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人間の精神世界と死後の行方


犬と人間…魂の共通性

犬も人間も魂の存在。人間と犬の魂は「類似性が高く、兄弟姉妹のような関係に近い」、更には「明確な境界線がない同種のような魂」ともいわれている。なので相通じる部分も多い。例えば、愛犬との絆をもつ人が亡くなった際、想念の波長が繋がることで、亡き愛犬が天界で待っていてくれる。そして愛犬と再会できることで亡くなったことを自覚し、安心して死後の世界に馴染むことができる。もちろん、一緒に行動したり暮らすこともできる。また、亡くなる前に愛犬のお迎え現象があった人は、ほぼ1週間以内に、本当に穏やかに眠るように旅立っていく。
思えば私も還暦を過ぎ、死は身近な関心あるテーマとなった。人間の死後は…、犬との違いは…いろいろと調べてみた。

参照/犬の精神世界と死後の行方


人間の死後を探った多くの書籍の中から、留意したい内容をまとめてみた。


人間の死後には諸説があり、つまりは、何が正しいかは死んでみなければ分からない。ただ魂は永遠で、現世での行いが死後の世界に反映されるのは確かなよう。ちなみに犬たちと同じく人間にも使命がある。気づく時期は遅い・早いがあり、気づくまでの経歴が使命遂行のために活かされるようだ。また人間は生まれながらにしてその行くべき道が明示されている。その宿命の道を最大の努力と善をもって精進し、純粋で無欲であれば、魂の道筋は汚れのない光で照らし出される。
「神」…それは永遠の謎。創造主、根源と呼ばれることもあるが、確かなことは誰にも分からない。人は誰しも肉体から抜け出して魂となったときに、「神」という存在をはじめて感じることになるのかもしれない。

魂は永遠
人間の普遍的な目的は「魂の故郷」に帰ること。本質は永遠の魂。意識も永遠、私たちを動かしているエネルギーも永遠。肉体は変わっても魂はずっと変わることはない。記憶・人柄・人格・絆といったものを受け継ぎ、来世も今の自分のまま永遠に生き続ける。死とは魂がひとつの道具としてきた肉体の使用をやめただけのこと。私たちは「魂をもつ身体」ではなく「身体をもつ魂」であることを忘れてはならない。
つまり最も大切なのは魂の不滅を知ること。しかし人間は地上生活が主で、天界は死後の付属的なものとして考えがち。実際はその逆で天界が本来の居場所で、地上生活は仮住まいのようなもの。いわば人間も、家族同然の犬たちも本来の居場所に戻るだけ。死は「永遠のふるさと」に還る喜ばしい出来事であるのが真実の姿。この世での死はあの世での生…。
<参考>
◆魂とは永遠に変わらない意識のエネルギー。神道では「分け御魂」、仏教では「仏性」といわれる神聖なもので、全生命の根源とつながる。また多くの精神世界へのアクセスの鍵となり、魂と身体が一つに協力し合うための最大最強ツールが呼吸法。呼吸法には完全呼吸法(ヨガの腹式呼吸)、プラーナヤマの比率呼吸法(ヨガの腹式呼吸)、息吹永世の呼吸法(古神道伝承呼吸)、天地をつなぐ呼吸法などがある。ちなみに、息の本来の言葉は「命気」、魂と身体をつないでいるのが呼吸。

魂の成長
地上の人生も、この世に生まれてきたのも、霊的成長を達成して天界での生活に備えるため。いわば天界へ戻るためのトレーニング期間のようなもの。誰もが多かれ少なかれ経験する「病気、別れ、失敗、挫折…」などの苦難にもそれぞれに意味があり、経験を積むほどに魂は成長する。
魂の故郷ではソウルメイトたちと再会する。次の人生計画をたてる上でソウルメイトの存在が欠かせない。ソウルメイトとは、つながりをもっている同源の魂で、同じところから生まれた魂の家族のようなもの。ソウルメイトは誰にも5-6人がいて、それぞれが世界各地で人生を全うする。天界ではその貴重な経験や意見を分かち合い、次の人生計画に活かされる。
また魂には「天界で作った人生計画を突然にかき乱し、予定外の出来事を起こす」ことが仕組まれているという説もある。混乱状態から学びを得る方が成長度ははるかに大きい。ただし予定外の出来事に遭遇するのは、一定レベル以上の成長している魂に限られる。理由は苦しく辛い試練に立ち向かえる魂であることが必要となるから。
尚、魂は成長レベルによって色が異なる。例えば緑色は学びや成長をつかさどる英知に満ちた魂。最も成長した魂は赤紫色をしている。
<参考>
◆解脱、または悟りと呼ばれる「魂の在り方」は、かつて進化の過程で鉱物・虫・植物・動物であったことを知り、そのすべての意識を思い出し、我を知ること。聖者と呼ばれるものが自然の中で精神性を高めて悟りに至るのは、生命が自然と一体化していることを知るため。
◆魂は長い時間をかけて進化してきた。もちろん動物であった経験も有する。であるのに動物を虐待する人もいる。一方で動物の権利を守る活動をしたり、食肉を放棄して菜食主義者となる人もいる。こうした動物に対して愛情が深い人は成長した魂の持ち主であることが多い。

