本作品はお題「い」の続編です。まずはそちらを先にお読み下さいませ。
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橘実咲とスタン=ヒューズの結婚式前夜──。
宛がわれた部屋ではじめは窓際に座って、アンニュイな様子で枠に肘を突き星空を眺めていた。
ロンドン郊外とは言え星の数は東京に比べれば格段に多い。その星空を見上げても出てくるのはため息のみ。勿論それは感嘆のため息などではない。 実咲は本当に亮のことをどう思っているんだろう。
そんな疑問がはじめの中でずっと渦巻いているのだ。
実咲は今でも亮の事が好きなのだろうか?
だとしたらスタンの事はどうなんだろうか?
結婚するからには勿論好きなんだと思う。
わき上がる疑念は堂々巡りになってはじめは明日の結婚式にどんな顔で出れば良いのか分からなくなってしまった。
そんな時──。
コンコン
「は、はい!?」
ノックの音に驚いてはじめは大きな声で返事した。
「はじめちゃん、あたし、実咲よ」
「実咲さん!?」
ノックの主が実咲だと分かってはじめは慌てて扉を開けた。扉の前に立っていた実咲は少し上気した顔をしている。しかも物凄く上機嫌の様だった。
「ど、どうしたんですか?」
「はじめちゃんとお話がしたくって!」
言って実咲は部屋の中に入り込んだ。
「実咲さん、もしかして酔ってます?」
「ほぉんの少しね。明日に支障が出たらやだしー」
実咲はソファーに座り込んでケタケタと笑っている。はじめは(少しじゃないんじゃないの?)と不安を覚えたがとりあえずは黙っていた。しかし実咲は鼻歌など歌っていて一向に話し出す気配はない。
「…………………」
「…………………」
はじめにとっては居たたまれない沈黙に耐えきれなくなった時────。
「み、実咲さん、あの……」
「ねぇ、はじめちゃんはどうして亮のことを江藤さんって呼ぶの?」
「は?」
はじめの言葉を遮った実咲の言葉ははじめを硬直させた。トロンとした実咲の目にははじめを追いつめる気は一切無いようだがそれでもはじめは息することさえ忘れたように目を見開いて実咲を見ていた。
「どうして? 瑞希の事は瑞希さんって呼んでるのに」
「あ、あの、それって……え、江藤さんから……」
「亮は関係無いわよぉ。あたしが疑問に思っただけ」
言って実咲はソファにごろんと寝転がった。はじめは突っ立ったまま実咲を見つめていた。
「二人は付き合ってるのに全然前と変わってないんだもん」
「…………………」
「なんか有るのかなぁって思ったの」
「…………………」
「なんか有るの?」
実咲の問い掛けにはじめはしばし沈黙し、そして頭を振った。
「無い……です」
「無いの?」
「はい……」
俯いたはじめを実咲は相変わらずトロンとした目で見ていた。
「もしかして照れてるの? 名前で呼ぶこと」
「!!!」
「ぷっ……」
言い当てられたはじめの顔が一瞬で真っ赤になったのを見て実咲は思わず吹き出した。
「はじめちゃんってば相変わらずキラキラなんだから……」
肩を震わせながら実咲はソファーのクッションに顔を押し付けた。
「……実咲さん、もしかして馬鹿にしてます?」
「まさかぁ! あたし、はじめちゃんのこと大好きなのに馬鹿になんかするわけ無いじゃない!」
ガバリと起き上がって実咲はそう言った。
「う……す、すみません」
「分かればよろしい」
勢いに押されて謝るはじめに実咲はうんうんと何度も頷いて、それからソファから起き上がった。
「実咲さん?」
「安心したら眠くなって来ちゃった。花嫁が結婚式当日に隈作ってちゃいけないわよね。部屋に帰るわ」
「安心したら????」
「そう、安心したの」
「何に安心したんですか?」
「さあ、何だろうね」
あいまいに笑って答えようとしない実咲はそのままはじめに近づいてギュッとはじめを抱きしめた。
「み、実咲さん!?」
「はじめちゃん、幸せになってね。はじめちゃんの幸せが一番の幸せなんだから……」
敢えて誰の幸せとは言わなかったがはじめには分かった気がした。そして実咲が未だに亮を思っていることも……。
