「おはよ、瑞希」
「……はよ」
示し合わせたように二人はラジオ局の入り口で顔を合わせた。一方はこの世の春と云わんばかりの笑顔で、もう一方は苦りきった仏頂面だった。
(人の気も知らねーでこのヤロ〜〜)
少々浮かれ気味の足取りで隣を歩く亮を恨めしげに見る瑞希。そんな瑞希の視線に気付いた亮はニコッと笑う。エレベーターに乗り込んだのを幸いに瑞希は早速亮に噛み付いた。
「何なんだよ! その笑顔は!」
「瑞希」
不意に亮が真顔で向かい合う。たじろぎながらも瑞希が 「何だよ…っ!」と返すと。
「ディープキスって凄く気持ち良いものなんだね」
ズルッ ゴン…ッ!
「オレさ、ディープキスなんてやたらとねっとりしてるもんだと思ってたんだけど……。人の舌って意外にさらっとしてて暖かくて…………何してんのさ瑞希。何もない所で滑ってこけるなんて器用だね」
豪快に後頭部を強打ししゃがみこんだ瑞希にも暫く気付かず語りに入っていた亮だが気付けば少し呆れ顔で瑞希の傍らにしゃがみ込んだ。
「お……お前が突拍子も無く変な事言うからだろーが──っっ!」
「え? オレのせい? なんで? オレ、そんなに変なこと言った?」
「あ〜〜〜の〜〜〜な〜〜〜〜!!!」
自覚のない相棒の言動に振り回されるのは今更なのだが今回のは或る意味かなり強烈だったらしく、瑞希の頬は薄っすら赤らんでいる。
「お前っ! 人が心配してたって言うのにはじめちゃんと二人で何よろしくやってやがんだよっっ!」
「……………………てへっ」
「『てへっ 』じゃねーよっ! 『てへっ』じゃあ!」
と泣きながら訴え、ぜいぜいと肩で息をした後、瑞希ははぁ〜〜〜〜〜と大仰に溜息を吐いた。
「瑞希?」
「…………とりあえずホッとした」
言ってニヤッと笑う瑞希に亮は意味が判らず首をかしげた。
「オレも当事者だってのに頭に来て帰っちまったからな……。万が一にもお前らがケンカ別れでもしてたらどうしようって心配してたんだ」
「瑞希……」
瑞希の優しさが嬉しくて亮は瑞希の腕にしがみ付き、肩口に額を押し当てた。
「で、最後までいったのか?」
「……………………は?」
チーン
エレベーターが目的の階に到着すると瑞希は「詳しくはM2で聞かせろよ」と言って先に降りた。続いて亮ものてのてと降りるが不意にクスクスと笑い出した。
(瑞希ってば先走りすぎだよ)
当の瑞希は自分が笑われている事も知らず「早く来いよ〜」と待ってくれている。軽やかに横に並ぶと笑顔の亮をマジマジと見て「へっ」と呆れた表情をする。
「思い出し笑いするほど良かったってか? チクショー! 羨ましいねっ、コノッ、コノッ!」
肘でぐりぐり突付いてガハハハと笑い出す。
「……瑞希、今の顔親父さんにそっくり……!」
「や、やめろっっ! それだけは断じてっ、絶対に認めねーっっ!」
「……親子なんだし似るの当たり前じゃん。オレだってはじめちゃんに親父の話したら『さすが親子ね……』って感心されたんだから」
亮の妙に嬉しげな言葉に瑞希は(それって呆れられてるの間違いじゃねーの?)と心の中でツッコんでいた。まぁ、本人が喜んでいるなら別段掘り下げるべきテーマでもなかろう。
さすがベストコンビと言った所か、お互いがトンチンカンな所で勘違いして納得しているのだった。
◇ ◇ ◇
とっくの昔に日も改まった頃────。
「もしもし、はじめちゃん? オレ」
と亮はウキウキと電話を掛けていた。その表情は心底嬉しそうで6人はそれぞれの思いを込めて見守っていた。
「江藤さんってばすっごく嬉しそうだね!」
と、あつき。
「うん、『近来稀に見る』って感じだよね」
と、かずや。
「だっておうちで待ってくれてる人がいるって嬉しいものだもの」
と、さとし。
「今日はダンスリハだけだからって突然休むと言われた時には何事かと思ってたけど、そーゆー理由じゃしょうがないよな」
と、たくみ。
「……でも、これからはこんな風にオレ達より 江藤さんを優先していくのかな……。はじめちゃん」
なおとの涙混じりの言葉に4人が固まった。そして汗をたらして顔を寄せ合った。
「何言ってんだよ。お前らが率先して纏めた二人だろうが……。────?」
瑞希の言う通りなのだが、いざその弊害(と言う程では全くないが)が出てしまうと現金なもので寂しさが勝ってしまうのだった。
「だ、だって和田さん───」
「しっ」
あつきの言葉は瑞希によって遮られた。
「和田さん?」
瑞希は答えず、人差し指を口に当てたまま亮を見ていた。つられて五つ子達も亮を見れば亮はとても虚ろな目をしていたのだ。
