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人間の精神世界と死後の行方


犬と人間…魂の共通性

犬も人間も魂の存在。人間と犬の魂は「類似性が高く、兄弟姉妹のような関係に近い」、更には「明確な境界線がない同種のような魂」ともいわれている。なので相通じる部分も多い。例えば、愛犬との絆をもつ人が亡くなった際、想念の波長が繋がることで、亡き愛犬が天界で待っていてくれる。そして愛犬と再会できることで亡くなったことを自覚し、安心して死後の世界に馴染むことができる。もちろん、一緒に行動したり暮らすこともできる。また、亡くなる前に愛犬のお迎え現象があった人は、ほぼ1週間以内に、本当に穏やかに眠るように旅立っていく。
思えば私も還暦を過ぎ、死は身近な関心あるテーマとなった。愛犬たちが旅立った後、人間の死後についていろいろと探ってみた。

参照/犬の精神世界と死後の行方


人間の死後を探った多くの書籍の中から、留意したい内容をまとめてみた。


人間の死後には諸説があり、つまりは、何が正しいかは死んでみなければ分からない。
ただし魂は永遠。現世と死後の両方にそれぞれの人生がある。矛盾だらけの現世での理不尽も、死後を含めた長い旅の中で折り合いがつく。生まれながらにして明示されている宿命の道を、最大の努力と善をもって精進し、純粋で無欲であれば、魂の道筋は汚れのない光で照らし出される。
尚、神の存在は永遠の謎。確かなことは誰にも分からない。創造主・根源、摂理・法則、宇宙の大霊と呼ばれることもあるが、そもそも人間に神を理解できるはずもない、ともいわれている。人は誰しも肉体から抜け出して魂となったときに、「神」という存在をはじめて感じることになるのかもしれない。

天界と永遠の魂
魂とは…永遠に変わらない意識のエネルギー。そして光の存在。成長度によってまぶしく光り輝く魂、暗く沈んだ低輝度の魂などがある。
また人間の普遍的な目的は「魂の故郷」に帰ること。そして本質は永遠の魂。意識も永遠、私たちを動かしているエネルギーも永遠。肉体は変わっても魂はずっと変わることはない。記憶・人柄・人格・絆といったものを受け継ぎ、来世も今の自分のまま永遠に生き続ける。死とは魂がひとつの道具としてきた肉体の使用をやめただけのこと。私たちは「魂をもつ身体」ではなく「身体をもつ魂」であることを忘れてはならない。
つまり最も大切なのは魂の不滅を知ること。しかし人間は地上生活が主で、天界は死後の付属的なものとして考えがち。実際はその逆で天界が本来の居場所で、地上生活は一時的な仮住まいのようなもの。いわば人間も、家族同然の犬たちも本来の居場所に戻るだけ。死は「永遠の故郷」に還る喜ばしい出来事であるのが真実の姿。肉体を離れた魂は、その多くが自由と喜びに満ちた世界に帰り、幸せを感じる。この世での死はあの世での生。死後の世界のことを中間生(人生と人生の間にある生の世界)とよぶこともある。死は死んでいく者にとっての悲劇ではなく、後に残された者にとっての悲劇に過ぎない…。
尚、私たちが暮らす世界は「三次元」または物的次元と呼び、目に見えない世界は「非物質的世界」と呼ばれる。天界は時間や空間という概念がない次元が異なる世界。宇宙とつながっていたり、現世との間にほんの薄いベールが1枚あるだけの「表裏一体の関係」ともいわれている。
<参考>
◆魂は神道では「分け御魂」、仏教では「仏性」といわれる神聖なもので、全生命の根源とつながる。また多くの精神世界へのアクセスの鍵となり、魂と身体が一つに協力し合うための最大最強ツールが呼吸法。呼吸法には完全呼吸法(ヨガの腹式呼吸)、プラーナヤマの比率呼吸法(ヨガの腹式呼吸)、息吹永世の呼吸法(古神道伝承呼吸)、天地をつなぐ呼吸法などがある。ちなみに、息の本来の言葉は「命気」、魂と身体をつないでいるのが呼吸。

