忍ぶ恋から始めよう
第三段 鬼退治は弥生の瑞泉院で
事件の後、忍君様はどうやら寝込んでしまわれたらしく、ぱったりと参内が途絶えてしまった。故に事情聴取には忍君様の親友(自称)の雪平の右中将様が太政大臣邸に赴いて行われた。
  その報告を簡潔にまとめると、
「他言無用の内々の話があるとかで中納言様の後について松原に行った。すると突然中納言様が血塗れになって倒れた」
んだそうだ。
  控えめな表現だったが宮中では中納言様の性癖(俺は男色家だと思っていたのだが、実際は両刀らしい)は周知の事実で、『内々の話云々』がどんなモノであったかは推して知るべしと言うモノだろう。
  ちなみに忍君様にそちらの気がないのも周知の事実であり、忍君様に心酔する宮中の女房女官方はこぞって中納言様を悪し様に罵り、忍君様にお悔やみの文を送ったのだった。
  そしてそして、問題の忍君様が参内なさったのは、事件から半月近く経った弥生の朔日であった。
  その半月ぶりの忍君様は見る者全てが息を飲む程に窶れておいでだった。
  冬の月のような凛とした面影はナリを潜め、明日をも知れぬ危うさと儚さに包まれていらしたのだ。
  忍君様の参内をお聞きになって早速御召しになった主上も絶句してしまわれた程だ。
  この無理を押しての参内、実は主上にお暇を請う為のものらしかった。
  勿論主上は余りの痛々しさに二つ返事で御許しになった。
  その後、律儀な忍君様は東宮様と麗景殿の中宮様と桐壺の女御様の元へと御機嫌伺に参られ、そしてなんと陰陽寮にお越しになったのだ。
  忍君様は陰陽頭、つまり父上に御用がお有りだったらしいのだ。だが間の悪い事に、父上は急な用件で留守だった。で、俺が代わりにお聞きする事になった。だがいざ話を始めると忍君様は人払いをなさったにも関わらず話あぐねておいでだった。その所為か、大体の察しを付けていた俺が、
「中納言様の死霊に悩まされていらっしゃるのですね?」
と申し上げると図星らしく驚嘆の相で俺を御覧になった。
「貴方様が焚きしめておいでの香とは別の…、そうちょうどあの日の中納言様と同じ沈香が仄かに匂っています」
「…さすがだ。よく分かるな」
  窶れた頬に赤みが差しているのを拝見すると、忍君様は素直に感服していらっしゃるようだ。
「ではお伺い致しますが中納言様の死霊が現れ始めたのはいつ頃でございますか?」
「………確か…、お亡くなりになった…次の日だな。うん、間違いない」
「はっ? 次の、日?」
  物凄く怪訝そうな俺に気づかれず、忍君様はうんうんと頷いていらした。
「ああ、間違いない」
「………」
「どうした、時守殿。それが何か問題でもあるのか?」
  がっくりと頭を落として脱力してしまった俺に忍君様は小首を傾げられる。
「………忍君様、事件の翌日から今日までと言えば十三日もございました。その間何故それ程までにお窶れになるまで我慢していらしたのですか?」
  少し俺の声音は不機嫌になっていた。だが忍君様はあっけらかんとしたモノで、
「我慢って…、私は別に我慢などしていない。ただ邸の女房や家司達に累が及び始めたからしょうがなくここに来たんだ」
と溜め息交じりにおっしゃった。
「何故でございますか?」
  いよいよ不審に思って俺は更にお尋ね申し上げた。
「何故って…。死ぬ程深刻なモノじゃなかったし、私を呪って中納言様のお気が済むならまあいいかと思って」
  何の気はない。ただ何となく。深い意味など有る筈無い。そんな感じの物言いに俺は呆気にとられてしまった。
「死ぬ程って…、何を呑気な事を…」
  ポロリと呟いてから、あっと口を押さえた。恐る恐る忍君様を見上げると、忍君様は俺の無礼な言葉など気にした風もなく頷いていらっしゃる。
「確かにね、悠長過ぎたと自分でも反省しているよ。こんな事ならもっと早く貴殿らに頼むべきだった」
「そ、そうでございますね…」
  もはや何とお答えして良いのか判らず、ただただ相槌を打つ俺に、
「では時守殿、宜しくお願いする」
とおっしゃると、忍君様は深々と頭を下げられた。



  俺は忍君様の牛車に同乗させて戴き(ああ、恐れ多い)、瑞泉院と名高い太政大臣邸に到着した。
  瑞泉院は南北二町の大邸宅で南の一町は丸々庭園になっており、その京随一と謳われる広大かつ華麗なお池故に瑞泉院と呼ばれているのである。
  実を言うと、俺はここに来るのは二度目なのだ。だけど俺は相変わらずの荘厳さに蹴落とされ、そして忍君様がお住まいの東の対に足を踏み入れた時、エゲツない瘴気を受けて目眩に襲われてしまった。
  ………何でこの人…、いやこの対の人は生きてるんだ?
