昊天記神仙列伝
第八段 干將莫邪
 開けて翌朝。しっかりと身支度を済ませた一堂は白沢の見送りを受けて鈞天に向かっていた。
  皆一様に緊張しているらしく、出発から話が途絶えたことはなかった。
〈どうやって術を解くんだろう? ねえねえ、沙羅。教えてよ〉
  白雀・伯英が白竜・暉に騎乗する沙羅に問い掛けた。が、沙羅はにっこりと微笑むだけ。むくれた伯英は白虎・號閃に問い掛ける。
〈號閃、アンタは知ってるんでしょう? 言いなさいよ〉
〈沙羅が言わないことを、俺が言うのは筋じゃないぜ〉
  だが號閃はにべなく突っぱねた。
〈なぁんかヤラシーねぇ、二人だけの秘密ってさぁ。焦らさないで教えろよ〉
  白鳳・天が白銀の蛇の鱗に包まれた首を巡らし、とり澄ましている號閃を覗き込んだ。
〈勝手に勘ぐってろよ〉
「………號閃にしては珍しく機嫌が悪いね。寝起きで気が立ってるのかな?」
  天の亀甲紋の背に座する樂峯が、相変わらずノンビリした口調で呆けた事を一人ごちた。ちなみに彼は飛行自体を得意としていないので、この様に天の背に乗っているのである。
〈昨日は遅くまで起きていらしたのでしょう? お顔の色も、瞳も、毛艶もよろしくないですわ〉
  白麟・粋珠が心配げに號閃と併走する。
〈ん……。あんまし寝てないけど、皆が心配する程のことじゃねーよ〉
「………それは良いが號閃。このハゲはなんだ?」
  號閃に跨った晶が毛皮を撫でながら尋ねた。が、號閃は沙羅をちらりと恨めしそうに見ただけだった。まぁ、それで全員、正確な事情を察したわけだ。
  そんなこんなで世間話を続けて鈞天は天帝の御座所・禁上殿堂に到着した一堂はすっかり喋り疲れていた。
  妙に咳き払いをする一堂に訝しげな視線を送りながら出迎えの嬪御は礼儀正しく挨拶する。
「ようこそおいで下さいました、昊天国の皆々様。すでに上帝並びに、四方天帝、西王母様、東王父様が玉堂でお待ちしていらっしゃいまする」
「そうなん?」
「はい。ではお連れ致します」
「おおきに」
「お待ちを」
  歩き出した一堂を他の嬪御が呼び止めた。
「申し訳ございませぬが、昊天国六獣様には房室を用意してございますので、そちらの方にお向かい下さいまし。これ…」
  新たな嬪御が進み出て一礼する。
「六獣様、こちらにござりまする」
「あい分かりました」
  言うや號閃は率先して嬪御に向き直り、ふと沙羅と視線が合うと、小さく微かに頷いた。
  残る五獣は怪訝さを露にしていたが、
「上帝のご命令でございまする」
と言われ、逆らえる筈もなく號閃に促されて嬪御についていった。
  そして彼らを見送った晶も少なからず不審気な表情を浮かべて沙羅を見る。
「沙羅、何故あいつらが…」
「女大君が待ってはるんやて。行くで」
  だが沙羅は晶の問い掛けを遮り、無視して歩き出す。その様子に沙羅に不審の色を強くした晶だが、やはり黙って沙羅に並んで歩き出した。
  無言のまま嬪御を先導とした二人は玉堂に通ずる巨扉に辿り着いた。
  嬪御と沙羅の姿を武人が認めると銅鑼が打たれ、巨扉が静かに開かれた。嬪御が脇に退くと、今度は沙羅が先に立って晶を導く。従う晶の額には緊張の所為かうっすら汗が滲んでいる。
  あの秀妃の母堂に会うことに戸惑いを感じているみたいであった。
  沙羅は女と丁度良い間をおいて立ち止まった。
  広すぎる玉堂の人(神)口密度はやたらと低かった。玉座には勿論女。その脇に座する四方天帝と、西王母、東王父。そして沙羅と晶。つまりこの九人だけなのである。
  この事実は人払いがなされている事を如実に物語っていた。その事に晶は内心眉根を寄せていた。
(何が始まるんだ? ただ単に術を解くだけではないのか? !?)
