はじめちゃんが一番!
A Hazy Shade Of Winter #3

 ものの10分ほどではじめは買い物を終えて帰ってきた。それから食事の支度に取りかかる。ブラックホールのような胃を満たす為にはかなりの量を作らねばならない。下ごしらえは家で済ませてきたとは言え、出来上がるにはそれなりにかかる訳だ。
 料理の合間にリビングを見やれば亮はご機嫌な様子で赤ん坊と戯れている。
「……………………」
 その様子を見てはじめは小さく微笑んだ。
(江藤さんと結婚して子供が出来たらこんなかんじなんだろうなー)
 とそこまで考えて、一気に顔を赤らめた。
(な、な、あたしってば何考えてるのよ! あんな情緒常識欠陥男とけっ……結婚なんて!!!!!)
 だが一度浮き上がったビジョンはそう簡単に消えてはくれない。
(……でも……多分……きっと……子供が出来たら物凄く可愛がるんだろうな……)
 不意にはじめは妄想ゆめ世界へと陥って行く……。
「…………………………」
「ねぇ?」
「…………………………」
「はじめちゃん?」
「…………………………」
「…………………………うりゃ」
「! 冷た! な、いきなり何すんのよ? あんたわ!」
 何かというと超低体温の亮がはじめの喉に手を当てただけである。
「だってさっきから話しかけてるのに全然気が付いてくれなんだもん。はじめちゃん」
「心臓止まるかと思ったわ! もっとマイルドに気付かせりゃいーでしょーが!」
「……酷い」
「一体何なのよ!? だから!」
「……吹いてるよ」
「は?」
「お鍋が。さっきから」
「!!!! 早く言えよ! そう言う事は!」
 自分勝手にそう言い捨ててはじめは慌てて火を止め、煮くずれてないかと具を調べ、中断していた料理を猛スピードでこなし始める。そしてぼうっと傷付いている亮に肘が当たろうものなら
「もう! 邪魔なのよ、あんたは! ぼうっとしてんならあっち行ってて頂戴!」
 と、すげなく言い捨てる。
「……」
 今にも泣きそうな亮に気づき、自分の非も重々に承知しているはじめは小さく溜息を吐いた。
「もう少ししたら美味しいご飯が出来ますから待ってて下さいね」
 心持ち柔らかい声音で言われて亮はじぃっと、少しばかり怯えを宿してはじめを見た。
「……怒ってる?」
「怒ってませんよ。……さっきのはあたしが悪かったんです。ごめんなさい」
「よかった」
 ニッコリ笑って亮は正面からはじめに抱きついた時、背後の炊飯器がピピっと炊きあがりを知らせた。はじめは亮の薄い胸を押しやると人差し指を立てて言い諭す。
「でも、邪魔な事には変わりないんでとっとと向こうに行ってて下さい!」
「うん、わかった。でもなんか手伝える事ある?」
 正直はじめは弟達のお手伝い券ほど使えね〜と思っていた。
「はじめちゃん、今、物凄い『あんたの手伝いなんか要らない〜』って顔してるよ」
「え!? あ、あらやだあたしったら。おほほほほ! そんなことありませんよ!」
「オレ、一応家事は出来るよ。一通り」
「あ、そ、そうでしたっけ? じゃ、じゃあ重湯冷まして赤ちゃんに食べさせてあげてくれますか? 今出来ましたから」
「うん」
 手伝えて心底嬉しげな亮にはじめは小さく微笑んだ。
「えーとお布巾、お布巾は……っとあ、あった」
 濡らした布巾を片手に取って炊飯器の蓋を開けると炊きたての湯気が立ち上った。
「……何これ」
 亮は炊飯器の真ん中、炊きたてのご飯の中に置かれた茶碗蒸しの器を指さした。
「何って見ての通り重湯だけど」
「重湯ってこうやって作るの?」
「え、いや、こうするとご飯を炊くついでに重湯どころかおかゆも作れるんです。一緒に作ればその分の光熱費が浮くじゃないですか」
 常識ですよ、常識──と鼻を鳴らすはじめに亮は素直に感心して見せた。
「はじめちゃんって本当に物知りだね」
「え? あ、そ、それ程でも」
「節約に関しては」

  ピシッ!