  実際不思議を通り越して奇怪なのだ。普通ならばこの瘴気の中では五日と持たないだろう。それなのに半月も………。
  俺はふと松原で忍君様を守護して(いるかのように見えて)いた五人の女性の霊の存在を思い出した。
「忍君様、いきなり不躾ではございますが、五人の女性の霊にお心当たりはございませんか?」
「五人の…女性? その霊達が私を害しているのか? だとしたら私は知らない内にその女性の、しかも五人もの恨みを買っているという事か…」
「そ、そうではございません。私がお見受け致しましたところ、その霊達は貴方様を守護なさっていたように見えましたので」
「守護………?」
  てんで見当違いな事を、しかもくそ真面目に考え込まれた忍君様に俺は慌ててご訂正申し上げた。
「五人ではないけれど、三人ならば心当たりがある」
  忍君様は俺の『守護云々』に思い当たる節がお有りのようで、指三本を示された。
「私の亡くなられた姉上方だ。お三方とも私が生まれる以前にご夭折なさっているんだ」
  そう言えばそんな話を忍君様御自身からお聞きした事がある。残りは噂でだ。その所為で涼子様(忍君様の母君様だ)は忍君様ご懐妊の折り、ひどいノイローゼになられたとか、その姫君方の死の裏には呪詛が働いていたとか……。
  勿論、あくまでも噂だし、十七年以上も前の話だから信憑性はないがな。
「残念だが残りの二人に心当たりはないな」
「そうでございますか…。では、本題に入らせて戴きます。中納言様の死霊が現れるのはいつ頃でございますか?」
  痩せて少しばかり尖っている顎にお手をお当てになって、忍君様は本当に残念そうにおっしゃった。が、俺が質問を変えると今までの出現パターンを思い出していらっしゃるのか腕組みなさった。
「うーん、大体は日が暮れてから夜明けまでだな。でも全くおいでにならない時もあったから、やはりいらっしゃるまでお待ち申し上げるしかないな」
  ご自分の命を狙う輩をお待ち申し上げる、か………。変なところで律儀でいらっしゃるんだなぁ。俺は呆れを通り越して感服していた。そんでもって勧められるままに畳に腰を下ろした。
「時守様、どうぞ」
「あ、どうも」
  ひさげを持って現れた志濃の君が手渡してくれた盃を、俺は礼を言ってから受け取った。
  仕事中に不謹慎な、と思う奴がいるかも知れないがまだ日は高いし、俺ってば酒豪だし、恐れ多くも忍君様のお勧めだし…。ま、いいじゃないか。
  でもって盃に口を寄せた俺に志濃の君は祈るような真剣な眼差しで向かい合い、
「時守様、どうか忍様に害なす鬼を懲らしめて下さいませ。どのような鬼で、どのような理由があるのかは存じませんが、忍様をお悩ましになるなんて言語道断ですわっ!」
と拳を振るっての力説であった。だが当の被害者は盃を持ったまま苦笑なさると、
「お止め、志濃。全ては私の不徳から成るものだ。それにお前の口からそのような言葉は聞きたくないよ」
軽くお諫めになった。優しい口調ではあったが、逆らう事を許さない強い意志が籠もっているその言葉に、志濃の君は口を開き掛けた。だが天下無敵、泣く子も思わず笑っちゃうような微笑みを受けて、
「申し訳ございませんでしたわ」
可愛らしく拗ねたように横を向いてしまった。
