海外移住情報


運営者のプロフィールと時評



安田修

1958年神戸生まれ。2009年8月、東京から沖縄に転居。
ルポライター、広告代理店プランナー(大手旅行会社等担当)
などを経て、現在はフリーライターとして気ままに活動。
世界の辺境や小さな離島が大好きな現役バックパッカー。

・参照/メディア掲載履歴と著書




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私的主柱


○旅という「学校」で学んだこと
世界各国をひとりで渡り歩く貧乏旅行をすると、辛いことも多い反面、悪戦苦闘の中から学べ
たこともまた多い。自分自身と向き合う時間や機会が山ほどあることから、「学校」と呼んでも
いいかもしれない。地球という絶対的な存在からみれば「たかが人間」であること。また「生か
されている」という謙虚さも知った。さらに、この世に生まれてきたからには、「自らが存在する
意義や意味」を自分なりのものにしなければ、虚しい人生となってしまうと考えるようになった。
2011年3月、未曾有の大震災が起こったが、天災に限らず、人生には思わぬ災難がふりかか
り、全財産を失ったり、裏切られたり、騙されたりして、人生に不可欠な「活力」が絶たれること
もあるだろう。そんなときは、一度立ち止まって、「人が存在する理由や役割」、あるいは「心の
拠り所」といった深層に思いを巡らしてみると、新たな自分に出会えるかもしれない。

○しょうがない・・・ますます沈黙する日本人
2003年末、外国通信社が日本語の「しょうがない syoganai」という言葉を世界に向けて配信。
日本人を表すのに「しょうがない」という言葉がぴったりだという。価値観は多少なりとも多様
化してきているものの、人任せ、自己主張しない、右に習え、行動しないといった風潮は相変
わらず。というよりも、まるで怒ることすら忘れてしまっている感じ。ますます沈黙する日本人
が、外国人の目に異常、奇怪に映るのもうなずける。
一方、中身が伴わない「先進国もどき社会」となってしまった原因のひとつは、経済発展の上
に胡坐をかいてきたこと。いつのまにか、「デモ」という言葉も死語同然になり、仕事や生活の
中に渦巻く矛盾や好ましくない事柄に、抵抗したり意見する人も少なくなってしまった。
「不利益となっても自らを示す」という美学、あるいは幼稚園で教わるような道徳さえ守ってい
れば良い社会になれるのに、それを阻むのは、「しょうがない」で済ましてしまう、かっこ悪い
大人たちの日々の積み重ねにつきるのかも。

○日本は終わった、と思った時
日本社会不信の極めつけはバブル期の日本。当時の日本は国も人も企業もデタラメの世界。
大手信託銀行の会長や幹部たちに仕事で会った時、「社会は正論では生きられない」と胸を
張り、地上げのために闇勢力へのスポンサーとなることすら恥じない始末。彼らが日本を動か
しているかと思うと、腹立たしいのを通り越して、「この国はもう終わった」と痛感。
そんな中、唯一の救いだったのが、バブル期に土地関連業務をかたくなに拒否し続けた某地
方銀行の頭取がいたこと。こういう人がいると知っているだけで随分と勇気づけられた。その
後、案の定バブルは崩壊。不良債権処理のため合併を繰り返し体裁を整えても、銀行が「社
会の敵」である本質は変わらないし、バブル期の銀行幹部や関係者が経済評論家している
姿は「滑稽の極み」でしかない。

○経済至上主義の弊害
「仕事のためというと、全てがなんとなく許されてしまう風潮」を蔓延・定着させてしまった日本
の経済優先社会。しかし、科学技術の発展はあっても、経済が成長しなくてはならないという
決まりはどこにもない。どこまで成長すればいいのか、ゴールを分かっている人も誰もいない。
「経済成長しなくても充たされる社会」というのが本来、目指すべき社会ではないだろうか、
といっても、景気高揚を大合唱する人がいる限り、そんな社会は望めない。
また、「無駄使いを止めよう、モノを大切にしよう」というのは世界共通のモラルであって、日本
の美徳でもあったはず。いつのまにか、消費をどんどん煽って何が何でも買わせようとする
「消費最優先国・日本」になってしまったものの、それって所詮は見せかけ国家。偽りの経済
でしかないのでは・・・。

