『正邪』の剣
第九章 修行
  ディルアラーンに着いて早四日。要はボロ雑巾のように疲れ果てていた。魔法の習練は当然の事ながら、さらに剣術の方も一筋縄ではいかなかったのだ。
  大雑把に振り返ってみるとまず初日。余りの寒さ──ディルアラーンの設定温度は摂氏五度──に驚く要を無視して、すぐさま習練が始まった。精神集中は難無くクリア。
  しかしすぐさま始まった剣術の習練が問題だった。重量級の剣──普通の女性なら振り上げる事はおろか、持ち上げる事も適わない代物──の素振りで掌の皮はべろべろに剥け、使い慣れない筋肉を酷使したせいか這い擦る事も出来ず、『丘に打ち上げられた鮪』状態となっていた。
  二日目の魔法の習練。ぶ厚く包帯を巻いた両手と筋肉痛に悲鳴を上げる全身を引きずりながらの精霊との会話等もクリア。次に問題の剣術は歯を食いしばっての素振りが延々と繰り返され、夜はひたすら泥のように眠るだけ。昨日になると筋肉痛もやや収まり──慣れもあるのだが──ゆっくりではあるが歩けるようになった。なんにしろ驚異の回復力である。
  だが問題は多々あった。それはこの日から始まった《魔法陣》の作成である。ゼルデガルド世界の《魔法陣》とは己の血を触媒として作成・使用するもので、成功すれば己に還えるが、失敗すれば失われてしまい、再度やり直さなければならないという苛酷なものなのであった。講師のアルマリアに拠るとビギナーの悩みは貧血だそうだ(笑)。例に漏れず要も二、三度貧血でぶっ倒れたが、その度に癒しを受け習練を続けていた。この時点で治せば為にならないと放っておいた掌の皮や筋肉痛は完治してしまい、結局無駄骨になってしまった事に要はかなりがっかりしていた。
  そしてその午後は素振りの後で、ようやくラキスと剣を交える事になった。重さに慣れたからか、さほど剣に振り回される事はなかったが、指無しの革手袋をしていたにもかかわらず、打ち合った時に剣を飛ばされるなどで又もや皮が剥け、今日に至るのである。



「まぁた失敗かよっ、ド畜生っ」
  真っ青な顔をして要は悔しがった。これで連続4回目の失敗。そろそろ血が足りなくなってきたようだ。足元がふらついている。今日の講師のセリオスが溜め息をつきながら癒してくれる。
「焦るな。焦れば焦る程精神集中が難しくなる」
  額から力が流れ込み、明確な意識が戻って来る。要は己の腑甲斐無さに舌打ちして髪を掻き乱すと、
「焦るなつっても無理だよっ! 時間無いのに…」
悔しげにうなだれた。そんな要にセリオスは熱い茶を手渡す。
「時間ならまだ三カ月近くある。だから安心しろ。それに何も君一人で戦うんじゃない、皆で戦うんだ。何もかも一人で背負い込もうとするな」
  そう言うと茶を飲み干す。要もカプリと一口飲むと反論しようする。
「でも…」
「でもじゃない。要、君は疲れているんだ。今日はこれまでにするから少し休みなさい」
  セリオスは要の反論を遮るとそう提案し、出口の方へ向かって行った。慌てて要が呼び止めると振り返り、人差し指を立てて要を諭す。
「魔法の習練にがむしゃらは必要無い。むしろ平静であればある程良いんだ。はっきり言わせて貰うと今の状態じゃやっても時間の無駄だ。頭を冷やすんだな」
「!」
  それだけ言い終えるとセリオスは出て行った。呼び止める事も出来ず、要は出口を見詰めていた。しばらくしゃがみこんで頭の中でセリオスの言葉を反芻してみる。
(やっても無駄、かぁ。きつい事をはっきり言いやがる奴だ。反論出来ねーじゃんよ。…情けないよなぁ、実際。とんとん拍子に進んだのは最初だけだもんなぁ。………ま、いっか、休めって言ってくれてんだし、休ませてもらおっと)
  自分で結論付けると要は自分に宛てがわれた部屋に帰って行った。帰える道すがら擦れ違う誰もが要に好奇心と羨望に満ちた視線を投げ掛ける。当初は不快に感じていたが、今ではもうどうでもいい事だった。
  扉を開けるといつもよりかなり早い帰宅に、風月は驚いて走り寄り顔を覗き込む。
「カナメっ、どうしたんだ? 気分でも悪いのか!?」
  この四日間で風月は日一日と成長し、成獣になっていた。愛らしかった面影は既に無く、容貌は精悍と言うべきで、体長三メートル強、頭高二メートル強(角を含む)、すっきりとした細面以外は柔らかな長い体毛に覆われていた。その為夜は要に暖房器具代わりにされている。又、声も幼児から少年へ、少年から青年に変化し、先のとおり言葉使いまで男らしくなっているのである。
