陰陽師

化生の涙

「子供とは、よく泣くものだと思っていたのだがな・・・・・」
飲み干した杯に式がまた酒を注ぐ。
並々と注がれた酒をまた口元に運ぶ途中に、そういえば、といった風情で博雅が独り言のように呟いた。
不意に杯から視線をずらすと、そのまま濡れ縁の奥でせっせと紙を切り抜いている深雪を見た。つられてその視線を追った晴明と蜜虫、綾女やあを子も、博雅の言わんとする事に気付いたらしい。
「ああ、深雪のことか」
「拾ってここに連れてきてから、せいぜい七日は経っただろう。だが、まだ一度も深雪が泣いているのを見たことがない」
「手がかからなくて宜しいではありませんか」
「それはそうかもしれぬが、子供は何かと泣くものだと思っていたからな。泣く素振りも見せないだろう、深雪は」
「生活の場を提供している俺の身にしてみれば、耳障りな喧騒がなくて助かる」
「たしかに泣きはしませんけど・・・・・代わりによく大声を上げますよ?」
「ええ。晴明様はそう仰られますけど、深雪様が大声で騒いだからと言ってお叱りになったことは、結局一度もないではありませんか」
「・・・・・・・」
なんだかんだ言って、結局はしっかり『父』なのだ。
「・・・・なんのはなしだ?」
綺麗に人の形に切り抜かれた和紙を手に、深雪はまじまじと大人たちを見詰める。
そうして真っ直ぐに歩み寄ると、手の中の物を晴明に突き出した。
「たくさんできたぞ。もっといるのか?」
「いや。これだけあれば充分だ。ご苦労だったな」
「さあさ、深雪様。博雅様が持ってきて下さったお饅頭をお食べなさいませ」
「今、お茶をお淹れいたしますわね」
「『お父上』のお側が宜しいでしょう?」
くすくすと笑みをこぼしながら綾女は優しく深雪の肩を押し、向かい合わせに腰をおろしている晴明と博雅の間に座らせる。
博雅は深雪の顔と晴明の手に渡った紙を交互に見つめ、晴明に尋ねた。
「晴明。それは以前、身代わりに使っていた物ではないか?」
「そうだ。ヒトガタと呼ぶ。いうなれば式の素(もと)だ。他にも呪殺などに使うが」
「・・・そんな物を子供に作らせるなよ」
「いいではないか。深雪は手先が器用だしな、簡単な呪の話ならばあらかた理解出来るぞ。根気よく教えればしっかりと覚えてくれる」
「ふーん・・・・なかなか賢いのだな、深雪は」
饅頭を頬張る深雪の頭を撫でてやると、嬉しそうに目を細めながら小首を傾げる。
饅頭に集中してしまい褒められたことが分からなかったようだ。

しばらく他愛のない談笑をしていると、両手で碗を抱えてお茶を飲んでいた深雪が唐突に顔を上げる。そしてきょろきょろと辺りを見回すと、何も言わず立ち上がり足音を響かせながら何処かへ駆けて行ってしまった。
何があったのか心当たりのない博雅は、ぼんやりとその背中を見つめる。
いたって訳知り顔の晴明は一つ溜め息を付くと、小声で「気配に聡いものだな」などと漏らした。
「なんだ、晴明。深雪は何をしているんだ?」
「じきに分かる。まあもう少し待っていろ。・・・・・ほれ、戻ってきたぞ」
行った時と同じく駆けて戻ってきた深雪は、心なしか白い頬を紅潮させている。
「せいめい!いっぱいいたぞ、まえよりもたくさんいた。ちっちゃいのがうじゃうじゃしてたぞっ!!」
「『いっぱい居た』?」
「仕方がないな・・・・小物は結界にもかかりにくい」
「おい、なんの話だ?」
「魑魅魍魎だ」
「はあっ!?」
「ひろまさ、しらないのか。“ちみもうりょう”。ちいさいのがたくさんいるんだぞ」
「何処に!」
「あっち」
あっさりと指し示した深雪は博雅を先導するように歩き出す。信じられないような表情で博雅はその後をついて行く。そして何故か、晴明や式達も更にその後に続いて行く。大の大人達がぞろぞろと子供の後に続いて歩く様子を他の誰かが見ていたら、それはそれは滑稽に思ったことだろう。

