『正邪』の剣
第十五章 闇月
「邪魔だっ! どけぃっ。雑魚どもっ」
  要の一喝が飛び、数十匹の魔物が消し飛んだ。風月もカーティも、次から次へと尽きる事なく現れ、襲い来る魔物共に閉口しつつも相手になっていた。
  マリージュ達が提案した数億数万の魔物に拠る人海戦術は功を奏していた。既に闇月に突入して十分が経過しているのだ。時間稼ぎとしては充分であろう。
「面倒だっ! フゲツ! カーティ! 結界を張れっ、一気にカタつけてやるっっ!!」
「分かった!」
「ぶっとばしちまえっ!」
  二人の周囲の空気がブゥンと震え、紗が掛かったように二人の姿が薄れた。
「天よ 光の聖杯に満ちし美酒をとれ 汝の眼に映る褻に 怒りの天雷を下せ!」
  満天の星が消え辺りが漆黒に包まれた時、要から放たれた幾万もの稲妻が雷鳴を轟かせて空を走った。
  一瞬の出来事だった。
  星は先刻と変わらず瞬いていたが、そこにいるのは要と風月とカーティとそして、五人の魔物達だった。
「すげーな…。さすがとゆーか何とゆーか」
  闇月の干渉を受けてさえこの威力を発揮するのだ。カーティは一瞬揺らぎかけた結界に冷や汗を浮かべ、口笛を吹きながらすぐさま臨戦態勢に入った。だが改めて要が三黒達と対峙したその時。空間に細やかな放電光が走り、要とカーティ以外には懐かしい力の波動が伝わった。
「やったわ! 王が先に解封なされたのよ!」
  チャーイが歓喜をあらわにして叫んだ。
「カナメ! 今のうちにっ」
  風月が促すと要は了解し、首に下げた護苻をくわえて海面に飛び込もうとした。
「させないよっ!」
「おわっ!」
  要は間一髪でガシェルが放った炎蛇をかわしたが、二弾三弾と投じられる炎蛇の為に神殿に向かえず、風月とカーティも二人づつを相手にしていて、援護にまわる事が出来なかった。
「もうすぐ、ラーズラーシャ様がおいでになられるわ。それまでおとなしくしてちょうだいね、僕」
  デーリアが妖艶な笑みを浮かべて要をからかった。要も負けじと皮肉る。
「老眼のかかったオバサンに指図される言われはないね」
「!!!」
「デーリア、ラーズラーシャ様に醜態をさらすつもりか? 控えろ。…おいでになるぞっ」
  ライルーンが真面目な、だが、興奮した声音で諌める。が、その目は明らかに笑っていた。デーリアは舌打ちしたが、近付く波動がその怒りを鎮めた。三人はかたまって現れる強敵に備えた。要が拳を握り締めた時、総てを威圧する強烈な存在が現れた。
「ああっ、お、お前は!」
  ライルーンの、いや、要以外の存在が目を見開いた。
「マリージュッ!」×7
「! マリージュ! 王はどうなされたのよっ!?」
  逸速くチャーイが衝撃から立ち直ってマリージュを詰問した。
  マリージュは静かに答える。
「今頃はもう…」
「いやぁぁっ!」
  チャーイはマリージュの答を遮り、絶叫すると唐突に姿を消した。
「骸にでもすがるつもりか…」
「お、お前どう…して。どうして王を裏切ったんだ 」
  チャーイの絶叫で我に返ったゲシスが震える声で問うた。
「私はラーズラーシャ様を裏切ってなどいない。今も私はラーズラーシャ様の第一の臣下である事に変わりは無い」
「その王を殺しておいてどこが裏切ってないってんだよっ!」
  淡々とした答にゲシスは声を荒げて糾弾した。ガシェルもライルーンもデーリアも、勿論同意見だ。
「あの方はラーズラーシャ様ではない。貴公等はイディアに出会う前のラーズラーシャ様を覚えているか? 美しく冷徹で残酷で邪悪なあの御方を。なのにあれは違う。イディアの気配を感じ取って腑抜けた姿を見た時、私は思った。いくら転生体といえど、このような者に偉大なるラーズラーシャ様の神力を継承する資格は無い、と。それならばいっその事私が継承してラーズラーシャ様の御遺志に添う方が良いと考えたのだ」
「…あんたの言ってる事はただの欺瞞よ。自分のしでかした事を正当化してるだけだわ」
「僕達は王の魂に忠誠を誓ったんだ。マリージュのした事は…どう言いつらなっても背信行為でしかない…」
  デーリアとガシェルはやり切れないという顔でマリージュに対峙した。二人には微かにだが、マリージュの気持ちが理解出来たのだ。だが、二人とってやはり王は王たる故に総てなのだ。勿論、ゲシスとライルーンにとっても王は唯一であり絶対なのだが、二人にはマリージュの気持ちはカケラも分からなかったし、分かりたくもなかった。
「テメェのくだらねぇ感傷なんざどうでもいいさ。王の敵だ。絶対に殺してやる」
「今の我の相手は貴公等でなくイディアだ。邪魔せずにおとなしくしているのだな」
  四人を無視してマリージュは要の方を見遣る。要は無言で風月とカーティから遠ざかった。
「カナメっ!」
「いいからどいてろ。巻き添えくったりしたら大変だからな」
  空を走り寄るカーティを止どめて、要はマリージュに向き合った。頭の中では腰に下げた剣精が発する警告が響いていた。
〈危険だ、引け。危険だ〉
  と。
  だが引いてどうにかなる訳でも無い。不確かだった『死』が形を取りつつ、背後から忍び寄っているのが分かる。
「こうなった元凶は貴様だ。貴様さえいなければ、あの方は王のままでいられたのだ」
