平安兄氏絵巻


段の四 鞠の上
まあ!兄上様・・・です・・・

わたくしは鞠
ちょっとの力で転がります
病の体も同じこと
少しの無理で悪くもなります
そんなわたくしの支えと言えば
兄上様の御姿
そのお声は
いかなる薬に勝るものなり
その優しさは
いかなる祈祷に勝るものなり
今宵も文をしたためて
愛しいお方に届けます
兄上様に届けます


拝啓 兄上様

晩秋のみぎり ご健勝であられますでしょうか
朝夕はすっかり冷え込みも厳しく 市井では流行り病の噂も聞き及びます。
もし、もし兄上様がおかかりになられてはと思うと、心配でなりません。

うふふ・・・兄上様は大丈夫でいらっしゃいますわね。人の心配をするより私の体を気遣えときっとおっしゃるでしょうから・・・

そう言えば兄上様、最近わたくし、とても体の具合がよろしいのです。

昨日も診療寮のお方に診て頂いたら、少しばかり快方に向かっていましたの。それで、お散歩のお許しも頂きましたの。これもきっと兄上様の励ましのお陰ですね。いつもながら兄上様、感謝いたします。うふふ・・・

お散歩と言えば、こんな夢を見ますのよ。
兄上様とお内裏のお庭を二人でお散歩する夢なのです。
最初は兄上様のお背中を眺めながら、そしてはしゃいだわたくしは兄上様のお手を頂いて駆け出してしまうの。

川の瀬に着いたら、今度は貝合わせをしますのよ。わたくしが上の句を詠んだ貝を上手から流して、兄上様はそれに合わせて下の句をその貝にしたため、詠み上げますの。素晴らしいでしょ?

それから綺麗なお花を愛でながら、そうね、花の穂ちゃんがお育てになったお花を眺めては、可憐さんの作ったお菓子でお茶を頂くの。白雪ちゃんのお弁当も頂きますのよ、素敵でしょ?

そして兄上様は楽しそうにしているわたくしの顔を見て、優しく微笑んで下さるの・・・

でも・・・目が覚めてしまうと・・・いつもの診療寮の格子天井が・・・わたくし、寂しくなってしまいます。

隣の身換得(ミカエルって読んで下さい)も心配そうにわたくしを見て『わん』と言ってくれますが、やはり兄上様には適いません、気休めでしかないようです。兄上様、わたくしは兄上様にお会いしとうございます・・・

しかし、そのためには一日でも早く、この体を治して元気になった姿で、兄上様にお会いしとうございます。見ていて下さい。兄上様。

鞠絵より   かしこ

「ふう、書き終わりました。」

改めて決意を固め、筆を置いて文を畳んでいたら、身換得がしっぽをいっぱい振ってわたくしの小袖を引きました。どうやらどなたかが来訪したようです。

そう、この身換得の仕草は・・・

「鞠絵、見舞いに参った。元気そうじゃないか。」

わたくしの一番の特効薬、兄上様・・・

「診療の翁から聞いたぞ。好い日和じゃないか、牛車を支度して置いてよかった、内裏を案内して進ぜよう。散歩がてらにな。鞠絵。」

兄上様の笑顔はわたくしに元気を分けて頂けます。わたくしは精一杯に答えました。

「はい、兄上様。」

夢がこんなに早く叶うなんて、わたくし、どうしましょう・・・

兄上様と二人、牛車に揺られ、お内裏に向かいます。兄上様はわたくしの身を案じて同じ牛車に乗っておられます。身を寄せ合っているせいか、兄上様のぬくもりと、息遣いまでこんなに近くに感じます。わたくし、こんなに胸がどきどきして・・・兄上様に聞こえてるのではないかと心配で、思わず俯いてしまいました。

「大丈夫か?辛いのか?顔が赤いぞ。」

兄上様はわたくしの様子に気が付いて、肩を抱いて下さいました。

ああ、もう兄上様のいじわる・・・でも、とってもいい気持ち。

「いいえ、兄上様のお薬が効いているのでございます。どうぞお気になさらずにこのまま・・・」
「余が薬とな・・・なるほど。元気な、かわいい鞠絵を見るには余が側にいるのが一番と言うわけか、時間の許す限り幾度と無く見舞ってやろうぞ。良いな、鞠絵。だがな、これだけは約束してくれ、決して無理だけはせぬこと。」
「わかっております。兄上様。」
「これは余と鞠絵だけの約束、秘密じゃ。」
「畏まりました。」

わたくしは嬉しくてつい兄上様の胸におすがりしてしまいました。兄上様とわたくしだけの秘密の約束。牛車の中での二人だけの・・・

「もうすぐ内裏じゃ、ご覧、鞠絵、皆も待っておるぞ。」

兄上様が牛車の御簾を上げ、窓から指し示した先には、花の穂ちゃん、可憐さん、白雪ちゃんがこちらに向かって手を振っておりました。

これから夢のお散歩の始まりです。

兄上様、わたくしは頑張ります。兄上様との約束を守って・・・


弱き身の 思いは深く いたわりつ 兄と交わした 秘し誓い
いつかは駆ける 手を繋ぎしも


段の四 鞠の上 終幕