  だが不審を抱きながら叩頭する晶に倣って、沙羅も跪いて叩頭した。晶にはその事実が信じられなかった。
  以前、天上天下唯我独尊と豪語していた沙羅が、何の苦もなく跪き、額を床に押し当てたのだ。これが不思議…いや不自然以外の何ものであろうか。晶は叩頭を続けたまま悶々と先の問いを堂々巡りさせていた。
「晶。晶っ!」
「え?」
  晶の思考を沙羅の鋭い声音が断ち切った。
「何をぼっとしてんねんな。女大君が詫び入れたいってゆうてはるんや。はよ顔上げ」
「あっ、申し訳ございませぬ!」
  赤面して顔を上げた晶に、女は小さく微笑むと、今は亡き娘を思いやりながら言の葉を発し始める。
「昊天王ロ殿、此度は秀妃が多大なる苦辛を掛けてしまった事をあれの母親として、また、九天を治める者として忝なく思っております」
「御勿体ない御言葉と御気持ちでございます。なれど黄溟公主様がおっしゃった通り、我が民にも落ち度がございましたのも事実。公主様がお怒りになるのも無理からぬ事、と不肖も思っております。それ故、此度の件を宝戒と致しまして、天王位を致禄申し上げようと思っております」
「晶っ!?」
「昊天王! 何故!?」
  寝耳に水の晶の言葉に一堂が己の耳を疑った。
「………この三年の間、不肖も色々と愚考を重ねて参りました。不肖の存在が民を傲らせているのは周知の事。また才有る者の道を阻んでいるのも必至。なれば位を退くのが良いと思い至りました」
  そしてちらりと沙羅を見遣ると、
「そして何よりも不肖には昊天国よりも大事な者が出来てしまいました。それに尽きましても、不肖に天王たる資格は無しと勝手ながら判断致しました次第でございます」
言って再び叩頭した。
「しかし……」
  女は、いや晶を除く者は全ていきなりの告白に酷く逡巡していた。
  そして女達の視線は晶ではなく、きつく唇を噛み締めている沙羅に集中した。
「不死人殿………」
  迷いの色も露な女の言葉に目を閉じると、吹っ切ったように頭を振った。強く意志の籠もった眼差しを受けて、女は悲しみを湛えて目を伏せた。
「? 沙羅…何」
「昊天王、今より其の方に掛けられし呪いを解く。こちらに」
「は、はいっ。畏まりました」
  伏羲の言葉に晶は言葉を飲み込んで前に出た。そして………。
「!」
  呻き声一つ挙げられず、ドサッと晶は前のめりに倒れ込んだ。その背の急所には深々と短刀が突き立っている。
「くぅっ!」
  突然沙羅と、そして彼方の房室に追いやられた六獣は激しい喪失感に襲われた。
「晶………」
  沙羅は既に絶命している晶の脇に座り込むと、柄に手を掛けて短刀を引き抜いた。返り血が沙羅の手に、顔に、服に点々と赤班を造りあげた。
  グゥワワワワァンッ!
  奇妙な轟きと共に巨扉が乱暴に押し開かれた。怒号と悲鳴が交錯する中、日の光のように直線的な金髪の女が鉄尖棒を構える武人を薙ぎ払って玉堂に押し入った。
  そして床に倒れ伏している晶の姿と、血に汚れた短刀を握り締めている沙羅を見るや金竜に変化して沙羅に襲い掛かった。
暉っ! 止めろっ!!〉
  一頭の黄虎が沙羅の眼前に躍り出、猛り狂っている金竜と対峙した。
〈號閃っ!? 何故邪魔をするっ。それが王を殺したのだぞ!?〉
〈コレしか、コレしか晶を救う術がなかったんだっ!!〉
〈なっ……〉
  號閃の言葉に暉と遅れて玉堂に駆け込んだ四獣は気勢を殺がれたように立ち尽くした。
「お…、おおきに、號閃。助かったわ」
  あまりの迫力に腰を抜かしていた沙羅は、心配げに擦り寄った號閃の前足を借りて立ち上がった。
〈いや、悪かったな。どうしても暉だけは抑えられなかった〉
「まぁ…そりゃ、しゃあないやろぉなぁ」
  申し訳なさそうに鼻面を擦り寄せる號閃に、沙羅はうんうんと頷いて納得した。だが当然の事ながら五獣は納得しきれないまま立ち尽くしていた。
〈號閃、一体…一体どう言うことなのよ。あなたは王を見殺しに……〉
〈それ以上言ったら怒るぞ? それよりも暉、上帝の御前だ。人型を採ろう〉