「いいかげんな事抜かしてんじゃねーよ。そう言うのをだな、責任転嫁ってんだよ」
  自分勝手なマリージュに怒りを込めて言い返す。マリージュは目をただ眇ただけだった。
「死ね」
  言葉を合図に五本の竜巻きが生じ、海竜となって要を飲み込んだ。あっと言う間の出来事だった。海竜はお互いを喰らい合って、一匹の巨大な竜となって空を駆けた。
「おいっ、カナメッ!」
  カーティの声が竜の咆哮を破って海上に響いた。しかし竜は不意に力を失って海水に還った。
「げほっげほっ! 馬鹿野郎っ! 思いっきり、水飲んじまったじゃねーか!」
  びしょ濡れになった要が鼻を押さえてマリージュを睨みつけた。鼻から水が入ったせいか、海水が目に染みたせいか、はたまは両方かは分からないが、要の目は涙で真っ赤になっていた。目をこすると次いで側頭部を叩いて耳に入った水を出す。突然の出来事だったので護苻をくわえる暇が無かったようだ。
「夜の闇より尚暗き 地の底より尚深き 世の現れしより尚古き 汝を縛する有為の鎖を解き放ち 光の錠さす扉開きて 総てを喰らえっ!」
  マリージュの背後に巨大な超重力・無が口を開いた。強烈な吸引力に、要とマリージュ以外は半身を異次元に絆ぎ止めて耐えた。
「小賢しいっ。闇は光に、無は有に還れ!」
  言葉と共に無が消し飛んだ。
「……あ、あれが神の力なのか? 無を吹き飛ばしやがったぜ」
  直接神の存在を知らないカーティが驚愕に目を見開いて呟いた。
「神は詠唱を必要としないからね。もともと《呪文》は強い魔法を操る術をもたない人間の為に、イディア様がお造りになったものだから」
  風月が説明を入れる。
  その間も二人の戦いは続いている。傍目からは互角に見えるのだが、要は僅かづつだが押されていた。マリージュには余裕の笑みまでが浮かんでいるのだ。
  つい一瞬前までは…。
「カナメをきずつけちゃ、だめぇ―っ!」
「ぐあぁっ!」
  幼子の声が響き、マリージュが絶叫を上げた。皆一斉に声の方を見遣る。
「キシェル!」×3
  危険だからと宿屋に残して来たキシェルがゆらゆらと海上に浮かんでいた。
「こ、小娘ぇ、よ、よくも」
  圧し殺した低い声がキシェルにむかって放たれた。マリージュは穢眼の威力をモロに受けて、身体の殆どが砕け散っていたのだ。残って居るのは右半分の顔と皮一枚の首、そして右手だけという、神と言えど生きて居るのが不思議なくらいの有り様だった。だがその身体は傷口から順に再生している。
「イディア! 今のうちに神殿に向かえ!」
「えっ!?」
  思ってもみないゲシス言葉に要は一瞬思考が止まった。
「こんな奴にのさばられるくらいなら、お前の方がまだましなんだよっ。ボケッとしてねーで、とっとと行け!」
  他の三人も頷いていた。風月も同じように勧めてくる。
「で、でもあんた達だけじゃ…」
「見くびるなっ」
  言って、再生を続けるマリージュを攻撃する。それを皮切りに総攻撃が開始した。
「カナメッ、はやくいって」
「カナメッ、キシェルの心使いを無駄にするな!」
  強力な魔力を使ってしまい、ふらふらになっているキシェルを抱き抱えて、カーティは神殿を指さした。
「! すぐ戻る! だからカーティ、キシェルを頼んだぞ!」
「嫌だけど頼まれてやるよ」
  答も聞かずに要は海中へと身を踊らせた。



  時は多少前後して、ここはケルーシャである。マリージュが言った通り、チャーイは神殿であった所に足を踏み入れていた。星明かりだけの薄暗さの中でも彼女にははっきり見えていた。血溜まりの中に俯せになっているラシャの姿が。
  チャーイは震える手を伸ばしながら、ふらふらとラシャに近付いた。
「王、…ラ、ラシャ様?」
  応は返らない。ラシャの身体はピクリとも動かない。
「そんな、そんな…」
「ラシャ様は、まだ、生きて、らっしゃい…ます。どうか、この方を…助け…て」
「!」
  ラシャの陰で白い何かが動いた。生き残りの守護神獣だ。だがそれを最後に神獣は事切れ、塵に還った。僅かに残る命の炎を燃やしてラシャを癒していたのだ。
  とにかくチャーイは血にまみれた首に手をやり、脈を取る。微かにでも確かに脈打っている。
「あぁ」
  安堵の声を上げ、早速に癒しに取り掛かったチャーイは、予想以上に傷がひどい事に気が付いた。
(どうしよう、私の持てる総ての力を注ぎ込まないと回復出来ないわ)
  魔物にとって力の消滅はそのまま存在の消滅を意味しているのだ。だがある考えが僅かな迷いの後、チャーイを決心させた。
(そうだわ、このままラシャ様に同化してしまえば、永遠に離れる事は無いんだわ)
  ラシャと一つの存在になれる。考えるだけで身がとろけそうな甘美な誘惑だった。
  チャーイはラシャを仰向けにし、流れ出た血を清めた。そして最初で最後の接吻をし、その胸に倒れ込んだ。
  チャーイの輪郭が次第に薄れる。しかし今、ラシャの中に注ぎ込まれているのは力だけでなく感情も含まれていた。ラシャに対しての狂おしいまでの情念と、イディアに対しての想像を絶する憎悪。その小柄な身体が完全に消えた時に、ラシャはフワリと目を開け、身を起こした。
つづく