「実咲さん……」
「あたしも二人がムカつくぐらい幸せになってやるから約束ね」
「…………………」
なんと答えて良いのか分からずはじめは抱きしめられたまま黙っていた。はじめの逡巡を感じ取ったのか実咲は身体を離すとニヤリと意地の悪い顔をした。
「約束してくんなきゃキスするわよ?」
「!!!!!」
「ん〜〜〜〜〜〜」
「実咲さん! やややや、約束しますから! 絶対に幸せになりますから!!!!」
真っ青と真っ赤を混ぜた複雑な顔色ではじめが絶叫した。
「…………………そんな全力で拒否されると傷つくんだけど……」
「だ、だって…………………!」
最早泣きそうになっているはじめを見て実咲はまたププッと笑った。そしてそっと顔を近づけて頬にキスをした。
「これで勘弁してあげるわ。お休みなさいはじめちゃん! また明日!」
真っ赤になって突っ立っているはじめを残してヒラヒラ手を振って実咲はあっという間に部屋から出て行ったのだった。
明けて翌日。見事に晴れた青空の下実咲とスタンの結婚式が行われた。
身一つで来いと言われたとおり実咲ははじめのドレスから何から何まで用意してくれていたのだ。はじめは思いがけぬお洒落とやはり女の子ならば憧れる結婚式にはじめは前日の複雑な心境も忘れてはしゃいでいた。
式は勿論英語で執り行われているのだからはじめにはちんぷんかんぷんだが何となく雰囲気は掴める。宣誓に指輪の交換、そして誓いのキス……。
スタンは勿論実咲も心底幸せそうではじめはボロボロと泣いていた。
そんなはじめを亮は暖かな表情で見守っていた。
式は滞りなく進み、そして神父の宣誓でもって終わりとなった。はじめ達は教会の外で新郎新婦を待ち受けていた。手には米粒を持って。
ややして新郎新婦が教会から出てきた。
歓声とライスシャワーで出迎えられた二人は本当に幸せそうではじめはまたボロボロと泣き出してしまった。
「はじめちゃん、あんまり泣きすぎると目蓋が腫れて凄い顔になっちゃうよ?」
「う、うるさい! 分かってるわよ!」
「亮……お前なぁ……」
三者三様の遣り取りをしていると突然、周囲から高い口笛がいくつも上がった。驚いた三人が主役二人に顔を向けるとスタンは実咲に深く口づけしながら実咲のドレスに手を突っ込んでなにやらごそごそとやっている。
「な!?」
驚いたはじめは顔を真っ赤に染めるが瑞希と亮は何か得心したように笑っている。
「な、何なの!?」
「多分……」
「ガータートス」
「何それ!?」
「「見てたら分かるよ」」
言って瑞希と亮はニヤリと笑った。途端────。
「AKIRA!」
スタンが叫び、亮にめがけて何かを投げた。そう、それは今正に実咲が付けていたガーターであった。
真っ白なレースの意匠が施されたガーターがストンと亮の手の中に収まった。
「次はお前だってさ」
瑞希が笑いながらそう言った。亮はキョトンとしていたがとりあえずクスリと笑うとスタント実咲に向かってそれをヒラヒラと振って見せた。それを見た実咲が今度はブーケを投げた。
「え……?」
淡いピンクの薔薇で作られたブーケがはじめの手に落ちた。
「えええええ!?」
思わず受け取ってしまったはじめが慌てて周囲を見回した。勿論周囲の人たちは祝福を送ってくれている。実咲に至っては親指を立てて「Be happy!!」と叫んでいる。
「これはもう、結婚するしかねぇんじゃねーの? 二人とも」
「えええええ!? み、瑞希さん!?」
「うん」
「うんってアンタ!!!!」
「うん、だから予約しとくね」
「予約って……!!!」
はじめは真っ赤になって亮を見上げた。亮は相変わらずほんわりとした笑顔ではじめを見つめている。只愛おしさだけがその瞳から溢れていた。
はじめはその瞳を反らすことが出来ず、しかし答えることも出来ず、コテンと額を亮の胸元に押し当てた。
嬉しさと混乱が入り交じったこの複雑な感情がそこから伝われば良いなぁと思いながら……。
二人の行く先にまだ不確かな未来が描かれたのはこのイギリスの青い空の元だったのかも知れない。
おわり