はじめちゃんが一番
Cecilia ExtraTrack 3
 課題を始めて一月余りが経った頃、はじめは完全に様相を変えて机に向き合っていた。目の前には幾枚ものデザインが散らばっている。描いては消し、消しては描きを繰り返す様子はただただ悲壮感に包まれていて見る者に息を呑ませるものだった。
  前田のお達しもありM2デザイン部の協力を得て課題など楽勝で片付けられると思っていたはじめだがそんな甘えた考えはたった一人の言葉で完膚無きまでにたたきつぶされたのだ。
  確かに論文はすぐさま終わった。参考文献を借り受け、要領良く纏め、規定の枚数まで力業で持って行った。だが良かったのはそこまでだった。
  勿論はじめは気を抜かず次の作業、デザイン画を起こした。「出来上がった見せてご覧よ」と言うデザイン部チーフデザイナーの好意に従って出来上がった改心の作品をM2のデザイン部に持って行って検証して貰ったのだ。
  M2主要タレントの衣装を一手に引き受けるチーフデザイナー松織ははじめのデザイン画を一瞥してこう言った。
「つまんない服」
  返ってきた言葉はそれだけだった。
「え?」
  はじめは訳が分からず松織を見返す。だが松織は興味が失せたと言わんばかりに席を立ち上がった。
「ま、松織さん!?」
「あのね、社長から言われてるから見てるわけだけどさ、落書き見てる暇は無いの。悪しからず」
  手をヒラヒラ〜と振って松織は部屋を出て行った。後に残されたのは呆然と佇むはじめのみ……。
「……落……書き」
  口にして漸く意味が頭に浸透してくる。途端に一瞬にして頭に血が上る。
「ひ、ひ、人の精魂込めて作り上げたデザイン画を落書きですってぇ〜〜〜〜〜!?」
  松織の酷評ははじめにショックを与えるよりもやる気を与えたらしい。
「見てろ! 松織孝之助!! 絶対に! 何があっても! あんたにギャフンと言わせてやるんだからね!!!」
  はじめの雄叫びはM2に響き渡ったのは言うまでもなかった。  しかし、ギャフンと言わされたのは他でもないはじめであった。

 雑誌を読みあさり、研究に研究を重ねて出来上がったデザイン画をみせれば、
「ありきたり」
  と一刀両断。
  それではと少し奇抜に走ってみれば、
「ありえない」
  と一刀両断。
  前例を踏まえてみれば、
「パクり」
  と一刀両断。
  挙げ句の果てに松織は心底うんざりしたように、こう言ったのだ。
「ちょっと聞くけどさ、岡野サン。この服さ、一体誰が着るって言うの?」
「!」
「誰が着るの?」
  再度繰り返す松織にはじめは歯を食いしばって俯いた。勿論はじめの中では言いたいことが渦巻いているのだが何を言っても一蹴されそうで一つも口をついて出てこない。
「誰も着ない服なんか何着作ったってさ資源の無駄だよ」
「!」
  顔を上げたはじめは真っ向から松織を睨み付けた。しかし松織は飄々とその視線を受け止めている。
「泣かないでくれる? まるで僕が虐めてるみたいじゃないの」
「っ…………」
  悔し涙が浮かびかけたはじめは唇を噛み締めた。
「大人し〜く留年して一年生からやり直した方が良いかもね〜」
「!」
  にっこり笑ってそう言う松織にはじめはもう物も言わずに飛び出していってしまった。
  その様子を見送った松織は「はぁぁぁぁぁ」と重いため息を吐き胃の辺りに手を当てた。
「やあ」
  松織は突然掛けられた言葉に驚いて顔を上げる。
「社長! いらしてたんですか!?」
「ずっと外で聞いていたんだよ」
  いたずらっ子の表情で前田はウインクした。返す松織は「嫌なとこ見られたなぁ」と額に手を当てている。
「どうだいはじめ君は」
「ガッツは有りますね。負けん気も強いし。でも……それだけです」
  松織の言葉に前田は沈痛な面持ちを浮かべる。
「使えそうかい」
「どうでしょう? あの手の性格は一皮剥けるのに時間は掛かりますから。よっぽどの転機が無い限り無理なんじゃないですか?」
「手厳しいな。松織君は」
  破顔して前田ははじめが持ってきて、そして忘れて返ったデザイン画を手に取った。少しばかり目を眇めてじっくりと見た後、ポツリと呟いた。
「……確かに余地有りだね」
「はい……」
  前田にも判るはじめの欠点。しかし当のはじめが気付きにくい欠点。
「まあ、宜しく頼むよ。それとお手柔らかにね」
「…………はい」
  前田の言葉に松織は小さな笑みを浮かべ、小さく頷いた。

