HOME/さよならの向こう側…愛犬たちとずっと一緒


私と愛犬たちの記録<1> 2019.8〜2019.12



2019年8月1日 海外移住情報を終焉 ⇒ 海外移住情報
2000年8月に開設したWEBサイト「海外移住情報」を19周年目となる8月1日、終焉させることとした。19年前の開設時、WEB環境はまだ発展途上。移住に関する情報がほとんど皆無なことをいいことに、詐欺のような商用サイトや偽情報が目立っていた。そうした環境に風穴を開けるために非商用の情報サイトとして立ち上げたのだが、それが広く認知されるのに時間は要さなかった。そして10年が過ぎ、20年を前にすることになったが、この数年、「海外移住情報の社会的役目がそろそろ終えてきた」、と感じるようになっていた。すぐに閉じることは考えていなかったものの、愛犬フランが余命宣告をされたとき、サイト運営の気力は消滅した。これが海外移住情報・終焉の偽らざる理由。早い話、「サイトなどやっている場合ではない」と思ってしまったからだ。長い間、人生の主柱を成し情熱を傾注してきたサイト運営に関して、そう思ったことこそがサイトの役目が終わった証拠といえるだろう。人生はなにが起こるか分からない。今までの長い人生、10代の頃から「まさか」と思えるような出来事が数多く勃発し、生きるのにいささか疲弊していた。そして還暦を迎えても訪れる「まさか」の事態。もう疲れてしまい、今は愛するフランの生命のことしか考えられない。奇跡が起こることを願うばかり…。
2019年9月1日 フランの24時間看護生活  ⇒ フランの闘病生活
今日はご飯を食べてくれるだろうか…毎回、毎回、緊張の中でご飯を与える生活が続いている。当たり前のようにご飯をがっつき、当たり前のように芝生を駆け回ってボールと戯れる。そんな当たり前の生活を失ってからもう数か月。しかし24時間看護生活もフランと真剣に向き合えることから、苦に思うどころか、とても充実している。ただ、意識の100%はフランに向いていることから、ナッツには寂しい思いをさせているのがちょっと心苦しい。発症はしていないもののナッツも副腎腫瘍を抱えているからだ。いずれにしてもフランの余命宣告を覆すのが今の私の使命。9月下旬に医師の余命宣告である3ケ月に達するが、なんとしても新しい2020年をフランとナッツといっしょに迎えなければ、と毎日を過ごしている。その一方で、私の命をフランの命と交換できるならどんなに楽だろうか、フランが逝く時に一緒に逝くことができるならどんなに幸せだろうか、そんなことも考える毎日だ…。
2019年9月15日 フランの旅たちから1週間あまり  ⇒ 愛犬フランの葬儀と供養
おととい初七日を終えたが、人間と違い、もう魂の故郷へ還って安らいでいるかもしれない。心の底からそう願ってやまない。一方で私の心の中には既にフランが住み着いている。なので、なにかにつけ自然に声が出て話しかけている。そうしていると、フランが傍にいるみたいで妙に心地よい。生前と同じような感覚となり、深刻なペットロスも今のところ回避できている。朝はお供えの匂いに誘われてナッツが起きてくる。散歩が大好きなフランの供養も考え、リードの手元にフランの首輪をつけてナッツの散歩に行く。家に帰るとフランにお供えしたおやつを下げてナッツが食べる。これはナッツがお供えに飛びつくのを防ぐ苦肉の策。たぶん何年たってもこんな感じで生活しているにちがいない…。「フラン、部屋にいるときは "ここにいるよ" って教えてね」、私に霊感が少しでもあればいいのだが。  

