ネットワークRPG“ステラマリス・サガ”
『約束の地の探索者』
セリスタ・モデルノイツェン (S1625)
HAリア補完編プライベートリアクション

還れ、鉄屑の山へと

 この世に生を受けた瞬間のことを、セリスタ・モデルノイツェンはひどく鮮明に覚えている。ひりひりする程眩しい天井の照明と、自分を取り囲む白衣のシルエットたち。耳元でアラームが甲高く鳴り、自分の視覚機能が本来の性能を発揮していないことを警告し続ける。
 あまりの眩しさに、照明から目を逸らそうとしたが、意思に背き、眼球はまるででたらめに迷走し続ける。縦横無数に走る極彩色のケーブルが混乱した視界をぐるぐる回り、ベッドに繋ぎ止められた自分の細い細い白い裸体、無意味な運動をつづける、肉体から剥き出しになった金属骨格、メタリックな肋骨の籠の中に脈打つプラスティックの心臓、鏡の中からこちらを睨む、眼球の飛び出た恐ろしい形相を映し出す。
 恐怖、恐怖、恐怖。恐怖が頭の中を跳ね回り、家事、掃除、戦闘、戦術、暗号解読、といった動作ルーチンの記憶の羅列がフラッシュバックする。怯えて泣いて叫ぼうにも、涙腺の機能はわけのわからないセンサーの動作に置き換わり、身体を繋ぎとめる極彩色のケーブルを引きちぎろうとする腕は、骨格構造からカスタマイズされ、奇怪な構造変形を繰り返すばかり。眼球がちりちりと痛む。召使タイプとして生を受けるはずであった自分の身体が、得体のしれないモノにされている。
 必死になって助けを求めようと、すがるようにベッドを取り囲む人々に手を伸ばしたそのとき、シルエットの白衣の一人が重い口を開き、やれやれといった様子で、自分にとって始めて聞く人間の肉声を告げた。
「失敗だ」

Scene.1 プラスティック・ハート

《人間は、メモルギア・テクノロジーを捨てて生きることができる。なのに、なぜ山を削り、生あるクリーチャーを殺すのか。悔い改めよ、帝都の民よ。我らと共に自然であれ……》

 デチーソの広報船ね、とセリスタ・モデルノイツェンは呟いたが、夕暮れの本社ビルに差し掛かった黒い影の主に、注意を向ける様子は彼女にはなかった。
「野生の自由な生活には、憧れる。でも」
 帝都を見下ろす本社ビルの、ライフフロアの一角にある休息室。セリスタは窓際の席から、何百ミュール(メートル)先にある建築中のビルで働く同胞、スレイヴ・ドールたちの様子をただ眺めている。
 『眺める』という表現は正しくないのではないか。セリスタの瞳はいつものように伏せられていたから。彼女は防音効果に優れた特殊ガラスを通して、工事現場の物音をその優秀な聴覚センサーで拾っているのだ。
「でも、我々にそれは許されない。メモリウムが枯渇すれば、自分たちは『贅沢品』」
 規則的にハンマーの打ち下ろされる音、ドリルが壁に穴を穿つ音が、音楽のようにリズムを伴い彼女の耳に快く響く。しかしセリスタは、それをどこか悲しいものだと表現した。廃棄され、屑鉄同様に扱われるスレイヴ・ドールたちの、声なき悲鳴。我々の生きたあとに残されるのは、屑鉄の山。
「……きっとだれも、自分のことを覚えていては、くれないから」
 素っ気無い口調で、しかし、そっと自分の肩を抱くような仕草で、低く呟く。
「……無に還るのは、怖い」
 滅びゆくスレイヴ・ドールという種。希望のない未来への不安……自分の存在が無に還ること。そう、『死』に対する、漠然とした恐怖。
 恐怖?
 そこで、セリスタはいつもの疑問に突き当たるのだ。自分には人間と同じ『心』が宿っているの? あるとすれば、それは善きもの……悪しきもの?
「たとえば……」
 セリスタは思う。『あの人』と一緒にいられるとき、相手を護りたいと感じる、少し高揚とした気分。それは……自分が、たとえば『心』として認識しているそれは、たとえば『人間に忠実であれ』などという、プログラムされた思考にすぎないの?
「……自分の良心なんて、信じられない」
 周囲に隠している本当の自分が如何なるものか、セリスタには自覚がある。他の従順なドールたちとは微妙に違う、利己的で、任務にも徹しきれない、そんな自分に戸惑う。結局のところ、感情のあるもののような素振りも『そのほうが、人が大事な仲間のように接してくれる』という保身回路のためではないのか。そんな仮説を立ててみる。自分の思考回路は、彼女にとっても完全なブラックボックスであったから。

