はじめちゃんが一番!
人外魔境
 某月某日────WEの全国ツアーが終了した翌朝の事。
「はじめちゃん、オレお腹すいて死にそう…………」
  一本の電話に叩き起こされたはじめは不機嫌も露わに「だったらコンビニにでも買いに行きなさいよ!」とけんもほろろに怒鳴りつけた。
「大体、冷蔵庫に3日分の食事作り置きしてあるでしょ!!!?」
「食べちゃった」
「……は?」
「食べちゃった。オレ。昨日のうちに全部」
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」
  受話器の向こうにも聞こえるであろう大きな音で何かがブチンと千切れた。
「一時に3日分のご飯を喰らうな〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!」
  と、まあ近所に響き渡る怒号を叩き付けたわけだがその1時間後、はじめは恐らく一週間分に相当するだろう食材を携えて江藤家の前に仁王立ちしていた。
(信じられない、信じられない! 3日分よ!? どうやったらたかだか2〜3時間で食べきれるって言うのよ! あの胃袋ブラックホール野郎!)

  ピンコン ピンコン

  はじめの形相とは対極に位置した可愛らしい呼び鈴がなると……。
「はじめちゃん?」
  と言って亮が扉を開けた。そしてはじめを認めるや満面の笑みを浮かべる。
「〜〜〜〜〜〜〜〜あたしの名前を呼びながらドアを開けないでよ!」
  満面の笑みに照れながらも、仏頂面で不用意な亮を諫めて中に入り込んだ。
「凄い量だね。はじめちゃん重くないの?」
「重いに決まっとろーが!」
「ご、ごめん、オレ持つね」
  言って亮は慌てて荷物を受け取った。途端解放されてホッと肩を下ろしたはじめに、「うっ……」と詰まってしまった亮。そして感心したようにはじめを見る。
「何よ」
「はじめちゃんってやっぱり怪り……」
「さっさと奥に行きやがれ! この情緒欠落胃袋ブラックホール男!」
  はじめはゲシっと肉のない亮の尻を蹴り立てた。蹴られた亮は「ひゃひゃひゃ」と意味不明の笑い声を上げながら、そして左右にふらつきながら奥へと歩いていく。
「何が面白いのよ!」
「え? だって、こう言うの久しぶりじゃん」
  ふらつきながらも後ろを振り返った亮は心底嬉しそうにそう言った。
「!」
「はじめちゃんが相変わらずですっごい嬉しい。ツアー中は勿論会えなかったし、昨日ははじめちゃん忙しくて会えなかったし……本当の本当に久しぶりですっごい嬉しい」
「………………。あ、あんたも相変わらずだわ」
「嬉しい?」
「うううう嬉しかないわよ! 大体今日だってあたしは忙しいのよ! だから3日分の食事を作り置きしてたんじゃないの!!」
「う」
「それをいっぺんに食べちゃうって一体何なのよ」
「ご、ごめんなさい。でも、オレ、本当にお腹が減ってたから………………」
「もう良いわよ。それよりすぐに作るから台所に持ってってよ」
「う、うん」
  亮は少しばかりしょんぼりしながら大量の食材を台所に運び込んだ。はじめはエプロンを付けると腕まくりして猛然と料理に取りかかった。
「はじめちゃん、オレ……」
「手伝わなくて良いから向こうに行っといて!」
  台所の入口で所在なさげに立ちすくんでいた亮をずっぱりと切り捨てるはじめ。そして亮はクスンと指を咥えてすごすごとリビングに退散したのだった。
  リビングに戻った亮は大きなクッションを抱きしめながら料理の音に耳を澄ませる。
  まるで憎しみの籠もったような豪快な包丁の音。ぐつぐつと煮立つ鍋の音。何かを洗っている水の音。忙しなくはじめが踏むステップの音。取り出される食器の音。
  さっきまではただ遠くで街の音が聞こえてくるだけだったのに……。
  はじめが奏でる生きている音に次第に亮の瞼が下りてくる。