お迎えと死
成長した魂は出迎えを必要としない。しかし現世の7割は未成長の魂。なので多くは指導霊などの出迎えや立ち会う人が現れ、早い人だと2週間ほど前にお迎えが来て死を予感することもある。魂が肉体を脱ぐ際の痛みはない。亡くなった瞬間、傍にいる人の中には、白いモヤ・水蒸気のようなものを見たり感じたりという人もいる。
体外に出るとしばらくは「なにがなんだかわからない」といった状態となるが、その時間は魂の成長具合によって異なる。魂は人間のあらゆる欲望や苦痛から解放されて純粋無垢な状態へと回帰する。そして自由を感じ、二度と肉体を持ちたくないと思う。
また物質社会や世俗社会に固執せず、本質を大切にする心の持ち主が死んだ場合は、魂が肉体から抜け出すのが自分で分かり、先立った家族や愛するペットたちともすぐに再会でき、新しい世界にスムーズに入ることができる。人生になんの後悔もなく、十分に生きた、よくがんばった…と思える人も、着ている服をただ脱ぎ捨てて隣の部屋にいくような感じで、軽やかに旅たっていく。 しかしこの世に執着がある人は、死へのプロセスが苦しみに変わってしまうこともある。
一方、人は死ぬとしばらく夢を見るという説もある。魂は肉体と離れて幽体となるが、幽体を使うことができる準備が終わると夢から覚め、天界に入る。この際に見る夢は、日本では三途の川やお花畑、西洋では階段、中東では砂漠など、民族性や地域性があらわれる。臨死体験で見る光景もこのときの夢では…ともいわれている。
<参考>
◆魂は光り輝くエネルギー体。魂の緒で肉体と繋がり、魂から肉体へ生命エネルギーが送られる。魂の緒はシルバーコード、またはプラズマコード、アストラルコードとも呼ばれ、銀色に光る直径5センチほどのコードといわれている。
◆死後数日間、肉体と魂を結ぶ「魂の緒」(シルバーコード)が繋がったままとなり、魂は遺骸のそばにとどまるという説もある。
◆体外離脱といわれる現象は、魂の緒がつながったまま魂が肉体から離れること。けっして特別なことではなく、睡眠中や無意識状態のとき、人は誰もが一時的に体外離脱しているともいわれ、本人は夢を見ているつもりでも、何度も天界の領域へ旅している。

光の柱と忘却の幕
亡くなると、天から光の柱が降りてくる。魂は一度のみ現れる光の中に引き上げられ、「薄いモヤのような雲」を抜けると晴れ晴れとした空間の天界が現れる。また光の柱の中にある「忘却の幕」を通ることで、失っていた霊としての記憶を取り戻し、生まれ変わるための場所に戻っていく。尚、忘却の幕は魂の記憶の境目で、ここを通ることで転生する際に決めた目的などの約束事をすべて思い出す。反対に転生する際は忘却の幕を通過した瞬間、すべてを忘れることになる。
前世の記憶の消滅は、より真剣に人生と向き合い、より純粋な経験を積むためのもの。魂は学び、成長し、霊的進化をすることが求めらる。人間が死を恐れるのは、忘却の幕によって魂の存在であるという記憶を失い、死後のことがまったく分からないため。尚、転生しても天界に魂の一部を残す。これは転生時に記憶が抹消されるが、天界へ戻る際、記憶を復活させるための「魂の再結合」に必要となるため。また、あまり成長していない魂は最近の転生しか記憶を辿れないという説もある。魂が成長するにつれて、前世の記憶を遡る能力が増していく…。
<参考>
◆天界へは、上記のように天に引き上げられる「光の柱」という説の他にも、「光のトンネル」を歩いていくという説、更にはトンネルの先に見える光に向かってふわふわと漂いながら進んでいくという説がある。いずれにしても光の道を抜け、天界の入口に到達すると光の中に溶け込んでいるような感じとなる。
◆チベット仏教では、死の瞬間にまぶゆい光、数時間後に第2の光、やがて第3の光が現れる。以降14日間、強弱の光と7つの幻影が現れる。

