今は昔、陸奥の国司を勤めた橘則光という人がおりました。 武士の家柄ではありませんが、度胸があって思慮も深く、腕力も並はずれて強い人でした。 容姿も優れて、周囲の評判もよく、人から一目置かれておりました。 その人が若かったとき、近衛の武官で天皇の秘書官といった役も兼ねておりましたが、ある夜、宿直所を抜け出して女の所に忍んで行ったことがありました。 夜更けも近い頃で、太刀を下げただけで、そば使いの子供を連れて御所の東側の門を出、大宮大路を塀沿いに南に歩いて行くと、築地塀のそばに何人かの人がたむろしている様子です。
「これは、めんどうなことになりそうだな」と思いながら歩いて行きましたが、陰暦八月九日ほどの月は西の山の端に掛かり、塀ぎわは陰にはいって暗く、人ははっきりとは見えません。