「あれがラーズラーシャ封印の地、ケルーシャか…。神殿はあの熔岩の中にあるのか?」
遥か上空から望む活火山ケルーシャの火は、天空を彩る星のように妖しく輝いていた。
「そのように聞き及んでございます」
脇に控えたマリージュが恭しく頭を垂れる。ラシャは無言のままゆっくりと下降する。妖星が太陽になると、銀の髪は火口から吹き荒れる熱風を受け、生き物のように舞い踊った。さらに下降するとラシャは火口付近に飛び回る何かを発見した。目を凝らすと、鳥である事が分かった。
「あの鳥は何だ?」
「あれは守護霊獣と申しまして、神殿を守護する為に前世の王がお創りになられた物です。王のお力を狙う不届き者は、大抵あれらに退治されます。形態は確か……炎を纏う双頭三本足の大烏です」
マリージュの説明通り守護霊獣は熔岩に飛び込むと新たな火を纏い、けたたましい啼き声を上げて火口面を飛び回っていた。が、一羽が近付く異方者に気付くと、数十羽の群れが円陣を組んで二人を取り囲んだ。守護霊獣は二人を中心に十分な間合いを取ると、輪を廻しながら語り掛ける。
〈何者ぞ、此処はラーズラーシャ様の神力封印の地。欲に駆られし愚かなる者共よ、疾く去ぬるが良い。神殿に通ずる此の道は、我らが主、ラシャ様のみがお通りになられるのだ〉
四方八方から響く声にラシャは鼻で笑って返す。
「俺がお前達の主、ラシャだ。分かったらそこをどけ。邪魔するのなら容赦はし無い」
不遜な態度の異方者に守護霊獣は徐々に輪を狭め、更に語り掛ける。
〈確かに汝は我らが主と類似した魂の持ち主。だが我らが主はそのような『邪』に汚れた魂の持ち主ではない。疾く去ね。疾く去ね…〉
「じゃあ、死ねっ!」
マリージュが異次元に身を滑り込ませる。ラシャは自分の獲物に手を出されると、烈火の如く怒り狂うのだ。ラシャは喜々として守護霊獣を切り裂く。守護霊獣が仕掛ける攻撃も、その身から放たれる業火も、ラシャの髪一筋、いや服の裾さえも焦がす事が出来なかった。その間も守護霊獣は一羽、また一羽と翼をもがれ、苦悶の鳴き声を上げて煉獄の熔岩の一部と化して行く。総ての守護霊獣が消え行くまでに、
そう時間は掛からなかった。だが、時は闇月に突入していた。
「馬鹿な奴らだ、おとなしく引けばいいものを…。マリージュ、もう神殿の扉は開いているのだな?」
いつの間にやら現れたマリージュが頷いて答える。
「…あとはこの熔岩を消せればいいんだな。神殿を壊さないように加減しなきゃ…」
呟いて、両手を火口に向けて気を集中させる。目も眩むような白色の炎がラシャの手を核として膨張し、弾ける寸前に投げ落とされた。
カッと閃光が走った直後、海を、大地を揺るがす轟音が世界中を支配した。
「あれが神殿か…」
見遣れば神山ケルーシャは跡形も無く、白亜の神殿だけが風吹けば倒れそうな危うい土台だけの立地に建っていた。
開かれている扉に向かってラシャは急降下し、音も無く着地するとマリージュを促して中に足を踏みいれた。二人とも緊張のせいか、ほんのりと顔が上気している。
その二人の行く手を阻むかのように、十頭の守護神獣が現れた。その背後、神殿の最奥には人影があった。
「ラーズラーシャ様…」
マリージュが嬉しいのか、悲しいのか、困っているのか判別し難い表情を浮かべて呟いた。
「………」
そんなマリージュにラシャはムッとしながら、目を凝らして改めて人影を見遣る。
まず目に入るのは神殿内の光を受けて輝く長い長い白髪。続いて額に戴く神紋。男性にも女性にも見えない整い過ぎた線の細い容姿は、どこか自分によく似ている。慈愛に満ちた微笑みを別にすればの話だが…。見掛けの年齢は二十一、二。目が閉じられているので瞳の色は分からないが、爪の色は白銀だった。そして真っ白な長衣で包まれたその細い身体は、水晶のような透明な楕円形の柩のような物の中に佇んで…いや、ゆらゆらと浮かんでいた。