魂の成長
人生は魂の旅路。そして誰もが魂の旅人。地上の人生も、この世に生まれてきたのも、多様な経験を積み、霊的成長を達成して天界での生活に備えるため。いわば天界へ戻るためのトレーニング期間のようなもの。誰もが多かれ少なかれ経験する「病気、別れ、失敗、挫折…」などの苦難にもそれぞれに意味があり、経験を積むほどに魂は成長する。
魂の故郷ではソウルメイトたちと再会する。次の人生計画をたてる上でソウルメイトの存在が欠かせない。ソウルメイトとは、つながりをもっている同源の魂で、同じところから生まれた魂の家族のようなもの。ソウルメイトは誰にも5-6人がいて、それぞれが世界各地で人生を全うする。天界ではその貴重な経験や意見を分かち合い、次の人生計画に活かされる。
また魂には「天界で作った人生計画を突然にかき乱し、予定外の出来事を起こす」ことが仕組まれているという説もある。混乱状態から学びを得る方が成長度ははるかに大きい。ただし予定外の出来事に遭遇するのは、一定レベル以上の成長している魂に限られる。理由は苦しく辛い試練に立ち向かえる魂であることが必要となるから。
尚、魂は成長レベルによって色が異なる。例えば緑色は学びや成長をつかさどる英知に満ちた魂。最も成長した魂は赤紫色をしている。
<参考>
◆解脱、または悟りと呼ばれる「魂の在り方」は、かつて進化の過程で鉱物・虫・植物・動物であったことを知り、そのすべての意識を思い出し、我を知ること。聖者と呼ばれるものが自然の中で精神性を高めて悟りに至るのは、生命が自然と一体化していることを知るため。
◆魂は長い時間をかけて進化してきた。もちろん動物であった経験も有する。であるのに動物を虐待する人もいる。一方で動物の権利を守る活動をしたり、食肉を放棄して菜食主義者となる人もいる。こうした動物に対して愛情が深い人は成長した魂の持ち主であることが多い。

お迎えと死
成長した魂は出迎えを必要としない。しかし現世の7割は未成長の魂。なので多くは立ち会う人や指導霊などが2週間前〜数日前に現れ、死を予感する。お迎え体験に神仏が現れることは少なく、明確な宗教性を帯びていない点に特徴がある。
また魂が肉体を脱ぐ際の痛みはない。亡くなった瞬間、傍にいる人の中には、白いモヤ・水蒸気のようなものを見たり感じたりという人もいる。体外に出るとしばらくは「なにがなんだかわからない」といった状態となるが、その時間は魂の成長具合によって異なる。魂は人間のあらゆる欲望や苦痛から解放されて純粋無垢な状態へと回帰する。そして自由を感じ、二度と肉体を持ちたくないと思う。
更に物質社会や世俗社会に固執せず、本質を大切にする心の持ち主が死んだ場合は、魂が肉体から抜け出すのが自分で分かる。先立った家族や愛するペットたちともすぐに再会でき、新しい世界にスムーズに入ることができる。人生になんの後悔もなく、十分に生きた、よくがんばった…と思える人も、着ている服をただ脱ぎ捨てて隣の部屋にいくような感じで、軽やかに旅たっていく。 しかしこの世に執着がある人は、死へのプロセスが苦しみに変わってしまうこともある。
一方、人は死ぬとしばらく夢を見るという説もある。魂は肉体と離れて幽体となるが、幽体を使うことができる準備が終わると夢から覚め、天界に入る。この際に見る夢は、日本では三途の川やお花畑、西洋では階段、スコットランドでは絶壁、中東では砂漠、南太平洋では荒海など、民族性や地域性が現れる。脳に刻まれた記憶が材料となっているといわれ、臨死体験で見る光景もこのときの夢では…という説もある。
また臨死体験者の多くが「あの世とこの世の境目」を経験したことを伝え、中には未知の宇宙空間や異次元世界を垣間見た人、光の存在に出会った人、「学び成長し他人に尽くす。使命を果たす」という人生の本質に触れた人、「戻ってきたくなかった」という人もいる。臨死体験を経験するとテレパシー能力が向上するという事実もあるようだ。
尚、亡くなる際、人は誰もが自らの人生を回顧する。そして映像が走馬灯のように駆け巡る中、魂は体を抜け出して会いたい人に会いに行ったり、最後の挨拶をして回る。それは死後ではなく、旅立つ少し前や亡くなる直前に行われる。「旅立つ人が枕元や夢に現れた、不思議な夢を見た」といった話は、魂の世界のごく普通の出来事…。
<参考>
◆魂は光り輝くエネルギー体。魂の緒で肉体と繋がり、魂から肉体へ生命エネルギーが送られる。魂の緒はシルバーコード、またはプラズマコード、アストラルコードとも呼ばれ、銀色に光る直径5センチほどのコードといわれている。
◆死後数日間、肉体と魂を結ぶ「魂の緒」(シルバーコード)が繋がったままとなり、魂は遺骸のそばにとどまるという説もある。
◆体外離脱といわれる現象は、魂の緒がつながったまま魂が肉体から離れること。けっして特別なことではなく、睡眠中や無意識状態のとき、人は誰もが一時的に体外離脱しているともいわれ、本人は夢を見ているつもりでも、何度も天界の領域へ旅している。
◆自宅で看取った人へのアンケート調査では、故人の4割が旅立つ前に亡き親族や縁ある人、または愛するペットたちと再会し、付き添う家族たちにその様子を伝えている。旅立つ数日前に再会するケースが最も多く、死を予感するという。こうしたお迎え現象があった人は、死への恐怖や不安がなくなり穏やかになる。また「どうしても向こうに行きたい。どうすれば無事に行けるだろうか」という印象的な言葉を発っしたり、上の方を見る人も多い。まるで天界の門が開いて、その向こうに広がる広大な世界を眺めているように。そして人生は教訓に満ちた旅であることに気づくという。尚、1000年以上も前、比叡山では「お迎え」の記録を書き留めていた。

