『正邪』の剣
第十一章 契約
星降月十日現在。二人は西方颯土最大の森・ムーフォニアを突破中だった。
  トゥハからテレシュレルを経由し、南方灼土の最大都市ケセストゥルを目指す二人は、ひたすらウバラを走らせていた。
  その頃には、ヴァハルとリューラは二十日間の洗礼を終え昇天していた。
  その二人の遺言はと言うと、
〈親はいつか子よりも先に死ぬもんさ。それが少し早まっただけの事だ。過去を悩むな、未来の為に悩め。分かったか? 分かったら最後ぐらい笑ってくれよ〉
と、
〈この二十日間とっても楽しかったわ。いい思い出をありがとう。ああ、泣かないで。きっと又、邂えるわ。私達生まれ変わったら、絶対に邂いに行くから、それまで気長に待っていて。だからさよならは言わないわ。いつか遠い未来で邂いましょうね〉
で、最後のキスを交わして二人は光になった。その後要は二、三日の間ブルーだったが、二人の言葉を信じ、再び巡り邂う日を楽しみに待つ事にしたのだ。



「ギィエーッ! ギェッギェッギェッ」×2
  全然可愛くない鳴き声をあげてウバラが唐突に立ち止まった。慣性の法則を受けてウバラの堅い鱗で覆われた首筋に顔を強打した要が鼻をさすって愚痴をこぼす。
「っ痛ぇ──。……また魔物でもいるのか? それとも賊なのか?」
  ウバラから降りると湿った地面に手を着く。情報収集は風の精霊に聞くのが一番手っ取り早いのだが、風の吹かない深い森の中ではそれも儘ならない。
〈………いる。一黒が一匹と子供が五人〉
「子供がっ!? 無事なのか? ここから遠いのか?」
  時間の掛かる返答に苛立ちつつも地道に待つ。
〈………子供達は無事。でも魔物は無事じゃない。………場所は左前方にここから三百ウル(約一キロメートル弱)〉
  話の内容に小首を傾げ、詳細を求める。
〈………子供達が魔物を攻撃してる。………魔物は反撃しないで逃げ回ってる〉
「今は逃げ回ってても、ずっとって訳じゃないだろうし、とにかく危険だ。フゲツ、とりあえず行ってみよう」
  風月を促すと手綱を手頃な木にくくりつけると、賊と魔物よけの為に結界を張り、ついでにウバラを眠らせて、地の精霊の導きに従い《陣》を使って移動した。



「わあっ! 魔物だぁ!」×5
  突然現れた二人に驚き、見事にハモった叫び声をあげて子供達が一目散に逃げ回る。
「誰が魔物だ、誰が。目ぇ見開いてよく見ろってんだ」
  要の一喝に木々の陰から子供達が顔を出し、魔法使いと剣士の姿を認めると、わらわらと飛び出し、口々に訴える。
「剣士のお兄ちゃん! こいつ魔物だよっ、早くやっつけてよ! でなきゃ村が襲われちゃうよっ」
「そうだよ、お兄ちゃん。魔物は人を殺す悪い奴だ。退治しなきゃ駄目なんだよ」
「そうだ、そうだ」×3
  子供達の言い様に要は頬を引攣らせ、訂正をしようとした時、
「違ウッ、俺ハ村ヲ襲ッタリシナイシ、人ヲ殺シタコトモ無イ! 本当ダ、俺ノ名前ハ、カーティ。俺ト女神ノ名ニ懸ケテ誓ウ。ダカラ信ジテクレッ」
要の足元で魔物が叫んだ。体長五十センチメートル強、赤茶地に紫斑がある醜悪な大蜴だ。二股の尾がピタピタと地を叩き、裂けた口から緑色の舌がチロチロと覗いている。レンズのような漆黒の瞳には怪訝そうな要が映っていた。
「嘘つきだ! 嘘つきだ! 皆、やっつけちゃえっ」
  その声を皮切りに子供達が石を拾い、ぶつけようとするのを要は慌てて止めに入る。
「ちょっと待て、落着けお前達。こいつは確かに嘘はついてないよ」
  思いがけない言葉に魔物も子供達も驚いて要を見詰める。要は更に言葉を紡ぐ。
「いいか? 魔物ってのは私らと違って嘘をつきにくいもんなんだ。何故かとゆーとだな、魂を護る肉が無いからだ」
「肉なら有るよ。ほらっ」
  一人が尾の一つを踏み付けた。
「ギャッ!!」
  魔物は哭いて要の後ろに隠れ、要は尾を踏み付けた子供の頭をパチンと叩くと、どやしつける。
「おとなしく人の話を聞けっ。こいつらは死んだら何も残んないの。だから肉が無いって言うの。そんで嘘をついて相手に言質を取られたらだな、自分の命を握られたも同じなの。勿論、自分の格と相手の格で言質を無効化する事も出来るけど、こいつじゃ無理だ。後、魔物だろーが何だろーが女神の名前に懸けて誓った事に嘘はつけないんだよっ! 最初のは知んなくたって、それくらいは知ってんだろうが」
