時は多少前後して───。
瑞希と亮の二人はM2に訪れた。来期の展開について前田との話し合いがあるからなのだが、亮はそわそわと周りを見回している。
「亮、トイレなら向こうだぞ」
瑞希の言葉に亮はピタリとそわそわを止めた。その頬は少々赤らんでいた。
「……分かってるくせに」
「はいはい。はじめちゃんと会うのは前田さんとの話が終わってからだからな」
「分かってるよ」
そう言って亮は肩をすくめる。
どうやら、多忙ゆえ擦れ違いの多い恋人と示し合わせていたらしい。M2ならば比較的オープンに接することが出来るので亮にとっては千載一遇のチャンスだったりする訳だ。
(まぁいっか。後で会えるんだし)
そう納得して亮は大人しく瑞希についていった。そして社長室ではじめが倒れたと聞かされたのだ。
「な……」
「それではじめちゃんはどこの病院に運ばれたんですか!?」
呆然としている亮を押しのけて瑞希が前田に迫る。
「いや、ただの貧血らしいんで医務室に運ばれ……」
次の瞬間には亮は身を翻して社長室を飛び出していった。
あっけに取られて前田と瑞希はゆらゆら開閉しているドアを見つめていたがやがて顔を合わせて噴出した。
「……君が盲腸で倒れた時の事を思い出すよ」
「え?」
「ステージから袖に引けて来た亮は腰を抜かしてしゃがみこんでいたんだよ。勿論、はじめくんも同様だったが二人とも無事に手術が終わったと聞いた途端、走って病院に向かっていったんだから大したものだよ」
「そ、そんな事あったんですか?」
「ああ」
前田に微笑まれて瑞希はテレながらドアに向かう。
「瑞希?」
「亮が帰ってこない事には話しになりませんよね?」
「ん? ああ、そうだね」
「オレもはじめちゃんの顔見てきます。多分亮のことだから引っ張ってこないと帰って来ないだろうし」
「ははは、宜しく頼むよ。私も気になっていたんだが何しろ引っ切り無しに仕事が持ち込まれてね」
「了解しました」
小さく敬礼して瑞希も社長室を後にした。エレベーターに乗って医務室へと向かう。
そして亮が医務室の前で立ち尽くしているのに気が付いた。
「亮?」
無表情に立ち尽くして亮は扉を見つめて、いや、睨み付けていた。
訝しく思って瑞希は小走りに駆け寄った。その耳に室内の会話が途切れ途切れに伝わってきた。
(この声、一志……?)
ドアは空気を通すようにと下半分が鎧戸になっていて、おかげで大きな声なら漏れ聞こえてくるのだ。瑞希はさらに耳を澄ました。
『え──っ? そうなの!? じゃあ一体幾らくらい見てたのよ!』
『……千円で良いんだろ? 別に幾らでもいーじゃん』
『貰えるもんは幾らでも貰うわよ!』
『おっもしれー奴だな。二千円だよ。オレが見積もってたの』
『え!』
『千円でいいんだろ?』
『……っ』
『但し、オレが今から言う条件飲むなら二千円になるぜ?』
『じょ、条件?』
『な、何させようって言うのよ』
『簡単な事。手間賃は貯金せずお前の小遣いにする事──以上。この条件が飲めるなら二千円だ』
『……一志君!』
『うわあ! て、テメェ! 女が気軽に抱きつくな!』
ビクリと亮の肩が震えた。
『ご、ごめんなさい! だ、だって一志君があんまり優しいから……』
『や、優しかねーよ! な、何言ってやがるんだよ!』
『照れなくても良いじゃない』
『誰がお前相手に照れるかよ!』
耐え切れなくなったのか亮はそれでもノックしてから扉を開けた。◇ ◇ ◇ 医務室から出た瑞希はドアに持たれて深くため息をついた。
先ほどと同様、幽かに二人の声が漏れ聞こえてくる。
『お願いだから、心配させないで……』
『お願いだから、不安にさせないで……』
亮の言葉にはじめは小さく謝っていた。はじめの言葉を聞きながら瑞希はまた深くため息をつく。
(……はじめちゃんの事だから勘違いしてんだろうな…。亮が何に対して怯えてるか……)
自分も人の事は言えないがはじめもとことん鈍い。
(一志のやつ、何考えてんだよ。って言うかなんの話してたんだよアイツ。千円とか二千円とか…)
瑞希がそう思い悩んでいると中からぽそぽそとした会話が聞こえてきた。
「……一志、どうかしたの?」
「え?」
漸く震えの収まった亮がぽそぽそと尋ねた。落ち着いたのを見計らってはじめはそぉっと亮から身を離す。まだ不安を宿した瞳に一瞬胸がぎゅっと痛んだ。
「さっきの話。いつから始めるとか言ってたでしょ 」
「え? あ、あれね。差し入れのバイトしないかって持ちかけられたのよ」
「差し入れ?」
はじめは頷いて事の次第を亮に聞かせた。勿論扉の外では瑞希も聞き耳を立てている。
「……………………」
聞き終わった亮は憮然として俯いてしまった。と言うのも岡野家の内情など話された事がなかったからだ。
(どうしてはじめちゃんはオレに相談してくれなかったのだろう?)