光の柱と忘却の幕
亡くなると、天から光の柱が降りてくる。光の色は白色、金色、青みがかった銀色といった説がある。魂は一度のみ現れる光の中に引き上げられ、薄いモヤのような雲だったり、光り輝く星や銀河に覆われるような感じとなる。そして生まれ変わるための場所に戻っていく。
光の柱の中では魂の記憶の境目である「忘却の幕」を通る。ここを通過することで、失っていた霊としての記憶を取り戻し、天界で決めた約束事などもすべて思い出す。また魂は転生しても天界にその一部を残す。これは天界へ戻る際、抹消された記憶を復活させるための「魂の再結合」に必要となるため。その際、あまり成長していない魂は最近の転生しか記憶を辿れないという説もある。魂が成長するにつれて、前世の記憶を遡る能力は増していく。
反対に転生時には、忘却の幕を通過した瞬間にすべてを忘れることになる。前世や過去世の記憶の消滅は、より真剣に人生と向き合い、より純粋な経験を積むために必要であるから。その際、天界で定めた人生の使命や目的も忘れてしまうが、魂の奥深いところでは、そのことに気づかせてゴールへと仕向けたりする。気づく時期は遅い・早いがあり、気づくまでの経歴が使命遂行のために活かされるようだ。ただし、気づかずに一生を終える人もいる。私たち人間は現実に流され、そうした本質的なことから逃れようとしてしまうから…。
尚、人間が死を恐れるのも、忘却の幕によって魂の存在であるという記憶を失い、死後のことがまったく分からないことが最大の理由。
<参考>
◆天界へは、上記のように天に引き上げられる「光の柱」という説の他にも、「光のトンネル」を歩いていくという説、うす暗いトンネルの先に見える光に向かってふわふわと漂いながら、または歩いて進むという説などがある。いずれにしても光の道を抜け、天界の入口に到達すると光の中に溶け込んでいるような感じとなる。
◆天界に戻る際の光の柱には一般用の他に、赤ん坊・胎児用、邪悪な人用の3種類があり、それぞれ色が異なるという説がある。

天界の入口・修復と検証
光の柱の先には、晴れ晴れとした空間とクリスタルのようにまばゆく輝く「果てしない広場」が現れる…ここが天界の入口。
入口では、まず先立った家族やペットたち、縁ある人々に迎えられて心地よさを感じ、死を改めて自覚する。全く知らない人々に迎えられることもあるが、過去世での家族や縁ある人々であるため、すぐに彼らの顔や名前が分かるようになる。ただし成熟している魂はこのプロセスをパスすることもできる。
次に指導霊が魂のダメージを修復する。指導霊の巨大なエネルギーに包み込まれてシャボン玉の中にいるように感じたり、液体状のエネルギーが押し寄せてくる感じがする。ダメージが深い場合は魂の特定箇所に直接エネルギーを注ぎ込む場合もある。
回復した魂は、霊的な環境に慣れるために癒しの空間へ進む。静かな環境の中、転生時に定めた人生のシナリオにおいて、「何を達成したか、何ができなかったか」を指導霊と共に検証する。検証時には「どのように生きたか、他人とどう接したか」、「充分に学び、愛し、使命を果たしたか」という点が重んじられる。併せて「人間社会での成功はなんの価値もないこと」、「物的な豊かさを追い求めることは貧しい魂であること」を改めて教えられるという説もある。
また自分の人生を振り返る際、過去の出来事や選択の様子、当人や周りの人の思いがリアルな映像の中に現れる。しかしこれは過去の過ちを審理したり非難するためではない。何故…といった出来事の真実が分かったり、誤解が溶けたり、人生の気づきや成長ぶりを確認するのがその目的。映像は光のスクリーンやホログラム、小さなシャボン玉のような球体に映し出されるという説がある。
検証後、道筋から大きく外れてしまった魂、悪い魂は、他の魂への悪影響を考えて一時的に隔離される。そして矯正され、早い段階で転生して再度やり治すことになる。自殺した場合は死後5年以内に転生するが、その魂は天界で大切に守られ、心の傷を癒すことができる。非業の死を遂げた人が天界で苦しむこともない。子供の魂は大人の霊が付き添い、幼い子や赤ん坊の魂は、進化した霊的存在が世話をする。
<参考>
◆死後、魂は分裂。一部は地に帰り消滅し、残りの魂が精霊となって天に昇るという説もある。導く役目の霊とともに天界の手前にある「精霊界」という場所に行き、ここで家族・友人・ペットたちと再会したり、浄化や審判が行われて天界へ行く準備をする。とても優しい場所で、亡くなって間がない人の魂を休めることを目的としている。ただし魂の成長度によってはスルーして直接天界に入る場合もある。
◆天使については諸説がある。下位層から罪を悔い改め上位層へ移動を果たした人間たちという説がある。一方で霊界に存在する人間や動物以外の生命体で、高級霊という説もある。古来からの天使のイメージや伝説は多くあるが、実際はよく分かっていない。