  號閃の言葉にはっとした金竜は、上帝のみ成らず眉根を寄せている四方天帝や西王母達の姿を認めて、慌てて人型を採った。
「見苦しい所をお見せしてしまい真に申し訳ございません」
  號閃達が平身低頭して陳謝すると沙羅も言葉を添える。
「女大君。見ての通り暉は晶の事になったら周りが目に入らないんです。全ては主を思う気持ちが深い為なんです。どうか許したって下さい」
「貴様に庇われる覚えはないっ!!」
暉はギリッと睨み付けながら言い捨てた。
「控えよっ、龍族の者っ。其の方は不死人…いや、沙羅殿の心中も知らず…」
「止めて下さい、神農炎帝。暉は何にも知らなかったんです。私が黙ってたんですっ」
  厳しく暉を叱責した炎帝を退けて、沙羅は途方に暮れている五獣の元に歩み寄った。
暉、今から全部説明するから、頼むから聞いてな? 粋珠もちょっとの間我慢しといてな?」
  他でもない主の血の匂いに失神寸前の粋珠は樂峯に支えられながら頷いた。
「昨日もゆーた通り、秀妃の呪いはな、最初の内は秀妃が死んだら解ける筈やってん。でもな、最後ん時秀妃は自分が死んでも解けんように、全身全霊を掛けてやな新しい呪いを掛けよったんや。………この呪いはどうしょーもない程強力な呪いでな、普通の方法では晶は助けられん、て言われたんや」
「それって普通でない方法なら主上を助けられるって事?」
「うん。つまりなコレがその普通でない方法やねん。一度晶を殺して呪いを無効化させて、それから晶を生き返らせるっちゅーのがさ」
  伯英の問いに頷いた沙羅に天は疑問を投げ掛ける。
「生き返らせるってどうやって…。主上は大昔に尸解の術で生き返ってるんだぞ? あれって確か、一生に一回しか効かなかったんじゃないの?」
「他に反魂の術があるのかい?」
「無いよそんなもん。でも晶は生き返らせる」
  沙羅は自信を持って樂峯の問いに応え、皆を見つめた。
「でも…、どうやって?」
「それは見てのお楽しみっちゅーこって」
  笑って誤魔化した沙羅は小さく息を吐いてから女を見上げた。
「あれを貸して下さい」
「………本当に、本当に良いのですね?」
「もう決めました」
  キッパリとした沙羅の返答に女は目を伏せると、
「分かりました。様、少昊様、沙羅殿に干將莫邪を…」
  脇で溜め息を吐いている二天帝を促した。
  二天帝は陰陽二振りの太刀を捧げ持って沙羅の元に歩んでいった。
  沙羅はペコリと一礼すると少昊から陰の太刀・莫邪を受け取り、柄に手を掛けた。
「………あっ、忘れとった。これ白沢に返さなアカンねんや」
  言って額から摩尼宝珠を剥がし取った。
  抉れた額からは血が幾筋も流れ落ちる。が、最早不死人でない以上、その傷は癒える事無く血を流し続ける。
「ちょっと、沙羅っ!」
「かまへんかまへん。悪いけど、これ白沢に渡しといて。あと…あたしに宛われた部屋に置いてる九真珠も頼むわ」
  沙羅は血を綺麗に拭ってから焦る伯英に宝珠を手渡し、再度二天帝に深々と一礼する。
「晶の方はよろしゅうお願いします」
「あい分かった」
  安心したように沙羅はほっと息を吐いて莫邪を鞘から引き抜いた。そんな沙羅を見て、これから何が起こるのかを、五獣は漠然と理解してしまった。
「沙羅……、それしか、それしか方法は無いの? それしロ主を生き返らせる術は無いの?」
「うん……。これしか無いんやわ」
  泣きそうな伯英に沙羅は小さく頷き、詳細を話し始める。
「人一人の生命力を吹き込んで死者を黄泉返らせる………。術としては外法に入る部類らしい。だがもうこれしか術が無いんだ」
  俯き、硬く拳を握り締めながら號閃が言葉を絞り出した。五獣は瞑目して歯を食いしばる。
「主上に、主上に何て申し上げれば……」
「皆は何もゆー必要ないよ。晶の部屋に置き手紙してるから先ずそれを読ませてーや」
  混乱している天の肩を叩いて笑う沙羅に、粋珠は激しく頭を振った。