○日本人を意識する時
日本人はどこから来たのか? 近年の人類学や遺伝子研究によって実は日本人は均一で
はなく、アジア各地の特徴をあわせもつ多様な集団であることが明らかになってきた。
日本列島がまだ大陸とつながっていた3万年前、各地から渡来した人々と複雑に交じり合っ
て日本人が生まれたらしい。各国を旅するとそんな日本人のルーツをふと考えたりもする。
海外では自分が日本人であることを意識せざるを得ないし、オーバーに言うと一人の旅人
でありながら、「日の丸」を背負っている感覚になることもある。それゆえに日本人であるとい
う事実認識やアイデンティティの形成によって、日本を捉える目も変わってきたりする場合も
多い。 また海外で日本人の代名詞にもなっている武道。精神的真髄は「欲を切り離し自分
を見出す」こととか。「欲まみれ」の世の中で、日本人の美徳でもあり、世界に誇れる日本人
の精神文化なのだが、そんな日本人などいない現実に「言いようのない虚しさ」を感じてしま
う・・・。

○政治の出番なのに・・・
代表的な経済指標にはGDPやGNPがあるが、核となるのはP(Products)。つまりお金の量
で幸せ度を示してきた。しかし2010年に入ると持続可能性という言葉も出現し、今までの考
え方では持続不可能とまでいわれはじめている。また老子、ブッダ、キリストなどといった
人類の指導者たちに共通するのは、文明や豊かさという概念に対する警告だった。日本で
は企業が主導することで「政治家不要」とまでいわれてきた。つまり、「今こそ政治の出番」
といっても過言ではないのに右も左も小役人のような政治家ばかり。GNPに代わる「GNH」
という幸せ指標の増大を国家目標に定めた「ブータン」が真の先進国のように思えてしまう。
また、「世界で最も貧しい大統領」として知られている元ウルグアイ大統領ホセ・ムヒカは、
豪華な大統領公邸に住まず、報酬の95%を社会福祉基金に寄付し、郊外の農場で生活。
お金とは、人生とは、幸せとは、政治とは、国民の人気も高い元ゲリラ闘士の言葉の多く
が「心の琴線」に触れ、政治家の「質」の違いを感じざるを得ないのだが。

○下から目線
「物書き」の端くれとなったとき、心に刻んだのは故・竹中労の「士農工商ルポライター」とい
う言葉だった。つまり「一番低いところに立ち位置をおかなければなにも見えない」ということ。
一方、旅でもそれは同じこと。欧米人のミドル層・シニア層のバックパッカーは珍しくもないが、
日本人といえぱ年を重ねるほどに「貧乏旅行は恥ずかしいこと」と思ってしまうらしい。
時節柄、「海外での節約生活」を志す人は増加。お金の使い方や楽しみ方など「バックパッ
カーの視点」が必要なことも多いため、この機会にぜひ試してもらいたいものだ。ちなみに
貧乏旅行中、知り合った現地の人から自宅に招かれることはよくあるが、普通の旅行でそ
のようなことに発展することはあまりない・・・というのは私だけだろうか?

○罪の文化と恥の文化
各国との差を考えるとき、「罪の文化」と「恥の文化」の存在が否めない。宗教文明は「神の
教えに背くと罪の意識を持つ罪の文化」、対して宗教心の薄い日本は「人の目や口を気にし
て恥をかきたくないという文化」。つまり正しいかどうかではなく、世間の動きによって考えや
行動も変わってくるとか。終戦時にこう分析したのは米国の文化人類学者だが、半世紀以
上を経た今でも何ら変わっていないということは、節操のない日本社会となるのも当たり前。
正論を唱えたところで意味を成さないのであれば、昔なら「革命」といったことになるのだろう
が、今では「世捨て人」にでもなって、あえて貧乏くじをひく変わり者であったほうが精神衛生
にいいかもしれない。



日本人


○露呈した薄っぺらい絆、自分かわいさの社会
東日本大震災から1年。瓦礫の処理では500を超える自治体が受け入れを可能としていたが、
2012年2月時点ではたった6つの自治体に激減。国の放射能基準への不信や住民の理解が
得られないとしているが、せめて条件付で受け入れを表明するのが人の道というもの。反対を
押し切り受け入れ表明した某市長の「利己主義は恥」という言葉がすべてを物語る。義援金
の寄付はしても、「日本人」という連帯意識、そして「絆」という言葉は形骸化。今後、海外へ
瓦礫処理を頼んだり、海外から協力を打診される「みっともない姿」だけは見たくないものだ。