「分かってくれたならもう良いから皆と一緒に西の対に行っておいで。昨夜のような恐ろしい思いはもうこりごりだろう?」
「そんなっ。わっ、わたくし、忍様のお側に居られますのなら、どのように恐ろしい鬼にだって耐えて見せますわ!」
  志濃の君を気遣うように忍君様がおっしゃると、志濃の君は気丈に答えて見せた。が、その可愛らしい声は震えていた。
「あの…、昨夜とは何が…?」
  首を傾げてお尋ねする俺に忍君様はさも不快そうに頬を歪めなさった。
「朝、目を覚ますと志濃の局に犬の首が五つ六つ散らばっていたんだ」
「! それはそれは………」
「わ、わたくしっ、わたくし…」
  言われてその光景を思い出してしまったのか志濃の君は真っ青になってガタガタと震えだした。
「志濃の君、気が散ると困るので私からも退出願いたい」
「ほら御覧。時守殿もこう言っているんだ。我が儘言わずに西の対…いや、北の対に行って母上に付いてあげておくれ。きっと心配しておいでだろうし、娘同然のお前が居てさしあげれば母上もお喜びになるに違いない」
  俺の目配せの意を介されて忍君様は最もらしい言葉をおっしゃった。
「………分かりましたわ。わたくし、御方様のお側でお待ち申し下げます。──時守様、どうか必ず忍様をお守り下さいませ」
「任せて下さい。私の名誉に掛けて鬼を退治して見せましょう」
  縋るような目に弱い俺としてはこう答えるしかないだろうな。力強く頷いてみせると、志濃の君は安心したように退出の挨拶をして東の対を去った。
「──気を使ってくれてありがとう。貴殿がああでも言ってくれなければ志濃の奴、柱にしがみついてでもここを離れなかっただろうからね」
  志濃の君の気配が完全に消えたのを確認されてから忍君様は礼をおっしゃった。
「いいえ、本当の事を申し上げたまでです。……それにしても愛らしい方ですね」
「ありがとう、よく宴の折りにでも皆様そう言って下さるんだ」
  忍君様はご自分の乳姉弟への誉め言葉を心底喜んでいらっしゃるらしく、満面に笑みを浮かべられた。俺もその笑みにつられてささやかな夢を口にした。
「わたくしもあのように愛らしい恋人と巡り会いたいものです」
「────突然だが時守殿は右京の大夫殿を知っているかな?」
  本当に突然なご質問だが、勿論俺は真面目にお答えする。
「右京の大夫様………でございますか? 右大臣様の御子息の…」
「そう、その右京の大夫殿だ。以前志濃は大夫殿から文を戴いた事があるんだ」
「それはお目出度い事でございますね」
「確かに。でも私は丁重に断らせて貰った」
「えっ!?」
  この時俺は(勿体ない)と心の中で呟いた。忍君様と違って左京の大夫様は典型的な『親の七光り』タイプだが、それでも将来は確実に保証されているのだ。
「自分で言うのも何だが、私は人を見る目があると自負している。率直に言わせて貰うと大夫殿はお若い割に色好みが過ぎる。そして志濃は私にとって掛け替えのない乳姉弟。故に必ず志濃を幸せに出来る、と私が認めた者に志濃と頼みたいと思っている」
「は、はあ…」
「その点、時守殿なら私は安心して志濃を任せられるのだが」
「ええっ!?」
  目を見開いてポッカーンとしている俺に、忍君様はにっこり微笑まれて、