  要は覗き込む風月の首筋にしがみつくようにもたれ掛かると、
「焦ってやっても無駄だから頭冷やして来いってさ」
言ってずるずるっと座り込む。風月は要に合わせて座り込み、器用に前足で要の背中をポムポムと叩くと、
「──カナメ、もしかしてイディア様を意識してるとか?」
要が焦っている原因であろうものを尋ねてみる。要は咄嗟に否定しようとしたが、確かにそれは原因の大半を占めていたので肯定するしかなかった。
「い、意識なんかして──…るかな? やっぱり。そうかもしれない。ううん、そうなんだきっと。自分じゃ違う人間なんだって思い込んでるけど、気が付いたら『イディアならこんな事で蹉かないだろう』とか『イディアならどうするだろう』とか思ってる。別人だって思えば思う程意識してる」
  残りの原因とは上手くいかない剣術に対して無意識に感じる違和感だった。そう焦りではなく違和感なのだ。それはともかく、心の深淵を覗き込んだような気がする。原因が分かると少し気持ちが落ち着いたようだ。
「カナメはカナメだよ。イディア様の生まれ変わりであっても、イディア様本人じゃないんだ。カナメには今まで生きて来た思い出とか経験があるだろ? それだけでもうカナメはカナメであってイディア様じゃないんだよ」
  更なる風月の言葉に憑き物が落ちたように心が軽くなった。要は嬉しくなって、うんうんと頷くと、
「フゲツ、ありがと。なんかすっごい気が楽になった。多分大丈夫だよ、きっとうまく行くよ。そんな気がするよ」
本当に嬉しくそうに子供のような笑顔で礼を言った。
「良かった。じゃあ、少し眠りなよ。やっぱり疲れも有ってそんな暗い方に考えてたのかもしれないだろ?」
「うん、そーする。昼になったら起こしてよ」
  風月の言葉に従い、腰紐を緩めてベッドに入るとそう頼んで目を閉じた。風月もまた暖房器具代わりに寝台に潜り込み、要をくるむ。
「分かったから、ゆっくりお休み」
  愛情のこもった眼差し、愛情のこもった声でそう告げると共に目を閉じた。



  その日の午後から要は別人のような機敏な動きを見せた。無意識の違和感もなりを潜め、焦りと苛立ちが銀色の瞳から消え失せ、代わりに物事を見極める落ち着いた眼差しがそこにあった。ぶんまわしに近かった剣は相手の目線から剣筋を読み、かわす余裕まで生まれていたのだ。
  元々常人より優れた動体視力と、無敵の運動神経と、女離れした筋力の持ち主である要は心意気一つで飛躍的に進歩する可能性を秘めていた。そして今、その可能性が開花したのだ。
  《魔法陣》の作成も殆ど失敗しなくなり、三銀色専用の魔法も着実に消化していった。
  要の変身ぶりに唖然としていた講師陣ではあったが、砂地が水を吸うように知識を、技術を吸収する様に小気味良さを覚え、より一層熱心に指導するようになった。いざ七日間の修行が終わってみると魔法で要に太刀打ち出来る人物はディルアラーンには誰一人としていなかった。無限とも思わせる魔力は同じ魔法でも桁違いの威力を示し、現存する殆ど総ての魔法を有し、現存する全ての精霊との契約を可能にするのだから当然と言えば当然である。
  唯一の問題点と言えば剣と魔法の連携だろう。だから最後の仕上げにラキスと真剣──習練で使用していた剣は安全の為に刃は付けていなかった──で手合わせする事になった。
  それに際して双方にハンデが加えられる。要は三銀色の魔法の使用禁止だが、用いる剣は今までよりも軽い目の中剣。ラキスは利き手と両刃の剣と火の精霊以外の使用禁止。だが要には不満だった。
「ハンデが少なすぎるっ。ヤロー相手にか弱い女子高生がどれ程の事が出来るってんだよ」
  そう審判役のウォーレンに抗議すると全く取り合ってもらえなかった。ちなみに要の現在の恰好はクリーム色のスタンドカラーの長袖シャツに同色のズボン。膝から下には灰色の脚半が巻かれている。又、金糸で袈裟掛けに意匠の施された濃紺・袖なしの貫頭衣をベルトで縛り、目に掛かる髪を同じ濃紺の布をターバンにしてまとめている。極め付けがナックルのついた黒い革製の指無し手袋である。……どこから見ても立派な少年であった。そしてウォーレンがそんな要に言った言葉はこれだった。
「冗談はさておき」
(冗談?)