やがて一同が辿り着いたのは母屋の外。崩れかけている門の側。
「ほら、いるではないか」
「・・・・・・・・・」
「これはまた・・・・随分と入り込んだものだな」
「また騒がしくなりますわね」
「晴明様。このままでは夜もおちおち眠れませんわ」
「日が暮れると途端に活発になるからな。枕もとで動き回られてはかなわん」
「―――これが?ただの羽虫のようにしか見えん。こんなのが魑魅魍魎なのか」
門柱にこびり付いているような黒い物。よく見ると極小さな羽虫が寄り集まっているのだと分かる。言い終わらないうちに晴明は手を伸ばし、その黒い集まりの中に指を入れる。その瞬間にそれは霧散するように、一瞬で大気に散って見えなくなった。
「正確には魑魅魍魎にも満たないほどの小物だ。人に害を及ぼすほどの力も無いが、そこまで弱いとなると逆に結界にもかかりにくくなる」
「小さすぎる魚が網に引っかからないようなものか?」
「そういうことだ」
「せーめーっ!まだいたぞ!」
いつの間にか離れた所に居た深雪が腰をかがめて壁の隅を見つめている。
遠目にも分かるほどその一角にも同じく黒い物が固まっていた。
だが晴明はその場に向かわず、踵を返して邸の中へと戻ろうとする。
「晴明?あれは放っておいていいのか?」
「わざわざ俺が散らさずとも深雪が出来る。――――深雪!」
「んー?」
「適当に消しておけ。前にもやったから出来るだろう」
「うん。・・・・・それーっ」

『べしゃりっ』

ひょいと片足を上げた深雪は黒い物の固まっている上から勢いよく踏み潰した。
先ほど同じように消えてなくなってしまう。
「・・・・・・・・・なんだかあっけないものだな」
「ああ。一言に妖物と言ってもな、力は様々だ。今のように意思のない虫同然のものも、人の子と変わらないものだっている。ヒトに害のあるものもいれば反対に安らぎになるものもいる」
「妖物も色々なのだな」
「そうだ。命を尊び愛でる者もいれば、逆に殺して奪おうとする者がいる。化生も人間も案外似た者同士なのだよ」
それ以上の言葉を交わすことなく邸内に戻っていく晴明と博雅の後ろを、深雪の手を引いた綾女、更に後ろを蜜虫とあを子が付いて行く。
「世の中の妖物という妖物が、全て深雪様のようなら良いですのにね」
「本当に。素直で無邪気で、可愛らしくて。構い倒したくなってしまうもの」
「そうなれば嬉しい限りだけれど・・・それでは晴明様が失業してしまうわ」
それはそれで困ったことだ、と三人は顔を見合わせて、誰からともなく溜め息を付いていた。



安倍邸で夕餉を済ませた博雅は早々に家路についた。
すっかり日も暮れて大分冷え込んできたため、二人は火桶のある晴明の寝所に篭る。深雪はまた紙を切り抜いており、晴明はその傍らで書物を読みふけていた。
一段落ついてふと顔を上げてみると、丁度区切りがついたらしい晴明も何気なく顔を上げ、目が合う。
だが特に気にするでもなく晴明が再び視線を落とすと、常よりも僅かに下げられた声色で深雪が晴明に声をかけた。
「・・・せいめい」
「・・・・・・・・・なんだ?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・」
「―――深雪?どうした」
「なあ、みゆきはなんなのだ?」
唐突な問いに、晴明は目を見開き顔を上げた。
「あをこたちは、しきだろう?せいめいが、つくったものだろう?」
「・・・・・ああ、そうだ」
「なら、みゆきはいったいなんなのだ?だれかのしきなのか?ヒトではないのか?・・・・・・アレとおなじモノなのか?」
「アレ?」
「―――“ちみもうりょう”」
「深雪・・・・・・」
「・・・・・ここにくるより、まえのことはおぼえていない」
「・・・・・」
「もし、みゆきがヒトをくうモノだったら・・・・せいめいはみゆきをけすのか?」
「・・・・・・・」
「・・・・・・・」
晴明は答えない。深雪もそれ以上は聞かない。
火桶の中心で炭の弾ける音だけが、止まない。
揺るぎ無い眸で自分を見つめる目の前の子供に、晴明は何も言えない。