○日本人旅行者って・・・
米国9.11テロの舞台となったニューヨークには、全米各地から支援の意味も込めて観光客が
集まり、その姿はTVでも報道されたが、日本人観光客というとチラホラ状態。アメリカ好きな人
はこういう時にこそアメリカを訪れるのが本筋であるのに、いつものことながら「いっせいに同じ
方向を向いてしまう日本人」とは何なのか。一方、テロにより航空券が安くなったことで、海外
に飛び出すバックパッカーが多くいたのがせめてもの救い。日本人が訪れなくなった中東の
観光地には、今が安くてチャンスとばかりにタイ人観光客が押し寄せた。

○自己難民のすすめ
人や社会の目・立場・お金・モノ・流行に縛られない「真に自由な生き方」を志向する人は、あえ
て「難民」と自己規定してみよう。「教育難民」「ムラ社会難民」「家庭難民」「組織難民」「恋
愛難民」等、何でもいいから自らを難民として位置づければ、生きていることだけで幸せ、生
きることを楽しむというシンプルな発想に戻れるかも。もちろん、迎合したり階段を上りつづけ
るよりも、自己難民になる方がはるかに勇気や信念が必要だ・・・。
<うれしい反響>
「自己難民と定義したら妙にすっきりして、いい感じがしてきた」などのメールが届くたぴに自分
も爽快になってくる。私自身を含め漂流している人には理解しやすい言葉なのだが、エリート街
道まっしぐらの人にとっては意味不明かもしれない・・・。

○自己否定のすすめ
知性はあっても感情や言葉を伴っているためか、それとも欲望の本能が邪魔をするのか、幾世
紀を経ても所詮は「愚の人間社会」であることに変わりはない。
人生の本質や目的は「質を高め、人のために尽くし、生き方を悟る修行の場」であると古くから
言われてきたものの、日本では「宗教的」と捉えられ敬遠されるだけ。そんな中、「自己否定で
きる人」に会うとうれしくなる。例えば大手企業に勤めていたとする。ある人は鼻高々の自慢家。
ある人は「この会社がなくてもとくに誰も困らない。むしろ弊害があるのでは」と完全否定。人の
「質」を高めるためには自己否定は欠かせないと思うのだが、エリートたちの多くが発する言葉
は、「それは自己否定につながるのでは・・・」と自己肯定ばかり。

○性善説と性悪説
モラルがあってこそ成り立つのが人間社会。つまり人間の性善説を前提としている場合が多い。
しかし一度トラブルに見舞われると人間不信に陥り、性悪説を実感することにもなる。また日本
は世界的に「まじめで実直な人が多い国」と最大評価されているものの、一方では「法の不備
や盲点」をついた「詐欺師天国」といわれる側面も併せ持っている。「日本の法律は正しい人、
立場の弱い人のためにあるのではない」と断言する弁護士も多く、裁判員制度導入の一因とも
なっている。いずれにしても「合法的であればなにをやっても許される」という人が珍しくない日
本では、性悪説を唱えた方がいいかもしれない。



日本社会


○最も住みにくい国とは・・・・
日本では中高年の自殺が急増。「最も住みにくい最低最悪の国は自殺者が多い国。何故日本
で暴動が起らないのか不思議」といった外国人たちの疑問にもうなずけ、先進国であるかのよ
うに錯覚している間に「異様な国」に成り下がってしまった。
自殺要因のひとつはリストラと中高年を苦しめる再就職の壁。自由競争の本家アメリカでは誰
もがエントリーできる扉は開かれている。一方日本では、2007年に求人広告の年令制限表記
が原則禁止となったものの、実際の応募過程で年令によって退けられたりするのが当たり前。
何も変わらない、公正な競争環境などどこにもない、というのが現実の姿。人間、最も辛いこと
は、社会から必要とされない疎外感を感じること。また年令障壁や自殺は人権問題。国の価値
が問われるのも人権問題。日本が「住みやすい国」に変貌する時はくるのだろうか。
<カナダからの反響>
カナダでは従業員募集広告に性別、年令制限を記載する事は法律違反。履歴書への誕生日
や年令表示の要求も法律違反。採用後、社員登録の際に誕生日を記入する事になっています。
年令制限は人権問題のため、もしカナダで年令・性別制限をしたら確実にデモとなって大騒ぎ
になるでしょうし、お婆ちゃんのような年輩もイキイキして働いています。
もちろん再就職はカナダでも簡単ではありません。過保護な日本よりも厳しいです。しかし自殺
する人はいませんし、日本人がリストラで自殺することもカナダ人には理解出来ないようです。
それは、失敗しても「ナイストライ」と評価したり、年令や性別で差別しないことがカナダ社会の
最低限のルールとして当たり前になっているからです。