自宅に分骨。パウダー化したお骨を二つの専用容器に入れて。

2019年10月1日 フランの旅たちから3週間あまり

フランが旅立ってから3週間ほど経った。もちろん悲しみが癒えることはないが、悲しんでばかりいるとフランが成仏できなくなるので、努めて明るく振舞っている。そんな中、散歩中、フランしかしない仕草をナッツがすることがあった。きっとフランがナッツの中に入り込んだのだろうと、「フラン、お帰り」と声をかける。そんなときは妙にうれしくなって、どんな疲れも吹っ飛びそうになる。沖縄の10月はまだ夏だが朝晩は少し涼しさを感じることができる。フランと「10月に入れば涼しくなるからいっぱい散歩しようね」と約束していた…。
2019年10月7日 フランの旅立ちから1ケ月。月命日のお祈りへ。
月命日のお祈りに行ってきた。毎日家でお祈りしているものの、葬儀施設でのお祈りは緊張する。この1ケ月、すごく長く感じる日々だった。時折、悲しみがこみあげてくるが、フランが見ていると思い気持ちをセーブする。先月、犬の転生を描いた映画「僕のワンダフルジャーニー」を見た。数年前に見た前作「僕のワンダフルライフ」は号泣したが、今回は涙が一滴もでなかった…。もしフランが転生して私の前に現れても、高齢になっている私には飼うことができないかもしれない。私のほうが早く逝ってしまう確率が高いからだ。ちなみに保護犬の譲渡も60歳以上の人の場合は後見人がいないと引き取れない。
2019年10月19日  フランの夢
覚えていないだけかもしれないが、フランが夢になかなか現れない。しかしある夜、低い鳴き声が聞こえて目が覚めた。とっさにナッツを見たが、爆睡している。「そうだ、フランだ!!」、とフランの写真に向かって「ありがとう !!」と感謝。次にフランと会えたのが真剣に念じてみた夜。「フランはリードなしね」といいつつ、ナッツとフランとの散歩シーンが現れた。そして休憩場所に到着し2人とも並んでおすわり。「あれっ、フランの顔ってナッツより白かったっけ」という私の言葉で終了。たぶん魂となっているフランの姿が白っぽく映ったのだろう。涙がでそうなくらいうれしかったが、それ以来、フランは夢に現れない。

散歩バッグの中にはフランの写真、分骨カプセル、鑑札を。ナッツのリードにはフランの首輪をつけて一緒に散歩。

2019年10月25日  四十九日の法要は終わったものの…

AM0時に亡くなったことから、1日早い24日の朝、葬儀施設にお坊さんを招いて四十九日の法要を行った。読経を聞きながらフランの今後の幸せをひたすらお願いした。終了後、お坊さんと話していると涙がこぼれ落ちてきた…。ちなみに犬の場合も天に還る日を人間と同じ「四十九日」とし、重要な儀式として供養の区切りにしていることが多い。しかし 「四十九日」の法要は終わっても、フランの魂が天に還ったかどうか、天国で幸せに過ごしているかどうか、などは誰にも分からない。そこまで気を留める人もいないかもしれない。なのに私は気になってしょうがない。毎日眠れなくなってしまうぐらい、どうしようもなく気になってしまう。その理由は、6歳半というフランの短い生涯は私の責任でもあるからだ。


葬儀施設の祭壇。塔婆と写真、骨壺を前に四十九日の読経をしてもらいました。

2019年11月6日
  ⇒ 亡きフランとアニマルコミュニケーターさん
6歳半というフランの短い生涯は私の責任。そうした重い十字架を少しでも軽くしたい、という逃避行動かもしれないが、考えた末、アニマルコミュニケーターさんの力を借りることにした。 ※詳細は上記ページを参照
2019年11月13日 フランのお父さん・お母さん
フランの故郷・宮崎のブリーダーさんに連絡。フランを亡くしたことへのお詫びをしなければ、と思っていたからだ。ブリーダーさんはとても良い方で、人と話して癒される感じがしたのはひさびさのこと。フランのお父さん、お母さんのことを聞くと、血統書の登録番号から調べていただき、翌日、わざわざ電話をいただいた。繁殖を引退したフランの両親はそれぞれ里親さんに引き取られて、現在も存命していることが分かった。もちろん、フランに報告した。また、フランの血縁犬を飼えば、と思う人もいるかもしれないが、私はフランが大好き。フランの代わりが欲しいわけではない。なので、これからもできるだけの供養を続けて天国のフランを見守っていきたい。いつかナッツが天寿を全うした後は、保護犬の一時預かりを、と考えている。尚、13日の夜、縦横無尽に走るフランの夢を見た。覚えている範囲だと、フランと夢で会えたのは約1ケ月ぶり。

