要は淡い光に包まれて真っ白な上も下も無い奇妙な空間に居た。体の自由は利かないが、意識の方ははっきりしている。
真っ白な空間。
ふと今朝の夢を思い出し、今自分は眠っているのではないかと思った。手が動かないので、代わりに頬を噛んでみる。
──痛い。夢じゃない。
要はこの空間に現れてからずっと自分が何かに引っ張られているような感じがしていた。
(どうなってんだろ…。えーと、確か学校に行く途中で……)
初めから順々に物事の経緯をたどってみる。
(そうだっ! 清子だっ! あいつ、どこいったんだっ!?)
出来る限り首を動かせて辺りを見る。影の一つも見当たらない。自分のでさえもだ。
(私だけなのか…?)
諦めの感で目を閉じた時、引っ張られる感じが強くなった。いや、はっきりと引っ張られている事が分かった。その方向に目をやると白い世界の中一際輝く一点がある。
(光の向こうは大霊界ってんじゃねーだろーな。うーん、としたら困ったなぁ、死んだ事になるんだもんなぁ。……死因って何だったんだろ?)
要は完全に自分が死んでいると思い込んでいるようだ。間違っても地縛霊にはなりそうもない性格である。
そんな事を思っている内にどんどんと光りに近付いて行った。
(じーちゃん、ばーちゃん、先立つ不孝を許してく…。アレッ?)
光の中から何か聞こえてくる。耳を澄ませると夢に出て来た銀色の不確かな存在がしゃべっていた言語だった。だが、今は何を言っているのかさっぱり分からない。
そうこうしているしているうちに要は光の中に引き込まれて行った。
不意の閃光
記憶の裏側に押し込められた光景がまるでフラッシュの様に周囲にひらめいた。
眼前を染める血。自分を取り囲む黒い存在。これは幼い頃から見る悪夢。
「消えろっ!」
瞬間、開ける視界、掛かる重力。要の体は空にあった。
「えっ? あっ! だぁ〜っ!」
あまりにも急な出来事。それでも要は体勢を整えようと体をねじった。
ダンッ
無敵の運動神経のお陰でなんとか着地出来たが衝撃は脳天まで突き抜けたようだ。要は足首を押さえて蹲ってしまった。……かなり痛そうだ。
「痛ぅ〜、なんなんだよっ! これは!」
目尻に涙を溜めながら要は吠えた。答える者など誰もいない。聞こえてくるのは緊張を孕んだざわめきだけ。要はようやく人の存在に気が付いて辺りに目をやった。
とてつもなく天井の高い、ばか広いホールだった。四方に大きな窓が幾つもあり、そこから光が白で統一された壁や床に乱反射している。結構明るい。そしてかなり大勢の人間が自分を取り囲んでいる。一目で日本でない事が分かる人種と服装だ。大霊界でもなさそうだ。
「あ、あの〜。ここは、えっと、どこですか?」
要はとりあえず近くに居た―それでも優に十メートルはある―男に話し掛けてみた。
「!────── 、────────!?」
やはり日本語ではなかった。男は自分に話し掛けられるとは思っていなかったのか、慌てまくって隣の男に助け舟を求めているようだ。
その中で渋い茶色をした仕立ての良さそうな長衣を着た、明るい茶色の髪と瞳の小太りの中年が、銀髪美形の青年に向かって何かを言い出した。
『どういう事ですかっ! これは! 魔法使いどころか、ただの人間ではありませんかっ!! 一体、何度失敗すればイディア様を召還出来るんですっ!』
要を指さし、青年を怒鳴りつけている。
(んだよ、このおっさんは。人を指さしたりしてさ。れーぎがなってねーぞっ、れーぎが。……でも困ったな、全っ然言葉が分かんねー。誰か日本語分かる人いねーかなぁ)
要は二人のやり取り―中年の方が一方的にまくし立てているだけだが―を見て仕方なく床に座り込んだ。その時、自分が座っている床には魔術の本に載っているような《魔法陣》らしき物が描かれている事に気が付いた。
自分はその中心に腰を落としている。
(なぁんか変な所だよなぁ、服装なんかも変わってるし……。ドッキリカメラか何かか? ……でも一般人にこんな凝った事しないよなぁ)
などと思いながら二人を見ていた。どうも周囲から好奇の視線を感じる。だが誰も要に近付かない。当然だろう、得体の知れない存在に誰が不用意に近付くだろうか、いや、近付かない(反語)。
要の視線に気が付いたのか、青年の方が要に目を遣りにっこりと微笑んだ。ここに来て初めて向けられる笑顔に要は面食らってまじまじと青年をみつめる。
(あ…この人の瞳、薄い紫色かと思ったらなんか光ってる。銀色が交じってるみたいだ)
『聞いているのですか!? ウォーレン殿! こんな少年がイディア様である筈がないっ』
『メディオル殿、落ち着いて下さい。召還は失敗してはおりませんよ』
『何をおっしゃる! 銀を一つも持たぬ者がこの世界を救うとでも!』
『ウォーレン様のおっしゃる通りだよ、大臣。彼女は魔物に力を封印されているだけだ』
二人のやり取りに一人加わった。二十七、八歳の青銀眼が印象的な美丈夫だ。
『ラキス様、え? 彼女? ではこれは少女なのですか!?』
又もや要を指さす。しかし、今度は困惑顔だった。