エネルギーの修復と検証
光の柱の先に現れるのは、クリスタルのようにまばゆく輝く「果てしない広場」…。この天界の入口で指導霊が魂のダメージを修復する。指導霊の巨大なエネルギーに包み込まれてシャボン玉の中にいるように感じたり、液体状のエネルギーが押し寄せてくる感じがする。ダメージが深い場合は魂の特定箇所に直接エネルギーを注ぎ込む場合もある。そして回復した魂は、霊的な環境に慣れるために癒しの空間へ進む。静かな環境の中、転生時に定めた「人生のシナリオ」において、「何を達成したか、何ができなかったか」を指導霊と共に検証する。
検証後、道筋から大きく外れてしまった魂、悪い魂は、他の魂への悪影響を考えて一時的に隔離される。そして矯正され、早い段階で転生して再度やり治すことになる。自殺した場合は死後5年以内に転生するが、その魂は天界で大切に守られ、心の傷を癒すことができる。非業の死を遂げた人が天界で苦しむこともない。子供の魂は大人の霊が付き添い、幼い子や赤ん坊の魂は、進化した霊的存在が世話をする。
また、検証時には「どのように生きたか、他人とどう接したか」、「充分に学び、愛し、使命を果たしたか」という点が重んじられ、「人間社会での成功はなんの価値もないこと」と改めて教えられるという説もある。尚、私たちは使命や目的をもって転生してくるものの、人間として生まれる際にその記憶が消滅する。しかし魂の奥深いところでは、そのことに気づかせてゴールへと仕向けたりすることもある。しかしながら、私たち人間は現実に流され、そうした本質的なことから逃れようとしてしまう…。
<参考>
◆天界に入る前に、導く役目の霊によって、いったん精霊界と呼ばれる場所に行き、ここで天界に行く準備をするという説もある。
◆検証時には、過去の出来事や選択の様子がリアルな映像としてよみがえるという説もある。

天界の階層
天界は実に壮大な景観。そうした中に魂が住む世界がある。死後、地上での生き方・歩み方などの検証が終わると、最初に行くのは、似た者同士や共通意識を持った魂のグループ。例えば、自己中心的な人、守銭奴な人、打算的な人…といった15人前後の同等レベルの魂で構成される。以降、魂は各自の霊的成長レベルに適した場所へと自動的に引き寄せられる。
また天界には無数の階層が存在し、その構造には諸説がある。7〜12、あるいはそれ以上の領域に分かれ、通常は1つの領域に12のサークルがあるといわれているが、各階層に仕切りがあるといったものではない。人間が想像する天国や地獄もこの中に含まれる。
ところで魂の振り分けには独自の判断基準があり、現世での善意、宗教などの思い込みは通用しない。善人だから上の層、悪人だから下の層、ということではなく、悪い行いをした自覚と反省があるかどうか、が重んじられる。本人の自覚がないまま、善意が余計なお世話となっていたり、上から目線の優越感となることもある。いじめられた側は恨みが残り、いじめた側は記憶にないこともあるだろう。また思いやりの心をもち、自分の心に正直に生きたかどうか。自分の感じたままを言葉にし行動に移したか。これは自分を大切にすることでもあり、階層のステップアップにも繋がる重要なこと。もちろん、創造主である神の存在を信じているかどうかも分かれ目となる。
尚、下位層では体の苦痛を感じ上位層の人に会うこともできない。煩悩や執着に囚われている場合は地表をさまよう地縛霊となり、行き過ぎた快楽は痛みをともない、物欲は魂の成長を妨げる。そして利己主義の克服が大きなテーマとなり、敵を赦すことが関門となる。
一方、魂の行く先は自分自身で決められるという説もある。自分が最も落ち着ける場所を選べ、魂はみんな同じ立場で一律平等となり、審判というものもない。天国・地獄はないが、光る場所・暗い場所はある。しかし、自らの意思で上位層に入っても馴染めずに居心地も悪いため、いずれ暗闇の下位層へやってくる。下位層にいるのは、現世で物質的欲望、性的欲望、世間的名誉欲や支配欲に囚われ、本質や真理をないがしろにした人たち。政治家・企業家などが下位層にいることも珍しくない。つまり自分が行くべき「居場所」は自分の魂が一番良く知っている。
<参考>
◆天界の別説によると、死後、目が覚めると川が流れる門の前に到着。その門の前で天国か地獄か…の審判を受ける。門をくぐり、川沿いを幸せと希望を感じながらひたすら歩く世界が天国。人生を振り返りながら歩き進み、生まれ変わっていく。同じ時代では「学び」にならないため、100年ほど先に生まれ変わることが多い。「学び」の必要がない人は、歩く途中で「光」となる。また地獄とは、門の近くの暗闇の中で、歩く人たちを佇みながら眺める希望のない世界。成仏できない霊は、霊界の手前にある幽界(現世への未練などが残存する世界)にとどまる。
◆天使については諸説がある。下位層から罪を悔い改め上位層へ移動を果たした人間たちという説がある。一方で霊界に存在する人間や動物以外の生命体で、高級霊という説もある。古来からの天使のイメージや伝説は多くあるが、実際はよく分かっていない。