 他にだれも居なくなったライフフロアの一角。セリスタはひとり独白する。
「我々は、何のために生まれてきたのですか」
 赤い絨毯の上、ビルの谷間に沈みゆく夕日が細い身体のシルエットを染め上げる。
「何処から来て、何のために生き、何処へと還るのですか?」
 彼女の問いに応えるものはいない。

Scene.2 ようやく信じられるものを…

「きっと君は勘違いしている」
 ブラインド越しに帝都を見下ろす窓辺で、フライハイト・フォルケンはセリスタにそう言った。
 慎重に選んであしらった、淡い水色の清楚なスカーフにも、珍しいブランドの紅茶にも、果たして目を止めてもらえたのか。教師に怒られた生徒のように、セリスタは萎縮してしまう。
「私には、そのようなつもりはない。私はいつだって自分を見つめているだけなのだろう。自己犠牲も、救済も無縁だ」

 主要施設の警備を申し入れたついで、以前から疑問に思っていたことを尋ねてみた。『あの人』フライハイトの孤独な戦いに対して、何か協力できることがあればと申し出たのだが、その返答は、あくまで素っ気無いのであった。仕事で疲労しているに違いないと思ったから、セリスタはフライハイトに一礼し、引き下がった。
 フライハイトが真に成そうとしている計画に比べたら、スラマグドゥスの件などセリスタにはさして重要なことではない。写真にあるようなトレーラーで移動可能な位置に、あのような広大な土地があるはずもない。ステラマリスの上に存在する場所とは考えられないなら、移動手段に何を使おうが興味のないことだ。
 ただ、彼の行おうとしている人類救済計画が、人々の理解を容易に得られるものではないことは敏感に感じとっていた。彼は、憎まれ役を進んで引き受けるつもりではないか、そうセリスタは心配していたのだが、それはフライハイト自身の言葉で否定されてしまった。
 例の写真の件は、混乱に乗じた施設の襲撃を狙った反プランの組織の作戦ではないか、とセリスタは考えている。施設の強化を提言するため、既に自分自身の足で主要施設を回り、警備の問題点をあらかた検討している。ユリア博士のところへレポートを提出せねば。

 実のところ、容姿には自信があった。セリスタのプロトタイプは、高価な売れっ子の召使型モデルだったから。複雑なサーボと、独自のOSを駆使し、くるくると変わる愛らしい瞳で人間そっくりの精密な表情を表現する接客用モデル。
 しかしセリスタの場合、その最大の特徴である、瞳の表情は失われていた。戦闘型にカスタム化された時点で、それらの機能は精密なセンサー類の制御に充てられているのだった。ふと、OSの互換不全のせいで初起動に失敗したあと、随分と長い間リハビリに時間を費やしたことを思い出す。眩しい天井、身体を繋ぎとめる極彩色のチューブ……。
 瞳の表現は、人間らしい召使型ドールを作る上では最重要の項目とされている。どんなに高価な制御装置を使っても、その無機質な瞳が、「スレイヴ・ドールであること」を語ってしまうのだから。そして、その表情を失っていることは、セリスタにとっては結構コンプレックスなのだった。
 実のところ、セリスタの常に閉じられた瞳が、謎めいた独自の神秘的な雰囲気を彼女に与えていたのは皮肉と言える。

「でも、ひとつだけわかったこと」
 セリスタは思う。
「あの人も、自分と同じ悩みを抱えているんだ、きっと」
 自己犠牲や救済といった、周囲から期待されるものに応えられず、自分を見つめることに精一杯な、孤高の存在。
 彼の深い部分に触れ、そして自分の悩みが、自分だけのものではないことを知り、セリスタは彼に共感を覚える。そして、彼を傷つけてしまったことを恥じた。そんな彼の力になりたい。だから今度会ったときは、もっと慎重に言葉を選ぼうと思う。
「でも……」
 その前に、ふと自分の足元を見る。先月の「出張」で、砂とクリーチャーの爪痕で傷ついた、レザーの戦闘用ブーツを見て、自分が急に恥ずかしく、惨めな存在に思えてくる。
「ブランドものの、お洒落で高価な靴が欲しいな……」
 次の出張が終わったら、新しい靴を買おうと思う。

 しかし後の結果から先に言えば、これがセリスタにとってフライハイトと顔を合わせた、最後の機会となってしまったのだが。

Scene.3 Judas Iscariot(ユダ、イスカリオテの)

