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2018年11月〜2019年9月 
愛犬フランの闘病生活


2018年、60歳。厄年も終わろうとする11月、まさかの出来事がおこった。フランが「胆嚢粘液嚢腫」という重病にかかり膵臓炎や黄疸の合併症まで起こしてしまった。その後、病理検査で「急性肝炎」と診断。原因は不明だが、公園で沖縄固有の毒ネズミの糞、または意図的な毒物を食べた可能性も…。


2018年11月 「胆嚢粘液嚢腫」に

ある日急に何も口にしなくなり病院で精密検査。結果、即入院。胆嚢粘液嚢腫とは胆汁がゼリー状に固まる病気で、薬はなく、手術による胆嚢摘出が唯一の手段。しかし、膵臓の炎症によって手術のリスクが極めて高くなっているために入院して様子を見ることに。その後、手術の日程が決まり、手術当日の朝を迎えた。手術前の精密検査で奇跡が起こった。胆汁が流れ、膵臓の炎症も改善。信じられないことだが、こうして手術は回避され、入院での治療をすることになった。入院から10日、ご飯を食べられるまでに回復したものの、病院スタッフからのご飯を拒否するため、一日に2回、病院へご飯を食べさせに行くことに。手のひらのご飯を一生懸命に食べる姿を見ながら涙がこぼれ落ちる。それから数日後、血液検査の数値に少し改善が見られたため、一時帰宅が実現。家での生活が数週間たち、日ごとに元気を取り戻していく姿にまたもや涙。こうして正式に退院が決定。
2018年12月 開腹手術による病理検査で「急性肝炎」と診断
病理検査のためお腹を2ケ所切開。内臓細胞を分析の結果、肝臓の一部が壊死、「急性肝炎」と診断された。各種病状の根本は肝臓の異常から始まった。原因は特定できなかったが、急性肝炎の投薬治療が始まった。血液検査の数値は測定不能のものもあり、すべてが異常数値。
2019年2月 血液検査数値に一喜一憂
どうしても数値が下がらなかった血液検査で、改善の兆し。ある数値がようやく計測できる範囲まで降下。といってもまだまだ高いが明るい材料に安堵感が。しかし、医師の指示によって、薬の一部を止めてみたり、薬の種類や量をかえたり、と試行錯誤することで悪化したり改善したり。数ケ月後、黄疸は正常化したものの、他の数値は依然高いまま。また薬の副作用による「水のガブ飲み」と「頻繁なおしっこ」は続いている。数値は悪くても、食欲旺盛でとても元気な状態なのがせめてもの救い。
2019年6月 転院後1週間で元の病院に帰還
病気になってから6ケ月以上が経過しているのに血液数値は相変わらず良いとはいえない。また入院中の出来事がトラウマとなってか、病院の中に入ると泣き叫び収拾がつかなくなってしまう。そうしたことから別の病院に転院することにしたが、数日後には黄疸などの症状が再発したことから危険を感じて元の病院に駆け込むことになった。結果、フランは再入院。ただただフランに申し訳なくて。命を取り換えられるのであれば、なんの迷いもなくフランに差し出せるのに…。
2019年6月  腹水と血液検査数値に悩まされる日々
再入院から1週間を経て流動食が食べられるようになったものの、肝臓機能の低下から腹水がたまりお腹がパンパンの痛々しさ。もちろん強制的に抜くことはできてもリスクがある。なので利尿剤でおしっことともに徐々に抜く処置となっているものの目に見えて良くはならない。それ以上に厄介なのが、生命にもかかわる重要な血液数値が元に戻らないこと。フランはこんなに必死に頑張っているのに。
2019年6月23日 余命宣告
今日は朝から雨が降り注いでいた。いつものようにフランの午前の面会に訪れた際のことだった。遠回しに「急性肝炎が進行し肝硬変」になったことを告げられた。そして医師の言いにくそうな感じを察してこちらから切り出した。「余命何か月ですか」、「3ケ月ほどがひとつの目安です」。覚悟はできていたつもりだったが、涙がこぼれ落ちてきた。なんとか流動食を食べられるまでになっていたので、その日の夕方、一時退院した。いつかその日が訪れるまで濃密な時間を家で過ごすため。緊急事態には入院することもあるだろうが、そんなことよりも、今はフランと一緒に眠りたい、一緒に目覚めたい。ただそれだけしか考えられない。毎日神社にお参りし、頭をこすりつけてフランのことを頼んでいたのに。それなのに…。
2019年7月22日 余命宣告から1ケ月経過
この1ケ月、濃密な毎日を心がけて懸命の24時間看病生活。なかなか効果がなかった利尿剤も倍に増やすことで、腹水は半分ほど抜けてきた。もちろん、昼も夜も2時間ごとにおしっこをさせ、熱をもったお腹を氷で冷やしたりもした。しかし、まだまだ腹水はいっぱいたまっている。食欲は出てきた。流動食を卒業して、フードも食べられるようになった。しかし、大切な肝臓の役目でもある「たんぱく質造成の機能低下」によって、筋肉は落ち、体が痩せこけてしまった。今はとにかく食べさせて痩せていくのを食い止めなければ…。