  ムッとする要に頓着せず話を進める。
「時間は十分。気絶、降参の場合はその時点で終了。カナメもラキスも四大精霊以外の召喚を禁止します。先程の注意事項もよく覚えておいて下さい。では二人とも前へ」
  要は面白くなさそうにブスッとふくれたまま、対照的にラキスは上機嫌なまま歩み出て向かい合う。ホールにはディルアラーン中の魔法使いや見習いがこの試合を観戦していた。
  ウォーレンが右手を高々と掲げると周囲が緊張に包まれる。
「始めっ」
  二人は腰を落として重心を爪先に移すと間合いを図る。
(六、いや七歩だ)
  気の集中を感じる。先に仕掛けたのはラキスだった。刃に宿った炎が要を襲う。要は炎を薙ぎ払う。が、いつの間にかラキスが目前にまで迫って来ていた
「んげっ」
  焦りが生じる。不意に頭の中に声が響いた。
〈右に半歩、それから剣に風を乗せて払えっ〉
  咄嗟の事で声の通りに行動する。
  思わぬ反撃を紙一重で躱すとラキスは驚きに目を丸くした。彼の予想では今ので決着はついている筈だった。だが、すぐに気を取り直し、柄を握り直すと切り掛かった。
(何だ? 今の声…、誰だ?)
〈気を散らすな、馬鹿者。炎を見舞って懐に飛び込め。躱されたら地を揺して足場を崩せ〉
  向かって来たラキスに言われた通り炎を見舞い突き進む。やはり躱されていた。剣を地に突き立てると地が揺れ、観客が悲鳴を上げる。
「おわっ!」
「そこかぁ!」
  反射的に切り込むと、どうにか態勢を整えたラキスが受け止める。そのまま押したり、引いたりを繰り返す。
「やっぱ、師匠が良いと成長も早いもんだ」
「ぬかせっ! 今日こそ、ずぇったいに勝ってやる!」
  腕を振るわせながらの会話だ。周囲はあっけに取られていた。
〈いつまでも組み合うな。離れて次の攻撃に転じろ〉
  そろそろ押されていた要は舌打ちをして後方に飛ぶ。風を利用したジャンプは十メートル程にも及んだ。
〈氷槍を出せ〉
  銀の爪が宙に軌跡を描く。《魔法陣》ではなく《呪紋》だ。描き終わると《呪紋》は発光し始め、中央の五芒星に手を打ち付けると、幾筋もの水の槍がラキス目掛けて放たれた。槍が鋭利な固体へと変化し、総てが命中した。「当っちゃったよ、マジかよ…」
「ラキス様ぁ!」
  彼を信望する見習いの少女達が悲鳴を上げた。
〈左だ!〉
「!」
  目をやるよりも早くしゃがんで剣を躱す。第二の攻撃が素早く繰り出され、もろに受け止める形になり懸命に押し返す。
「残像なんてなめたマネしてくれるじゃねーの」
  安心半分、悔しさ半分という複雑な心境で文句を言う要に、ラキスはニヤッと笑って、
「年食ってる分、技が練れてるのさ。でも安心したろ?」
図星を突き、急に剣を引く。バランスを崩した要が前のめりになりかけた。が踏ん張った。ふくらはぎの筋が悲鳴を上げる。
「痛ぅっ」
  振り降ろされる剣のきらめきに恐怖が心を占領した。
「うわぁっ!」
  瞬間、ラキスの剣の刀身が粒子となってさらさらと吹き飛んだ。
「!」
「それまでっ、双方引きなさい。この勝負はカナメの勝ちです」
  緊張が緩んでへたり込んだ要に、ラキスが手を貸し立ち上がらせ、刀身の無くなった柄を手渡す。
「よっぽどビビッたみたいだね? まさか本当に振り降ろすとでも思ったとか?」
  ニヤニヤ笑って要を小馬鹿にする。
「ふん、うるせーや。めちゃくちゃ目がマジだったからだよ。でも勝ったからな」
  舌を突き出すと柄を投げ返してウォーレンの方へ駆けて行った。ウォーレン以外の賢者が要と入れ代わってラキスの方へやってくる。パルトバールがぐいっとラキスの肩を組んだ。
「お前にしちゃ珍しく甘くないか? わざと負けてやるなんてさ」
  先程のラキスと同じニヤニヤ笑いだが、当のラキスは憮然とした表情だった。
「別にわざとなんかじゃないよ。刀身を砕かれたんだ。確かに俺の負けだよ。ほんと言うと最初は手加減しようかと思ったけど、そんな余裕全っ然無かったね」
「えっ、マジ?」
  皆が驚愕の声を上げるとラキスは悔しそうに、納得しきれなさそうに頷く。
「ああ。俺は最初の攻撃で決まったと思ってたんだ。実際に習練ではあれで全部勝ってた。おかしい。それに今のカナメの連携はとても自然だった。たかだか七日如きの習練でああはいかない筈だ」
「そう言えばそうだな。助言はどこからも与えられてないし…」
  カート=ザ=ルーンが顎に手をやって思案する。トトラトが、
「聞いた方がはえーんじゃねーの?」
提案する。セリオスも頷き意見は決まった。



(あの声何だったんだ?)
