平安兄氏絵巻


段の八 雛の遊

あ〜、おにいたまだぁ!と遊ぼう!くししし・・・

昔々あるところに
ちっちゃなちっちゃなお姫様がいました。
お姫様はお遊びが大好きで
いっぱいいっぱい遊びます
かけっこ 蹴鞠に かくれんぼ
かるたに 羽根突き おままごと
普段は御付やおねえたま
今日はちょっぴり特別です
おにいたまと一緒です・・・くししし・・・

「姫さま〜、姫さま〜、どちらにおわします〜!」
「ヒナはここだよっ!くししし・・・」

御付の侍女たちが館の中で主の姿を探していました。当の主はいつものかくれんぼだと思い、あちらの植え込みや、こちらの柱の影に逃げ隠れています。お陰で侍女たちは朝からへとへとです。

「姫さま〜、もう・・・本日は兄氏様が御出でになられる日だと言うのに・・・」

侍女の一言は小さな主の気持ちを掴みました。満面の笑顔で柱の影からひょこっと顔を覗かせます。

「え?おにいたまがくるの?」
「はい、ですからお着替えを・・・」
「やったあ!おにいたまがくるんだあ!そっかあ。じゃ、ヒナ、お着替えするっ!」

自分の名を”ヒナ”と言うこの館の主は”雛子”、兄氏の妹の中でも末っ子である。ころころとよく笑い、元気一杯の無邪気な、そしてちょっぴりおしゃまな姫君である。

侍女を通じて兄氏は本日の来訪を雛子に伝えていたのだが、遊びに夢中の雛子はすっかりその事を忘れていたようで、初めて知ったような表情でぴょんぴょんと跳ねている。その格好は朝に起きた時の寝巻きの襦袢一枚だけだったので、裾の乱れはあられもないとしか言いようの無いものであった。しかし兄氏の来訪は動かしがたい事実であり、雛子はその事を把握したら、侍女に従い、自室の衣裳部屋に向かった。

「こちらにお着替えください。」

差し出された上衣は赤地に桃の花が散らされて縫い込まれている紗の生地のものだった。

「それ、ヒナ、イヤッ。」

雛子はいつもなら侍女に従い、差し出す上衣に袖を通すのだが、今日は違っていた。差し出されたものは雛子のお眼鏡に適う物ではなかったらしい。ほっぺをぷっと膨らませて、ぷいと横を向いてしまった。

「おにいたまに会うんだもん、そんなお着物、だめっ!」

雛子には兄氏に会う時の着物について、幼いながらもこだわりがあるようだ。

次々と差し出される可愛らしい絵柄の上衣も、全て無視。すっかり侍女たちは凹んでしまっていた。

「ヒナはね、いっぱいいっぱいおにいたまとお遊びするの!ぶーーーっだ!」
「姫さま、そう申されましても・・・」

そう、侍女たちにはこのとき、雛子の考えに全くと言って気付いてはいなかった。

「そのお姿のままではお会いになることは出来ませんよ、さあ、お召し替えを。」
「いやいや!」

相変わらず駄々をこねている雛子と、侍女たちの押し問答は続き、その騒ぎを聞いていた母君はついにその腰を上げることにした。

「何ですか?この騒ぎは?」
「おかあたま・・・」

すっかりむくれた雛子は俯いて肩をぶるぶると震わせている。

「本日は兄氏皇子将之様が御出でになるのは分かりますね。」
「うん、ヒナのダイダイ大好きなおにいたまが来るの・・・。」
「で、何が気に入らないのかえ?侍女の長、申してみよ。」

侍女の長は今までのいきさつを母君に包み隠さず伝え、どうしたものやらと考えあぐねていたことを告げた。
それを聞いて母君は穏やかな笑顔で雛子に告げた。

「では、雛子、お前の好きなものを選ぶがよいでしょう。さあ、どれが雛子のお気に入りかしら?」

母君の言葉に、少し元気を取り戻した雛子は、箪笥の引き出しをパタパタと開け、数点の衣を抜き出した。

はたして雛子が選んだものとは・・・

袖の裄が短く、袂を紐で絞った上衣と、袴のようであるが、丈は膝丈、更に組紐で裾を絞った、今で言うところの”ぶるまぁ”に似た形の下穿きを取り出したのだった。これには母君を始め、侍女たちも目を丸くした。

