Web 絵草紙
「平定文 本院の侍従に仮借せる語」 1/4
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 今昔物語より
「平定文
  本院の侍従に仮借せる語」
 (たいらの さだふみ
    ほんゐんの じじゆうに けさうせること)

今は昔、御所の警護や儀仗などにあたる兵衛(ひょうえ)府の次官で平定文、通称を平中(へいちゅう)という人がありました。
桓武天皇につながる家柄で、気品があって容姿端麗、会話も洗練されていて、その頃、平中にまさる人はいないといわれるほどでした。
そんな人でしたから、人の妻であれ、娘であれ、まして宮仕えの女性など、平中に誘われない女はいないという有様でした。
その頃、本院の大臣と呼ばれた藤原時平という人の屋敷に、容姿も教養もすばらしい、「侍従の君」と呼ばれる若い女性が仕えていました。
平中はこの屋敷に出入りしていましたから、この女房の噂を聞いて命がけで想いを寄せていましたが、相手は手紙に返事もくれません。
恋いこがれた平中は「ただ、この手紙を『見た』と二文字だけでも返事をください」と泣きつくばかりの恋文を書いて届けました。

その使いが返事を持って戻ったというので、喜んだ平中があちこちぶつかるように走り出て開いてみると、平中の文から「見た」という文字を破り取って紙に貼り付けただけの返事なのです。