「37.8度・・・・・」 「―――そんなにありました?」 「あるわよ。正真正銘、さんじゅうななどはちぶ!」 「あや〜・・・・」 様子がおかしかった。四六時中ころころ表情を変えているシェリーが、数十分前から何がそんなに面白いのかと言うほどへらへらと顔が緩みっぱなしだったのだ。 彼女の異変にいち早く気付いたのは「やはり」と言うべきか、リンだった。 「首の怪我のせいかもねぇ。熱持っちゃってんじゃない?」 寝そべるシェリーの首に手を伸ばすと、咄嗟にシェリーはその手を遮る。僅かに上気した赤い頬。見るからに体調が悪そうだ。 「別にどうってことないですよ?ただ熱いってだけで・・・・」 「どうってことあるんじゃないの。大人しく寝てなさいよ。冷○ピタ持ってくるわ」 派手な外見とは違い世話好きな綾子。起き上がろうとするシェリーの肩を押して横にさせると、早足で寝室を後にする。
火照った吐息を一つ付き、鈍い動作で隣りのベッドに身体を向ける。 耳を澄ませば、穏やかに響く小さな寝息が聞こえてくる。 (・・・・・熟睡してるな・・・・) 疲れているのだろう、身体以上に心が。一晩のうちに色々ありすぎだ。 「―――小さい―――」 微熱以上、大熱未満。中途半端な熱発だった。 いつものように動き回るだけの余力はないのに、それでも口を動かす程度には自由が利く。聞く者のいない小さな呟きは麻衣に対してのもの。
小さいな、と思う。 身長だって並か、それ以下か。 自分とは全然違う。
(―――あたしにも・・・あんぐらいの時があったんだよね)
『あんた、痩せすぎじゃない?食べるもの食べてるの?』 『駄目だよー、ちゃんと食べてねナオミさん。はい、お肉!』 『お嬢、スリムにもほどがあるぞ。食え!たーんと食えっ!』 『そうですよシェリーさん。貧血で動けなくなっても僕のノリオは貸しませんよv』 『・・・・少年』 『ナオミさん。こちらも召し上がってくださいまし』 『松崎さんのお料理はいけますよって。いくらでも食べられますよ』
ベースで一斉に夕食をとった。家族のような時間。 それぞれが口にする言葉は違うモノでも、要旨は同じ。私を気遣っていた。 温かい。心地良いと思った。 それでも尚、それを自然に受け止められるほど素直にはなれない。
(ひねくれてるよな・・・・ったく) 自分で自分をけなさずにはいられない。自覚はあるのだから。 「あ゛〜・・・・もーほんと馬鹿・・・・」 嫌気がさす。誰にでもない、自分自身に。
今までの自分。虚像の生き方。なんで私はこんなにロクでもないんだ。 (勉強は出来た) でなきゃ中学卒業と同時に単身渡米の特待生なんてムリ。 (顔だってコレだしな) 男に不自由したことはない。むしろ煙たがるほど溢れていた。 (ダイエットって何?って感じ) もともと痩せぎすだった。じっとしてるのも苦手だから、運動不足なんてこともない。 (他人に嫌われたってこと・・・・殆どないな) 大人しく言うことを聞くなんてやってられない。思う通りのことをやって来た。 それが結果的にいつも良い方向に向いたから。そうは言っても・・・ 「例外ってのはいるんだよね〜・・・・」 嫌われたことは、『殆ど』ない。つまり、嫌われたことがないわけではない。
例えば“長身で無口で無表情”な、あの男。
嫌われていた。それはもう、むちゃくちゃに。 顔を合わせると――こちらが気付くよりも先に踵を返し、進行方向を変えてしまう。 曲がり角でばったり、なんて言っても声をかけるより先に素通りされた。 近寄ろうとするだけで『近づくな・話し掛けるな・あっち行け』オーラが垂れ流しになる。 腹が立った。 それ以上に哀しかった。 不覚にも、本人の前で泣いてしまった。 「・・・オンナの武器とはよく言ったもんだこと―――」 女に与えられた天性の武器、それは涙と色香だとしみじみ思ってしまう。 あの時まで人前で泣いたことがなかった。 哀しいから、辛いから、寂しいから、嬉しいから、怖いから。 男も女もない、涙の理由。 あって当たり前のそんなモノが私にはないと思っていた。 だから正直、あの時涙が出たことは自分でも信じられないのだ。
「なーに一人でブツブツ言ってんのよ?」 「松崎さん・・・」 「ほら、さっさと寝なさいよ。それ以上身体壊したら冗談にならないわよ――」 「・・・・・・・・」 何か言いたげな含み笑いを浮かべながら綾子の顔を見つめるシェリー。 小さな子供のような邪気のなさに、綾子は思わず目を見張った。 「――ちょっと・・・何よそのカオは」 「んふふv」 「何よ!はっきり言って!!」 「松崎さん、『お母さん』みたい」 「!!?」 綾子の端正な顔は徐々に赤く染まっていく。おそらくは照れ隠しに、ワザとらしく咳払いをする。自分のベッドから力任せにブランケットを引っ張り上げ、それをさっさ とシェリーの上に放り投げた。 「バッカなこと言ってないで、病人はさっさと寝なさいってばっ!!!」 「はいはい、すみませんお母さん」 「馬鹿!!」 ついにはくすくすと小声で笑うシェリーの頭を軽く小突き、綾子はどっかりと枕もとに座り込む。片側にベッドが僅かに沈み、シェリーはもそもそと綾子のほうへと身体を 向けた。 「ねえ、松崎さん」 「・・・・何よ」 「私・・・後悔してたんです」 「?」 「今回日本に来たこと、ね。この国は生まれ故郷で・・・・でもいい思い出なんかまるでなくって・・・・・。脳内神経腐り出すんじゃないかってくらい後悔した」 「・・・・・・」 「でも・・・今は、来てよかったかなーって・・・・ちょっと思ってます」 「・・・・そう」 「逃げるのは・・・楽じゃないけど・・・・・・立ち止まって立ち向かうよりはよっぽど簡単だったし―――。でもそしたら今度は・・・怖くて振り向けなくなちゃったから」 「アンタ――」 「――ゴメンナサイ、松崎さん」 「・・・・良いわよ。見なかったことにしとくから」 「うん。ありがと・・・熱のせいかなあ」 「さあね」
声が震えていた。細く、高く。 その変化に気付き振り返ると、彼女は泣いていた。 利害打算を知っている大人の涙じゃない。駆け引きを知っている女の涙じゃない。
ただ純粋な。
悲しみと、辛さと、寂しさと、嬉しさと、怖さから。
静かに流れ続ける涙を拭う間も無く。 泣き疲れた幼い子供のように、彼女は深い眠りへと落ちていった。
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