天界の生活
生前の姿かたち、性格や感性といった個性は死後も変わらず、そのままの自分が引き継がれ、悩みや不安もそのまま。似た者同士のグループに振り分けられた魂は、神聖な賢者たちの会合に呼ばれ、今後の自己啓発について話し合い、学習する機会を得て成長する。懐かしい人々や愛するペットたちとも再会する。天界では自由が原則だが、所属するグループによっては行動範囲が限られる。魂の成長具合によって所属グループも変動し、上位層に昇格したり下位層へ降格する。つまりはどの世界に留まるかは自分の心がけ次第ということ。
天界では人種・宗教の壁はなく、似た性質をもった魂同士は近づき、反対の性質を持った魂同士は反発するためにお互いに混ざり合うことはない。接点がまったくなかった人が隣り合うこともほとんどない。更にはテレパシーで会話するため言語は必要ない。念の使い方を覚えるとなんでもでき、欲しいものも想像するだけで手に入り、なりたい年齢や姿にもなれる。
魂は成熟すると自由自在を極めることもできる。決まり事もなく、何をしようが何を考えようが自由。行きたいところへ行き、同時に異なる場所に留まることもでき、学びたければ学び、望むことを仕事にできる。自立することで、指導霊とは一緒に仕事をする同僚のような関係となる。そして上位の階層では光や聖者に近い姿となる。
また天界には地上と同じ美しい風景もある。天界は無形ではなく、地上に在ったものは滅びるとこちらの世界に形を表す。天界では死は存在しない…限りない生命があるだけ。そうした天界の居心地の良さから、多くの人は「生まれ変わりたくない。もう少しここにいたい」と思っている。
■犬の世話係
人間界で大好きな犬を飼うことができなかった人などは、天界にて犬の世話をする専門職に就くことができる。この人たちはトラッカー(追跡する人)と呼ばれている。犬への愛情が深いため、天界の愛犬家からの信頼も厚い。もし天界で愛犬に再会できない場合、トラッカーに頼めば愛犬を探して連れてきてくれる。

