「ひどぉぉ――――いっ!!!!」 『………』 「なんで!?なんで見てるの!!?みんなしてひどいいい―――!!」 「谷山さーん、文句なら博士に言ってくださいよ」 「?なんでナルなのよ!」 「だって、カメラの設置を指示したの博士ですよ?早い話、博士は見られてるの分かってて先ほどのラブラブっぷりを私たちに見せ付けてくださったわけで〜…」 「なななるななるナル―――――!!どーゆーことよ―――っ!!!」 「……」(黙秘) なんやかんやと言っているうちに、ナルが麻衣を連れてベースに戻ってきたため、モニター越しに一部始終を見ていた事がバレてしまった。 予想通り赤面して狼狽する麻衣とは対照的に、ナルは至って平然と定位置に着いた。 思いっきり確信犯だろう。 既に数分が経過しているにも関わらず、やはり顔から火が出そうな麻衣。 見られた事で(とゆーかわざわざ見せたのだが)奇妙な優越感を抱いているのか、ヘンに落ち着き払っているナルとのアンバランスさに、ある者は呆れ、ある者は笑みを隠そうともせず、また別の誰かは泣いていたりオロオロしたり…と、反応はまさに十人十色である。 更に数分が経過した頃、ようやく血圧が平常値まで下がった麻衣は、日課とも言えるお茶汲みを始めた。茶葉の入った缶をいささか乱暴にこじ開け、それでも几帳面に湯を沸かし、愛用の砂時計まで持ち出して、時間きっかりにお茶を注ぐ。 そんな様子を黙って観察していたシェリーは、隣りに座るリンに「あれも一種の職業病ですかね?」と言い、返答の代わりに無言の一瞥を浴びせられた(それしきの事は別段気にもしないのだが)。 ほんわりと湯気の立つ紅茶をガラステーブルに並べると、麻衣はどっかりとナルの隣りを陣取る。無意識である。その証拠に、数秒の間を置いて咄嗟に立ち上がり、聞かれてもいないのに「違うからね!深い意味は無いからね!?」と声を大にして弁解した。 「初々しいですね谷山さん。私にはもう遠い昔の事のような…」 「何それ。ナオミさん、オバさんみたい」 「私がオバさんならリンさんなんかオジーさんですよー!」 「…シェリー……」 少しも悪びれる様子の無いシェリーの言い草に、溜め息を落とすに留まるリン。 シェリーに対するリンの態度は数年間連れ添ってきた面々にとっても、なかなかに新鮮なモノだった。 別格と言おうか、特別待遇と言おうか。 とにかくそんな破格の接し方に、誰もが無意識に二人の間柄を勘繰ってしまう。 口火を切ったのは当然の如く越後屋・安原だった。 「常々お伺いしたいと思ってたんですけど、リンさんとシェリーさんの関係は、ズバリ“そういう関係”なわけですか?」 問われた張本人である二人は僅かに目を見開き、だがすぐに平静を取り戻す。 数秒間じっくりと顔を見合わせてから、不意に笑い出したのはシェリー。 「あははははっ!違う違う、そんなんじゃないんです!」 「では、どんなのですか?」 「うーん…好きとか嫌いとかじゃなくて…。―――…なんだろ?リンさん」 不意に真面目な表情を覗かせて、シェリーはくるりとリンを振り向く。それと同時に全員分の視線まで受けるリンは、内心で怯みながらも無表情を装った。 気付かれない程度に逡巡し、ぽつりと呟く。 「―…複雑ですね」 リンにしてみればその一言で話題を転換したかったのだが、逆に観衆の気を引いてしまった。モニターを見つめていた時以上に、誰もが瞳を好奇の色で輝かせる。 どうにか上手く言い逃れようと、リンは必死に言葉を探す(無論表情には出ない)。 「……そういったことではなく…、まったく別次元の問題です」 「…どういう意味ですか?」 「言葉にするのは結構難しいかもしれないな。なんて言うかー…、『男』とか『女』って意識があるわけじゃないから」 「ナオミさまー、もっと分かり易くお願いしまーす」 「(見られた仕返しか?)…私もリンさんも、お互いを性別関係なしに見てるんです、多分ね。“この人は男だから頼ってもいい”“男だからワガママ言ってやれ”とか、少なくともリンさんには思ってないし」 「でも、そうは言っても、無意識に思ったり、接し方に出ちゃったりするでしょ?