2019年7月29日 1週間前より少し改善したものの…

腹水の抜けが残り2割ほどに加速。それにともなって動きがだいぶ軽やかになってきた。食欲も快調。といってもたんぱく質をなかなか体が吸収しないので、食事内容をいろいろと工夫を凝らして試行錯誤。
2019年8月9日  少し肉がついてきたような…
腹水はまだ溜まっているが、膨らみはだいぶ目立たなくなってきた。お腹の熱も以前よりは高くなくなってきた。また衰弱死させるわけにはいかないので、1日3回以上、栄養のあるものをいろいろと食べさせてきた。結果、少し肉がついてきた…余命宣告なんてぶっ飛ばせ!!
2019年8月22日  余命宣告から2ケ月経過
少し肉がついてきたり、少し散歩ができるようになったりと、少しずつ、少しずつ改善。直近の血液検査では毎日レバーを食べているにもかかわらず貧血。これも肝臓機能低下の影響とか…。
2019年8月29日  一転、症状悪化
数日前から病状が悪化。腹水が増えたり食欲が低下したり、見るからに苦しそう。病院での血液検査は重度の貧血。腹水を原因とした腸の出血による貧血の可能性も…。フラン、がんばれ! !
2019年9月1日 一喜一憂
昨夜、フランのいつもよりも苦しそうな息づかいに気づいて目を覚ます。熱くなったお腹を冷やした後、おしっこをさせようとベランダに連れていくが立つことができない。口の中は貧血の影響で真っ白。早朝、大好きな「焼き芋」や「マンゴー」に目を輝かし、必死で立ち上がる姿を見てホッと一息。フランのガンバル姿を見るにつけ、不安に襲われる情けない自分に「喝」…。
2019年9月7日 フランは魂のふるさとへと旅立ちました
9月7日(土)AM0時、7日に日付が変わろうとしたその時、フランは息を引き取った。フランならではの素晴らしい最期だった。同日、朝の9時。那覇市内にて葬儀を行った。詳細は少し落ち着いてから…。今はフランとの思い出に浸ることで精いっぱい。取り急ぎお知らせまで。
2019年9月11日  追記
少しだけだが落ち着いてきた。「最期の日」の様子を永遠に心に刻むため、ここに記することとした。
■生への執念。神がかりな最期。
9月6日金曜日、昨夜からご飯を受け付けないため、朝・夕と流動食を与えていた。18時頃から体調が悪くなり、息づかいが荒くなっていたので寝かして腹水が溜まったお腹を冷やしていた。そして19時、突然立ち上がり、「おすわり」をして上の一点をじっとみつめている。30分たってもずっとそのまま。まるで天の神様となにかを話しているというか、交信している感じ。長い時間おすわりしていられる体力はもうないはずなので、寝かそうと体を横たえると、すごい力で抵抗し、すぐにまた同じ場所に「おすわり」をして上部をみつめている。まるで、横になればもう終わりということを感じているとしか思えない状況だった。
そんなことを何回も繰り返し、時刻はすでに23時。4時間を経過し、神がかりな状態に陥っていたが、急に外に出たいとベランダに出た。同じく「おすわり」をして空を見つめている。体はこの4時間で、もとの痩せこけた体に戻っていた。そして0時前。体力の限界で前足を崩した。水を飲まし、部屋に連れ帰ろうと抱えたとき、舌を「ダラーん」とさせた。部屋の時計はちょうど0時を回った頃。こうしてフランは息を引き取った。苦しまず、突然に訪れた一瞬の死だった。私の腕の中で逝ってくれたことがなによりだった。
フランは5時間もの間、体力をすべて使い果たして「おすわり」をし、上部を見つめていた。いったい何をしていたのか、いろいろと考えてみた。たぶん神様と「死」について話し合ったものの、フランは納得がいかなかったのだろう。凄まじい生への執念がそうさせたのかもしれない。途中、あまりの異常さに、「苦しかったら、もうがんばらなくていいからね。フランのおかげで至福の6年間だったよ。ほんとうにありがとう。愛しているよ」と何度も声をかけた。6歳という短かい命の責任、余命宣告の3ケ月を越えずに旅立った責任はすべて私にある。生涯、重い十字架を背負いながら生きていこうと、そう思った。命の尊さと愛を教えてくれたフランに合掌…。
■お通夜・火葬・収骨・読経
布団に寝かせ、涙しながらフランに感謝の言葉…。1時間後、鼻の穴などに体液止めの脱脂綿をつめ、体をきれいに拭いて、氷で体を冷やした。そして事前に調べておいた24時間対応の葬儀施設に電話。朝9時の空きがあり予約した。家を出る8時頃まで、フランに感謝を伝えながら、ずっと話していた。体は徐々に硬直していくものの、いつものように眠っているとしか思えなかった。「フラン」と呼ぶとすぐに起き上がる気がした。
那覇の葬儀施設ではお別れ式の後に火葬。数時間後、収骨を行った。フランの体形をした骨を拾っていく。その後、骨はパウダー化されて施設内供養棚の骨壺用、自宅用、携行用に分骨。翌日、読経を行い一連の葬儀は終了したが初七日、四十九日など供養はずっと続く。自宅には分骨・写真などを配した祈りの一角を作ってみた。今後、沖縄を去ることになれば、葬儀施設にある供養棚の骨壺は持ち帰ることになる。私が死んだ時、私の骨と一緒に散骨または樹木葬ができればいいのだが…。


亡くなる12時間前のフラン。この時はまだ今夜起こることを知る由もありませんでした。

フランはご飯よりも散歩とボール遊びが大好きなワンコでした。もっともっといろんなところに連れて行ってあげたかった。24時間、いつも傍にいてくれる一心同体のワンコでした。そして私にとって理想のワンコでした。フランに巡りあえたことが私の人生最大の喜び、生きがいでした。フラン、至福の6年半、ありがとう。毎日が夢心地の楽しさだったよ。天国でゆっくり休んで、いっぱい遊んでね。そして、また会おうね…約束だよ。


ご心配いただいた方々、フランにかわり厚く御礼申し上げます。尚、「フランの闘病生活」は終了。今後は運営者と愛犬たちの記録に記載。