天界の階層
死後、地上での生き方・歩み方などの検証が終わると、最初に行くのは、似た者同士や共通意識を持った魂のグループ。例えば、自己中心的な人、守銭奴な人、打算的な人…といった15人前後の同等レベルの魂で構成されるが、30〜50人のグループという説もある。その後、神聖な会合に呼ばれ、今後の自己啓発について話し合い、学習する機会を得て成長する。
天界には無数の階層が存在し、その構造には諸説がある。ある説では、7〜12の領域の中にそれぞれ12のサークルがあり、さらに細かいグループに分かれていく。各階層に仕切りがあるといったものではなく、人間が想像する天国や地獄もこの中に含まれる。魂の成長具合によって、自動的に上位層に昇格したり下位層へ降格する。つまりはどの世界に留まるかは自分の心がけ次第ということ。
魂の振り分けには独自の判断基準があり、善人だから上の層、悪人だから下の層ではなく、悪い行いをした自覚と反省があるかどうかが重んじられる。本人の自覚がないまま、善意が余計なお世話となっていたり、上から目線の優越感となることもある。いじめられた側は恨みが残り、いじめた側は記憶にないこともあるだろう。更には思いやりの心をもち、自分の心に正直に生きたか。自分の感じたままを言葉にし行動に移したか。自分の人生の責任を100%取るという覚悟はあったか。自分なりの満たされた幸せ感を得たか。これらは階層の振り分けに繋がる重要なこと。
また、煩悩や執着に囚われると地縛霊となり、物欲は魂の成長を妨げる。そして利己主義の克服、公平・公正な心のありようが大きなテーマとなり、敵を赦すことが関門となる。尚、死後の世界の実相は、宗教的なものを認めていない。宗教の思い込みは通用せず、天界での地位向上に関係しない。ただし「創造主である神の存在を信じているかどうか」は振り分けの際の分かれ目となる。
一方、魂の行く先は自分自身で決められるという説もある。自分が最も落ち着ける場所を選べ、魂はみんな同じ立場で一律平等となり、審判というものもない。天国・地獄はないが、光る場所・暗い場所はある。しかし、自らの意思で上位層に入っても馴染めずに居心地も悪いため、いずれ暗闇の下位層へやってくる。下位層では体の苦痛を感じ上位層の人に会うこともできない。下位層にいるのは物的欲望・性的欲望、名誉欲・支配欲、自己愛・世俗愛に囚われ、本質や真理をないがしろにした人々。政治家・企業家などが下位層にいることも珍しくない。つまり自分が行くべき「居場所」は自分の魂が一番良く知っている。
<参考>
◆さまざまな階層には無数の村があり、現世と同じような暮らしが営まれているという説がある。同じ霊性レベルの似た者同士が集まる大小の村にはそれぞれの住居があり、自らを役立てる仕事もある。一方で基本はひとり、たまに人と出会う程度という説もある。
◆天界の別説によると、死後、目が覚めると川が流れる門の前に到着。その門の前で天国か地獄か…の審判を受ける。門をくぐり、川沿いを幸せと希望を感じながらひたすら歩く世界が天国。人生を振り返りながら歩き進み、生まれ変わっていく。同じ時代では「学び」にならないため、100年ほど先に生まれ変わることが多い。「学び」の必要がない人は、歩く途中で「光」となる。また地獄とは、門の近くの暗闇の中で、歩く人たちを佇みながら眺める希望のない世界。成仏できない霊は、霊界の手前にある幽界(現世への未練などが残存する世界)にとどまる。
◆人は欲望によって自ら地獄の穴を掘る。つまり人間界のこの世自体が、魂が学ぶための生き地獄のようなもの。なので、あの世はこの世での魂の傷を癒すための場所。地獄は「1人きりの孤独な暗闇の世界」で自らと向かい合い反省する場所…という説もある。

天界の生活
天界は実に壮大な景観。暑くもなく寒くもなく、朝昼晩や季節の移り変わりもない。明るい夕方の光景がずっと続くという説もある。
天界では生前の姿、性格や感性といった個性は死後も変わらず、そのままの自分が引き継がれ、悩みや不安もそのまま残る。人種・宗教の壁はなく、似た性質をもった魂同士は近づき、反対の性質を持った魂同士は反発するためにお互いに混ざり合うことはない。つまり魂の交流は波長が合う人同士の枠内でしか行われない。接点がまったくなかった人が隣り合うこともほとんどない。
更にはテレパシーで会話するため言語は必要ない。念の使い方を覚えるとなんでもでき、欲しいものも想像するだけで手に入る。懐かしい人々や愛するペットたちとも再会できる。通常男性は30歳頃、女性は20歳頃の姿でいるが、なりたい年齢や姿にもなれ、性別も自由に変えられる。
また、天界では自由が原則。決まり事もなく、何をしようが何を考えようが自由。学びたければ学び、望むことを仕事にできる。行きたいところへ行き、同時にいくつもの異なる場所に留まることもできる。地上の生活を垣間見たり、テレパシーを送ることもできるし、地上に降りることだってできる。ただし未成熟な魂のグループでは行動範囲が限られることもあるが、いずれ成熟すると自由自在を極めることができる。そして上位の階層では光や聖者に近い姿となる。
ところで天界には地上と同じ美しい風景もある。天界は無形ではなく、地上に在ったものは滅びるとこちらの世界に形を表す。天界では死は存在せず限りない生命があるだけ。天界の居心地の良さから、多くの人は「生まれ変わりたくない。もう少しここにいたい」と思っている。
尚、天界では偽善は成り立たない。頭に浮かんだ思いはテレパシーとして発し、簡単に読み取られてしまうため。加えて本性があらわになり、その人のありのままの心の状態となる。
■犬の世話係
人間界で大好きな犬を飼うことができなかった人などは、天界にて犬の世話をする専門職に就くことができる。この人たちはトラッカー(追跡する人)と呼ばれている。犬への愛情が深いため、天界の愛犬家からの信頼も厚い。もし天界で愛犬に再会できない場合、トラッカーに頼めば愛犬を探して連れてきてくれる。

