はじめちゃんが一番!
オレと彼女と彼氏の事情
#3
 はじめを励ました後、亮は笑顔で張り付かせたまま医務室を後にした。扉の脇で待っていた瑞希は張り付いたままの笑顔に唇をかみ締めた。だがその笑顔も扉を閉めてしまえばそれまでだった。
「亮……」
「行こう瑞希。前田さんが待ってるよ」
 言って無表情に先を歩く。瑞希はため息をつき、その後を追った。
 打ち合わせは瑞希が驚くほどにスムーズに進んでいく。と言うのも塞ぎ込むかと思われた亮が積極的に意見を出していたからだ。
(だけど……)
 と瑞希は思った。
 間違いなく亮は不安なんだろう。仕事に励む事で不安を忘れようとしてるんだろう。
(前と一緒だな)
 前田もそんな亮に違和感を感じたのか、ちらりと瑞希に視線を送り、瑞希は肩をすくめて応えた。
 そして数時間後──。会議は驚く程予定よりも早く終了した。
「……終わってしまったね」
「終わりましたね」
 時刻は22時。芸能界で生きる彼らにとってはまだまだ宵の口である。
「……君たちこの後は?」
「何も無いです。……再来年度の展開なんて絶対夜中まで掛かると思ってたから……」
「……そうだろうねぇ。まあ降って湧いた空きだ。日頃溜まった憂さでも晴らしてきたらどうだい?」
 言って前田は亮を見た。やる事がなくなってしまったからか亮はいつも以上にぼぉーっとしている。
 瑞希は前田の言葉に頷くと立ち上がって亮の腕をとった。
「瑞希?」
「飲みにいこうぜ」
「行かない」
 即答する亮に瑞希の眉がピクリと動いた。
「あのなぁ、亮……」
「仕事する。下行ってなんか手伝ってくる」
 瑞希の腕を解いて扉に向かう亮。だが瑞希が「はいそうですか」で済ます筈もない。再度亮の腕を掴んで強引に引き寄せる。
「ダメだ。お前はオレと飲みに行くんだ」
「瑞希!」
「決定事項。行くぞ」
「ちょっ、ちょっと! 瑞希、放してよ!」
 亮の言葉を無視して瑞希は会議室から引っ張り出した。
「瑞希ってば!」
「久しぶりにCOMに行こうぜ」
「瑞希!」
 10sのウエイト差はいかんともし難いようで亮は懸命に踏ん張るがズルズルと廊下を引き摺られていく……。
「瑞希ってば…放して、よっ!」
「テッ!」
 突然瑞希が右目を押さえて蹌踉めいた。どうやら振り払った手が瑞希の目に当たってしまったようだ。一瞬にして亮の顔面が蒼白になった。
「ごめん! 瑞希! 目見せて!」
 亮の震える手を避けるように瑞希は顔を背けた。
「瑞希!」
「今は、オレの事なんか……どうでもいいだろ」
「いいわけないだろ!? 何言ってんだよ! いいから見せてよ!」
「大した事……ねーから」
 そう言いつつも瑞希は目を押さえたままだった。亮は業を煮やして瑞希の腕を掴む。
「もう! 後生だから! 何でも言う事聞くから! 見せてってば!」
「はいよ」
 言うなり瑞希は目を押さえていた手を外して見せた。
「え?」
「何でも言う事聞くんだよな? さ、行こうぜ。飲みに」
 ニヤリと笑みを浮かべて瑞希は亮を促した。
「み、瑞希……!」
「ん?」
「瑞希の嘘つき!!! 」
「何がだよ。オレ嘘なんかついてねーぞ。言ったろ? 『大した事ねーから』って」
「!」
 一瞬、亮の頬が怒りで赤くなった。だが気が抜けたように深々と溜息を吐き、そして俯いた。
「亮?」
「よかった、瑞希に怪我させたんじゃなくて」
「……」
 瑞希は小さく笑うと亮の頭をクシャリと撫でた。
「心配かけて悪かったな。こうでもしないとお前テコでも動かねーから」
