トーマスはパソコンに向かって何やらキーを打ち続けている。ピーッと言う電子音の後、ディスプレイには麻衣の顔写真と何やらデータのような文章が表示されている。その顔写真は高校時代の麻衣で畏まった表情だった。
トーマスはディスプレイを指でなぞりながらそれらを読み上げてゆく。
「谷山麻衣。生まれ:日本東京。所属:SPR日本分室。所有能力の分類:ESP。不安定ながらも霊視、浄霊、除霊能力あり……か」
トーマスはディスプレイからソファで昏々と眠る麻衣を見、そして麻衣の隣できょとんとしている優人を見た。優人は麻衣の服を引っ張ったり手を叩いたりと麻衣の注意を引こうとしている。
「父親は破格のPKの持ち主、母親は不安定ながらもESPを有している。……ならば息子は一体何の能力を持っているのだろう? なあ、坊や」
冷たくそう呟いてトーマスは優人に近寄り抱き上げた。いや、抱き上げたと言うよりは抱え上げた言う方が良いだろうか。なんの気配りもない乱暴な扱いに優人はトーマスの腕から逃れようと体をひねり麻衣に向かって手を伸ばす。
「まー! まーあ!」
「大人しくしていろ、僕は何よりも子供が嫌いなんだからな」
「ま〜あ、あ〜〜、や〜〜!!」
激しく泣き出した優人にトーマスは舌打ちをした。
「くそっ、貴重なサンプルじゃなければ、首を捻ってやるのに。忌々しい、眠らせる訳にもいかないし……。そうか口を塞げば良いんだ」
ふと思いついてトーマスは戸棚からテープを取り出した。無理矢理口を閉じさせて外れないように何度も何度も執拗にテープを貼り付ける。
顔を真っ赤にさせて涙をぼろぼろ流しながら優人はそれでもうなり声を上げていたが先程より気にならない声だった。
「データを取り終わったら外してやるから大人しくしてるんだな」
言葉も通じない乳幼児相手にトーマスは冷ややかに話し掛け、戸棚から電極やらチューブやらを取り出した。手慣れた手つきでそれらを優人に施してゆく。全ての作業が終わると、好奇心を抑えられない笑いを浮かべて呟いた。
「さあ、坊や、期待通り面白いデータを見せておくれよ」
計測を始めた途端、計器の針が勢いよく跳ね上がった。
「……ねえ、ナル、麻衣ちゃん達遅くない?」
「え?」
「だから、麻衣ちゃんと優人君よ。二人がこの部屋を出てからもう20分近くになるんだけど」
まどかの言葉にナルは資料から目を離して顔を上げた。
「もしかして迷っちゃったのかしら?」
「いくら麻衣が馬鹿でも一本道で迷うか?」
言われてまどかはしばし考え込んだ、そして思いついたとばかりにポンと手を打つ。
「ん〜〜〜、じゃあ、ナルの信者にとっ捕まって色んな事を根ほり葉ほり聞かれてるとか……はどうかな?」
「……」
「研究所内でも日本語出来る人間は、数は少ないけど、居ない訳じゃないでしょ?」
「……ったく世話の焼ける」
深々と溜息を吐いてナルは立ち上がった。その時警鐘にも似た響きが頭の中に叩き込まれた。
「!」
「? ナル? どうしたの?」
唐突に動きを止めたナルの様子を怪訝に思ったのか、まどかは顔を覗き込む。ナルの秀麗な額から汗が一筋流れ落ちた。
「優人?」
「ナル、ねえ、どうしたの? 優人君がどうしたって言うの!?」
まどかの問いに答えずナルは優人から突然繋がれたチャットに意識を集中する。脳裏に響くのは火がついたような優人の泣き声。
(こんな泣き方は僕が手を滑らせて床に落とし掛けた時以来だ。麻衣がこのような泣き方をさせる筈がない。だが、いつもなら少しでも優人をあやす麻衣の声が聞こえてきても筈なのにそれすらない。そうできない状況に麻衣が陥っているのか? 優人! 優人! 聞こえるか!? 優人!)