同性の友達に対する付き合い方とまるっきり同じ、ってのは無理だと思うよ」 「そりゃそうでしょ。初対面の人間同士がまず何に気付くかって言えば、大概は性別よ?異性ならそれだけで、気付かないうちに一線引くんじゃない?」 「それは勿論ですよ。付き合い方接し方ってのは、いくら慣れ親しんでも性別次第で大なり小なり差は出る。当然の事だし、意識して同じにする事もないと思いますし」 「え〜?じゃあ、リンさんを男とか思ってるワケじゃないって事にならないよー?」 「ですから、大なり小なり差は出るんですって。普段の意識を言ってるんですよ。私はリンさんが男だから色々話すわけでも、ちょっかい出すわけでもないんですー」 「「ちょっかいって…」」 このまま口を挟まなければ論題が『林興徐と本国から来た女性調査員の関係』から『男女間における接触及び友情観念』に路線変更をしてしまうだろう。 その流れに逆らい、安原はそもそもの疑問を再びぶつける。 「で、つまりのところ、お二人のご関係は?」 「えーと、毛色の違う友情みたいなモノ…としか表現できないんですけど」 「毛色ってアンタ、ネコじゃないんだから。もっと何か言い回しはないの?」 「言葉が見つからないんですよ。―そうだなあ……松崎さんはさっき、『初対面同士はまず性別を見る』って言ったでしょう?それは確かにそうだと思いますけど、中には例外な人もいるわけです。同性か異性かが問題じゃなくて、『その人間が何処の国の血を引いてるか』ってのを問題にする人もいる。…ねー、リンさん?」 意味ありげな笑みを浮かべて振り向けば、リンは気まずそうに目を伏せる。 日本支部では唯一人思い当たる節がある麻衣は、心の中で(やっぱり他にも被害者いたんだ…)などと考えている。 「性別以前に、髪の色や肌の色が違って碧眼、っていう身体的特徴で受け入れられなかった。その時点で、既に私はリンさんにとって“ただの女”ではなくなってたんだと思いますから」 「…よく分かりませんです」 「私はリンさんに最初から拒絶された。それは男も女もない仕方の無い理由だった。女だから少しは態度を甘くするっていう簡単なことじゃない。嫌いなものは嫌い。受け入れられないものは受け入れられない。リンさんが私を女として考えてないとすれば、それは私が今の様に生まれた時点で決まってる」 余計にややこしくなり、麻衣は顔面に疑問符を張り付けている。 理解したような出来ないような、なんとも複雑な心境だった。首を傾げたまま唸っている麻衣を置き去りにし、更に話は展開していく。 「リンさんは日本人が嫌い。イギリス人も嫌い。だから当然、まどかも最初は嫌われました。まどかは日本人ですから。でも私の場合は二重苦だったから、更に輪をかけて嫌われました」 「二重苦ですか?」 「はい、二重苦です。―私の父はイギリス人。母に至っては日系人、しかもイギリスとの混血。どっちに転んでもリンさんには気に入らないでしょ?」 「…確かに二重苦だわね」 「そのせいで散々な目に遭いました。避けられるし睨まれるし最低限の会話も難しいし、挙句の果てには毒吐くし。さすがの私でもアレはキツかったなー」 口調に変化はないものの、何故か寂しげな声に聞こえる。窓を鳴らす木枯らしが、やけに大きく思えた。 「『拒絶』を知らないわけじゃなかったんです。誰かを拒絶したり、されたりしたこともあったから。でもあんまり久しぶりだったから―……上手く対処が出来なかった」 「シェリー」 「別にリンさんを責める気はないですよ。…論点が思いっきりずれましたけど、結果だけを言えば、私とリンさんは“そういう関係”ではありません。恋愛感情とか、男女間の友情とか、そういうものをみんな通り越してるんですよ」 内緒話をしていた子供のように、立てた人差し指を整っている薄い唇に軽く当てる。 そしてゆっくりと視線を落とし、淡い優しさを含んだ声でぽつりと言った。 「そんなこんなで色々ありましたけど…結局は今で充分、満足してますよ」 「―そっか…」 「はい。そうです」 彼女の言葉がリンに向けられていることに、どれだけの人間が気付いただろうか。 消えない罪悪感が僅かばかり薄らいだ気がして、リンは、隣りに座る彼女だけに見えるように、薄らと微笑んで。