「きさま! 話し方セミナーに通えと言っとろーが! 無駄飯喰らう前に行ってきやがれ!」
「え? なんで怒ってるの? 誉めてるのに」
「褒め言葉にしたきゃ最後に余計な一言付けんじゃねぇっ!!」
「え? 要らなかった?」
「要るか!」
 顔を真っ赤にして鼻血寸前のはじめの頭を亮はクスクス笑いながらポンポンと叩く。
「何なのよ!? その苛立ちを倍増させる笑顔は! あたしは怒ってるのよっ!?」
「いや、やっぱはじめちゃんて可愛いなって思って」
「なっ……」
 唐突な亮の言葉にはじめは絶句した。勿論顔は真っ赤なままだ。
「な、な、何をいきなり」
「だって本当に可愛いんだもん」
「や、やめてよ!」
「なんで?」
 亮は至極真面目に聞き返すと何とも答えられないはじめには先程までの怒りは消え失せ、行き場のない”照れ”だけが残った。逃げ出したいのに逃げられない。素直に甘えたいの甘えられない。そんな甘くてむず痒い葛藤がはじめを支配する。
 ……実はこれは亮のとっておきの方法なのだった。
 はじめが怒り出すと最終的には興奮しすぎて鼻血を吹く。それはあまり良い事ではないと思っているのでこうしてはじめの怒りを殺ぐのだ。
 亮がはじめの事を心底可愛いと思っているのは確かだし、可愛いと言われるとはじめは照れてしまってさらに、、、可愛くなるのだから亮にしてみれば一石二鳥なのである。
 そんな訳で亮は耳まで真っ赤にして俯いてしまったはじめをそうっと抱きしめる。それこそ壊れ物でも扱うように……。
 まだ恋人の抱擁に慣れていないのか腕の中のはじめは一度ビクリと引きつった。

  付き合い始めて4ヶ月……。

 お互い”超”が付くほど忙しい身の上でこのような雰囲気になる事さえ稀……と言うか皆無に近い。
 いつもならっここで五つ子たちの邪魔が入るのに今ある筈もない。それ故、正直亮は迷っていた。
(これからどうしよう)
と……。耳年増な相棒のお陰で色々そっち方面の知識はあるものの、事、情緒に関すれば無知に等しい……と言うか無知な人間である。
 本当の所、亮本人はこうしているだけでもかなり幸せなのだ。だが彼の相棒はそうは済まさない。なんせ初デートの時でさえ事細かにスケジュールを組んでくれたのだから……(実際は綺麗に忘れて楽しんでいたが)。
(別にいっかぁ。オレ達はオレ達のペースで進んでいけば……。はじめちゃんまだまだ固まってるし。瑞希の言うペースで事を進めてったら確実に出血多量で死んじゃうよ。はじめちゃん)
 そう言う結論に達した亮ははじめの耳元に唇を寄せた。
「ねぇ、はじめちゃん……」
「な! 何よ!」
 掠れた声で囁かれはじめは更に身を固くした。
「おなか空いた」

プシュ───ッ・・・・・

「ねぇ……」
「繰り返さなくていい! 今すぐ作るからあんたは赤ちゃんにこれ食べさせときなさい!」
 安堵が7割、落胆3割の複雑な乙女心を、はじめは怒声に隠して布巾でくるんだ器を押しつけた。
「はーい」
 相変わらずのクスクス笑いを浮かべながら亮はリビングへと姿を消した。 亮の姿が見えなくなって寂しい反面ほっとするのも正直なところである。
 はじめはそんな自分に小さく溜息をつき、自分を良いように扱う亮に毒づく。彼の掌中で自分一人が藻掻いてるのがとても癪に障る。
(たった2歳しか変わらないのに……)
 勿論しっかりしているのは自分なのだが何か根本的…いや、人として根元的な所で亮は全てを見通しているかのような錯覚に陥る事がある。
 亮に対して今一素直になれないのは、一度でも勝っていると思った相手に負けを認め難いからだ。……まあ、実際は一度も勝った事などないのかもしれないが。
 さておき、漸く料理も終わり、はじめがリビングに行くと、すっかり重湯を食べ終えた赤ん坊を亮が寝かしつけている最中だった。その中々堂に入った様子にはじめはポカンとする。
「……慣れてるんですね。赤ちゃんの扱いに」
「瑞希と二人で操ちゃんのお世話してたからね。オムツだって変えられるよ? オレ」
「……なるほど」
 はじめは素直に感心し、無事に寝かしつけた亮は寝室へと姿を消した。
(予想外に育児に適応があったのね、江藤さんて。……まあ他人に対する愛情は訳が判らん程にあるわけだし……)
 テーブルに所狭しと料理を並べながらそんな事を思っていたはじめは戻ってきた亮をじぃっと凝視する。
「? オレの顔になんかついてる?」
「え? あ、いや、何でもないです。さ、さあ食べましょっ」
「うんっ、いっただっきま〜す」
 パンッと手を合わせるや瞬く間に料理は消えてゆく……。相変わらず見ているだけで腹いっぱいになる食べ方である。
「あのねー、いつも言ってることだけどもう少し味わって食べらんないのっ!?」
 最早2杯目のご飯に突入していた亮は口の中のものをゴクンと呑み込んでから、
「だって美味しいんだからしょうがないよ」
 と答えにならない答を返した。
「ったく……誰も取らないってのに」
 深々と溜息を吐きながらはじめは自分のご飯に箸をつけた。
つづく