『この方は間違いなく女性ですよ。ちゃんとご両親からお聞きしたのですから間違いありません』
『………でも、前もって聞いていなかったなら絶対に分からなかっただろうね。見た目完璧に男だし』
『賢者方でも見ただけでは分からないのですか?』
怪訝そうな中年の言葉に紫銀の瞳の青年が頷いた。
『貴方が言ってらっしゃるのは魂の輝きのことですね? 勿論、私達は魂の輝きを視る事は出来ます。ですが魂の輝きに在るのは強弱だけで、男女の差と言うものはないのですよ』
『そうなんですか』
『そうなんですよ』
三人が話し込んでいる間、何をするでもなく、相変わらず床に座り続けている要だが、自分が三人の話題の中心にいる事だけはなんとか感じ取れた。しかしながら、やはり内容まではさっぱり分からない。
そうこうしている内に紫銀の瞳を持つ青年が要に近付いて来た。手を差し延べ、要を立ち上がらせる。要も素直にそれに従った。
青年は要の手を取ったまま、その場にいる全員を見回し、静かに言った。
『今から封印を解きます。十賢者よ、解呪の術を…』
青年の言葉に従って、十人の若い男女が要を取り囲む。
『かなり丁寧に為されていますね』
『手間がかかりそうだ』
『なに、きっかけさえあれば彼女が自力で解いて下さるさ』
要は自分を取り囲んだ青年達にはある特徴がある事に気が付いた。
皆それぞれに髪や瞳や爪の内、二ヵ所は銀色であり、後の一ヵ所は銀交じりであるという事に。だがその不思議な配色よりも、
(銀色の多い国だなぁ。どーでもいいけど、私を囲んで何しようってんだよ)
次第に「なめてんじゃねーぞ」と言う苛立ちが出て来た。普通、十六歳の少女なら見知らぬ場所で見知らぬ人種に囲まれれば何が起こるのか、何をされるのかと不安に思うのだろうが、普通でない要は怒りを覚えた。
不機嫌そうに眉根を寄せる要を気にせず、十賢者は両手を要に向け、目を閉じて精神集中に入る。
紫銀の青年が言の葉を紡ぎ始める。右隣の青年が同じ言の葉を紡ぐ。そんな事が続き、十人目が紡ぎ始めた時、要に異変が生じた。
ドクンッ
「な…に…?」
頭が、目が、爪がそれぞれ激痛を発する。
ドクンッ
「何だよっ 何が起こったんだよ!」
痛みは更に増し、要は耐え切れなくなって床に転がり込んだ。別に何ともなかった彼らの声が急に耳障りな物に聞こえる。耳を押さえても直接頭に響いて来る。
ドクンッ
「やめろっ! 頭が変になっちまう! やめろってばっ!」
十賢者の唱和と要の叫び声以外なんの音も無い。誰も声を出せない。
ドクンッ
「やめろっつってんだろっ!?」
要の絶叫と共に何かが弾けた。同時に爆風が生じる。
『おあっ』
『うぎゃっ!』
『おお―っ』
『きゃあ〜っ』
『うわぁっ!?』
要以外の存在が爆風に吹き飛ばされた。床にたたきつけられたり、壁にぶつかったり、中には飛んできた者にムギュッとつぶされたりもした。
要は嘘のように治まった激痛に驚きながら、荒れた呼吸を静めている。何度か深呼吸してようやく息の治まった要は、手をついて立ち上がろうとしている紫銀の青年に詰め寄り、胸倉をつかんで怒鳴りつけた。
「お前らっ! 何しやがんだっ!?」
余談だが、要は体育会系の人間なので目上の者にこんな乱暴な事は絶対と言って良い程―喧嘩を売られた場合を除くが―しない。要の怒りが理性を遥かに上回っている事がよく分かるというものだ。しかしそれ故に要は重大な事実に未だ気付いていない。
青年は要の激怒ぶりに少し困ったようにしていたが、すぐに満足そうに微笑み、要を落ち着かせる為にポンポンと要の頭を叩たく。そして要の注意を引くように、銀の指先で要の前髪をつんと引っ張った。
要はショートカットだが前髪は少し目に掛かっているので要自身よく見える。
紫銀の瞳を睨みつけていた要の目が驚愕の為に見開かれた。更に青年は自分の胸倉をつかんでいる手をやんわりとほどいて要の眼前に持っていく。要は皿のような目をして己の爪を見詰めた。
そう、要の髪や爪は青年と同じ銀色になっていたのだ。要は立っていられなくなって床に座り込んだ。髪を引っ張ったり、爪をこすってみたり、しかし銀は取れない。一本髪を抜いてみたがやはり根元から銀色だった。
呆然自失の要に青年はどこからともなく姿見を出し、要に向けた。見慣れた自分の顔。決定的に違う点が二つ。一つは髪。もう驚きもしない。
しかし、そんな要がまた目を見開く。そうすればする程よく分かる。……瞳も銀色になっていたのだ。
(な…なんだってこんな、こんな事になったんだ…?)
未だ理解出来ずに自問する。答えは一つしかなかった。先程の激痛だ。
要は座り込んだまま青年を睨みつけた。だが先程のような迫力は無い。泣きそうな目をしているからだ。いや、泣いていた。要は睨みつけたままぽろぽろと泣いていた。突然の出来事に感情の針が振り切れたようだ。
青年は突然泣き出した要に戸惑いを見せたが、やがて幼子をあやすようにそっと抱き締め、嗚咽の止まらない背中を優しく撫で続けた。
要は暖かい腕に祖父母を思い出し、泣きじゃくってしまった。しばらくすると、緊張の糸が切れたのか要は眠るように気を失った。
つづく