 

 そして話は冒頭に戻る。ひたすらダメだしされてはじめはデザインを描く事に怯えを抱きつつあった。何を描いても、何を想像しても松織に一蹴される。嘲られる。
  怖くて怖くて鉛筆を握ることさえ苦痛だった。だが投げる事も出来ない。やらなきゃいけない。留年なんて以ての外なのだ。
「もういや…………!」
  はじめが髪を振り乱したとき……

 ジリリリリリン ジリリリリリン

 電話が鳴り響いた。
「!」
  ビクリと肩を震わせたはじめは怯えた目で電話を見ている。しかし無視することも出来ず恐る恐る受話器を取った。
「はい、岡野です」
  勇気を振り絞って出たというのに相手は名乗りもしない。怪訝に思って受話器を見てみるがそんなもの見てみた所で相手が判るはずもない。
「もしもし? どちらさまですか?」
  少しばかり苛立ちを込めて誰何するがそれでも相手は名乗らない。
(もしかして馬鹿どものファインかしら??)
  そう思った途端に怒りが湧きだして「弟たちならまだ帰ってませんからね!」と怒鳴りつけて電話を切ろうとした。その瞬間────。
『はじめちゃん!』
  聞き覚えのある声が受話器からこぼれ落ちた。
(…………え?)
  あり得ない、でも懐かしい声を聞いてはじめは呆然と受話器を見ている。受話器からはまた『はじめちゃん……ゴメン、あの』と覚束ない声が聞こえてる来る。
(まさか…………)
「江藤さん?」
  恐る恐る問い掛けてみたが相手は答えない。間違えたのだろうかと、いや、そんな筈はないと思いながらもう一度問い掛けてみる。
「江藤……さん?」
『会いたい』
「え?」
  返ってきたのははじめが求めた答えではなかった。でも亮であることは間違いないだろう。
『会いたい。会いたい。会いたい!』
  亮はただひたすらそう繰り返していた。そう繰り返す度にはじめの胸がどうしようもなく痛んだ。
「え、江藤さんっ?」
『会いたいっ! はじめちゃんに……!』
(江藤さんが…………泣いてる!?)
  受話器越しに聞こえる声は間違いなく震えている。驚いたはじめは何か言おうとしたが言葉が喉に張り付いてただ口が空しく動くだけだった。
『………………ごめん』
  重々しい沈黙は亮によって破られた。その声音は先程の激情とは打って変わった静かな声だった。
『ごめん、みっともないね。ごめん』
「………………………………………」
  ただ止めどなくはじめの双眸をから涙がこぼれ落ちる。それでも黙ったままのはじめを訝ったのか亮ははじめに声をかける。
『は、はじめちゃん?』
「わたしも……会いたいよ」
『え?』
「わたしも、江藤さんに会いたい……」
  心の底からはじめはそう思った。松織に全てを否定され、自分が本当は誰からも必要とされない人間なのではないかと思い始めていた。でも亮がそんな不安を吹き飛ばしてくれたのだ。こんなどうしようもないちっぽけな自分に声を震わせて『会いたい』と言ってくれたのだ。
  会って思い切り抱きしめて欲しい。
  会って自分は必要な人間なんだと思い知らせてほしい。
  はじめはそう思い、そう願った。しかし心のどこかで誰かが『違う!』と叫んだ────。
『は、はじめちゃん』
  亮が何か言おうとしたときはじめは「でも。会えない──っ」と叫んだ。
『え?』
「ごめんなさい!」
  理由も言えずはじめは電話を切った。
つづく