「時守殿にその気があるのなら、私としては喜んで橋渡しさせて貰うが………」
とおっしゃった。
  俺はと言うといきなり「どうかな?」と言われて途轍もなく怯んでいた。
  確かに志濃の君は好みのタイプだ。顔も性格も可愛いし、可憐だし…。でも…。ああっ、早く何かご返答しなきゃ……。ああ、ぶっ飛び過ぎて言い返答が思い付かないぃ。
「くっくっくっ…。時守殿、冗談だ。そんなに真剣に悩まないでくれ」
「へ? じょ、冗談…でございますか?」
  脂汗を流して考え込んでいる俺を御覧になって、忍君様は扇でお口元をお隠しになって苦笑交じりに頷かれた。
  俺は急激に緊張から解き放たれてほっとした反面、忍君様がおっしゃった「時守殿ならば云々」の下りも冗談なのかと落ち込んでしまった。ついでに遊ばれていた事に対してもだ。俺は別に信用されていた訳ではなかったのだ(しーん)。
「志濃の事は冗談だが、貴殿に対する評価は真実だよ。その所は誤解しないでおくれ」
  激しく落ち込んでいる俺にお気付きになって忍君様は慌てたように言葉を付け足した。
「えっ!?」
  聞き返す俺に忍君様は力強く頷かれた。
「目の前の餌に直ぐさま食らい付くような者は大成しないからな。試すような真似をしてしまってすまない。だがやはり貴殿は私がおもっていた通りの人物だ。………それに基本的に恋愛は本人の自由だと思っている。だから志濃の相手は志濃が望む者と決めている。残念ながら志濃には未だ思う君が現れないらしい」
  柔らかな笑みをお浮かべになって忍君様はそうおっしゃった。だが呆然としたまんまの俺に気付かれると、表情を改められ、
「我ながら随分と失礼な真似をしてしまったな……。時守殿が気を害するのも当然だ。本当に申し訳ない」
とおっしゃるや、お手をついて頭を下げられた(!)。
「と、とんでもございませんっ。わ、わたくし如きをご信頼下さる忍君様に感謝こそ申し上げましても、気を害するなど…、本当にとんでもございません。ただ…」
「ただ、何?」
「あの、その、志濃の君は、忍君様の…その」
「志濃と私が恋仲ではないかと?」
「! は、はあ…」
「ぶっ、…はははは────っ ! し、志
濃が…わた、私の、恋人ぉ!?」
  俺はいきなり腹を抱えて大笑いを始められた忍君様を、只ひたすらに呆然と見つめていた。こんなバカ笑いをなさった忍君様を拝見した事があるなんて、京広しといえど俺くらいのものだろう。皆が知る忍君様はお声を上げてお笑いになるのさえも極稀なのだ。…………しかしよくお笑いになるなぁ。
「あ……し、失礼。あぁ、苦しかった。こんなに笑ったのは何年ぶりだろうか…」
  盃を捧げたまま固まっている俺にお気付きになって、漸く気を鎮められたが、まだお美しい相好は崩れており、目尻には涙を溜めていらっしゃる。
「…初めてですよ。忍君様のバカ笑いなんて…、あっ!」
  忍君様への二度目の失言! これは御機嫌を悪く為されたに違いないっ。俺は忍君様の御不興を覚悟しながら恐る恐る面を上げ、上目遣いで忍君様に目を向けた。
  アリャ?
  意外にも忍君様は嬉しそうに俺を見つめていらっしゃったのだ。何がそんなに嬉しくていらっしゃるのだろう?