転生
人によって異なるものの、自分が生きた年数分を転生するまでの準備期間にあてるのが一般的。魂はテーマと課題、使命を与えられ、多くの試練や困難も設定される。そして生まれてくる環境や寿命も決め、別の肉体で生まれ変わる。成長していない魂は細かい部分までを決めることになるが、成長している魂は大まかなシナリオにとどまるという説もある。
魂と肉体の結合は出産時に完成し、出産時にはその肉体を選んだ選択の事実が消去され、真っ白な状態で生まれてくる。アクシデントにより出産ができなかった際は、その魂は少しの準備期間を経て新たな肉体と結合して出産する。尚、魂が肉体に最も影響を及ぼすのが目。目は「魂の鏡」とされ、魂をきわだって反映させる。
また誕生の際に前世の記憶がかすかに残る場合がある。小さな子供が自分の前世を話すケースはこのため。しかし時間の経過とともに前世の記憶は自然と消滅する。ちなみに北米先住民の子育てでは、子供の前世の記憶を思い出させることが役目のひとつとなっている。多くの経験と学びを有した前世の記憶をたどることで人格形成に役立つと考えられているから。
ところで課題を達成できなかったり、普遍的な法則を破った場合は、完璧にクリアするまで何度も転生を繰り返す。その回数は人により大きく異なる。ちなみに人となる前の全ての転生を含めると60〜80回、または数百回、それ以上という様々な説がある。一方で転生以外の、例えば下位層へ送り込むという方法などもある。理由は指導霊たちの考え方に違いがあるため。
また転生は永遠に続くことはない。地上で多くの学びと経験を積み、高度な霊性を備えることができた魂は、転生を卒業し、神界ルートに進む。転生とは異なるルールのもと、新しい学びをはじめる。そして神界のスタッフとして人間を指導する役目を終えると、神に近い領域へ入る。
■犬から人間へ
人間から人間への転生以外には、犬から人間への転生がある。あらゆる進化の段階を経て魂が成長した犬は、頂点である人間に生まれ変わることができる。進化のピラミッドで「犬は人間に次ぐ2番目の存在」であるから。人間からの転生はベテラン、犬からの転生は新人といった具合。

天界との接点
私たちが暮らしている世界は「三次元」または物的次元と呼び、目に見えない世界は「非物質的世界」と呼ばれることが多い。また全ての生命体には意識があり、テレパシーによってコミュニケーションすることができる。三次元世界の私たちがそれに応えることができないのは、太古の時代に備え持っていたテレパシー能力が言葉の出現によって退化して、十分なテレパシー能力を発揮することができないため。
また天界は次元が異なる世界。時間や空間という概念がなく、私たちが暮らしているこの世界と表裏一体の関係にある。 こうした異次元世界と繋がるには、エネルギーやテレパシーの波動・波長といったものと同調することが大切だが、天界は極めて純粋な世界であるため、邪念の多い現代人は「無我」になることが何よりも必要。更には、肉体としての自分ではなく、魂としての自分を感じることが重要。そう思えた時、すべてから解放され、真の自由となり、天界とつながることができるようだ。
<宇宙観>
◆アカシックレコードは、アストラル光(宇宙エネルギー)の層に地球の歴史、人類史上すべての痕跡が永久に記録されているという考え方。併せて個人の過去世から転生、魂の情報も収録。宇宙の図書館ともいわれ、情報を取り出すこともできる。尚、真言宗の開祖・空海(弘法大師)が修行で得た「虚空蔵求聞持法」の奥義は、アカシックレコードにあたるといわれている。虚空とは意識の集合場所である大宇宙空間のこと。チャネラーと呼ばれる人の中には、アカシックレコードにアクセスすることで情報を得る人も多いらしい。
◆アポロ宇宙船乗組員のミッチェル氏は宇宙で神の存在を感じたと公言。また「個々の魂の成長が宇宙全体の成長にもつながる。そのために神は魂を創造した」…それが宇宙の真理という説もあり、魂は宇宙の子、即ち人間は神の子という所以ともなっている。
◆NASAは水の根源が宇宙由来であること。ハワイ大学は水の特異で不思議な性質は宇宙に由来することを発表。2022年、JAXAは「はやぶさ2」が持ち帰った小惑星リュウグウの砂から生命の源となるアミノ酸を見つけた。しかし考えてみれば、地球は宇宙が作り出した惑星のひとつにすぎない。つまり地球自体が宇宙由来であり、生命の起源も当然のことながら宇宙と関係しているのが当たり前…。