「江藤さん?」
最早何も映していないその瞳に只事でないと悟った瑞希は亮の肩に手を掛けて揺さぶるがやはり亮からまともな反応は返らない。耳元から外れた受話器からははじめの声が漏れ聞こえている。
「もしもし、はじめちゃん。オレ、瑞希だよ。────うんそう」
力ない亮の手から受話器を奪い瑞希は事の次第をはじめに求めた。一方亮はフラフラと壁際まで歩いてその場に座り込んでしまった。
「江藤さんっ、どうしたのっ!?」
「江藤さんっ、はじめちゃんに何かあったの!?」
「江藤さんっ、江藤さんっ、 大丈夫!?」
「顔色真っ青だよ、江藤さん」
「ねえねえ、江藤さんっ、何があったの!?ねえってば!」
口々に五つ子が尋ねても亮は焦点の合わない目を見開いたまま小刻みに震えていた。
「えっ!? それ、マジッ!?」
「和田さん!?」
突如あがった声に 五つ子達の視線が瑞希に集中する。見れば瑞希はホッとしたように笑っていた。
「よかったじゃん! ──うん。───うん。さっすがはじめちゃん! ─────うんうん。─────亮?」
瑞希は横目でちらりと見やる。
「……かなりショック受けてるみたいだ。───うんうん。 OK、分かった。オレも一緒に行くよ。────うんうん。じゃ」
チンッと 瑞希が受話器を置くと待ち構えていたように五つ子達がわらわらと詰め寄る。
「「「「「何がどうなったのっ!?」」」」」
との異口同音の質問に瑞希は真面目な顔で「赤ん坊の親が見つかったんだ」と言った。
「え──────っ! すっげ─────っ! もう見つかったんだ!!」
と、あつき。
「よかったね、よかったね。赤ちゃんもこれで一安心だね」
と、さとし。
「一体さ、どうやって捕まえたんだろ? はじめちゃん」
と、たくみ。
「捕まえたって何だよ、たくみ」
と、なおと。
そして───。
「でもどうして江藤さんがショック受けてるの?」
と、かずやが核心を突いた。その問いかけに4人が「あ……」と声をあげる。
五つ子とて亮の複雑な生い立ちは知っているものの更に複雑な亮の精神事情までは知る筈もない。
世界で一番の理解者であると自他共に認める瑞希でさえ「???」と思う事が大方なのだ。
かつて深すぎる愛情ゆえ帰ってきた父親を殺したくなるほど憎んでしまった事があったなどと知る由もない五つ子達にはどう説明しても納得いかない筈である。
それ故瑞希は「色々あんだよ」とだけ答えて亮の傍らにしゃがみ込んだ。ふざけるべきでないと判断した五つ子達も黙って二人を取り囲んだ。
「亮──。亮、帰るぞ」
「……イヤだ」
「駄目だ。帰るんだ」
「イヤだ……っ!」
「亮っ!」
「イヤだ、イヤだ、イヤだ……」
繰り返して亮は俯き頭をを抱えて全てを拒絶し始めた。
「江藤さん……」
ここまで弱っている亮を目の当たりにするのは、実は初めてだったりする五つ子はオロオロと交互に二人を見ていた。
しかし元来短気で行動派の瑞希がいつ浮上するか分からない亮の精神状態に付き合うつもりは毛頭無く、胸倉を掴んで強引に顔を上げさせた。
「いいか亮。これはお前が蒔いた種なんだからお前が刈り取らなきゃならないんだ」
「………………」
「……よく聞けよ。はじめちゃんが赤ん坊の親を引き留めてくれてる」
「──え……?」
驚いたように、それでもゆっくりと亮は顔を上げた。でもその瞳は強い恐れを映していた。
「亮、あの赤ん坊はお前じゃないし、あの赤ん坊の親は蓮さんじゃないんだ! お前が脅える必要なんてどこにも無いんだよ!」
「……!」
そう力強く言われて漸く亮の瞳に生気が宿った。
「お前にはオレがついてるし、はじめちゃんだっている」
「「「「「オレ達だってついてるよ!」」」」」
瑞希に負けじと五つ子達も声を揃えた。
「……………………………」
亮は驚愕に目を見開いた。そして一人一人をじっと見回すと皆が笑顔で応えてくれる。
「────っ!」
涙が一筋、二筋と流れ落ち、亮は瑞希にしがみ付いた。瑞希も子供をあやすように優しくその背中をポンポンと叩いてやる。
暫くして落ち着いたのか亮は瑞希から離れてとても穏やかな顔で「帰る」と言い出した。
「よし……!」
「「「「「オレ達も行く! 江藤さんちに行く! 行きたい! 連れてって!」」」」」
いきなりの五つ子の言葉に瑞希は「はぁっ!?」と難色を示したが亮は純粋に側に居てくれる事が嬉しいらしく笑顔で了承した。当の亮が許している事に瑞希が口を挟める筈も無く、結局瑞希と亮は瑞希のBe-子で、五つ子は志賀のワンボックスで亮の家に向かったのだった。
つづく