「時守殿」
「はいっ!」
「私は時守殿の事がとても気に入ったよ」
「………は?」
「時守殿の事を好きになった、と言ったんだよ」
  とても嬉しそうにそうおっしゃった。
  ………からかわれているのだろうか? 忍君様のような大貴族様が一介の陰陽師如きに好意を持たれるなんて、そんな事が本当に有るんだろうか? 勿論俺としては身に余る光栄だ。なんせ忍君様は俺が心からご尊敬申し上げる数少ない人物なのだから。でも、やっぱり、さっきみたいにからかわれているのではなかろうか? 俺も陰陽師の端くれ。話す言葉の嘘か誠かぐらいの区別は出来る。……のだが、今日と言うよりも、今は気が高ぶっていていつもの勘が働いてくれないのだ。でも……、忍君様のお顔からは嘘など微塵も感じられない。
  ………信じよう。元々忍君様は下らない、人をコケにするような小嘘をお付きになるようなお方ではない。
「身に余る、光栄です」
  俺が手を付いて頭を下げると忍君様は気楽に微笑まれて、
「堅苦しい気遣いは無用だ。時守殿、私の盃を受けてくれ」
手にされていた盃を俺に差し出された。俺は恭しくそれを受け取ると、
「とても、嬉しいです」
とお応えして盃を呷った。
  こうして目的とは懸け離れた酒宴は延々と繰り広げられていったのだ。



  時は寅の刻を少し回った頃か。すっかり酔い潰れて俺は大の字になって爆睡し、忍君様は脇息にもたれ掛かって眠り込んでいらした。そして俺達に黒い影が近付いた。
〈死ねぃっ!〉
  忍君様の四肢が血と共に部屋中に飛び散った。美しいお顔は苦悶と驚愕で歪み、開け放たれていた格子から飛び出して前栽の陰に転がっていた。
〈はーはっはっはは。してやったぞ。なんと間抜けな陰陽師だ。役目も果たさず眠りこけるとはなぁ〉
「んな訳無いだろ? 人を馬鹿にするのも大概にしやがれ、第一にそれは形代だ」
  俺の不機嫌な声と共に血も四肢も消え、細切れた紙が風に舞った。ついでに爆睡中の俺も形代に戻った。
〈何っ!?〉
  几帳の陰から姿を現した俺に中納言(の死霊)は驚きを隠せないようだった。あー、いい気分。
〈い、何時からそこに…〉
「ずっとここに居たさ。尤も隠形の術であんたにゃ見えなかっただろうけどな」
  いってもう一つの几帳を移動させ、中納言に忍君様の無事を見せつけた。
  結界の中央に端座なさっている忍君様は悲しそうではいらっしゃったが、真っ向から中納言の視線を受け止めておられた。
〈貴様ぁ〜〉
  憤った中納言が口を裂いて飛び掛かった相手は俺だった。結界の中の忍君様よりも、大元の俺を狙うとはなかなかに冷静な判断だったが、立ち向かう相手が悪すぎた。
「臨 兵 闘 者 皆 陣 列 在 前」
  俺は素早く印を組んでポピュラーな九字を唱えた。
〈ぐうううああぁぁぁあぁっっっ!〉
  カッとした閃光が走り、中納言は絶叫を挙げた。
〈んな、汝に…禍い…在……れ〉
  忍君を指さし、最後の最後に凶言を吐いて、中納言の死霊は霧散した。
「貴方に言われるまでもなく現世での幸せなど、とっくの昔に諦めておりますよ」
  それは物凄く小さな呟きだった。
「え?」
「安らかにお眠り下さい、って言ったんだ」
  水晶細工の数珠を繰ると、物悲しそうにおっしゃった。
「そうですね………」
  上げっ放しの格子と、これまた上げっ放しの御簾の彼方から弱い光が射し込んだ。どうやら夜明けのようだ。
  忍君様は簀子にお出でになると、朝日に向かってお手を合わせて、黙祷を捧げられた。どうもしんみりした雰囲気だ。だが、その雰囲気を吹き飛ばすかのように忍君様は大きく伸びをなさった。
「あぁ、これで安心して休暇が楽しめる」
「へ?」
「実は今まで何度も休暇願を出してたんだけど、主上がお許し下さらなくてね。今回の事で少し窶れて丁度良いから、これを利用しようと思ったんだ。それで三日間食を絶って、二日間睡眠を絶ったら見た目にも酷く窶れてね。我ながら上手くいったものだ」
  ………このお方ってもしかして、思いっきり猫かぶりなんじゃ…。
  俺の中に在った神仏にも等しい忍君様像が音を立てて崩れ落ち、新たに人間くさい像の足場が組まれていった。
  忍君様はふと気付いたように俺を御覧になると、
「勿論ここだけの話だよ? 中納言様の事もね」
いたずら坊主のような溌剌とした笑みでそうおっしゃったのだ。
「………中納言様の事はともかく、忍君様の事は言い触らしたとしましても、誰も信用してくれないと思います」
「そういう時にこそ常日頃の行いが物を言うんだよ」
  ………最早何も言うまい。
つづく