「ううん、いいよ。元はと言えばオレが我が儘言った所為だから……」
「ま、そう言えばそうだな。んじゃ、早くCOMに行こうぜ」
「……」
  すたすたと歩き出す瑞希に亮は溜息混じりに肩を竦め、クスリと笑って後に付いていった。◇ ◇ ◇ 一時間後、二人は真琴の店に居た。二人の顔を見るなり何かを感じ取ったのか真琴は扉のボードをOPENからCLOSEDに切り替えた。いつものように3人でグラスを合わせながらゆっくりと時間は流れていく。
「それではじめちゃんはどうしたのよ」
「6時ぐらいには家に帰ったよ」
 真琴の問い掛けに亮はさらりと答えた。
「あら、随分とあっさりしたものねぇ」
「何が?」
「大事な大事なスイートハニーがぶっ倒れたって言うのに、『帰ったよ』で終わりなの?」
「……」
 途端に亮の眉が八の字になった。
「大丈夫だよ。一志が家まで送って行ったそうだから」
「は!? 何よ、それ!」
 目をむく真琴に肩を竦める瑞希、そして亮はグラスの中の酒とコクリと口に含んだ。
「ちょっと、悠長に酒喰らってる場合じゃないでしょ!? 何だって一志君がはじめちゃんを送っていくのよ! それで、何だってあんたはそれを黙認してるのよ!」
「だって……」
「だってじゃないでしょ!? はじめちゃんはあんたの何なのよ!」
「…………………………恋人?」
「「疑問系にするな!!!」」
 真琴と瑞希が同時に吠えた。その様子に亮は小さく笑う。
「冗談だよ。怒らないでよ」
「冗談って……」
「お前なぁ、言っていい冗談と悪い冗談があるだろうが!」
「ごめん」
 素直に謝る亮を見て、真琴と瑞希は顔を見合わせて溜息を吐いた。
「亮……お前、それだけ落ち込むんならはじめちゃんにバイトするなって言えば良かっただろ?」
「そうよ、その方がはじめちゃんも喜ぶわよ」
「喜ぶ? なんで?」
 本気で解らないのか亮はきょとんとして二人を見た。
「はじめちゃんがやりたい事をオレが止めさせて、なんではじめちゃんが喜ぶんだよ」
 亮の言葉に二人はまた揃って溜息を吐いた。
「お前……相変わらず女心が解ってねーな……」
「……瑞希は解ってるって言うの?」
「おうよ。少なくともお前よりかな」
「……」
  亮は再びグラスを口に運んだ。
(女心……女心……女心……ってどんなの?)
  元々他人の感情に疎い亮が複雑な女心を理解しようと言うのがそもそもの間違いである。それが解ったのか真琴は「いいこと?」と人差し指を立てて講釈を始める。
「亮、女ってのは適度に束縛されたがるモノなのよ」
「束縛?」
「そうよ。束縛される事によって相手がどれだけ自分を愛しているかを計るのよ」
「……なんで?」
「な。なんでって……あんただって不安でしょ? はじめちゃんがあんたに対して無関心だったら」
「うん」
「だったら……」
「でもさ、無関心でないことと束縛する事って一緒じゃないでしょ?」
 亮の言葉に真琴がうっと詰まった。
「束縛って自分の我が儘だろ? そんなの押しつけられたら迷惑じゃん」
「亮、お前なぁ……」
  そう言い切った亮に瑞希は疲れたようにカウンターに突っ伏した。
「? 瑞希、今日は潰れるの早いね」
「違う! そうじゃなくって! たとえばはじめちゃんがお前を束縛したらお前は迷惑だと思うのか?」
「……わかんない」
「考えろ!」
「……」
 強く言われて亮は考え込んだ。
(束縛……束縛……束縛……ってどんなのが有るんだろう?)

