Web 絵草紙
「蛇性の婬」 1/24
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上田秋成作 雨月物語より
「蛇性の婬」
   (じゃせいのいん)


いつ頃のことでありましたか、紀伊の国は三輪が崎に大宅(おおや)の竹助という人がおりました。
大勢の漁師を使う網元で、様々の海の幸を得て豊かに暮らしていたのです。
竹助には息子ふたりと、ひとりの娘がありました。
長男は質朴な性格で家業に励み、娘は大和の国に嫁いでゆきました。
豊雄という名の末の子は、漁師には不似合いな学問や芸術を好み、暮らしを立てることができません。
「これに家産を分け与えても人に奪われたり、つまらないことで蕩尽してしまおう。婿にやって、その先での不評を聞くのもつらいことだ。いっそ、学者でも法師でも好きなものになったがいい。長男の稼ぎで食い扶持くらいは与えられるだろう」
と竹助は考え、無理に家業に就かせることもしませんでした。
そんなわけで豊雄は熊野権現の神主、安倍の弓麿(あべのゆみまろ)を師として学問に通っておりました。