頬に触れる指の柔らかさに、次第に意識が戻っていく。 重たい目蓋を半ば無理やり持ち上げる。見えたのは綺麗な金髪だった。 「―――?」 「谷山さん・・・・」 霞かかった視界が冴えると、目の前には自分の顔を覗き込むシェリーがいる。 それまでの記憶が一気に吹っ飛んでいる麻衣は、何故自分がこれほどの至近距離で見られているのかが分からない。 「え・・・?あの、何・・・へ??」 「・・・・・大丈夫みたいですね」 思考が追いつかない麻衣は、意味も無い言葉の端々しか思い浮かばない。褐色の瞳を丸くしてアワアワしている麻衣を見ながら、シェリーは更に距離を縮め麻衣の顔に近づく。 「ちょっ・・・ち、近すぎ!ああ〜っ//////」 「――何言ってるんですか」 「だ、だってその顔を至近距離でなんて鼻血モンだようっ!」 「は?」 「目の前はムリだよ〜っ視覚の暴力だってば!」 「・・・・・・・(視覚の暴力って何?)」 「・・・・・麻衣。馬鹿は休み休み言っておくれ」 「へ?」 よくよく辺りを見てみれば、そこにはシェリー以外の面々もいる。全員が揃いも揃って呆れ返った表情で二人のやり取りを見つめていた。 無論その中には長身の同僚と、恋人である黒衣の上司の姿もある。 「あ、あれ・・・・みんないたの?」 「いたぞ」 「いましたよ」 「いたわよ」 「いましたわ」 「おりましたです」 「「・・・・・・」」 いまだ事態は呑み込めていないが、それでもとてつもなくみっともないトコロを見られたという意識が働き麻衣は顔が熱くなるのを感じた。 「あああ・・・し・失礼をば致しました・・・・・」 自分の頬を両手で押さえたまま身体を起こすと、そこはベースに使っているホールだった。どうやら自分はベースにあるソファで眠っていたらしい。
はて、一体何があって自分はここで寝ていたんだろう。
「・・・・・・・・・・」 「谷山さん?」 「どうして・・・あたしココで寝てたの?」 「覚えてないんですか?ここに来る途中、追いかけられたんでしょう?」 「――――あ」 抜け落ちていたものが一度にはめ込まれる。膝の上から毛布が落ちるが、それを拾おうという意識も働かない。
子供の足音が聞こえた。 そして目を覚ました。 廊下で後を追ってくる足音を聞いた。 逃げて、ここに駆け込んで。 ――――自分の髪を見て、血の気が引いていって・・・。
「・・・かみ・・・・・・髪!!」 勢いよく自分の後ろ髪を前に引き、恐る恐る毛先を見る。 変わらず染み付いているのではないかと思った赤黒い液体は・・・付いていない。 知らず安堵の息が漏れた。 安堵の息と同時に涙腺が緩み、意識せず大粒の涙が零れる。小刻みに震え始めた背中に白いシェリーの手が添えられた。 「谷山さんが寝てるうちに落としておきましたから」 「あ・・・・あ、りがと」 肩の力を抜き、自分を見つめるシェリーの顔を見る。一見無表情のようで、それでも双眸には気遣うような色が窺える。
綺麗な青色。
深く澄んだ、水の色。
「―――博士。どうします?」 「・・・・・・」 「少なくても夜が明けるまではここに居た方がいいでしょうね」 「ああ」 「下手に行動すれば次はどうなるか判らない・・・・・」 「――ああ」 ナルとシェリーの言葉少ななやり取りを耳にしながら、麻衣は気がついた。 自分に背を向けている彼女、髪の合間から覗く細い首。 言葉が見つからず顔を顰める。 「・・・・・・それ・・・どうしたの?」 「あ・・・・」 決まり悪気に首筋に手を当て、シェリーはうっすらと苦笑いを浮かべた。 少し考えるふうに視線を泳がせてから、まるで冗談のようにあっさりと言う。 「谷山さんが寝てるうちに、私もやられちゃったんです」 「・・・嘘」 「ちょっと内出血しただけですよ」 真っ白な包帯が巻かれている。 もとから白い肌の上でも、それが痛々しいほどに目を引いている。シェリーのあっけらかんとした笑顔に思わず口を挟む綾子は、勢いよく眉をつり上げた。 「何が『ちょっと内出血しただけ』よ。見事に赤紫じゃない!ひょとしたら病院で血を抜かなきゃ治らないかもしれないわよっ!?」 「そんときゃそんときですよ」 「・・・・アンタ、嫁入り前のオンナだって自覚ある?」 呆れて物が言えない、とでも言いたげな綾子に鬼をも虜にする笑顔を見せる。 思わず顔を赤らめたのは笑顔の標的の綾子だけに留まらず、滝川やジョンや真砂子、なんと安原にまで及んだ。 「――うーん、ま、とりあえずそれはおいといてー。・・・・・これはあくまで私の推測の域を越えないんですが、ひょっとしたら今回の調査――」 「お前と麻衣が焦点だな」 「「えっ!!?」」 シェリーの言葉を遮ったのはナル。実に明確なその一言に誰もが声を上げる。 手にしていたファイルを無造作に閉じ、ナルは真っ直ぐに麻衣とシェリーを見る。 感情の窺えない漆黒の双眸。 麻衣は知らず息を呑み、シェリーは相変わらず真っ向から見返している。 「お前は首をやられた。麻衣は追いかけられた。その間のデータは取れている。 これは今回の調査に入って最初の反応だ」 「・・・・・・」 「日が暮れてからの単独行動をほぼ全員がしている。なのに向こうが何かしらの行動をしたのは、お前達二人が単独行動をしているときだけなんだ」 「―――同感です。とは言っても・・・私と谷山さんを焦点と確定するには、まだ根拠が曖昧過ぎじゃないですかね」 「それは僕も思った。だがそれだけではなかっただろう」 「どういう意味?」 「麻衣とお嬢が焦点だって根拠が他にもあったのか?」 「あった。お前のことだから、もう見ただろう。フレデリック?」 「・・・面倒なこと全部部下に言わせるのやめてくれません?」 はなから言っても仕方が無いと思っているから、シェリーはナルの返答を待たず口を開く。 「うーん・・・・谷山さんがこっち来て全員が出揃った後に、寝室に戻ったら・・・。私と谷山さんのベッドに、ね。手形がついてて・・・・・」 「手形ぁっ!?」 「小さいんですけどー・・・明らかにただの手形じゃないんですよね」 「・・・・・・・」
ばたばたと女性陣の寝室へと駆け込む一同。ご丁寧にシェリーが付けっ放しにしていた照明の下、真っ直ぐに麻衣とシェリーのベッド脇へ向かう。
全員が息を呑みそれを凝視し、適当な言葉の一つも浮かばず沈黙に包まれる。
そこで眠るっているはずの人間を探したのだろうか。
足許の方から這いずりあがるように、カバーに細かなシワを寄せ跡を残し。 枕もとまで這いずって、あるはずの寝顔を探したのだろうか。
点々と一直線に伸びる、丸く小さい、赤黒くこびり付いた手形だった。
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