宗教と死後の世界
現代では、人生の本質や道徳を自らの経験や歩みから悟ることのほうが尊い。あえていうと、神を信じる者は良しとするが、宗教に囚われる者は良しとしない、という天界説もある。というのも近年の史実研究では、ブッダもキリストも「果たして実在したのか…」というと「シンボルのような架空の人物であった」という研究者もいる。というか、ブッダもキリストも実在し宗教活動をしたのだろうが、その生涯や教え、逸話は後世に作られ神格化されたようだ。
そういえば仏教もキリスト教も多くの宗派が存在する。まるで人間の「我」そのもののようで、文化と呼んだほうが似合いそうだ。なので宗教によって異なる中身を精査するよりも、傍観者となって史実や変遷ぶりを知ることのほうが価値があるようにも思う。また死後の儀式もそれぞれだが、勝手に人間が意味づけをして大げさなものにしたり、ビジネス化していることも多い。尚、宗教を疑問視する私ではあっても、日本人としての生活の中での仏教や神道のしきたり、神社仏閣、その歴史と伝統は尊重している。
<仏教>
◆仏教では四十九日を迎えるまで、七日おきに審判を受け、初七日に「三途の川」を渡る。三途の川は、大きな河、せせらぎのような川であったりするが渡れないことはない。四十九日には転生先が決定され、六道(天道、人道、餓鬼道、地獄道など)のいずれかに決まるが、多くは人道へ進む。ちなみに天道は空を飛べる楽園。人道は不浄・苦・無常を味わう人間界。人生は修行の場といわれるのもこのため。またこれら六道から脱出した世界が極楽浄土。永遠の安楽を手に入れられる理想郷であり、二度と転生することはない。尚、転生は極楽浄土に辿り着くまで何度も繰り返し、自らの足りない部分を見据え、なすべきことに取り組んでいく。
また地獄は人間が戒めのために作った宗教上の想念で、実際はないという説もある。絵にかいたような地獄はなくても、人間界のこの世自体が生き地獄のようなもの。つまり、この世は魂が学ぶための地獄、あの世は魂の傷を癒すための場所…。
◆古代インドの初期仏教は中国へ伝わり、中国の道教や儒教とミックスされることで死後の世界観が大きく変わった。裁きや閻魔大王、初七日、四十九日、六道輪廻といったものは中国仏教が創り出したもの。また日本でも変容していく。極楽浄土への到達には各種法要などの追善供養を行うことが重要とされ、お盆に霊が帰ってくることも日本独自の風習となった。
◆愛犬と一緒のお墓で眠りたいと考えた場合、仏教墓地では真っ二つに対応が分かれる。認める住職は「仏教の教えでは人も動物も転生を繰り返す同じ命。動物もいずれは進化して人となる。命としての区別がなければ拒む理由はない」というもの。認めない住職は「仏教の六道の中には畜生道もある。一緒に葬ると故人が成仏できない」という考え。同じ仏教でこの違いはなんだろうか…。
<神道>
◆神社で馴染み深い日本独自の神道(しんとう)では、死後の世界を黄泉(よみ)といい、生き返ることを「黄泉かえる」(よみから帰る)という。また死ぬことを「他界する」という。これは亡くなると霊魂が肉体から離れて別の世界に入るとされているため。尚、黄泉は地下にあるという説と山にあるという説がある。
◆ノーベル賞作家・大江健三郎の「自分の木の下で」という本に書かれている言い伝え。人にはそれぞれ「自分の木」と決められている樹木が森にある。そして人の魂は「自分の木」から人間としての身体に入り、亡くなると、魂は自分の木に戻っていく。同氏はその言い伝えを「書き残しておきたい」と思ったとか。神道の黄泉(死後の世界)は山にあるという説の言い伝えかもしれない…。
<キリスト教・イスラム教>
キリスト教・イスラム教は、いずれもユダヤ教から派生し、天国と地獄しかない。ただしキリスト教のカトリックでは中間的な「煉獄」がある。


輪廻転生の歩み
日本人に馴染みある輪廻転生。アジア以外では…そもそもは…などなど。避けられないテーマのため、少し掘り下げてみた。
参考文献/輪廻転生 竹倉史人 講談社現代新書

「輪廻転生」とは…魂は生き続け、肉体的な死の後に別の身体で生まれ変わること。人間ばかりではなく動物も含まれている。 転生を繰り返しながら霊魂を進化させ、魂の完成を目指すことが、その概念。
輪廻転生を教義の中核としてきたのが仏教・ヒンドゥー教・チベット仏教といったアジア系宗教。一方、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教などの欧州系宗教は輪廻転生を肯定していない。しかし輪廻転生を唱える信者も多いため、肯定も否定もせず、解釈を変えたり拡げる宗派もある。といっても輪廻転生は人類不変の仕組み。宗教によって異なること自体がおかしな話だが、そもそも宗教は人間による産物なのだからそういったもの。だとすれば、世界各地の先住民族が唱える古代からの「生まれ変わり」の教えに耳を傾けるのがもっとも的確な方法かもしれない。

