はじめちゃんが一番!
Mrs. Robinson
#5
 取り残されたはじめはただただ呆然と閉ざされた扉を見つめていた。何が起きたのか理解できない。──と言うよりは理解する事を拒んでいるというのが正解だろう。
(なんで? なんで? なんで?)
 その言葉だけがグルグルと頭の中を巡っていた。
「なーんちゃって」
 そんな風に、いつものように質の悪い冗談で有って欲しい。だが幾ら待っても望む人も言葉も与えられる事は無かった。
  不意に何かが、、、ストンと落ちた。
(あたし……振られたんだ)
 はじめは唐突にそう認識した。それは誤認識であったがはじめにはそうとしか採れなかったのだ。
(罰が当たったんだ。なんで、あたしがあんなコト言われなきゃならないのよ……なんて思ったから。ほんの一瞬でも江藤さんと別れたら良いのかもなんて思ったから……!)
 見つめていた扉があっという間に曇ってゆく。驚きで止まっていた涙が堰を切ったように溢れ出した。
(今更後悔したって遅いんだ……。江藤さんはあたしの心を見透かして、愛想尽かしていっちゃったじゃない。自業自得でしょ!? 何を泣いてるのよ! この卑怯者!)

 バチン!!!

「!」
 力の入らない腕と見くびったのか渾身の力で自分の頬を打ったはじめは余りの痛さに思わずクラリときた。
「…………い……ったぁぁぁぁぁ〜〜〜!」
 右を頬を抑えて蹲ったはじめはジンジンとした痛みに耐えていた。
(……こんな痛みが何よ……。こんなのほっときゃ3分で治まるわよ!)
 亮を失った痛みに比べれば屁でもないと言ったところか?
 不意に脳裏に亮が浮かび上がる。

  いつも事有る毎に自分を怒らせる亮。

  自分の作る料理をいつも美味しそうに食べ尽くす亮。

  人前であろうがなんだろうがやたらと引っ付きたがる亮。

  気が付けばいつも自分を穏やかな目で見守ってくれている亮。


  ズキン

 また胸が痛んだ。
 でもそれはただ痛いだけでない切なくて甘い痛みだった。
(イヤだ)
 はじめは思った。
(こんな形で別れるなんて絶対に、絶対にイヤ! )
 そう思った瞬間不思議な程に力が湧いてきた。
(だって、だって、こんなに好きなんだもの。こんなに、こんなに、胸が潰れそうに痛むくらい好きなんだもの……!)
 萎えた足に力を込めてはじめは立ち上がった。
「別れよう、はいそーですかって訳には行かないんだから!」
 さっきまでも暗く思い気持ちはどこへやら、やたらと臨戦体勢に入ってしまったはじめは鼻息も荒く、足音も高らかに扉に向かって歩き出した。◇ ◇ ◇ 勢いよく扉を開き、はじめは力強く一歩を踏み出した。

  ムギュッ

「ぎゃあ! なんか踏んだ!」
 叫んで足元を見ればそこには今まさに探し出そうとしていた人物が横たわっている。
「え、江藤さんっ!??」
 驚いてはじめは傍らに膝をついた。ピタピタと頬を叩いて意識を確認する。
「江藤さん!? 江藤さん!?」
 踏まれても微動だにしなかった人物がそんな生温いアプローチで目覚める筈も無い。
 ピクリとも動かない亮にはじめは一瞬寒気を覚えて心臓に耳を当てた。

  トクン……トクン……トクン……トクン……

 規則正しい脈拍にほっと息をついた。口元に耳を寄せれば安定した寝息が聞こえてくる。
「………………寝てるだけ……?」
 とりあえずほっとしたはじめだが途端にムカムカと怒りが湧き起こる。
(ひ、人を振っておいてすぐ近くで寝るか!? 普通っ!)
「……んのぉ。起きやがれ! このスットコドッコイ!」
 胸倉を掴み上げてバチバチバチバチンと往復ビンタを喰らわすと流石に「うっ……」と呻き声を上げて亮は目を開けた。焦点の合わない目で何度も瞬きしながらはじめを見る。
「は……じ…めちゃん…?」
「! ……」
 不覚にも声を聞いただけで嬉しくて泣き出しそうになってしまい、はじめは慌てて横を向いた。そんなはじめを心中も知らず、亮はふんわりと花も綻ぶような笑みを浮かべた。
「よかった……。やっぱり夢だったんだ」
「へ?」
「すっごい、イヤな夢を見たよ……。オレがはじめちゃんと別れる夢……」
「……」
 亮は起き上がるとそのまま困惑しているはじめを抱きしめた。
「ええええ、江藤さん!?」
「…………………………………………」
「江藤……さん?」
 抱きしめたまま固まってしまった亮にはじめはおずおずと声を掛けた。
「違う、あれは夢じゃなかった」
 低い声で呟いて亮ははじめから体を離した。
「え?」
「夢なんかじゃなかった」
 と繰り返して亮は俯き、そして顔を上げ、はじめをじっと見つめた。
「これが夢? オレの都合の良い夢?」
「江藤さん……」
「夢じゃない」と言う言葉は亮の唇で遮られた。
 ほんの一瞬のキス。
 僅かに離れて亮は呆然としているはじめを切なく見つめる。
「夢なら覚めなきゃいい……!」
「えとっ・・・・」
 いつものようなはじめを思いやるキスではなく、全てを奪い去るような荒々しいキスだった。
 逃れようとするはじめの後頭部を抑え、自分を押し返そうとする腕を掴み上げ、食い尽くすかのように亮ははじめの唇を貪った。
「は、はぁっ、……いっ、……やっ」
 亮が息を継ぐ僅かな合間にはじめは拒否を示すが当然の如く亮は聞き入れず、更にははじめを押し倒した。
 ショックと酸欠故に強引なキスにも関わらずはじめの抵抗はどんどん弱くなって行く。
 押さえていた腕を解放すると亮ははじめの服に手を掛けた──。
つづく