  そう思った瞬間、あの声が頭に響く。
〈私はお前が持つ剣に宿る精霊だ。助けるつもりは無かったんだが、お前の下手さ加減に我慢しきれんかったもんでな〉
「えっ?」
  叫んで要は肩に担いでいた剣を持ち変え、見つめる。
〈お前の様な未熟者が偉大なるイディア様の生まれ変わりとは……。何とも嘆かわしい事だ〉
  助けてくれたとは言え、尊大な物言いに要は静かにムッとする。
(助けてくれた事には一応礼は言っとくよ、サンキュ。後はだな私はイディアとは別モンなんだよ、比べるな)
  剣に向かって睨め付け文句を言う(?)。剣精はせせら笑うだけで何も言わなかった。それが又要の機嫌を悪くするのである。
  ウォーレンがそんな要に訝しげに思いながらも祝辞を述べる。
「目覚ましい上達ぶりですね。おめでとうございます」
  ウォーレンの誉め言葉に照れた要は剣を指さし真実を話す。
「私の実力じゃ無いさ。コイツのお陰なんだ。コイツの言う通りに動いてたら、勝っちゃったんだよ」
「剣精の声をですか? だとしても凄いですよ。貴女が反応しなければ負けていたんですから。貴女はもっと自分に自信を持つべきです」
  要は照れ隠しにポリポリと頬を掻く。要の後ろで話を聞いていた賢者達が話に加わる。
「へぇー、手助けしてたのは剣精だったのか。ふーん、なるほどねぇ。道理で動きが滑らかだったんだな」
  トトラトが納得したように頷く。ラキスも、
「確かに早い反応だったな。そうだ、ちょうどいいからその剣持って旅に出たらどうだい?」
頷き、手をポンと打って名案だと言わんばかりに話を進めて来る。
〈私は御免だな、こんな未熟者とだなんて〉
  即座に剣精が却下する。要も剣を睨んで一緒に却下する。
「こっちだって御免だよ、あんたみたいな偉そーな奴は」
「剣精はいやがってるの?」
  ジュニマイラが尋ねる。
「聞こえねーの?」
  一同が頷く。
「精霊は気にいった者としか会話せんて教えたやろが。もう忘れたんかいな」
  アルマリアが呆れ声で言うと、要は記憶を掘り起こす。
(そー言えばそーだったかな)
〈脳みその凍った奴だ。言っておくが私はお前を気にいった訳じゃないからな。あまりにも情けなくて仕方なくでだ〉
「うるせーや。気にいらないなら黙ってろ」
  要は頬をピクピクさせながらそう言うと、手渡された鞘に口うるさい剣を納め、ウォーレンに返すと、
「こんな偉そうなの連れてったら、うるさくってしょうがないからいらない。ホラ、フゲツ行こう」
本気でそう思っているのだろう、風月を連れてホールからスタスタと出て行こうとする。その背中をラキスが呼び止めると、
「じゃあ、今日の試験は失格だ。もう一週間ここでじっくり仕込んであげよう」
要の失格を宣言する。他の賢者達も「しょうがないな」と言うように同意する。
「なっ」
  驚いて振り返る要に、ラキスは諭すように言って聞かせる。
「当然だろう? 自力でさっきみたいに出来るなら文句は無いさ。でも出来ないならもう少し習練が必要だ。でも習練が嫌ならその剣を持って行く事だ。その剣は君の経験不足を補ってくれる事だろう」
「───。きったねーな、大人って。……分かったよ、持ってきゃいいんだろ? 持ってきゃ」
  苦虫を潰したような面持ちでウォーレンの差し出す剣をつかみ取ると、今度こそホールから出て行った。彼女にウォーレンの、
「明日の出発は早いですから、今日は早めに休んで下さいね」
が、聞こえたかどうかは定かではない。
つづく