「お懐かしいですか?」
意識を飛ばしかけていたラシャは突然の守護神獣の問い掛けに我に返る。
「懐かしい? これは俺とは別人だ」
言外に守護神獣の言葉を否定するラシャに向けられた青く清浄な瞳は悲しみに彩られていた。その視線を不快に感じたラシャは、左手を薙ぎ払って守護神獣達を吹き飛ばした。守護神獣達は二転三転して態勢を整えるが、その悲しい目を変える事は無かった。
「……―馬鹿烏みたいに死にたくなければそこをどけ。それとその目を止めろ。気に入らん」
ラシャの視線をモロに受け、正面の守護神獣は弾き飛ばされ、のけ反った。少しふらつきながら起き上がった神獣の額は割れて銀の体液が流れ出ていた。が、程無く傷は癒えてしまった。
「ラーズラーシャ様が神力を封印なされた時、イディア様は『次にここに来るラシャはお前達の知らないラシャだ。その時は向かい合わずに逃げるのだ』と、おっしゃっておられました」
傷の癒えた守護神獣が語り出すと、順繰りに語り出す。声も形態も同じなので輪唱のような奇妙な印象がそこにはあった。
「私達は長い時の中でいつも話し合っていました」
「貴方様に刃向かう可きか、否かを…」
「決論は出ず、ただただ無意味に時は流れて行きました」
「ですが、今貴方様にお会いして心が決まりました」
「貴方様にお創り頂きました」
「私達守護神獣どもは」
「ラシャ様並びにイディア様、お二人の御為に」
「この命を賭してでも」
「神力を守らせて頂きます」
はっきりと宣言し、眠るラーズラーシャを囲んで、総てを遮断する強固な結界を造った。
「イディ…ア? 初めて聞くのに何だろう。何だか懐かしい…」
しかしラシャは結界の事などそっちのけで頭を抱え込んでいた。記憶がフラッシュバックを起こし、マリージュ達によって魂の底に封じられたイディアが現れたのだ。
(何だ? この男は。何故俺に微笑みかけるんだっ! 誰なんだお前は!)
マリージュは小さく舌打ちし、現れては消えて行く幻を誰何するラシャの両肩を揺さぶって、意識を呼び戻す。
「王! しっかりなさって下さいっ。貴奴らの術中にはまってはなりませんっ」
「誰なんだっ、お前は」
ラシャはあらぬ方を向いて誰何を続ける。
「―ご無礼をお許し下さいっ!」
言うや否や、マリージュはラシャの両手をつかみ、微弱な雷を放った。
「! …―マリージュ。お、俺は今何を…」
強烈な衝撃に正気を取り戻したラシャは額に手をやり瞬いた。
「貴奴らの言葉が王のお心を惑わしたのです」
「俺の心を…、俺の」
言葉を繰り返し、意味を噛み締める毎に怒りが涌き出る。己の腑甲斐無さが原因の大半だったが、後の残りはそんな言葉を吐いた守護神獣に対するものだった。
「たかが神獣ごときが俺の心を惑わすなんて身の程知らずもいいとこだ。……この不快感はお前らの命でそそがせてもらうぞ」
ラシャは右手を高く掲げると結界目掛けて振り降ろした。ラシャの力と結界とが軋みあってバチバチと火花が散る。
「守りを固めて助けを待つつもりか? 無駄だ、そんな結界、破る事ぐらい訳は無い」
黒銀の爪が宙を滑り、軌跡を描く。
「我に命預けし 冥界の鬼賊共よ 太古の命約に依りて 我が声を聞き 我が命に従え」
ラシャはふわりと浮き上がると、両手を組み《気》を高める。全身を覆っていた深紅の放電光がラシャの手一点に集積すると神殿いや、大地が耐え切れなくなったかのように悲鳴を上げる。
「我に刃向かう愚者共に 朱の鎌を振り降ろせっ ―生き残ってたら見逃してやるよ」
詠唱を終えたラシャは最後にそう言うと、両手を左右に大きく開き、勢い良く前に振り払った。