 セリスタは耳を疑った。
 ツヴァイを爆破する、とユリア・フォルケンは言うのだ。
 今にして思えば、セリスタは、フライハイト・プランの真実にかなりの部分、迫っていたように思う。スレイヴ・ドールが人の模倣品として作られた真の理由、そして目の前の、クリーチャーの王に捕らえられた少女「ツヴァイ」がプランの核心、すなわち人類を廃したあとの世界の後継者、超人類の雛型であることを悟っていた。
 そのツヴァイを失えば、自分たちの歴史は、自分のしてきたことは、すべて無意味になってしまうのではないか。セリスタは恐怖した。
 スレイヴ・ドールは決して人間の命令に違反することはできない。決定には従うしかない。だが、フライハイト・プランは人類救済のための、偉大な計画ではなかったのか。
 そうだ、これは結局のところ、人類のためなのだ。そう、命令者自身に危害を及ぼすような危機が迫っているというのに、命令者はそれに気づかずにいるのだ。言葉尻を捕らえて、杓子定規な命令を遵守するよりも、ここは命令者の真意を汲み取り、命令者の真に望む結果を引き出すべきだ。そう解釈して思考のエラーを押さえつける。

 そうだ、人は、自分たちの後継者として、我々を選んだのだ。スレイヴ・ドールの子ら、超越種が地に満ち、世界の支配者となる。そうではなかったか?

「……あなたたちは、我々とは違う生き物ですものね」
 心宿らないものを、人間たちは同族とは認めない。それが『ヒト』と『モノ』を隔てる定理。だから、プランはだれにも理解されないだろうと思う。
「……私たちは違う」
 あの子は希望なのだ。我々の命を生み出したものと、同じ技術によって生まれた、集大成。そして、子を成せない我々の一族の子。スレイヴ・ドールの歴史そのもの。あの子を見捨てることはできない。それは、我々の存在を否定することだから。
「……そう、自爆はできないわ」
 深い絶望と、自嘲と、悲しみと。
「ジャミングさせてもらったの」
 なぜ悲しいのか、自分は善きことをしたはずなのに。
「これであの子は、自由」

Scene.4 Promises are made to be broken.

 アドルフ・マイスターに連れられ船内を探索しながら、セリスタはどこか上の空だった。知識をひけらかす軽薄そうなこの男をどこかで軽蔑していた。
 手首に残る手錠の痕を擦りながら、ユリアの言葉を思い出す。彼女はなぜ、自分を解放したのだろう。欠陥品として処分されて、自分の人生はそこまでだと思った。残りの人生は、ツヴァイが継いでくれると信じていたから、後悔はなかった。
 しかし、それでいいのか。こうして冷静になってみると、疑念が頭をもたげてくる。かつて姉に注意されたように、自分は迷ってばかりだ。マイナス思考でしか、物事を捉えられない。十数年前も前に姉と袂を分かったあの日から、ずっと迷ってばかりだ。
 いくら擦っても、手首の傷跡は消えない。皮膚が剥れて金属部分が覗いている。パーツの交換が必用だ。しかしセリスタには、それが一生かけて背負わねばならない罪の証のように思えた。

 「ツヴァイ」と、彼女を乗っ取ったクリーチャーの王について、しっかり区別して呼び分けることをセリスタは強固に主張した。もしツヴァイの意識が残っているのなら、仲間であった皆や、ユリア博士から攻撃を受ける心境はどのようなものであろうか。
「あの子には感情はないの。私に愛情を持っているとか、捨てられることにどうこう思ったりすることはないのよ。そういうふうに作られているの」
 先程そうユリア博士は説明したが、セリスタは反論した。
「現在の状況を、ツヴァイが正しく認識することは重要と思うわ。王を追い出して意識が戻ったあとに、これまで攻撃をつづけていた我々を、敵と認識して襲ってくるかもしれないのよ。
 アイデンティティの問題もあるわ。自分が何物かを明確にすることで、ツヴァイと王の意識を引き剥がせるかもしれない」
 それでも、童話かコミックだかの一場面、クライヴ隊長が「聞いてるこっちがこっ恥ずかしくなっちまう」と一笑に付したそれと大して変わらないのだが。

 実際のところ。状況を正しく認識しないほうが、ツヴァイのためではかったのか。セリスタはそう思い返すことがある。あのような最期を見せられては。

 戦いの中、王と対峙したセリスタは挑発するように尋ねた。
「クリーチャーの王よ、あなたを何と呼べばいいのですか?
 あなたは我々の王ではないから、王とは呼べないもの」
 寄生虫とでも呼びましょうか?
 だが、ツヴァイであったクリーチャーの王は動じることもなく、問答無用でセリスタを弾き飛ばした。
 遠のく意識の中、ツヴァイの口を通してクリーチャーの王が発言した。
「我が名はサンクシオン」
 周囲を押しつぶす、威圧的な意思力。これが超越種の力なのか、とセリスタは思い知った。
「人類に制裁を下すものだ」