「でも、でもこいつは魔物なんだ。退治しなきゃ絶対に人を殺すんだっ」
  年長らしき少年は要の言い分に押されながらも必死の反論したが要には通用しない。
「じゃあ、もしお前が未来で人殺しをすから、今ここでお前を退治するとしたらどうする?」
  極論かもしれないが要の言葉に子供達は顔を見合わせた。内の一人がボソッと応える。
「…ヤだ」
「だろ? ならこいつは許してやれ。もう家に帰れ。今日は運が良かったんだから」
「どうして?」
  意味が分からず無邪気に問う子供に要は呆れたように答える。
「どうしてって、お前らこんなナリでも魔物だぞ? 魔力だって持ってんだぞ? その気になりゃお前ら五人なんかあっとゆー間に喰われてるさ」
  初めて事の重大さに気付いた子供達は震え上がって魔物に謝った。現金な子供達だ。
「分かったら早く村に帰れ。近いのか?」
  要の問いに頷くと子供達は一目散に帰って行った。ポカンとしている魔物に目を遣ると、
「お前もさっさと自分の住処に帰れよ」
言って風月を促し、元の場所に戻る為の《陣》を作って移動しようとした時、魔物が要を呼び止めた。
「待ッテ下サイッ。俺ヲ貴方ノ使イ魔ニシテ下サイ。オ願イシマスッ」
「は? 使い魔? 何だそりゃ」
  風月に説明を求める。
「使い魔ってゆーのは、人に与する魔物の事だよ。忠誠を誓う相手と契約の儀式を交わして、その人の支配下に下る事だ。この魔物はカナメに忠誠を誓いたいと言ってるんだ」
「ちゅーせぇ──? そんなのいいから、とっとと帰んな」
  取り付く島も無く《陣》に乗ろうとする要の足にしがみつき、魔物は懇願を繰り返した。
「オ願イシマス、オ願イシマス、オ願イシマス、オ願イシマス…」
「───、おいっフゲツ! コラッ笑ってないで、なんとかしてくれ! 頼むよぉ」
  要が風月に助け舟を求めている間も魔物はずっと「オ願イシマス」を繰り返している。
「そんなに一生懸命頼んでるんだから、契約してあげたら? 使い魔がいて起こる不都合なんか特に無いんだし。どうしても厭だっていうなら、そいつを何とかしなきゃね」
「何とかって?」
  足に絡み付くカーティの手足を外すのに苦戦しながら要は詳細を求める。
「説得は無理みたいだし、手っ取り早く殺せばいい。殺すのが厭なら追えないように手足を切り落として無に封じ込めればいい」
  一瞬、カーティの体がビクッとした。
「そ、そんな事出来る訳無いだろっ!」
「じゃあ、契約してあげなよ」
  反射的に怒鳴って応えると、風月は腕を組んで諦めるように促した。
「―…分かったよっ、契約すりゃいいんだろっ? 契約。畜生っ何だってやってやる」
  要は風月を睨みながら、やけっぱちで契約を承諾するとナップザックから魔導書を取り出し、契約の章を探してページを繰る。
「貴方ハ魔法ガ使エルノデスカ?」
「だったら止めるか? なら今のうちだぞ。もう一度言うけど、誰かの支配下に下るなんて下らない事は思い直せ、な?」
  悪あがきを見せる要に魔物は首を振る。
「俺ハ貴方ノ優シサニ感動シタンデス。ダカラ貴方ガ魔法使イデモ関係アリマセン」
「―分かった、じゃあ後ろに下がって。ああ、その前に二つだけ覚えといて。私は女だって事と、お前を支配なんかしたく無いって事だ!」
  切り裂いた左手首から鮮血が迸る。その血が地に落ちる寸前、《呪文》が要の口から厳かに紡がれた。
「地の精霊 水の精霊 火の精霊 風の精霊 契約の証と成りて 我が四囲に立て」
  血が自らの意志で以て軌跡を描く。半径三メートルの円、内接する六芒星、内接する円、内接する五芒星、空白部分に二十三の神代文字が描かれ、《魔法陣》は眩い光に満ちた。
  《陣》の中心に進み出ると更なる《呪文》を紡ぐ。
「昔いまし神の理を以て 我 汝の誓約を求めん 我に名を捧げ心を捧ぐば 我 汝と共に在らん 汝の名は?」
「カーティ…」
  要から吹き荒れる威厳の波動に耐えて名を名乗る。カーティはその時信じられないものを見た。
  銀の髪、銀の爪、銀の瞳。いる筈のない存在に目も口も大きく開かれる。
「我が名を唱え 『正』なる印を受けよ 我が名は?」
  要が正三角形の現れた左の掌を差し出すと、カーティは夢中で《陣》に踏み込み、彼ら魔物の中では忌み名とされる者の名を紡ぐ。
「イディア―」