転生
魂はテーマと課題、使命を与えられ、多くの試練や困難も設定される。そして生まれてくる環境や寿命も決め、別の肉体で生まれ変わる。成長していない魂は細かい部分までを決めることになるが、成長している魂は大まかなシナリオにとどまるという説もある。
魂と肉体の結合は出産時に完成し、出産時にはその肉体を選んだ選択の事実が消去され、真っ白な状態で生まれてくる。つまり肉体と魂はまったくの別物。アクシデントにより出産ができなかった際は、その魂は少しの準備期間を経て新たな肉体と結合して出産する。尚、魂が肉体に最も影響を及ぼすのが目。目は「魂の鏡」とされ、魂をきわだって反映させる。
また誕生の際に前世の記憶がかすかに残る場合がある。小さな子供が自分の前世を話すケースはこのため。しかし時間の経過とともに前世の記憶は自然と消滅する。北米先住民の子育てでは、子供の前世の記憶を思い出させることが役目のひとつとなっている。多くの経験と学びを有した前世の記憶をたどることで人格形成に役立つと考えられているから。ちなみに人は誰でも3歳ぐらいまでは動物や植物の気持ちを感じる能力を持っているという説もある。
ところで課題を達成できなかったり、普遍的な法則を破った場合は、完璧にクリアするまで何度も転生を繰り返す。人となってからの転生の回数は通常100回ほど。多くて150回、少なくて50回、他にも諸説がある。転生サイクルは古代の頃では1,000年程度であったのが、現代では長くても100年と短く、自分が生きた年数分を転生するまでの準備期間にあてるのが一般的といわれている。
尚、転生は永遠に続くことはない。地上で多くの学びと経験を積み、高度な霊性を備えることができた魂は、転生を卒業し、神界ルートに進む。転生とは異なるルールのもと、新しい学びをはじめる。その一方で、地上にてより大きな困難や孤独、苦痛、悲惨を経験した人は、大きな学びを得ることから、転生することなく神界のスタッフになるという説もある。そして神界のスタッフとして人間を指導する役目を終えると、神に近い領域へ入る。
■犬から人間へ
人間から人間への転生以外には、犬から人間への転生がある。あらゆる進化の段階を経て魂が成長した犬は、頂点である人間に生まれ変わることができる。進化のピラミッドで「犬は人間に次ぐ2番目の存在」であるから。人間からの転生はベテラン、犬からの転生は新人といった具合。


(参考) 輪廻転生の根源

「輪廻転生」とは…魂は生き続け、肉体的な死の後に別の身体で生まれ変わること。人間ばかりではなく動物も含まれている。 転生を繰り返しながら霊魂を進化させ、魂の完成を目指すことが、その概念。
仏教の教義として知られる輪廻転生だが、仏教の創始者・ブッダが生まれる前には、既に「欲望と苦悩に支配された人間界での転生の鎖を断ち切って、宇宙にある理想郷に早く辿り着こう」というインドの古代哲学があった。つまり、輪廻転生とはもともとあった哲学をブッダが仏教に取り入れたもの。ブッダの前世を想起する能力が求心力となり浸透していったともいわれているが、ブッダは架空の人物、または死後に生涯や教え、逸話が創られて神格化されたという説もある。
一方で、輪廻転生の古代哲学はインドで生まれたとはかぎらない。世界各地の先住民族、例えばインディオ、ネイティブアメリカン、イヌイット、ケルト、アボリジニといった人々も、生まれ変わりや死後の世界を伝えてきている。また日本ではアイヌの人々の間で生まれ変わりの概念があり、人間と動物は亡くなると神(カムイ)の世界へ行き、次の使命を持って生まれ変わる。縄文古代人も生まれ変わりの概念が考古学的に推察されている。どこが発祥で、どのような経緯で広がっていったかは不明なものの、輪廻転生とは、もともと古代から世界各地の原住民の間で語り継がれてきた人類の概念・本質といえそうだ。