「江藤さん、江藤さん、起きてください。ご飯できましたよ」
  軽く揺り動かされて亮の意識が浮上する。重い瞼を押し上げるとはじめが心配そうに見ている。
「……あれ? オレ寝てた?」
「……そりゃもうぐっすりと」
「ご、ごめん!」
「良いですよ。ツアー明けた後なんですから疲れてるに決まってますから」
  ちょっと笑って肩を竦めてはじめは立ち上がった。
「お待たせしました。ご飯出来ましたよ」
「うん、ありがとう」
  言って起き上がる時、亮は自分に掛けられている毛布の存在に気がついた。はじめが掛けてくれた物に違いなく、忙しいのに自分を気に掛けてくれてる事が嬉しくて亮はにへらぁ〜と締まりのない笑みを浮かべた。
「な、なによ。気持ち悪い顔で笑わないでよ」
  仮にもアイドルに気持ち悪いと言うのは世界広しと言えどもはじめぐらいのものだろう。
「ひっどいなぁはじめちゃんは」
  それすらも嬉しくて亮は今度は極上の笑顔を浮かべた。
「……お、お腹すいてるんでしょ!? ぐだぐだ言ってないでさっさと食べなさい!」
「うん、いただきます」
  パンと手を合わせてから……怒濤の食事タイムが始まったのだった。
 
「ちょっと」
「………………」
「ちょっと!」
「………………………………」
「ちょっとってばぁ!!!」
「ん? ……何? はじめちゃん」
「何じゃないわよ! アンタねぇ大食い選手権やってるんじゃないのよ! 何瞬く間に平らげてってんのよ!」
「だって美味しいから……」
「そんなのが言い訳になるか!」
「お、お腹が空いてるから……」
「だったら尚更一口で50回噛みやがれ! 大体5合全部平らげちゃったじゃない!」
「え!?」
  はじめの言葉に亮は目を見開いた。
「え!? って何よ。え!?って」
「え……と、お代わり頼もうと思ってたから……」
「!!!!!! このバ………………!」
  怒鳴りつけかけてはじめははたと気がついた。いくら何でもこの食欲は以上だと言うことに。
「………………」
「は、はじめちゃん?」
  突然黙り込んでしまったはじめを亮は訝しげに、そして不安げに見つめている。
(……この男、本当に胃袋ブラックホールなのかしら????)
  不意にわき起こってきた疑念にはじめは立ち上がり、亮の傍に歩いて行った。
「はじめちゃん?」
「ちょっとごめんなさい」
  そう言ってはじめは亮の胃の辺りに手を当てた。
(………………って訳ないか)
  亮の胃は触っても判るほどに膨らんでいたのだ。
(って事は何? 満腹中枢がいかれてるの?)
  はじめは額に汗を浮かべながら高校の授業で聞いた話を思い出していた。満腹中枢を壊された生物は際限なく食べ続けると言うものだ。ちなみに空腹中枢を壊すと空腹を感じなくなるので弟たちの空腹中枢を壊してやろうかと常々思ってたのははじめだけの秘密である。
  さておき、何にしろ亮の食欲が異常すぎるのは揺るがぬ事実である。
「江藤さん、病院に行きましょう」
「え? え? え? 何がどうしてそうなるの?」
「だって! おかしいでしょ!? この異常な食欲! 胃がこんなに膨れ上がってるのにまだ食べ足りないなんて!」
「そうかな?」
「そうです!」
「でも、オレ、元気だよ?」
「それはアンタが判断する事じゃないでしょ!」
「でも、オレ、生命線が」
「二重三重有ろうが知ったことか! いい加減にしなさいよ! 人が心配してるってのが判らないの!?」
「………………」
  はじめの言葉にポカンとする亮。そしてまた気づかぬうちにはじめに心配を掛けていたのかと申し訳ない気持ちで一杯になってしまった。
「ごめん………………」
  言って亮は下唇を噛み締めているはじめをそっと抱きしめた。
  はじめの匂い。はじめの暖かさ。思えばこうして抱きしめるのも久しぶりの事だった。
「ごめん、はじめちゃん。ごめん……」
「良いから、病院行くわよ」
「うん……って、アレ?」
「? どうかしたんですか?」
  はじめは身を引いて亮の顔を仰ぎ見た。亮の額には脂汗が浮かんでいたのだ。
「江藤さん!? 大丈夫ですか!?」
「はじ、め、ちゃん。オレ……」
「江藤さん! 江藤さん!」
「どう……しよう……オレ……」
「どうしたんですか!? 江藤さん」
「オレ、お腹いっぱいだ………………」
「はぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」
「うわっ、苦しい〜〜〜」
「きゃあ!」
  言って亮はごろんと床に転がり込んだ。勿論、はじめ共々。
「ちょっと、江藤さん。何ふざけてるんですか!」
「ふ、ざけてないよ………………何だろ、急にお腹いっぱいになったよ。う……苦しい」
「な、な、何なのよ」
「やっぱ、アレかな?」
  思い当たる節があるのか亮がぜぇぜぇと喘ぎながら呟く。
「何なんです!? 何か思い当たる節でもあるんですか!?」
「んと……はじめちゃん抱きしめたから?」