「ですが、沙羅さん。晶様はあなたの事を娶られるなさるおつもりなのでしょう? 駄目ですっ。そんな事になったら晶様は生きる気力を無くされてしまいますっ。………私が、私が沙羅さんの代わりになりますっ」
「粋珠っ!?」×6
「だって、だってお二人は愛し合っていらっしゃるのでしょう? なのに何故離れてしまえるのですっ。私はもう晶様の悲しむお顔を見たくはありませんっ!」
  ボロボロ泣き出しながら粋珠は沙羅の元に走り寄って、莫邪に手を伸ばした。だが、皆の手が粋珠を押し止めると、「誰でも良いのなら」と、皆自ら進み出た。
  だが沙羅は退くとゆっくりと頭を振った。
「何ゆーてんのよアンタらは……。アンタら昊天国の六獣やろーが。一人でも掛けたらアカンねんやろーが。昊天国の人らが全部アンタらを必要としてるんやろーが。アホな事言いないな」
「でも、沙羅!」
「デモもストもないのっ。──数の問題やねんよ。数の。晶とアンタらを必要としてる人はごまんとおるけど、あたしを必要としてるのは晶だけや。だからな? あたしがすんのがベストやの」
  言い切ると沙羅は袂から布袋を取り出し、泣き続けている粋珠に手渡した。
「どうしても晶がやかましいよーやったらコレ飲まし」
「これは…?」
「ここ何年か分の記憶が消せるらしい。九玄さんからもろたんや」
「──沙羅は、沙羅はそれでいいの?」
  伯英が泣きながら問い掛けた。
「ええんや。ホレた男の為に死ねるやてカッコえーやんか。女冥利に尽きるっちゅーもんや」
「………」
  ニッコリ微笑む沙羅に五獣は何を言えば良いのか分からず、もう俯くしか出来なかった。
「さて、と。お喋りはここまでにしとこか。みんなには色々世話になったなぁ。最後やし礼言っとくわ。えらいおおきに」
  言って深々と頭を下げてから沙羅は莫邪を構えた。
「!!」
「沙羅っ!」
暉が鋭く呼び止めた。その顔は激しく怒っているようでもあり、ただ単に涙を堪えているようでもあった。
「何やの? 暉」
「私はあなたの事が大嫌いだったわ」
「ははは、あたしもや。ほなな、みんなバイバイ」
  最上級の微笑みを返して沙羅は手を振った。
「沙羅っ」×3
「沙羅さんっ」
「沙羅ちゃんっ」
莫邪が沙羅の身を貫いた。



  全てが終わった後、玉堂は沈黙に支配された。そんな中、誰にともなく女が呟く。
「…………やはり、教えるべきではなかったのでしょうか」
  その問い掛けに答えられる者は誰一人としていなかった。



  六獣は安らかに眠り続ける晶を連れて、早々に、逃げるように鈞天を後にした。
  白帝城にて一堂の帰りを待ち侘びていた白沢が出迎えてくれた。
「? 沙羅はどうしたのじゃ?」
  姿の見えない沙羅を訝しむ白沢に、號閃は摩尼宝珠と九真珠、そして残酷なる真実を与えた。
  震える手で品々を受け取り、それらをきつく抱きしめると、
「手ずから返しに来いとゆうたのに………。愚か者めが…」
そう呟き、白沢は六獣に背を向けて方壷に帰っていった。
  そして二日後。漸く晶が死の眠りから目覚めた。



「笑えない冗談は言うものじゃない」
  告げられた事実に晶は不快さを露にして、六獣を厳しく窘めた。だが六獣は主の眼光に怯むことなく、真剣さを両の目に込めて見返した。
「いい加減にしろっ!!」
  卓子に拳を叩き付けて怒鳴りつけるが六獣は黙したままだ。號閃は小さく息を吐くと、沙羅が言った通り手紙を手渡すことにした。
「沙羅からの手紙だ。どうせ俺達が何を言おうと晶は信じないだろうからこれを読ませろ、って」
「………」
  晶は少しばかり震える自分に舌打ちしながら手紙を受け取り、表書きを見た。そこには『晶へ』と意外に達筆な日本語……、此界では沙羅と晶以外記せず、理解出来ない文字で記されていた。
  晶はその事実に鋭い痛みを覚えながら封を破って中身を取り出した。
  目を閉じ、心を鎮めてから決心したように手紙を広げる。
「───────────────────………酷い、女だ」
「晶っ、沙羅は……」
