とっぷりと日も暮れた頃、列車は漸くスピードを緩めた。
途中何度も来訪者が来のだが皆一様にブリジットの名を聞いては逃げ出していく。終いにはリリーは扉に鍵を掛けてしまった。まあそのお陰か、二人でじっくりと語らう事が出来た。……と言っても主にリリーが疑問を発し、ブリジットがそれに対して完結に答えていたのだが……。
支度を終えた二人は程々に人混みが治まるのを待って列車から外へと降りたった。
真夏であるにも関わらず冷えた空気にリリーは身震いしてローブの前をしっかりと合わせた。
「ここがホグワーツ?」
「いいえ。ここはホグズミードよ」
「ホグズミード?」
「そう、ここから……ほら、あそこに大きな人がいるでしょ?」
ブリジットが示した方を見やれば山の様に大きな男が、更に大きく手を振りながら「イッチ年生! こっちこーい!」と叫んでいる。
「な、なんて大きな人なの???」
男のあり得ない大きさにリリーはあんぐりと大きな口を開けた。そんなリリーの肩をそっと押すとブリジットは男に向かって歩きだした。
「ブリジット?」
「彼の名前はルビウス・ハグリッド。ホグワーツの鍵と領地を守る番人よ。そして私たち1年生の先導でもあるわ。ほら、呼んでるでしょう?」
もう一度ハグリッドの方を示して、そしてリリーを見た。
「ほんとだわ。……でもブリジットって何でも知ってるのね」
「……そうでもないと思うけど」
「だって、ほら、ハグリッドだったっけ? あの人の事も知ってたわ」
「だって彼は……」
「彼は?」
「いえ……何でもないわ。それよりも早く行きましょう。取り残されてしまうわ」
「えっ? いやだ!」
ハグリッドは既に移動を始めているらしく、おっかなびっくりボートに乗る他の1年生のサポートをしている。リリーは少し慌てて、ブリジットは少し早足でハグリッドの元へ向かった。
「ん? お前さんたちもイッチ年生か?」
真っ黒な黄金虫の様な瞳を向けてニッコリと笑った。屈んでも見上げる程に大きなハグリッドにリリーはただウンウンと頷くだけだった。
「こりゃまたエライ別嬪さんたちだな! 今年の1年坊主どもは幸運だ!」
そう言って豪快に笑ってハグリッドは空いているボートを抑えて二人を促した。
「さあさあ、お前さんたちで最後だ。早く乗ってくれ」
「ご、ごめんなさい」
「ごめんなさい、ミスター・ハグリッド」
「
ミスター!?」
ブリジットの言葉にハグリッドはこれでもかと言うくらいの大音量で素っ頓狂な声を上げた。
「おお、お前さん。どこのお嬢様だか知らねぇがミスターなんざ止めてくれ! むず痒くって仕方がねぇ! おれの事はハグリッドって呼んでくれ」
もじゃもじゃの髪と髭の隙間から覗く肌が夜目にも分かる程赤くなっている。至近距離で叫ばれたブリジットは少しクラクラする頭を抱えながら何度も頷いた。
「よぉっし、じゃあ、ボートに乗ってくれ。出発するぞ!」
「わ、分かったわ」
ニッコリ笑ったグリッドはリリーとブリジットが乗り終わるまでボートを抑えていてくれた。最後までぐずぐずしていたせいか、二人はまた二人だけでの船旅となった。
「さあああ! イッチ年生! 行くぞ──! そぉれ! 進めぇっ!」
ハグリッドのかけ声と共にボートは湖面を滑る様に進んでゆく。
「あれがホグワーツ?」
降る様な星空を背景に真っ黒な影が前方にそびえている。その影を指さしながらリリーが問い掛けた。スケールの大きさに驚いているらしく目がまん丸になっていた。
「そうだ! あれが世界で最高の魔法学校!
偉大なるアルバス・ダンブルドアが校長を務めるホグワーツだ!」
隣を併走していたハグリッドが大きな声で答えた。そしてまたニッコリ笑うと、
「そしてお前さんたちが7年間学び、過ごす
第二の家でもある」
と言った。
「第二の家……」
その言葉を繰り返しブリジットも巨大なる黒い影を見た。
何やら感慨深げな様子にリリーはブリジットに話しかけようと口を開いたが、
「
頭、下げぇ──っ!!!」
と言うハグリッドの号令に水を差された。
1年生たちは蔦のカーテンをやり過ごし、ボートは船着き場に到着した。長い石段を登って重厚な樫の木の扉の前にたどり着くとハグリッドは
ドンドンドン! とノックと呼ぶには些か豪快に扉を叩いた。すると扉は音もなく開かれた。
中にはアクアマリンのローブを羽織った厳格そうな中年女性が立っていた。
「マクゴナガル先生! イッチ年生を連れて参りました!」
「ご苦労様です、ハグリッド。ここからは私が預かります。──さあ、皆さん。付いてきなさい」
厳かな声音でマクゴナガルが呼ぶと1年生たちはぞろぞろと歩き出した。ホールを思しき巨大な扉を通り過ぎて隣の扉にマクゴナガルは入っていった。勿論生徒たちも習って入っていく。まるでハーメルンの笛吹の様だとリリーは言い、ブリジットは苦笑して頷いた。
百数十人の1年生たちが収まるには少々手狭な部屋だった。だが、なんとか全員が収まり入り口の扉が閉められたのを確認してからマクゴナガルは簡単に祝辞を述べて、簡単に寮の説明をして、簡単にこれから始まる儀式の説明をした。そして待っているようにと言いつけて姿を消した。
途端に小部屋の中はざわめきで一杯になった。皆、一目でマクゴナガルには逆らわない方がよいと悟っていた様だ。
「緊張するわ」
これから何が始まるのかと、儀式とは一体何なのかと、リリーは不安と緊張で顔を上気させていた。
「そうね」
とブリジットも同意するがリリーは胡乱気に見つめた。
「そうは見えないわ」
確かにブリジットの顔色は何一つ変わっていないし、憎らしい位に落ち着き払っていた。
「……確かに私、表情は乏しいけど、だからって感情まで乏しい訳ではないわ」
そうきっぱりと言ってブリジットは視線を外した。その時初めてリリーは自分がどれ程心ない事を言ったのかを思い知った。
「ごめんなさい、ブリジット。あなたに
愛想がないのは初めから分かってた事だったのに酷い事を言ってしまったわ」
「………………」
謝られているのか逆に貶されているのか判断しがたい言葉で謝罪するリリーにブリジットはまたそっと溜息をついた。
「気にしないで」
「気にするわ」
「……そう」
小さく溜息を吐きながらブリジットはそこで会話を止めた。しばし沈黙が流れ、そして我慢が利かなくなったのかリリーが口を開いた。
「こう言う時はもう一度くらい『気にしないで』って言うものじゃないの?」
言われたブリジットは少し不思議そうな顔をリリーに向ける。
「私は一度『気にしないで』と言ったわ。それを受け入れなかったのはあなたの意志。その意志に対して私が意見しなければならない理由が見つからない」
「………………」
「違って?」
リリーは苦虫を噛み潰した様な顔で問い返すブリジットを見た。そしてブリジットはあくまで淡々とした表情でリリーを見つめていた。リリーは押し殺した声で低く呟いた。
「訂正するわ」
「何を?」
「ブリジット、あなたは高慢なだけでなくて冷徹なんだわ」
そう言い捨ててリリーは人混みをかき分けて姿を消した。残されたブリジットは相変わらず無表情だったものの、しばしリリーを目で追っていた。
そして小さく溜息を吐いた後ただその場に立ちつくしていた──。
つづく