○米国流賛美の環境がもたらしたもの
ようやく個人情報保護法による迷惑商法対策が行われるようになったが、そもそもマルチ商法、
電話セールス、訪問販売、スパムメールといった迷惑商法の多くはアメリカから流入。更には
「米国かぶれの広告マーケティング業界」が、なんの倫理感を抱くこともなく浸透に拍車をかけ
てきた。2008年世界金融危機も「金の亡者」と化した米国企業が原因。国際ビジネスの現場
では、「売るためには手段を問わないのがアメリカ」、「プロセスよりも結果が全て」、「日本人
が最も仕事しやすく信頼できるパートナーは、日本人と思考回路が近いドイツ人。友人関係で
は見えないものの、ビジネスの関係になるとアメリカ人の本質がよく分かる」という酷評もめず
らしくない。もちろん米国から得たものも多くあるが、アメリカ賛美の社会体質が、日本人のモ
ラルという概念をも壊してしまったのかもしれない。

○低民度からの脱却・・・政権交代がもたらしたもの
民度(政治的・社会的・文化的意識の程度)に関係する言葉には、「国民はそのレベルにあっ
た社会しか手にいれられない」「民度の低い国の民主主義はなんの意味も持たない」「政権交
代は民度の高い国の象徴」などがあり、政権交代のないことが日本の民度の低さを証明して
いるという説もある。しかし2009年8月、遂に民主党への政権交代が実現。改革は破壊を伴う
のが当たり前。日本をひっくり返して白紙から作り直してもらうことを期待していたものの、いつ
しか尻すぼみ状態に。日本や日本人の限界を露呈させるための政権交代だったのかもしれ
ないが、いずれにせよ何も出来なかった、何も変えることができなかった民主党政権の罪は
深い。解党もしない口先だけの議員たちがなにを唱えようとも「うっとおしい」だけ・・・。

○この国のかたち
虚無感漂う日本政治について考える時、敗戦の結果、米国から自動的に民主自由主義が与
えられたことへと行き着いてしまう。おりしも2011年は中東・アフリカで民主闘争の連鎖が勃
発。日本はというとズルズルと「民主主義ゴッコ」に終始。民主主義を望み、闘い、勝ち得たわ
けではないのだから当然かもしれないが、「民」のために国はあるのか、国が存在するために
「民」がいるのか、をはっきりさせなければならない。
また2015年、安保法案をめぐって数十年ぶりの国民デモが発生したが、そもそも日本国憲法
は占領したGHQによって作られ、日米安保や自衛隊も米国の意向によって誕生。米国の庇護
の下、発展と平和を維持してきたといっても過言ではない。結果、米国追随の安保法案は成
立したが、その責任は前回選挙で自民党を圧勝させた国民側にもあるだろう。
一方、日本は民主自由主義とはいっても、社会主義的な感覚もある「総中流化社会」がずっ
と続いてきた。それを壊して泥沼の格差社会にしてしまったのが小泉政権。その是非は別に
して、こうなった以上、欧州で論議が進む「年金も失業保険も生活保護も不要。最低生活保
障額を国民全てに給付。かといって社会主義でもない」といった国のかたちが必要不可欠に
思える。いずれにしても、時の流れにただ任せているだけではこの国のかたちは定まらない。
国際情勢や経済情勢がどうであれ、日本国はどうあるべきか、日本人の暮らしはどうあるべ
きか、といった国民の覚悟や見識も問われている。