「………………………………………………」

そんな訳あるかああああ!
「だって、それまでお腹減ってたのに、はじめちゃん、抱きしめたら、急に、お腹いっぱいに、なったんだぜ? それしか……考えられないじゃん」
  息をするのも辛そうな亮の様子にはじめは言いたいことを保留しておいて起き上がろうとする。が、亮はぎゅっと力を込めてはじめを強く抱きしめた。
「ちょっと、江藤さん!」
「ダメだよ、はじめちゃん」
「何がよ!」
「だって、はじめちゃんが離れて、いったらまた、お腹空くかも、しれないじゃん」
  本気でそう思っているのか亮は更に腕に力を込めた。
  (馬鹿な……)と思いつつも(この人ならあり得るかも……)と思ってしまったのははじめだけではないだろう。
  そしてこの腕の中に居ることがこれ程までに心地よくなければ薬を取りに行くなり、「自業自得よ!」と切り捨てることも出来ただろうに……。
  深々とため息を吐いてからはじめは亮の背中に手を回した。
「……はじめちゃん?」
  苦しそうに眉根を寄せている亮にはじめは苦笑を返す。
「ったく、しょうが無いんだから」
(あ〜あ、最近寒くなってきたから一日でも早くベスト仕上げたかったのになぁ)
  とりあえず、ベストはさておいてはじめは亮の背中を優しく撫でると亮は少しばかり安堵したように顰めていた眉を和らげた。
「ありがと……」
「いいから。大人しくしてなさいよ」
「うん」
  亮の吐息が寝息に変わる頃、はじめもホッと安堵の息をついて遠慮無く亮の胸にすり寄った。久々の幸福感を満喫しながらはじめも眠気を覚えて大きな大きな欠伸を一つ……。
(朝早くに叩き起こされたから眠い……)
  脇に置いてあった毛布を掛け、亮の無邪気で怖いほど綺麗な寝顔を見つめてからはじめも眠りについた。
  数時間後……亮の豪快な腹の音で目覚めることも知らずに────。  
おわり
お題「じ」でございます。
その名も人外魔境……亮君の為のような言葉だと思いませんか?(笑)
最初は全然違う話を考えてたんですがまるるさんのお話を読んでご飯がらみの話が書きたいなぁと思い生まれた次第です。まるるさん、インスピレーションありがとうございます。
そんな訳で、うちの亮君ははじめちゃんが居なければ満腹感も味わえない或る意味可哀想な人になってしまいました。
はてさて、この先どうなる事やら……(笑)