宮沢賢治幻燈館
「インドラの網」 1/11

 そのとき私は大へんひどく疲れてゐてたしか風と草穂(くさぼ)との底に倒れてゐたのだとおもひます。
 その秋風の昏倒(こんたう)の中で私は私の錫(すず)いろの影法師にずゐぶん馬鹿ていねいな別れの挨拶をやってゐました。
 そしてたゞひとり暗いこけももの敷物(カアペット)を踏んでツェラ高原をあるいて行きました。
 こけももには赤い実もついてゐたのです。
 白いそらが高原の上いっぱいに張って高陵(カオリン)産の磁器よりもっと冷たく白いのでした。
 稀薄(きはく)な空気がみんみん鳴ってゐましたがそれは多分は白磁器の雲の向ふをさびしく渡った日輪がもう高原の西を劃(かぎ)る黒い尖尖(とげとげ)の山稜の向ふに落ちて薄明が来たためにそんなに軋(きし)んでゐたのだらうとおもひます。
 私は魚のやうにあへぎながら何べんもあたりを見まはしました。
 たゞ一かけの鳥も居ず、どこにもやさしい獣(けだもの)のかすかなけはひさへなかったのです。