輪廻転生は、そもそも古代インドで誕生した概念だが、当時の原住民の教えが礎となっている。更にヨーガ(理性による制御)の思想も加わり、「欲望と苦悩に支配された人間界での転生の鎖を断ち切って、宇宙にある理想郷に早く辿り着こう」という哲学が生まれた。
その後、紀元前5-6世紀、ブッダ(シャカ族の王子)が生まれ、6年間の森での苦行の末、35歳で解脱。教団を形成し、輪廻転生を教義とした仏教の開祖となったが、「前世」の記憶を想起する能力が求心力となったともいわれている。
日本では奈良時代に遣唐使によってインド伝来の中国仏教が持ち込まれ、輪廻転生が流布。このときの経典は西遊記で有名な三蔵法師がインドから持ち帰ったもの。平安時代初期には真言宗・開祖の空海(弘法大師)の書物に輪廻転生や宇宙真理について記されているが、本格的に「仏教の教義・六道輪廻」として輪廻転生が語られるのは平安時代中期以降。鎌倉時代には「前世の記憶」にまつわる言説も語られた。
また欧州では古代ギリシアの数学者・ピタゴラスが「不滅の霊」を説き、自らの前世の系譜を披露した。哲学者ソクラテスやその弟子プラトンも死後の世界や輪廻転生を唱えた。近代では1857年に霊と一問一答した「霊の書」という本が出版され、世界的なベストセラーとなった。更には「交霊会」の開催が社交界でブームとなり、「不変の魂/地上世界は修行の場/輪廻による魂の進歩」…という本質が欧州で広く知れ渡った。

こうした欧州での輪廻転生ブームは南米のブラジルなどにも波及し強く支持された。理由は南米の先住民族インディオの多くには「生まれ変わり思想」がもともとあったため。他の地域の先住民族、例えばケルト、ネイティブアメリカン、アボリジニといった人々も、生まれ変わりや死後の世界を伝えてきている。また日本ではアイヌの人々の間で生まれ変わりの概念があり、縄文古代人も同様の概念が考古学的に推察されている。
つまり、輪廻転生はもともと古代から世界各地の原住民の間で語り継がれてきた人類の概念。インドで仏教の教義となったことでアジアに根付いた。また仏教とは異なる道筋によって世界各地で根付いていった。その結果、肯定していない欧州系宗教の中でも多くの人が輪廻転生を認めることとなっている。というのが、輪廻転生の大まかな歩みといえそうだ。


私の想い

輪廻転生は犬であっても人間であっても、理屈を抜きにして、自然の中の循環世界のひとつだと思う。
魂は天界に帰り、現世を振り返り学習をする。しかし「長い時を経ても人間界は何故に問題だらけの世界なのか」を考えてみると、仏教にもあるように、人間界は「不浄・苦・無常を味わう修行の場」、というのが正解だと思う。誰に教わったわけでもなく、昔からずっとそう思ってきた。そして今回、「輪廻転生の歩み」を調べる中で、「欲望と苦悩に支配された人間界での転生の鎖を断ち切って、宇宙にある理想郷に早く辿り着こう」という哲学が古代インドで生まれた、ということを知った。早い話、紀元前の時代も現代も、人間界は何も変わらないばかりか、やはりこの世は「修行の場」であったのか、ということを再認識した。
いつしか人間は不完全な存在であり、人間が関わるとなんであろうとろくなことはない、と思うようになった。人間があまり好きではない私にとってはなおさらのことそう思ってしまうが、混沌とした現世も「修行の場」であれば納得がいくというもの…。

また自然現象や病気、飢え、争いの苦しみから逃れるために、古代の人々は神やその化身・使者として太陽や動物などを崇み、祈りを捧げた。その後、文明が起こると神の教えを説く者が現れ、宗教という概念が始まり、それぞれに考え方が異なるものとなった。何を、誰を信じるか、という選択はとても虚しく思える。真理も死後の世界もひとつであるならば、正解は誰も分からず、全てが不正解ともいえるからだ。
なので、私はもっとシンブルに考えることにしている。そもそもの原点は「誰が人の生死を定め、誰が自然界のルールを作っているのか…」を古代の人々が考え始め、超自然的な存在を意識するようになったこと。それが自然の流れ…そこに文明の解釈は必要としない。天界といった「次元が異なる世界」を考えるとき、そうしたことが最も大切では、と思えてしまう。