○こんな改革があったら・・・
■公務員

国民のための奉仕者という立場を忘れ、「国に巣食う寄生虫」とまで呼ばれる公務員。事の元
凶は一度試験にパスさえすれば一生身分が保障され厚遇されること。全ての公務員を任期制
にして、大幅に人員を入れ替えできるシステムにすれば、使命感に燃えた様々な社会経験者
が参加でき、税金泥棒の公務員も淘汰されるというものだが、この日本では不可能。少なくと
も「不況時に安定を求める公務員志望者が増える」という状況だけはやめてもらいたいものだ。
■大学受験
大学の存在意義が問われる中、社会に出てから勉学意欲が沸いたり、専門的な勉強をしたい
と思って悔やんでいる人が珍しくない。いっそのこと、高校卒業後、2年ほど社会経験を経ない
と大学受験できないシステムにしてみてはどうか。社会経験を積んでから大学に入ると、何気
なく大学に進学したりするのとは異なリ、意義深い学生生活になるだろう。国によっては徴兵制
があるのだから、多少の時間的ロスも許されるというもの。
<在外邦人からの反響>
欧米では高校卒業後、放浪の旅に出かけたり、いろんな社会経験を積んで、「何をしたいのか」
を時間をかけて考えた後に大学に入る人が多くいます。時間のロスと考える人も少なく、人間性
の成長の為の貴重な時間と捉えています。そのために、豊かな人間性を備えたエリートたちも
多く、同じエリートでも人間としての欠陥が目立つ日本の場合とは一味違います。日頃、日本人
の若者に接っする機会が多いので、無意味な大学進学には疑問ばかりが残り、将来の日本の
姿を危惧してしまうほどです。
■大学環境を一変させるには
大学を卒業したところで、大卒の学力を備えた人は果たして3割を超えるだろうか?
いっそのこと、国公立大学以外は、「国の大学卒業検定」に受からなければ大卒と認めないと
いった制度にしてはどうか。検定合格者以外は「準大卒」、といったことになれば、一気に日本
の学生社会は変わるだろう。もちろん学力そのものではなく一般常識といった知識力でもかま
わない。不必要な検定が蔓延する中、本当の検定といえるのでは・・・。
■政党政治
2012年末の国政選挙を境に、政党自体の存在が疑問に思うようになってきた。議員にとって
政党は組織の歯車、いわば会社のようなもの。同じ理念といっても政策内容全てが同じなど
あり得ないし組織にも逆らえない。政党がなくなれば、個人の主張のみを頼りに立候補。
首相は公選制、内閣や各種委員会の委員長は首相が指名。国会での法案採決は議員個人
で判断。政党交付金は廃止して個人の活動費として還元。そう考えれば政党なんて必要な
いし、議員の意志や能力が存分に反映され、仕事のできない議員は居場所がなくなるだけ。
もちろん参議院は廃止。日本人の多くは無党派層だけに、「日本式の政治システム」ともいえ
るのだが・・・・。



国際社会


○微笑・会釈の意味
アメリカなどでは、すれちがう時などに微笑みながら会釈するのは当たり前。これは「私はあな
たに敵意をもっていません」という意思表示。これはシンプルなコミュニケーションのひとつでも
あり、自己防衛手段でもあるのだ。しかし日本では変に誤解されてしまうだけ。日本人のコミュ
ニケーション下手は治安の良さと関係あるのかも。


○アメリカからの脱却の兆し?
「アメリカ人旅行者の高慢な態度が気に入らない。自分達が一番だと思っている」
旅の最中に、そんな日本人バックパッカーたちの声をよく耳にした。そして勃発した米国イラク
戦争。世界各国では米国非難の声が上がったものの、日米同盟関係などの米国協調基盤に
よってアメリカに逆らう勇気は日本にないし、特に経済界などは貝のように口を閉ざして思想も
何もない単なる商人ぶりを露呈。アメリカは国益確保を目的に、世界各地でいろいろな地域紛
争を自ら作り出してきた。少なくともその一端が普通の人にも見えてきたことで反アメリカの声
が上がったことに拍手喝采。