  左手がカーティの額の紋に重なった。

   強烈な閃光

  唐突に光が消えると蜴の姿はなかった。代わりに一人の男が佇んでいた。漆黒の瞳と髪と爪と絶世の美貌を持つ男が。
「えっ?」
  あれ程高く見上げていた少女を見下ろしているという事実。体の底から沸き上がる力。突然芽生えた膨大な知識に違和感を覚えた。
「驚いたね、いきなり三黒の上位になるなんて。それともさすがと言うべきかな?」
  風月が要を見遣ると、要は──目色は元に戻っていた──を皿にしていた。
「どういう事ったよ、これ」
  男を指さし、風月に詰め寄ると風月は魔導書をさして参照するように暗に促す。
  書いてあったのは要するに、契約者の格に応じて魔物はレベルアップするという事だった。
「三黒? 俺が? 信じられないっ」
  以前の自分では創れなかった鏡を創って己を映す。通った鼻筋、切れ長の目、やや薄めの唇、柔和な細い眉、蜴だった頃の面影はかけらも無く、艶やかな黒髪がゆったりとまとまって右肩にたれている。額の魔紋──三つの黒く丸い三日月──が銀色の正三角形で囲まれていた。これこそが使い魔の証。
「ありがとうございます! ありがとうございます!! 俺と契約してくれて、本っ当にありがとうございます。契約してくれただけでも嬉しいのに、こんな、こんな三黒にまでなれたなんて。本当に本当にありがとうございます。俺は死ぬまで貴女の為に働きますっ!」
  カーティは狂喜乱舞の様相で要を抱き締めた。要はと言うと、愛情表現の過剰な両親のお陰で慣れたと言うか、慣れさせられたと言うか、ともかく、この抱擁にも舞い上がり動揺する事は無かった。
「カーティ、あのな。死ぬまで私と一緒にいるつもりなら、私の友達になってくれ。私は使い魔なんていらない。なんだか使用人みたいで嫌だ。だけど友達なら欲しい」 
  ふと抱き締める力が弱まり、要は少し離れるとカーティを見詰めた。カーティは不思議そうな顔をしたが、要の言う事ならばという表情で答える。
「イディアが、貴女がそう言うなら、そうする。いつまでもイディアと一緒に居たいから友達になる」
  その答えに要はよしよしとカーティの頭を撫で最後の注文を付ける。
「じゃあ、最後に一つ。私の名前はイディアじゃなくてカナメだ。カ・ナ・メ。分かった?」
  分からないという顔をするとカーティは、
「どうして? イディアは真名だろ? だから契約出来たんじゃ…」
頭を抱えて考え込んだ。
「だぁかぁらぁ、それは前世の名前。今の私には育ての親が付けてくれた名前があんの。私はこの名前が気に入ってるの。だからこの名前じゃなきゃ返事しないからね、絶対に」
  そんな辛い状況に耐えられる筈もないカーティは即座に了承した。
  二人の話しを黙って聞いていた風月が話の切れ目に乗じて口を挟む。
「その話はもう終わりにして、そろそろ出発しないと日暮れまでに森を抜けられなくて、今日も野宿になるよ?」
「げっ、冗談。もうヤダよ。早く戻ろっ」
  慌ててそう言うと要は放ったらかしの《魔法陣》に乗ろうとした。が、ふと気付いたようにカーティを指さした。
「ウバラ、大丈夫かな? 怖がらないかな?」
  要の問いに風月は肩を竦める。
「会わせてみなきゃ分からないね」
「うーん、しゃあない。カーティ、悪いけど人間の男の子に変成してくれる? もしかしたら誤魔化せるかもしれないし、誤魔化せたら相乗りするのに大変だし、何より目立つ」
  目立つ事が余り好きでない要はそう要請した。
(ただでさえ美形過ぎる風月が目立ってるのに、これ以上は御免だ)
  自分の容姿に興味の無い要はこれまでどこの市町村で受けた好奇の視線や色々なお誘いの類の原因は総て風月にあると思っているのだ。
  まあ、そんな事はどうでもいい。要の言葉に忠実なカーティは頷いて、少年に変成した。要と同じ色の髪と瞳と爪、よく似た容姿、変成しても消せない魔紋を除けば兄弟としか言様が無いだろう。風月が二人を並べて見比べる。
「これならよく似た兄弟…、ってぇ」
  風月の失言にすかさず要の平手が飛んだ。そしてカーティの手を引き物も言わずに《陣》乗り込んだ。
  心配していたウバラの件は銀印が妖気を打ち消しているらしく、カーティに対して脅える事はなかった。
  そうして三人の旅が始まったのだった。
  ……その夜は野宿だった。
つづく