尚、生まれ変わりを唱える民族の中で、仏教のカルマの法則を否定する民族は多い。カルマとは「現世での行いが来世に、過去世での行いが現世に影響を及ぼす」という考えだが、彼らは「魂は次から次へとまったく異なる環境に生まれ変わり、与えられた生涯で最善を尽くすことが求められる。そして、その成否が来世に影響を及ぼすことはない」と考える。日本では意外とカルマを気にする人が多いが、現世や来世での人生と「罪と罰」がリンクすることはない。つまりカルマとは「因果応報・自業自得」といった人間が作った道徳的な戒めのようなもの。

ところで、欧州では仏教などと異なる道筋によって輪廻転生が語られた。古代ギリシアの数学者・ピタゴラスは「不滅の霊」を説き、自らの前世の系譜を披露した。哲学者ソクラテスやその弟子プラトンも死後の世界や転生の事実を唱えた。近代では1857年に霊と一問一答した「霊の書」という本が出版され世界的なベストセラーとなった。更には「交霊会」の開催が社交界でブームとなり、「不変の魂/地上世界は修行の場/転生による魂の進歩」という本質が欧州で広く知れ渡るようになった。
こうしたブームは南米ブラジルなどにも波及し強く支持された。理由は南米の先住民族インディオの多くに「生まれ変わり思想」が元来あったため。そして名高い科学者や天文学者たちも輪廻転生を世界各地で語るようになっていった。


(参考) 宗教の変容と死生観

宗教とはいわば人間の創作文化のようなもの。仏教もキリスト教も多くの宗派があり、腐敗に争い、そして分裂と脚色を繰り返してきた。なので、「神を信じる者は良しとするが、宗教に囚われる者は良しとしない」という天界説もごく当然のように思えてくる。

キリスト教
キリスト教では輪廻転生を肯定していないが、元来そうではなかったようだ。ローマ帝国の力を借りて大々的に布教する際、ローマ人の意向を取り入れて「生まれ変わり」の考えを否定したという説。聖書の輪廻転生思想を、教会の支配を強めるために553年の宗教会議で削除したという説もある。現在では生まれ変わりを唱える信者も多いため、肯定も否定もせず、解釈を変えたり拡げる宗派もある。また本来のキリスト教には天国と地獄しかないが、最大宗派カトリック(ローマ教会)では、12世紀頃、天国・地獄以外の「煉獄」を追加するなど脚色されていった。
尚、教祖のキリストは教会や宗教化を否定していた説、空白の18年の間にインドでヨガやヒンドゥー教を学んでいた説、架空人物説などもある。
仏教
ブッダは「死ねばすぐに生まれ変わることを教え、死後の世界については触れなかった」ともいわれている。そのせいかどうか、中国に伝わったブッダの仏教は、中国の道教や儒教と合体して変遷。裁きや閻魔大王、初七日、四十九日、六道輪廻、先祖供養といった死生観を創り出した。
中国から日本へは奈良時代に伝来し、日本独自のものが加わっていく。極楽浄土への到達には各種法要などの追善供養が重要とされ、死後の戒名の習慣、お盆に霊が帰ってくることも日本の風習となった。見方を変えれば、ビジネスの機会を作ったともいわれている。
一方、死生観はそのまま日本に根付き、変容しなかった。亡くなると七日おきに審判を受け、四十九日に六道(天道、人道、餓鬼道、地獄道など)のいずれかに転生先が決まるが、多くは人道へ進む。天道は空を飛べる楽園。人道は不浄・苦・無常を味わう人間界の修行の場。またこれら六道から解脱した世界が極楽浄土。永遠の安楽を手に入れられる理想郷であり、二度と転生することはない。
尚、先に述べたが、ブッダには架空人物説、他にも死後に生涯や教え・逸話が創られ神格化されたという説などがある。
<お墓とお経>
「お墓」や「お経」は日本人にとっては欠かせないものだが、本来の姿は少々異なる。元来、仏教にはお墓はない。アジアの仏教国の中でお墓があるのは日本と中国ぐらい。中国仏教の影響を受けない仏教国では基本的にお墓はなく、山や海に散骨することが多い。
またお経は現世の苦しみから離れるためのブッダの教えだが、元来、死んだ人を供養するお経というものはない。しかし、いつしか「故人が極楽へ行けるようにする」、「死者への想いを伝えやすくする」、「残された者の悲しみを和らげる」などの意味付けがされるようになった。ただしチベット仏教の「死者の書」は例外…死者のためのお経として知られている。
<愛犬との共葬>
愛犬と一緒のお墓で眠りたいと考えた場合、仏教墓地では真っ二つに対応が分かれる。認める住職は「仏教の教えでは人も動物も転生を繰り返す同じ命。動物もいずれは進化して人となる。命としての区別がなければ拒む理由はない」というもの。認めない住職は「仏教の六道の中には畜生道もある。一緒に葬ると故人が成仏できない」という考え。同じ仏教でこの違いはなんだろうか…。
チベット仏教・ヒンドゥー教
チベット仏教は、死の瞬間にまぶゆい光、数時間後に第2の光、やがて第3の光が現れる。以降14日間、強弱の光と7つの幻影が現れ、何度も繰り返し現れる光が解脱に導く。しかし、その解脱の好機を逃してしまうと、転生の道に入ることになる。ちなみにチベット仏教は中国仏教を経由せず、インドから直接チベットに入り変容していった。
一方、仏教発祥地のインドは…というと、いつしか仏教はほぼ消滅し、元々のヒンドゥー教へと回帰した。ヒンドゥー教は仏教よりも輪廻思想が強く、水を生命原理としている。ガンジス河で火葬された遺体の水分は煙となって天に昇り、雨となって全生命の源となり、循環される。煙とともに天上に昇った魂はやがて転生するため、お墓は必要なく遺灰は河に流される。
神道・他
日本には神社で馴染み深い神道があり、死ぬことを「他界する」という。死ぬと霊魂が肉体から離れて「黄泉」の世界に入る。黄泉とは、死者が住む地下の国のことで、入口は出雲の黄泉比良坂、他に熊野といった説がある。しかし仏教とは異なり、故人の魂は生まれ変わらず、いずれ氏神となって家を守る。
尚、琉球(沖縄)の死後世界は神道と似ている。人の魂は理想郷のニライカナイから来て、死後ニライカナイに帰り、いずれは家系の守護神となる。またノーベル賞作家・大江健三郎「自分の木の下で」に書かれている言い伝えでは、人には「自分の木」と決められている樹木が山や森にあり、人の魂は「自分の木」から身体に宿り、亡くなると魂は自分の木に戻っていく…。


