はじめちゃんが一番!
Mrs. Robinson
#4

 はじめは誰もいない屋上で煌めく夜景を見るともなしに眺めていた。大声で泣き喚いた所為か幾分落ち着きを取り戻したらしい。
 だが、収録時に負った心の傷は未だズキズキと痛んでいたし、気持ちを重く沈んだままだった。
(どう好意的に見てもあたしと江藤さんじゃ釣合わないよね……)
 むしろ否定的な目で見れば……。

「ブスが調子に乗って出張ってんじゃねーよ!」

「身の程を知れっつーの!」

「お前なんかと噂になったら亮が迷惑だろっ!?」

それらは前田が席を外した直後、どこからとも無く聞こえてきた心無い言葉。
 だがそれらは彼女たちの心からの叫び────。

(嫌だ!)
 はじめは脳裏で木霊するそれを振り払うかのように頭を抱えて座り込んだ。
  心の傷が再び血を流し、痛みに耐えかねて涙が止め処なく流れ落ちてゆく。
 スカートにポツポツと涙が染みを作る。
(好きな人さえ傍に居てくれたら他には何にも要らないと思ってた……)
 祝福されない恋の辛さなど考えた事もなかった。
 元々夢見がちなはじめだからこそ、そんな逆境こそドラマティックな展開なのだと思っていた。
(なんて、なんて世間知らずなんだろう……!)
 亮との事が明るみになれば先ほどとは比較にならない大騒ぎになるだろう。それこそ恨み辛みも推して知るべしだ。
(痛いよぉ……)
 酷く胸が痛んで涙が止まらない。堪え切れずに嗚咽が漏れた時、背後で若干の軋みを上げて扉が開いた。
「!」
 驚いたはじめは咄嗟に顔を向けたが、涙で霞んでしまい誰だか分からない。
「……………………」
 その人物は無言のままはじめに歩み寄った。はじめは慌てて袖で涙を拭ってその人物を見つめる。
「え、江藤…さん?」
 はじめは呆然と近づいてくる亮を見ていた。
「やっぱり泣いてたんだね」
 間近に立ち止まった亮はしゃがみこんで視線をはじめに合わせた。そしてはじめに向かって手を伸ばした。が、触れる寸前にその手を止め、やがてゆっくりと空を握り締めた。
「……」
「江藤さん?」
 訝しく思ってはじめは亮の顔を覗き込んだ。
 夜の所為だろうか、幾分顔が青ざめて見えるがいつもどおりの無表情である。
「ごめんね」
 突然の謝罪にはじめは一瞬痛みも忘れてきょとんとした。だが、亮は小さく「ごめんね」と繰り返した。
「江…藤さん?」
 謝罪の意味が判らず、でも妙に鼓動が跳ね上がってはじめの声が震えた。その腕を掴もうと手を伸ばすが、避けられて空しく空を掻く。
 伸ばされたはじめの手を避けた亮はとても綺麗に笑った。
「別れよう」
「…………え?」
「別れよう。……今まで、ありがとう」
 穏やかな亮の言葉にはじめの目が真円になった。
「な、何を……」
「それだけが……言いたかったんだ」
 言って亮は俯き立ち上がった。
「江…藤さんっ!?」
「後の事は心配しなくて良いから、全部オレが何とかするから……」
(だからもうそんな風に泣かなくて良いんだよ)
 言葉に出せない思いを隠して亮は穏やかに笑う。一方はじめはあまりのショックにガクガクと体を震わせ始めた。
「な、な、なんで!? どうしてそうなるの!?」
「オレは事務所の先輩タレントではじめちゃんは後輩タレントのお姉さん。オレたちの関係はそれ以下でもそれ以上でもないんだ」
「わっ訳判んない事言わないでよ!」
「……」
「待ってよ!」
 亮が扉に向かって歩き出す。はじめは腕を伸ばそうにも震える体を支えるのが精一杯で引き留める事すら叶わない。
「あ、あたしの事が嫌いになったの!? か、関係ないって言ったから怒ってるのっ!? ねえっ! 何とか言ってよぉ!!」
 血を吐くような叫び声に亮は漸く立ち止まった。だが振り返らずにただ一言だけ囁いた。

好きになって───

        「ごめんね」

 それだけを告げて亮は扉の向こうへと姿を消す。軽い軋みとあっけないカチャンと言う音だけ残して扉は閉ざされたのだった。 ◇ ◇ ◇(オレ…ちゃんと笑えてたかな?)
  後ろ手に閉めた扉に凭れながら自問した。
  たった一分程の出来事はまるで夢の様だった。
(全部……夢だったら良いのにな……)
  激しい虚無感に見舞われてずるずるとその場にしゃがみ込んだ。そのまま冷たい床の上に横たわると自然に瞼が降りる。
(全部夢で……起きたら……いつもどおりで……はじめちゃんが……怒ってオレを……)
  ────亮は意識を闇へと手放した。
つづく