ナルが優人に向かって話しかけた。
「? なんだ? 急に静かになったぞ?」
計測結果に見入っていたトーマスはふと心配になって優人をみた。もしかしたら酸欠状態になっているかも知れないからだ。だが、優人はあたりをきょろきょろ見回していた。
「? 何か探しているのか? ……まあ、静かになったんならテープを外してやるか。死なれたら元も子もないからな」
また泣き出さないようにと慎重な手つきでテープを外す。
「なーう、なーう。まーあ、なー、なーう!」
意味不明の言葉に首を傾げながらもトーマスはこれ幸いと計測を再開した。
「トーマス=ウォルター!?」
「えっ? どうしたの? ねえ、ナルってば!!」
業を煮やしたまどかがナルの肩を揺さぶった。
「……どういう経緯かは判らないが、優人がトーマス=ウォルターのラボに居る」
「トーマス=ウォルターの……って、ナル!」
ナルはすぐさま部屋を出てトーマスの研究室に向かった。その間もチャットは繋がっており、トーマスの声が聞こえてくる。
「何だ? この波形は……。どこかで見た覚えがあるな……。えーとあれは……」
言ってトーマスはディスプレイに向かう。
その時ちらりと見えたトーマスの目はナルにも見覚えのある光を宿していた。
そう、人を人とも思わない研究者の目。昔は自分もこの目に晒されてきたのだ。不意に怒りで体温が上昇する。
階段を駆け上り、トーマスの研究室の前に到着したナルはカードリーダーに自分のIDカードを通した。カードリーダーは2、3度緑のランプが点滅した後、ピーッと鳴って赤いランプが灯る。
「な!?」
トーマスのセキュリティレベルはナルの下である。なのにナルのカードは拒否されてしまったのだ。確かに分野の違いはあるもののナルに関しては問題外の筈だった。もう一度やっては見たが結果は同じだった。
「ちょっと、ナル。一体どういう事よ!」
「まどか! まどかのカードを通してみてくれ!」
「え?」
「早く!!」
「う、うん、」
言われてまどかは自分のカードを通した。しかし、結果はナルと同じ。
「嘘! 私のセキュリティレベルはレベル4なのよ!」
「……まどかでも駄目なのか」
「勝手にセキュリティプログラムを変えてるってゆうの? わ、私セキュリティルームに行って来る」
「ロック解除に時間が掛かりすぎる」
「だって! 他に方法無いじゃない!」
「ぶち破る」
一瞬まどかの頭が真っ白になった。
「って、人の力でぶち破れる筈無いでしょうが!」
「チャージしてみる。まどか、水を用意してくれ」
「チャージって……、ジーンがここに居るの?」
「いや」
「じゃあ一体誰と……」
その問いにナルは答えない。
「さっきからずっと思ってたんだけど、ナル、あなた、一体誰とチャットしてたの?」
その問いにもナルは答えない。
「まさか優人……君?」
「……まどか、掌が熱を帯び始めた。早く水を。まどか!」
強い調子で言われまどかは我に返ったように給湯室に向かって走り出した。
勿論このチャージは初めての試みであった。初めの内は返ってきた光はほんの僅か増幅されるだけであったが、根気よく続けてゆく内に次第に増幅する量は増えてきていた。勿論熟練したジーンほど増幅されて戻ってはこないが今はこれで充分だろう。
(おそらく訓練次第でジーンと同程度のレベルにはなるだろうな)
そう思いながらナルはまどかが持ってきた水桶に手を浸した。
そして水桶の水が熱くなるまで3分と掛からなかった。既にこのドアをぶち破るのに十分な力が貯め込まれている。
徐にナルは扉に手を当て、そして蓄えた力の全てを解放した。 |
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