二つ巨大な深紅の鎌が物凄いスピードで回転しながら結界に激突した。二人はマントで以て轟音と共に飛んで来る瓦礫を悉く退けている。瓦礫は総てマントに触れる直前で砂になっていた。
しばらくして舞い上がっていた砂ぼこりが落ち着くと、景色は一転していた。辺りは荘厳華麗な神殿の成れの果てで構成された荒野が広がり、守護神獣も一匹を残して、他は塵になっていた。残っていると言っても上半身だけで、それが変わらず残っている神力の柩に引っ掛かっているに過ぎなかった。
「…うっ、ううぅ」
まだ微かに意識があるようだが、ラシャは言った通りそれ以上傷付ける事は無かった。
ラシャとマリージュは緊張した面持ちで柩に近付き、そしてラシャが神力に手を延ばした瞬間、柩に鮮血が飛び散った。
「え…?」
一瞬遅れで左の脇腹に激痛が走り、強烈な吐き気が込み上げ、ラシャはその場に頽おれた。ゲボッと吐き出された血と、脇腹から血が大きな血溜まりを造る。ラシャは右手で脇腹を圧え、左手をついて身体を起こし、霞む目で側近を見上げた。
マリージュの右手は血に染まっていた。
「な、何故…、こん…な。マ、マリージュ」
血を拭いながらマリージュは氷のように冷めた目を向けた。痛みを堪え、答を待つラシャを尻目に彼は柩に手を触れた。
「許せないのですよ。貴方にラーズラーシャ様のお力を奪われるなんて事が」
「う…奪う? 許せ、ない? ど、どういう事だ」
「貴方がラーズラーシャ様ではないから、という事ですよ」
淡々とした声が返って来た。
「じゃ、じゃあ、今まで…の総ては、ぜ、全部…嘘…なの、か?」
ラシャが苦しい息の元で問い掛けている間もマリージュはどんどんと神力を吸収している。
「いいえ、あれらは総て真実ですよ。私は心を込めて貴方にお仕えして参りました。貴方が貴方でいて下さったなら、こんな事にはならなかったと思っています」
力尽きたラシャは血溜まりに倒れ込んだ。が、銀の瞳は未だ縋るような視線をその後ろ姿に投げ掛けていた。くるりとマリージュが振り返り、すいっと跪いた。額の魔紋は消え、変わりに神紋が現れている。爪は黒銀に、瞳は金色になっていた。
「私はラーズラーシャ様の右腕として創られました。ですから、私はラーズラーシャ様の為だけに存在し、ラーズラーシャ様だけにお仕えするのです。純粋に邪悪なあの御方の為だけに…。ですが、貴方はあの小娘が現れてから変わってしまわれた。あの御方は誰も愛さなかった。私でさえもです。それなのに貴方は魂に刻みつけられた前世の心に沿ってあの小娘を愛した。もはや貴方は私が仕えるべき王ではなく、王の神力を得る資格も無い。貴方はもう要らない。そこで死んで下さい。まず手初めにあれを殺します。せめてもの手向けに、貴方達の魂は後でまとめて冥界に封じてあげますから、ここに居て下さいね。貴方達は冥界で永遠に苦しんで下さい。私はラーズラーシャ様の神力と共に永遠を生きます。…ではごきげんよう我が君…」
飛び立とうとするラシャの魂をひとまず身体に封じておき、言いたい事だけを言ってマリージュはダーヴェリア海溝へ空間を曲げて跳んだ。
(こんな事で俺は死ぬのか? 心の底から信頼していた奴に裏切られたままで死ぬのか? 嫌だっ! 死にたくない! くそぉ、血が足りない。力がほ、しい…)
そこでラシャの意識は急速に闇に飲まれていった。
その頃、十賢者は各地で起こる異変の対応におおわらわしていたが、各が一斉に強大な力を感じ取り、強い不安感を胸に抱いていた。
(この力の波動はカナメじゃありませんね。かといってラシャ様の波動でも無い。一体どうなっているんです?)
ウォーレン、いや、十賢者は鏡を創って確認を取った。そして要に対峙するマリージュの姿を見た。事の次第を瞬時に把握した十賢者は大慌てでダーヴェリア海溝へ向かい、戦線に参加したのだった。
つづく