ところで未知なる領域へアクセスしようという試みは太古の昔から変わらない。現代においても知られざる領域への知識や考えを自分なりのものにしていくことが大切だと思う。あらゆる創造物の源泉となる存在、魂、そして死後の世界を思慮することは「哲学」でもあるから…。
また、どのように考えようとも、いずれ死ねばすべては分かる。その時に答え合わせをする楽しみができるというもの。その結果を現世に伝える方法があればいいのだが…。


最後に…人類の行く末
犬と人間の精神世界、死後の世界は私の最大の関心事。そうしたことを調べていると、何故か太古の昔や未来のことなども気になってくる。きっと還暦を過ぎ老齢となったため。これも終活のひとつかもしれない…と、いろいろ整理してみた。

古代の人類は、農業や牧畜によって食料が備蓄できるようになると、食料を奪うために争いを起こし、勝者は支配者となり、敗者を従えて国となった。文明は文字や鉄器を生み出し国同士の争いへと発展していった。そうした仕組みは何千年を経た今でもなんら変わることはない。人間の思考力は結局は本能のまま。防衛本能は攻撃を生み、知性や理性は本能を抑えられない、ということなのだろう。
一方、人類は遥かなる昔に文明を創り、栄え、滅び、ということを繰り返してきた。かつて現代に匹敵する高度な文明が存在したことを唱える学者もいる。トルコの世界遺産「カッパドキア」は核戦争時のシェルターであったという説もあり、いろいろ調べるほどに、迷路に入り、収拾がつかなくなる。もちろん定説はあるが、それが全てであるとも思えない…。ちなみに人類最古で最大といわれるムー大陸の文明をはじめ、多くの文明が謎のまま。学校で習う四大文明ではメソポタミア文明が最古のもの。しかしその文明を担ったシュメール人については不明とされている…。

では未来の人類はどうなっているのか。国立遺伝学研究所・全地球史アトラス(文部科学省研究委託)の未来予測では、人類は異次元世界への進出をも果たすという。科学は革命的なAI技術によって、自己複製可能な「人工生命体ロボット」を生み出すことになる。人類をはるかに超える能力を持つ「新たな生命体」は、宇宙へ進出するばかりか、異次元世界の移動が可能となり、時空を超えた世界を認識する。きっと魂の世界をも解明することになるのだろう。まるでSFの世界のようだが、科学者にとっては確かな未来のようだ。しかしそうした進化を極めることで、人類は生物としての終焉を迎える。冒してはならない領域に入ってしまったためか、人類の役目が完結したためか、進化を極めたご褒美なのか、それとも罰なのか、それは分からない。ただし、たとえ人類が滅亡しても、魂は新たな道筋を歩むことになるだろう…。
尚、地球の誕生から45億年以上の時が流れた。対して人類の文明は5000年程度。国立遺伝学研究所の予測では、今から約50億年後、地球は消滅。そのかなり前には植物・水中生物を含む全生命が既に途絶えてしまっているらしい。


参考書籍
死後の世界に関連したさまざまなジャンルの本を読んで知識を拡げてみた…。

〇誰も書けなかった死後の世界地図 〇死後世界地図・日本編 〇驚異の高次元世界 〇いざ高次元世界へ 〇天国との会話 〇精神世界3.0 〇魂の呼び声に耳をすまして 〇神へ帰る 〇霊の書 〇生と死後の真実 〇あの世はどこにあるのか 〇魂への旅 〇しりあがり寿の死後の世界 〇死後探索。未知への旅たち 〇魂の世界のことが解る本 〇死後に関する62のこと 〇あの世のしくみがわかる37の真実 〇感じる力
〇そうだったのか。あの世の真実 〇生まれ変わりの謎 〇死後の世界50人の証言 〇眠れないほど面白い死後の世界 〇死後の世界の秘密がわかる本 〇眠れないほど面白い密教の謎 〇超空海伝 〇ブッダは実在しない 〇お経の秘密 〇イエスキリストは実在したのか 〇世界の宗教がわかる本 〇夢で会える 〇私は結果。原因の世界への旅 〇究極の旅。体外離脱者モンロー 〇体外離脱実践法 〇22を超えてゆけ
〇過去世リーディング 〇見えない世界の歩き方 〇あの世はどこにあるのか 〇ブルーフ・オブ・ヘブン 〇ツインソウル 〇消えた文明99の謎 〇見てきたように面白い超古代史 〇ある臨床医による摂理と霊性 〇亡くなった人と話しませんか 〇死後の世界を知ると人生は深く癒される 〇退行催眠が教える生と生の間に起こること 〇他