それでも尚、心に居座り続ける罪の意識と向かい合っている。
今の馴れ合い程度で許されるほど、生易しい傷を負わせたのではない。 古傷をえぐり、それこそ生涯抱え込むだろう傷を、悪化させたのだから。 許しを請える立場でもない。 それだけ重い言葉を、彼女の傷に擦り込んだのだから。
その明るさが、活発さが、彼女自身の姿と思ってはいけない。 立ち上がる事も出来ない自分を隠すための、精一杯の虚勢なのだから。
「あ゛ー、さび〜〜…」(「寒い」の意) 「うわ!やめようよー、そういう美しさの欠片もないカオはっ」 「あーら、谷山さんたら、どのカオ捕まえて『美しくない』と言うんですか」 「顔の整い方を言ってるんじゃないやい!表情だよ、表情!!」 「じゃあ所長サマみたいに万年無表情でいるほうがいいですか?」 「…やだよそんなの…かなり…」 館の中には使用可能な風呂場がない。よって、調査中の入浴は近場の温泉となっている。その温泉も車で五分の距離にあるので、自動車の運転免許を持つ人間が交代で送り迎えをしていたりするのだ。 「松崎さんも運転免許くらい取っといてくださいよ。私独りで毎回車出すのイヤです」 「無いもんは無いのよ。ごちゃごちゃ言わない!」 「あと三十分くらいで帰らないと、ナルたちがお風呂来れないね」 「……」 「…何考えてるのか言ってみなさい」 「え?いえ、ただ滝川さんと安原さんとブラウンさんだけならいいんですけど、そこに博士とリンさんが加わって男性陣の入浴中に会話はあるのかな〜?、と」 『………』 会話以前に、あの男どもが一つの風呂に揃って入る事が想像できない。 リンはまだ良い。滝川と一杯飲みに行くこともあるらしいので、裸の付き合いも想像できない事もない。そこに安原が加わる。大した違和感は無い。 更にジョンが加わっても、すんなりと空気が馴染むような気がする。 「…ナルは…ねえ?」 「喋んないんじゃないの?ひょっとして…」 「シャワーしか使わなくて、一緒には入らないとか」 「いくらあの博士サマでも風邪引きますって」 「「う〜ん……」」
「リンさーん」 「シェリー?」 「ねえねえ、博士もお風呂入るんですか?」 「は?」 「一緒に入って何か話します?それ以前に同じ浴槽に浸かるんですか?あの人」 「…ナルも入りますよ。喋るとは限りませんが」 「へえ、意外!腰にタオル巻いたりとかしてるんですか?」 「………してますね」 「じゃあ、シャンプーとかは?どんなカンジですか?」 「普通です」 「それが想像できないから聞いてるんです!」 風呂帰りで湿った髪のまま、シェリーはリンをまくし立てる。空調設備も乏しいうえに、雪も降る季節。それでなくとも病み上がりなのに、彼女は自分の体調に頓着しない。 マシンガントークを当り障りの無い返答でかわしつつ、リンはソファにかかっている自分のコートを取り上げた。 「もう少し体調を考えなさい。寝込んでばかりいるとナルに言われますよ」 「…別に大丈夫なんですけど」 「今が大丈夫でも後が大丈夫かは分からないでしょう」 「屁理屈」 「………」 「……。うん、リンさん。アリガトウございます」 手渡されたコートに袖を通し、仰々しいほど深々と頭をさげる。下げられたままの小さな頭に大きな手が載り、柔らかな仕草でポンポンと叩く。 …何やら言い表し難い空気に包まれている二人は、出入り口付近に寄り集まっている者達の存在に気付いていなかった。 「あれは恋人同士っていうより、兄と妹じゃないですか?」 「あ、そうかも。無口で無愛想な兄と、口達者でおてんばな妹。ぴったりじゃん」 「無関心なフリしといて、しっかり妹の面倒みる兄貴ってか」 「兄で遊んで退屈を紛らわす妹ってのも悪辣よねー…」
その時。壁に寄りかかったまま遠巻きに眺めていたナルが、誰にともなく呟いた。
「…つまりはシスコンとブラコンじゃないか」
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