「號閃」
「……何だ?」
「沙羅の……遺体は、何処にある」
  號閃の言葉を遮って晶は低く尋ねた。
  號閃はきつく唇を噛んだ。言うべきか、言わざるべきかを思い悩んでいるようだ。
「號閃」
  先よりも更に低く、怒りを抑えた声音で晶が促すと號閃は目を閉じながら告白する。
「何処にない」
「な…んだと?」
「沙羅の遺体は何処にもない。陰の太刀・莫邪に食い尽くされて髪一本、血の一滴、骨の一片さえもこの世には残っていない。沙羅の全ては莫邪から陽の太刀・干將に移されてお前に注がれた。………だから沙羅はお前の中に息づいているんだ」
  言って號閃は懐から或る物を取り出した。
「沙羅が纏っていた衣の左袖の辺りに転がってた。お前に渡しておく」
  指輪であった。
「……………っ」
  晶は指輪を両の手で握り締めると額に押し当てた。その途轍もなく脆い主の姿に六獣は目を背けずにはいられなかった。
「………酷い女だ」
  晶は繰り返した。
「それでも、晶、沙羅はお前の事を……」
「何も言うな。少なくとも今は何も聞きたくない。───出て行け。呼ぶまで誰も近付くな」
  顔を背けて言い捨てる晶に、自分達が出来る事は何もないのだ、と痛感させられた六獣は唇を噛み締めて退出していった。
  一人になって、晶は改めて沙羅の手紙を読み返す。




がこの手紙を読んでるんやったらあたしはもう死んでるんやろうな。
  まず最初に言っとくわ。この事で六獣を責めんといて。全部あたしが言い出して、あたし一人で決めた事やから。お願いやから六獣に当たったりせんといてな。お願いやで?
  晶。今どうしてる? また自分が悪いんや、ってウジウジしてるんとちゃうか?
アカンでそんなん。折角生き返ったんやから、あたしの分まで一生懸命生きてや。自分勝手なお願い事やっちゅーのは重々分かってる。けど、それでもあたしは絶対に晶に生きていて欲しかったんや。別に自己犠牲に酔ってる訳やないで? そんなんやのーて、晶があたしの一番大切な人やから生きていて欲しかってん。
  晶に会うまでのあたしの一番はあたしやった。それは死ぬまで変らん思とった。けどな、いつのまにか晶が一番になっとった。今頃こんなんゆーたかて遅いんかも知らんけど、これが今のあたしの素直な気持ちです。
  晶。あたしは今、むっちゃくちゃ幸せです。晶があたしの事を愛してくれて、あたしが晶の事を愛せる事が出来て、ホンマに幸せです。
  だからあたしの事は忘れて下さい。號閃に九天玄女さんからもろた秘薬を預けてありますからそれを飲んで下さい。そして新しい人生を歩んで、これからも立派な天王でいて下さい。
  これがあたしの最後のお願いです。
  では晶、ずっとずっと、いつまでも元気でいて下さい。バイバイ


                                       沙羅より


(よくもまぁ、ここまで俺を、俺の意志を無視して勝手な事が言えたものだ)
  皮肉な笑みを浮かべて晶は天を仰いだ。
  呆れて涙も出なかった。自分勝手に死んでしまった沙羅が憎らしかった。だが、それ以上に愛しいのだ。
「忘れられる筈が………ないだろうが」
  声に出して晶は手紙を握りつぶした。
  目を閉じれば全てが鮮明に思い出されるのだ。
  涙をこぼしながら紡がれた睦言。少女から女に変身したあの表情。息が詰まる程に強く抱き締めた細い身体。自分を引きつけ、服従させた明灰の双眸。艶めかしい吐息に濡れた唇。そして、目にも鮮やかな朱色に染まった柔肌。背中に付けられた幾筋もの爪痕などは今も熱く疼いているのだ。
  晶は捻られた手紙に蝋燭の火を移すと崖に面した露台に出てそれを投げ捨てた。
(お前の願いだ。六獣にも当たらないし、今まで通り天王位にも就いていく。生ある限り一生懸命生きてやるさ。だが、だが……)
「誰が忘れてなどやるものか。この身が朽ち果てるまでお前だけを追い求めてやる」
  晶は孤高の王となった。
つづく