そう思って亮はチラリとはじめを見た。見られたはじめはきょとんと見返す。
(聞かなかったオレが悪いのかな?)
聞けば答えてくれたのかも知れない。さっき一志が尋ねて答えて貰ったように、聞けば普通に答えてくれたのかも知れない。
(でも一志ははじめちゃんにとって友達で、オレは恋人なんだよな? だったらオレに相談してくれてもいいんじゃないのかな?)
往々にしてはじめは人を頼らない。
何か問題にぶち当たっても絶対に一人で対処するし、対処出来てしまうからだ。
そしてそんなはじめに対して自分はおんぶにだっこの状態。頼ってくれなんておこがましいにも程があるのかも知れない。
(でも……)
と亮は思い、
(やっぱり……)
と思い直す。
「オレってそんなに頼りない?」
「はあ?」
唐突な問い掛けにはじめの目がまん丸になった。
「何なのよ、いきなり」
「ねえ、答えてよ」
言われてはじめはう〜んと唸って考え込んだ後ポソリと「頼り甲斐ある」と呟いた。
「え……」
一瞬亮の頬に朱が差した。
「……とは言えないわよね。どう贔屓目に見ても」
次に瞬間には容赦ないはじめの言葉に亮は無表情にズンと落ち込んでいた。亮の落ち込みを肌で感じ取ったのかはじめはフォローを入れる。
「あ、でも、良いんじゃないですか? 江藤さんらしくて」
「……そう?」
「それに頼り甲斐ある江藤さんなんて想像つかないし」
「……」
(そうか……やっぱりオレって頼りないんだ)
更に深く落ち込みながらも亮ははじめを見つめた。
「江藤さん?」
(頼りないほうがオレらしいって言っても、やっぱり少しは頼って欲しいって思うのはオレの我侭なのかな?)
「江藤さん?」
(一志よりもオレを頼って欲しいって言うのはオレの我侭なのかな?)
「もしもし……? 江藤さん?」
(はじめちゃんがもうやるって決めちゃった事をオレが嫌だからって止めてって言うのは絶対に我侭なんだろうな……)
「ちょっと……目開けたままで寝ないでよっ」
(ヤだなオレ……。我侭ばっかじゃん)
亮は深いため息をついた。
「な、何なのよ、そのため息は」
明らかに気分を害したようにはじめは眉根を寄せた。そんなはじめを亮はじぃっと見つめる。
「ねぇ。はじめちゃんはオレの事好き?」
「…………………いきなりどうしたのよ」
「……なんとなく。お願い教えて」
言って亮はまたはじめを抱きしめた。……と言うよりは縋り付いた。
「江藤……さん?」
(……これって間違いなく”さわりたい病”よね? ……あたしが倒れたりなんかしたから不安になってるのかしら?)
亮はじわじわと腕に力を込めてはじめの答えを待っている。
「好きよ。当たり前でしょう?」
「……………………当たり前?」
「ええ」
マジマジと見つめられて頬を真っ赤に染めながらも、はじめははっきりと頷いた。そして、亮は花の綻ぶような笑顔を浮かべる。
「…………!」
見慣れた顔とは言えはじめの心が躍る。
「え、江藤さん」
「オレもはじめちゃんが大好き」
亮はまたはじめを抱きしめた。腕の中に閉じ込めて硬い髪に唇を寄せる。
(こんなだから頼りないなんて思われるんだろうな……)
唇を額に、瞼に、鼻に、頬に寄せて、そしてはじめの唇と重ね合わせる。
(頼ってもらう為にはどうしたらいいんだろう? ……やっぱ我侭とか言ってたらダメなんだろうなぁ)
もう一度、ちゅっと唇を重ねて亮はにっこり微笑んだ。
「え、江藤さん?」
「バイト、頑張ってね」
「は?」
「でも、無茶だけはしないでね」
「……」
「なんかあったらオレすぐに行くから」
「うん」
「頼りにも助けにもならないかも知れないけどすぐに行くから」
「うん……!」
控えめだけど真摯な言葉にはじめは嬉しくなって、ぎゅっと抱きついた。
「うん、頑張る!」
「…うん、頑張って」
僅かな苦味を隠したままで亮は何度も何度も頷いていた──。
つづく