2019年11月15日
  ⇒ ナッツとアニマルコミュニケーターさん

フランに続き、ナッツについてもアニマルコミュニケーターさんの力を借りることにした。 ※詳細は上記ページを参照
2019年11月21日 ペットロスの症状が…
フランの供養について、やらなくては…と思ったことがひと段落したが、その途端、ペットロスの症状が出てきた。むしょうにフランに会いたくなって、自然と涙がおちてくる。男なのに…と思われても、こればかりはしょうがない。そんなときは、天界では、この世にいたときよりもはるかに幸せに過ごしている、と思うことにしているのだが…。とはいっても、そんなにスパッと割り切ることはできない。これから本格的なペットロスの症状がはじまるのかもしれない…。

天気がよかったので、北谷のアラハビーチにナッツと散歩へ行った。でも思い出すのはフランのこと。ビーチを走りまわっていた記憶が蘇る。撮ったばかりのナッツの写真を載せようとしたが、フランの写真もいっしょに載せないと気がおさまらない。

2019年12月3日   フランの療法食を寄付
フランの肝臓疾患用・療法食の缶詰1ダースを動物保護団体に寄付。ついでに僅かながら現金も寄付してきた。というのも「そのうち寄付に行かないと…」と思っていたところ、昨夜、療法食寄付の夢を見た。なので朝一番で急いで行ってきた。
2019年12月8日  フランが亡くなってから3ケ月
毎月第2日曜日に行われる葬儀施設の慰霊祭に今月も行ってきた。お坊さんの読経も行われるので神妙な気分となる。慰霊祭に毎月行く理由は、私の精神安定剤にもなっているからだ。帰りには小さかった頃のフランが大好きだった公園のブランコに立ち寄ることにしている。これも私の精神安定剤となっている。実際、精神安定剤がなければ、かなり辛い…。ちなみにこの日、フランがソファから飛び降りる音を聞いた。気のせいかもしれないが…。
2019年12月15日  100か日の供養
15日はフランの100か日。特別な法要は行わなかったが、家の祭壇にフランが大好きだった焼き芋や果物(マンゴーはないのでイチゴ)をお供えし、お花もいっぱい飾ってお祈りした。1ケ月ほど、フランが夢に現れないのが気がかり。合掌…。
2019年12月16日  一瞬、フランが…
15日夜、一瞬フランの夢を見た。横向きでワンという声。「フランの夢を見て良かった」と思った瞬間消えてしまった。

12月15日、100か日の祭壇は少しだけ豪華に。前日12月14日の朝、放射線状の朝陽を初めて見た。

2019年12月19日    ⇒ 亡きフランとアニマルコミュニケーターさん
「耳が垂れた黒い子犬」が夢に現れたことから、「ひよっとしてフランが転生したのかもしれない」と思った。気になってしょうがないので、アニマルコミュニケーターさんの力を借りた。   ※詳細は上記ページを参照
2019年12月24日  クリスマスはスルー
沖縄は冬も暖かいのでクリスマスもお正月も気分的にいまいち。とくにフラン亡き今、今年はクリスマスはスルー。ちなみに、クリスマスに食べるチキンや七面鳥は全世界でどれだけの量というか、命をいただいていることになるのか。こうしたことを本家本元のイエス・キリストはどう思っているのだろう…不本意だと思うのだが。
2019年12月27日  海外移住情報の継承といっても…
8月1日に海外移住情報を終焉したが、それから何人もの個人の方や法人から海外移住情報を引き継ぎたいとの申し出があった。もちろん答えはNOなので返信もしていない。というのも、海外移住情報は査証の技術的なこと以上に、日本社会に対する意見や主張を含んだ分身のような個人サイトであるからだ。なので海外移住情報のピーク時には、リクルート社やIT企業などから提携や買収の話があったが即、断った。尚、海外移住関連サイトの中には、ブームが過ぎるとやめてしまったり売却したりと、要はビジネスしたいだけのケースも多い。そうじゃない…という人は、自身のコンセプトのもと、こつこつと地道にオリジナルサイトを作り上げてほしいものだ。
2019年12月29日  来年は東京オリンピックだが…
来年はオリンピックイヤーだがそんな気分にはなれない。といっても、テレビでオリンピック中継を見ると日本を応援することは間違いない。そうしたときはフランの写真とナッツとともに一緒に応援しようと思う。ところで前回の東京オリンピックは幼稚園生だった。公式本や記念硬貨を持っていた記憶がある。あれから55年以上。老齢になっても昔の記憶ははっきりしている。ただ幼稚園前のことは朧気…。


私と愛犬たちの記録 <2> 2020.1〜2020.4