 例えば、いつでも側にいて欲しいとか。

 例えば、他の誰にも笑顔を向けないで欲しいとか。

 例えば、他の誰にも料理を作らないで欲しいとか……。

 そう思い至って亮は自分の酷く勝手な感情に眉根を顰めた。
(でも……)
 と亮は更に深く考え込む。
 酷く勝手な感情ではあるがそれは自分にとってはじめが掛け替えのない存在である事の証明でもあった。
(……はじめちゃんがオレに対してそんな風に思ってくれたんなら……)
「……嬉しいかも?」
「だろ!?」
「でしょ!?」
 我が意を得たりと二人は亮に向かって人差し指を向けた。
「分かってるじゃねーか。そうだよ、そういう風に束縛されるのも結構嬉しいモノなんだよ!」
「でも、なんでも程々が肝心よ? 過ぎたるは及ばざるがごとしって言うでしょ?」
「うん……」
「明日にでも言ってみろよ。はじめちゃんに。一志に差し入れなんかするなって」
「……」
  瑞希の言葉に亮は少し眉根を寄せた。そしてまたコクリと酒を飲む。
「なんだよ」
「え?」
「まだなんかあんのかよ」
「……うん。まあ……」
「ついでなんだし吐いちゃいなさいよ」
 「ね?」と首を傾げて促す真琴を見て、次いで瑞希を見て亮は組んだ手に額を預けて語り出す。
「……オレ……相手が一志じゃなかったら多分普通に『やめて』って言ってると思う」
「あら、そうなの?」
「うん……。だって、一志ってばイヤになるくらい一緒なんだもん」
「……何と?」
「瑞希と」
「「はぁ?」」
 物凄く訳が分からないと言う顔で二人は俯いている亮をみた。
「あ、亮?」
「元々一志ははじめちゃんの好みのタイプだし、それに、一志は瑞希に憧れて影響受けてるから雰囲気とかも似てるし、今回に至っては発想まで一緒だし……」
「は、発想ってなんだよ」
「お弁当」
「は?」
「瑞希、樋口さんの気を引くのにお弁当頼んでたでしょ? 日給一万円で」
「!」
 「そんな事してたの?」と真琴はちろりと瑞希を見た。瑞希は顔を赤らめて絶句している。
「ほらね、イヤになるくらい一緒なんだから……」
  亮は俯いたまま押し殺したように低く呟いた。
「もしかしたらはじめちゃんは一志を好きになっちゃうかもしれない」
「あ、亮?」
「瑞希を好きだったみたいに一志を好きになっちゃうかもしれない……」
「亮っ!」
  突然真琴は一喝し、亮の耳を引っ掴んで顔を上げさせた。亮は勿論瑞希も驚愕に目を見開いている。
「ま、真琴さん?」
「あんた、今、自分がどれだけはじめちゃんを侮辱したか分かってるの!?」
「ぶ、侮辱って……」
「侮辱じゃなかったら信頼してないんだわ、はじめちゃんを」
「そ、そんな事無いよ!」
  流石に亮も語気を荒げて真琴の言葉を否定した。
「だったらどうしてはじめちゃんの心変わりなんか想定してるのよ!」
「……っ」
「そりゃあ、前ははじめちゃん、瑞希の事が好きだったかもしれないわよ? それでも今はじめちゃんが好きなのはあんたでしょ? 瑞希とは一つたりとも共通点のないあんたなんでしょ!? 今更瑞希に似た一志君が出てきた位で何揺らいでるのよ!」
  真琴の言葉に亮は怯えて視線を泳がせる。
「だって、だって……」
「だってじゃないわよ」
「だってじゃねーよ」
  瑞希が亮に向かって身を乗り出すと真琴は亮の耳から手を放した。
「一度聞いてみたかったんだけどさ、お前、オレがはじめちゃんを好きになったら譲るのか?」
「!?」
「どうなんだよ」
 思いも寄らない事を聞かれて亮は心底動転していた。視線を合わさずとも瑞希の強い視線が自分に突き刺さるのを感じる。ぐるぐる回る意識を必至で繋ぎ留めながら亮は絞り出すように答をはき出す。
「み……瑞希と、はじめちゃんが……望むのなら……」
「お前はそれで満足なのかよ」
 間髪入れずに返ってきたその問い掛けに答えられる筈もなく亮が押し黙ると瑞希は再度、声に力を込めて「満足なのかよ」と問いただした。
「……」
「……………………イヤなんだろう?」
「……」
「幾らオレにでもはじめちゃんを取られるのはイヤなんだろう?」
  打って変わった穏やかな声音に亮は小さく頷いた。それから 「ごめん」と小さく謝った。そんな亮に瑞希は肩を竦めてみせた。
「何に謝ってんだよ」
「……わかんないよ」
「……お前さ、もうちょっと自分の為に足掻いてみろよ。前も言ったみたいにオレたちの為お前が犠牲になる事なんて望んじゃいねーんだからさ」
「……」
「な?」
「……うん」
「いい子だ」
  瑞希は俯いたままの亮の頭を撫でた。亮が気持ちよさそうに目を閉じてその手の感触を楽しむ。
「明日、はじめちゃんに言えよ?」
「……ううん、やめとく」
「亮!?」
「はじめちゃんには言わない。やっぱり余計な心配掛けたくないもん。一志に……直接言うよ」
「そうか」
「うん」
「頑張れよ」
「うん……」
 ずっと頭を撫でられていたのが気持ちよかったのか、それとも酒の所為か、ともあれこの日初めて亮は瑞希に介抱されて家に帰ったのだった。
つづく