○もう、うんざり。中国に弱腰の日本
中国では日本は仮想敵国のひとつ。学校では愛国教育という名の反日教育も実施。2004年、
サッカー・アジアカップの反日活動は大きな波紋となったが、もし日本で試合が行われ、中国
に大ブーイングしたり国旗を焼いたらどうなったか。中国は自国の威信をかけて進出している
日本企業を追い出したり、武力圧力にまで発展するかもしれない。また2010年9月、尖閣諸島
での漁船長逮捕釈放に絡む中国政府の強行姿勢問題が勃発したものの、問題を大きくしたく
ない日本の弱腰姿勢は政権が変わっても相変わらず。もちろん挑発に乗らないことも大切だ
が、「冷静と沈黙」とでは大きな違い。関係改善されても本質が変わるはずもないし、いっその
こと「中国との国交を解消、親日的な台湾を国と認めて国交樹立」、という声も出てきてほしい。
ちなみに不法滞在中国人を一掃しないのも、中国を怒らせたくない、中国に頭が上がらない
日本のご機嫌取りとか。不法滞在イラン人が問題化した際、日本はイラン人を一掃しイラン政
府は大激怒・・・日本は影響力の少ない国には強いようだ。
その後、2012年4月、石原都知事が尖閣諸島所有方針を発表。早い話、「中国に何も言えない
外務省」や「中国万歳一色の沖縄県」の<面目丸つぶれ状態>がすこぶる心地よい。そろそ
ろ配慮という逃げ道をつくらないで、「怒らない日本」、そして「先送り体質」や「場当たり体
質」を卒業した明確な「国家の意志」を示してもらいたいものだ。

○信頼性の判断基準はタクシー?
国や社会が一流か三流かのひとつの判断基準は、経済発展とは関係のない市民のモラル。
特にタクシーに乗ったりすれば一目瞭然。外国人からボッたり、おつりをごまかしたり払わな
い国は信頼に値しない。たったそれだけのことでも「一事が万事」、信頼性のバロメーターとな
ることも多く、そのとおりの社会環境だったりする。



etc・・・


○テレビ界の欺瞞

年末になると「間違ってしまった日本」「これでいいのか日本」・・・などの報道系テレビ番組が
目立ってくるが、「間違いだらけのニッポン」を助長するどころか牽引してきたのはテレビ界で
はなかったのか。例えば報道番組で「正論」を唱える一方で、"お気楽番組"では「間違いだら
けの風潮」を煽るといった乖離ぶり。つまり「正論」を吐いても「良心」はないというのがテレビ
界。「硬派番組は視聴率がとれない」といっても、そうした社会にしてしまった責任の一端はテ
レビ界にあるのだから、そろそろ自らの責任を自覚したテレビ界へと向かってほしいものだ。

○肩書きなんて・・・
2016年、肩書き詐称によって「ショーンK」のメディア出演はすべて失われたが、こんなことに
めげないでほしい。というのも私が始めてメディアに出たのが、FM局・J-WAVEの「ショーンK
のMAKE IT 21」。同氏と30分ほどの対談だったが、その語り口には感心させられた。後のTV
報道番組での流暢な解説ぶりにも好感が持てた。それだけに、肩書きが欠かせない世界で
生きていくための苦肉の策だった、と思いたい。このうえは、メディア界をある意味牛耳る吉本
でも味方につけて、方向転換の大復活を果たしてもらいたい。「肩書きというものに虫唾が走
ってしまう人」は、私をはじめ世の中にはごまんといるのだから・・・。

○移住の日
日本人が集団で初めて移住したのは明治元年。120人がハワイの契約移民として移住。そし
て移住の日に制定された明治41年6月18日には、大規模移民の第一陣781人がブラジルの
サントスに到着。以降、昭和の大戦終了時までに移住した人は北米20万人、ハワイ20万人、
中南米24万人、樺太28万人、中国27万人。低賃金の過酷な労働者として、また荒地の農園
開拓者として、かなりの苦労があったことは周知の通り。苦境を乗り越えてきた先人たちのパ
イオニア精神は、いつの時代も光り輝き続けている。
(移住の日は1966年に当時の国際協力事業団移住事業部と総理府によって制定)


○地球温暖化とサンゴの壊滅
温暖化によって南極や北極の氷が溶けると海抜が1メートル上昇。モルディブ、ツバル、マー
シャル諸島など海抜が低い島々では、国土の多くが水没するために、周辺国などへの集団
移住計画が現実問題として加速。すでに一部の国では移住が始まっている。一方、どこの海
に行ってもサンゴが死滅する白化現象が目に入る。原因は温暖化による水温上昇。このまま
温暖化が続くと2030年頃には世界のサンゴが壊滅するらしい。現実に白化したサンゴを見る
と絶句してしまう。