(参考) 異次元世界・科学・宇宙

魂や死後の世界を科学的に証明しようという試みは「非物質科学」や「量子物理学/量子論・量子力学」の世界で進められている。肉体の死によって脳の活動が止まると、脳内で量子論的現象が起こり、意識(魂)は「マイクロチューブルの量子状態」を保てなくなり、肉体を離れるという。そして広い意味での宇宙意識(異次元世界)に帰り、別の肉体に宿って生まれ変わることも証明されつつある。こうした研究は「ゼロポイントフィールド」とも呼ばれ、宇宙のあらゆる情報が異次元世界に記憶されているという仮説も科学的に示唆されている。
また、ゼロポイントフィールドとよく似ているのが、一般的にも知られているアカシックレコード。地球や人類史上の痕跡が異次元世界に記録されているという考え方で、個人の過去世や魂の情報も全て収録する宇宙の図書館のようなもの。意識の集合場所でもあるアカシックレコードにアクセスして情報を得るチャネラーもいる。真言宗の開祖・空海(弘法大師)が修行で得た「虚空蔵求聞持法」の奥義はアカシックレコードにあたるといわれ、仏教の源でもあるインド古代哲学の「アーカーシャの思想」がアカシックレコードという呼び名の由来となった。アカシックレコードへの到達と読み取りは、もともと人間に備わった自然な能力という説もある。

ちなみに異次元世界と繋がるには、エネルギーやテレパシーの波動・波長といったものと同調することが大切といわれている。天界は極めて純粋な世界。邪念の多い現代人は無我になること、肉体ではない魂としての自分を感じることが何よりも重要だという。
尚、全生命体は意識を持ち、テレパシーによってコミュニケーションできるらしい。古代の人々には万物のオーラが見え、誰もがテレパシー能力を備え持っていたようだ。心が汚れていない分、霊性が高く、目に見えない世界を感じることもできた。しかし現在では、言葉の出現や文明の進化によって本来の能力が退化し、十分なテレパシー能力を発揮できないでいる。

一方、国立遺伝学研究所の未来予測研究・全地球史アトラス(文部科学省委託)では、科学は革命的なAI技術によって、自己複製可能な「人工生命体ロボット」を生み出す。人類をはるかに超えた能力を持つ「新たな生命体」は、宇宙へ進出するばかりか異次元世界の移動が可能となり、時空を超えた世界を認識し「魂の世界」をも解明する。まるでSFの世界のようだが、科学者にとっては確かな未来のようだ。
しかし、その結果、人類は生物としての終焉を迎える。冒してはならない領域に入ってしまったためか、人類の役目が完結したためか、ご褒美なのか、それとも罰なのか、それは分からない。たとえ人類が滅亡しても、魂は本来の居場所に還り、新たな道筋を歩むことになるのだろう。

世界には人智を超えた不可思議な現象も多い。人類は高度の文明を5度失い、現代は6度目の滅亡に向かっているともいわれている。「ダーウィンの進化論」を否定し、突然変異による人類創生を唱える科学者も増えてきた。太陽系惑星ニビルの生命体・アヌンナキが人類の起源に関与したり、人類の魂のルーツの多くが「ブレアデス、オリオン、シリウス…」などの銀河系星雲といった説もある…。