「ヒナ、これがいい!」

その場にいるほとんどの人は自信に満ちた雛子をよそに、腰を抜かさんばかりである。

「そのようなお姿では、大切なおみ足にお怪我を召されますよ。お膝を擦り剥いたり、草で切られたり・・・」

侍女の一人は心配そうに声をかける。雛子は得意そうに言う。

「大丈夫だもん!ヒナ、痛くっても我慢するんだから。ヒナはげんげん元気だもん!」

気丈に振舞う雛子の様子を見て、母君ははっとしたのだ。

それは以前、兄氏が来訪し、ひとしきり楽しい時を過ごした時の事、雛子は鬼ごっこの最中に庭の石に躓いて転んだ拍子に、当時お気に入りだった薄黄色の蝶の柄があしらわれた着物の裾を、薔薇の枝に引っ掛け、ちょうど蝶の柄の部分であったため、蝶が二つに切り裂かれた状態に裂いてしまったのだ。

「ちょうちょが・・・ヒナのちょうちょが・・・ぐすん・・・」

今にも泣き出しそうになる雛子を、兄氏は他へ興味を抱かせるようにして優しくなだめ、とりあえず楽しい時間を過ごしたのだが、兄氏が帰宅した後、やはりお気に入りの着物への未練は断ち切りがたく、その日の夜、厠へ起きたその帰りの雛子は、蝋燭の光がうっすらと漏れている衣装部屋の前を通った。

「何だろう・・・」

少しばかりの襖の隙間から雛子は中を覗き込むと、その中では、侍女の長を始めとする侍女たちが雛子のお気に入りの着物を繕っていたのだった。

「長・・・ヒナのために・・・」

その様子に涙する雛子の様子を優しい微笑でそっと見つめる母君の姿があった・・・。

はたして見事に修繕された雛子のお気に入りは、雛子へのお披露目の時以来、侍女たちへの雛子のささやかな労いと感謝の気持ちを込めたまま、箪笥の奥で眠りについている。

その時の事を思い出して、母君と侍女の長はもしやと思っていたのだ。

侍女たちは必死にお役目を果たそうと必死で、雛子の説得に再び挑む。そして雛子はついに本心を口にした。

「ヒナ、ちょうちょさんみたくしたくないもん!ヒナのせいでみんなおねむおねむにしたくないもん!いっしょうけんめいちょうちょさんなおしてくれたの、ヒナ知ってるもん!だからヒナはこれでおにいたまとあそぶんだもん!」

それは雛子の自責の念と、侍女たちへの感謝の気持ちが込められた雛子なりの言葉だった。

「雛子・・・やはり・・・」
「姫さま・・・」

その場にいた者たちは自分達の行いに感謝をしている思いと、ものを大切にしようとする思いを改めて感じ、中には感涙に咽ぶものまで出る勢いである。

「雛子、いいでしょう、今日はそれを着て、思いっきり兄氏様に甘えていらっしゃい。さあ、みなさん、雛子にそれを着させなさい。早くしないと兄氏様がお見えになりますよ。」
「はい。畏まりました。」

母君の一言で、活気を取り戻した侍女たちは、雛子の選んだ着物を着付けると、歓迎の仕度に移った。雛子はと言えば、自分の気持ちを吐き出した事によってすっかり機嫌も直り、身軽になったその格好で、元気に庭を駆け始めていた。

「ようし、これでおにいたまとあそべる〜、くししし・・・」

その様子を母君と侍女の長は微笑を絶やすことなく、穏やかに眺めていた。

「姫さまがあのように思っていてくださるなんて・・・」
「成長しているのですよ、雛子は雛子なりに。これからも頼みましたよ、長。」
「この身に代えましても。」

半時ほどして、館に衛兵の声が響き渡った。

「権中将、兄氏皇子将之様の御成り〜!」
「あ!おにいたまだ!」

続いて待ちきれなかったかのような声と同時に、大好きな兄氏の元へ駆け出す雛子の姿があった。

その日の館には、雛子の元気な笑い声と、侍女たちの微笑と溜息、そして失神者が絶える事は無かったと言う。

「どうしたのかな?おねえたまたち、ちょっと変だよ?」

それは大人になったらわかるよ、雛子くん。(汗汗)


幼な胸 痛めし時の その想い 告げて晴れたる 夜なべ針
遊ぶ雛子の 育みうれし


段の八 雛の遊 終幕。