男は16の瞳に凝視されてこれ以上は無い程に縮こまっていた。極度の緊張の為か顔さえも上げられず、ただ、腕の中にしっかりと赤ん坊を抱きしめていた。
ボサボサに伸びきった髪にヨレヨレの衣服。先程の覇気の無い声と良い、初対面なのに何となく男の人となりは推測出来た。
「──こちらが赤ちゃんの父親で大橋正治さん。──こちらが発見者の江藤亮さんです」
お互いだんまりでは埒があかないと間に座っていたはじめはとりあえず紹介を始めた。
亮は何の感情も伺わせない目で見つめている。男──正治ははじめの声にびくりと肩を震わせて更に身を固くした。
「──オレがあんたに聞きたい事は一つだけ。……どうして赤ちゃん捨てたの?」
「ち、違います! そそそ、それは誤解ですっ! つっ」
初めて正治は顔を上げ、痛そうに顔を歪めた。その顔にはじめを除く全員が驚愕に目を見張らせた。
「…………………………その……顔、どうしたんですか?」
そう、正治の左頬は人相が変わる程に晴れ上がり、痣が出来ていたのだ。瑞希に問われて正治は一瞬、ちらっとはじめを見た。
「「「「「「「…………………………」」」」」」」
一斉に見られてはじめは「だって……」と頬を赤らめ口を尖らせた。
「だってその人、警察で会うなり人の事誘拐犯だの人さらいだとの騒ぐんだもの……。あんまり頭に来たから思わず……」
「も、申し訳ありませんでした」
正治ははじめに平身低頭で謝った。もう既に強弱関係が出来上がっているらしい……。
はじめのパンチ力を、身を以て知っている五つ子達は妙に正治に対して親近感を覚えてわらわらと取り囲む。
「な、何ですかぁ!?」
声をひっくり返しながら涙目で正治は五つ子を見回す。
「あのね、あのね。はじめちゃんのパンチは正面から受けるとそう言う悲惨な事になるから」
「インパクトの瞬間に右にほんのちょっと身体を動かすといいですよ」
「ほんのちょっとだけだよ!? そうしないと大変な事になるんだから…!」
「あからさまに動くと間髪入れずに関節技が来るからなぁ……」
「めちゃくちゃキレーに入るから絶対抜けられないんだよなぁ……」
「はぁ???」
「あ、あんたたち! 何訳の分かんない事レクチャーしてんのよ! って、そこ! 江藤亮っ! メモを取るな! メモを!」
「え、だって、貴重な情報じゃん」
瑞希は声無く笑っている……。
「あーもう! 話が進まないじゃない! あんた達はすっこんでなさい!」
五つ子達はリビングの隅へと蹴り飛ばされ、ご丁寧にガムテープで口を塞がれてしまった。
「で!」
はじめは鼻息も荒く仕切直す。「さっさと言え」と目で指示された正治は「はいっ、すみません!」と謝ってから亮に顔を向けた。
「あ、あの、本当に誤解なんです……!」
「……どういう事?」
「ぼぼぼ、僕は、あの時あの場に居たんです!」
「え……?」
亮は目を見開き、瑞希は訝しげに眉根を寄せた。
「……それって無事に拾われるまで見届けてたって事じゃないの?」
「違います! だから、僕はこの子をすてたんじゃないですってばっ! 信じて下さい!」
言っておいおいと泣き出す正治に、はじめは諦めの溜息を吐いて助け船を出す事にした。
「江藤さん、その時の事詳細に覚えてます?」
「え? ……うん、まあ」
「じゃあ、言ってみて下さい」
「……っと、場所は近所の児童公園で……雪が降ってた」
「うん。その公園には何がありました?」
「何って……その子が置かれてたベンチとブランコ、滑り台と……ジャングルジム……」
亮は指折り数えて「水飲み場と公衆便所もあった」と続けた。その時瑞希が「あっ」と声をあげた。
「まさか……」
はじめは小さく頷いた。
「その通りですよ瑞希さん」
「マジかよ……」
「許し難い事に……」
2人は頷き合っているが亮には皆目見当も付いていないらしく?マークを飛ばしている。勿論五つ子達も同様である。そんな亮にはじめは呆れたように答えを告げる。
「この人、トイレの中に居たのよ」
「えっ?」
驚いた亮はまだぐすぐす鼻を啜っている正治を見た。
「ぼ、僕、冷え性で……」
漸くそれだけ答えて正治は俯いてしまった。
「な……ッ! それだったら、なんであんな寒い所に……!」
「だ、だって、男性用トイレにはベビーベッドなんて無かったんです〜〜! 試しに洗面台に置いたら2秒で落ちかけて……」
ぐずぐずと涙混じりに正治は話し続ける。一方の亮は瞬きも忘れた様子だった。
「風邪引いちゃマズいと……、ありったけの着物を着せてたんです……。用足して、出て来たらもう、正悟は……この子は居なくて……」
「……つまりはどういう事?」
ガムテープを外した五つ子達が恐る恐るはじめに訊ねる。
「つまりは江藤さんの
早とちりって事よ」
「「「「「えぇ────っっ!?」」」」」
五つ子達の絶叫で目を覚ました赤ん坊──正悟が泣き始めた。
「あ、よ、よしよし。正悟ー、お父ちゃんだよー? ほらほらっバァー? ほらほら正悟の好きなおもちゃだよー? ほらほら泣かない泣かない。 ねー?」
と、さすがは父親と言った所か。即座にあの手この手で泣きやませた。そうして漸く落ち着いたのか正治はぼそぼそと語り出す。正悟を産んですぐに妻が亡く なった事。育児休暇を願い出た途端にリストラに遭った事。生活の為にバイトを6つ掛け持っていて、朝は丁度帰宅の途中だった事など……。
「なんて悲惨な……」
瑞希の言葉に、それでも正治は笑って見せた。
「でもこの子が居る事で僕は幾らでも頑張れるんです。一人だったらとっくに首括ってると思います」
それがこの情けない男が真実父親だと思わせるものだった。
「……った」
「亮?」
「良かった……。オレの勘違いで……。本当に良かった……」
言って亮はポロポロと涙をこぼした。
「亮……」
「江藤さん……」
はじめも五つ子も静かに涙を零している。
「そうだな、良かったな」
「うん、良かった……」
隣に座る瑞希に頭を抱かれて亮は何度もそう繰り返した。
つづく