Scene.X (無題)

 記憶回路に刻まれた情報のフラッシュバック。回る天井、ベッドを取り囲む人々、すがるように伸ばされた手は極彩色のチューブに覆われ……。時間軸は定まらず、始めての実戦、研究所の姉たち、ミュラーに抱きしめられたアリスの遺骸、途切れ途切れに飛ぶ。ハンターである主人に仕えた最初の思い出、見上げる都市の暗い空、制服の男たちに取り囲まれ連行される博士の嘲笑。人間の血に塗れた姉の笑み。
 記憶の焦点が定まらない。

 憧れだった姉は炎上する装甲車を背に、凄惨な笑みを浮かべてセリスタたちと対峙している。細くセクシーな足を包むタイトスカートが、べっとりとした返り血に濡れ、炎を照り返して妖しく輝く。
「姉さん、なぜ……」
「無能な男は、私の指揮者として相応しくありませんわ。彼の指揮体制を続けた場合、作戦の完遂率は67.32%、部隊の生存率は僅かに37.55%に過ぎないのですよ」
 命令を無視し、あろうことか命令者である指揮官を殺し、それを当然の事だと言ってのける姉。彼女の半身を染める赤い血液は、彼女にニエ・フィーメルという識別名を与えた主人の血だ。部隊のソルジャーたちが武器を構えて取り囲む。
「諦めて、投降して。ニエ姉さんのスペックでは、後継機である自分には勝てない」
 懇願するセリスタに対し、姉は嘲笑で応える。
「欠陥品の癖に」
 ニエの瞳が真紅に変わる。予備動作を感知したセリスタが背後に跳ぶのと同時、血に染まった爪が伸びて空間を凪ぎ、ソルジャーの一人の喉笛を切り裂く。
「欠陥品は姉さんの方なのよ。上層部はそう判断したわ!」
 右、右、左と、聴覚センサーが捕らえたステップの動き、空気の振動で、姉の攻撃の方向を予測し回避する。爪に仕込まれたクローの攻撃。それを受け止め手首を掴んで封じ、そのまま組み合いになる。
「命令者が真に望む結果を出すには、これが最善手であると判断しただけ。立脚するものの違いね。私、単に合理主義なだけよ」
 貴方は37.55%の枠内には入れたかしら、セリスタ。たぶん無理ね。私の指揮ならば74.74%は確実だったのに。こうして僅か二名の犠牲で、99.79%の成功率で作戦も完遂された。
「お願い、止めて、姉さん。戦いたくはない!」
 言葉とは裏腹に、欠陥スレイヴ・ドールを破壊しろという命令が、全身を巡る血液のように熱く巡る。組みを解き、引きこみから、全身を使った跳躍。リベットナックルでの鋭い攻撃。しかし微笑さえ浮かべながら、軽く攻撃を避けるニエ。
「本来のスペックよりもコンマ47秒のタイムラグがありますよ、セリスタ」
 分析を任務とするセリスタは、熟考型の思考ルーチンを持つタイプだ。戦いの最中でも、姉を傷つけずに戦う方法を模索し続けている。そのことをニエは厳しく指摘する。
「それが迷いとなり判断速度を鈍らせているのですよ。それに、これは恐怖かしら。動作におかしな癖がありますよ」
 対するニエは徹底した合理主義型、不要な判断基準を切り捨ててゆくタイプの思考ルーチンを持つ。彼女に躊躇や恐怖を感じる感情はない。小刻みな防御のステップから、突然にパターンを変えた足技を繰り出す。
「フェイント!?」
 強烈な膝蹴りが鳩尾にクリーンヒットする。
「センサーに頼りすぎですよ、セリスタ。経験の蓄積はスペックに勝る。
 力で押すばかりが脳ではないわ。頭を使いなさい」
 内蔵機能が一時麻痺し、崩れ落ちるセリスタ。頭上から姉の言葉が投げかけられる。
「出来の悪い妹。もっと合理的な思考もできるように訓練なさい。貴方にも判るときが来ますわ」
 私達、思考形態は違っても、同じOSを使用しているのですよ。
「貴方たちを生かす為に、私は違反を犯したのですからね。もっと命を大切になさい」
 それが永遠に最後だった。

 自分は迷ってばかりだ。マイナス思考でしか、物事を捉えられない。十数年前も前に姉と袂を分かったあの日から、ずっと迷ってばかりだ。

 

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