私の想い

輪廻転生は犬であっても人間であっても、理屈を抜きにして、自然の中の循環世界のひとつだと思う。
魂は天界に帰り、現世を振り返り学習をする。しかし「長い時を経ても人間界は何故に問題だらけの世界なのか」を考えてみると、「人間界は不浄・苦・無常を味わう修行の場」というのが正解だと思う。誰に教わったわけでもなく、昔からずっとそう思ってきたような気がする。
更には、いつしか人間は不完全な存在であり、人間が関わるとなんであろうとろくなことはない、と思うようになった。人間があまり好きではない私にとってはなおさらのことそう思ってしまうが、混沌とした現世も「修行の場」であれば納得がいくというもの…。紀元前の時代も現代も人間界は何も変わっていないことにも納得した。

ところで自然現象や病気、飢え、争いの苦しみから逃れるため、古代の人々は神やその化身・使者として太陽や動物などを崇み、祈りを捧げた。その後、文明が起こると神の教えを説く者が現れ、それぞれに異なる宗教となり、変容もしていった。現代では「人間が創作した文化のようなもの」と受け止める人も多く、私もその中のひとり。死後に関する本は数々あるが、キリスト教や仏教などに順じた内容だと、途端に冷めて嘘っぽく思えてしまうのも正直な気持ち。ただし日本人としての仏教や神道のしきたり、歴史と伝統は尊重している。
尚、そもそもの原点は古代の人々が超自然的な存在を意識したこと…そこに文明の解釈は必要としない。天界といった「次元が異なる世界」を考えるとき、そうしたことが最も大切では、と心に刻んでいる。

一方、日本では「死ねば無になる」と考える人が4割ほどいる。しかしそうした人々もなにかあると手を合わせ、神社も訪れる。つまり心の奥底に神や仏、天界が存在している。ある東大救命医師は「死ぬば無になるのなら何をしてもいいはず…」、人間にはなぜ良心があるのか、「お天道様が見ている」という言葉があるのか、などという視点から見えざる世界と向かい合う。
いずれにしても、未知の領域への知識や考えを自分なりのものにしていくことは、とても重要だと思う。あらゆる創造物の源泉となる存在、魂、そして死後の世界を思慮することは「哲学」でもあるから。更に人が最期を迎える際の「魂の安定」には、自分なりの「死後の予習」があることが望ましいともされている。また、どのように考えようとも、いずれ死ねばすべては分かる。その時に答え合わせをする楽しみができるというもの。そうした結果を現世に伝える方法があればいいのだが…。

人は誰でも必ず死ぬ。その際、自らの人生の総仕上げをして完成させるといった「心の力」を持ちたいと思う。そして死後の世界を歩くときに邪魔にならないよう、汚れてしまった魂の浄化ができるよう…例えば、不必要なものを削ぎ落して身軽になったり、この世の未練や「やり残し」がないようにしておきたい。老齢の私はそうしたことを心に留めながら、なによりも「亡き愛犬たちとの再会」を楽しみとして終活している。


参考書籍

〇誰も書けなかった死後の世界地図 〇死後世界地図・日本編 〇驚異の高次元世界 〇いざ高次元世界へ 〇天国との会話 〇精神世界3.0 〇魂の呼び声に耳をすまして 〇神へ帰る 〇霊の書 〇生と死後の真実 〇あの世はどこにあるのか 〇魂への旅 〇死後の世界 〇しりあがり寿の死後の世界 〇死後探索・未知への旅たち 〇魂の世界のことが解る本 〇死後に関する62のこと 〇あの世のしくみがわかる37の真実
〇あの世の真実 〇生まれ変わりの謎 〇死後の世界50人の証言 〇眠れないほど面白い死後の世界 〇死後の世界の秘密がわかる本 〇眠れないほど面白い密教の謎 〇超空海伝 〇ブッダは実在しない 〇お経の秘密 〇イエスキリストは実在したのか 〇世界の宗教がわかる本 〇私は結果・原因の世界への旅 〇究極の旅・体外離脱者モンロー 〇体外離脱実践法 〇夢で会える 〇22を超えてゆけ 〇感じる力 ○魂の法則
〇過去世リーディング 〇見えない世界の歩き方 〇天国と地獄 〇見てきたように面白い超古代史 〇ツインソウル 〇ブルーフ・オブ・ヘブン 〇ある臨床医による摂理と霊性 〇亡くなった人と話しませんか 〇死後の世界を知ると人生は深く癒される 〇最高の死に方をするための最高の生き方 〇退行催眠が教える生と生の間に起こること 〇精神世界の謎に出会う本 〇死後はどうなる 〇シルバーバーチの霊訓
〇死者の書 〇死後の世界からの声 ○人生で一番知りたかったこと ○死んだらおしまい、ではなかった 〇お迎え体験 〇転生の周期 〇生きがいの創造〜生まれ変わりの科学〜 〇魂でもいいからそばにいて〜3.11の霊体験を聞く〜 〇輪廻転生〜私をつなぐ生まれ変わりの物語〜 〇死は存在しない・最先端量子科学が示す新たな仮説 〇あの世の科学 〇納棺夫日記 〇緩和ケア医から 〇アウト・オン・ア・リム
〇アフターライフ 〇アカシックレコード・リーディング 〇人は死にぎわに何を見るのか 〇シン・人類史 〇他