまないやうな気がする。ぼくはそのひとのさいはひのためにいったいどうしたらいゝのだらう。)ジョバンニは首を垂れて、すっかりふさぎ込んでしまひました。