果てしなく続くかと思われた沈黙は、数分の間をおいて出た深雪の言葉で打ち消された。
「―――なあ、せいめい」
「・・・・・・・なんだ」
「もし、みゆきがヒトをくうモノだったら・・・・・・せいめいが、けしてくれ」
「―――――深雪」
「せいめいになら、けされてもみゆきはへいきだからな」
言葉とは裏腹に浮かべられたその笑顔は、酷く痛々しいものだった。まだ年端も行かない子供とは思えない、触れれば崩れてしまいそうな脆い表情。
「せいめいじゃなきゃいやだぞ。ほかのやつになんか、ころされたくない」
「・・・・・・・・・・」
「みゆきはな、みんなすきだ。ひろまさも、せいめいも、あをこも、みつむしも、はつねも、あやめも・・・・・しきたちだってみんなすきだ」
「・・・・・・ああ」
「みゆきがよくないモノだったら、ひろまさやせいめいをたべようとするかもしれない。もしせいめいをたべたら、ひろまさはかなしいだろう?おこるだろう?もしかしたら、みゆきをきらいになってしまうかもしれない」
「・・・・・・・・・・」
「ひろまさをたべれば、こんどはせいめいがかなしいだろう?せいめいがみゆきをきらいになるだろう?」
「・・・・・・・・・・」
「みゆきは、みんなすきだから。きらいになってほしくないのだ。だから、もしみゆきがヒトをたべようとしたら・・・・・・せいめいが、みゆきをころしてくれな?」
どう答えればいいのか自問自答を繰り返す。しかし深雪は晴明に答えるように強請することはせず、返事を待たずさっさと部屋を後にして行った。
普段と同じように小走りで去る深雪。
あまりにも自然なその様子に、晴明は己の内に言い知れぬ何かを感じていた。



足音どころか、気配まで潜めて歩く。物音一つしない廊下を晴明は進む。
その前で歩を止めると、音を立てぬよう敷居をまたぎ、また一歩一歩進んでいく。
そしてゆるりと手を伸ばすと、ゆっくりと几帳を捲った。
明かりを灯していない暗がりから微かに聞こえるのは、穏やかな子供の寝息。
深雪の寝床だった。
熟睡しているらしく、目を覚ますどころか寝返りすらしない。
聞こえるか聞こえないか程度に小さく指を打ち鳴らすと、几帳の内側にあった
灯台にぼんやりと弱く火が灯る。
仄かに視界が明るくなると、晴明は深雪を見下ろす。
「・・・・・・・大した子供だな」
囁くように言うと、そろそろと畳布団の脇に腰を下ろした。すべらかな動作で片手を伸ばし、優しく深雪の頬を撫でてやる。
――――濡れている。
「これほどまでに幼いというのに・・・・・。独りで泣いていたのか」
誰にも気付かれぬように、たった独りで声を殺して。
自分で言った言葉の重みに耐え切れず。
「あるのなら・・・・化生が人になれる術というものを知りたいものだ・・・・」
こんなにも清らかな魂を持っているのだ。
自分の生死以上に、好いた者達の心を思うのだ。
人と同じように涙を流すのだ。
笑って人を殺す人間もいるというのに、この化生の仔は人としての心を持っている。この小さな頭で必死に悩んだのだろう。
自分は一体何者なのか。
これから先どんなモノになるのか。

もし良からぬモノであったなら、『殺して欲しい』と。
辛くないはずはないのに、そう言って笑って見せたのだ。



「願わくば―――この純善たる魂に人としての生を・・・・・・・」

まるで呪を唱えるように低く呟く。





先のことなど誰にも分からない。

出会いも別れも、人の力などでは到底太刀打ちできぬもの。

ならばせめて。

この幼い化生の仔との出会いが、誰にとっても忘れ難い宝となるように。

少しでも幸福な道が この子供に与えられるように。



――――別れが訪れたその時に ただ嘆くだけにはならぬよう――――




あとがき
【ほっと一息】
シリアス全開・・・・「な〜ぜ〜じゃ〜〜?」(元方殿/笑)
前半はそうでもないのに後半暗いですねーっ!
今回の話は『白雪の君』(←深雪の意)を主体に書くつもりだったのに・・・晴明様出張りすぎっしょ。
次はギャグ風味を目指します!!タイトルも合わせてコミカルに(笑)
つーか・・・・『嵐』をさっさと仕上げろよ自分・・・・・・。
もう空也サマとは呼びません。空也さん!さん付けじゃーっ!
ラヴフォーユー!!!←告白?(一体何があったんだお前)
もう今は悪霊のこと忘れて陰陽師を済ませることを考えます。
でないとみんな中途半端になってしまいますので。
それではまた次回・・・・v
深雪ちゃんがすごい健気で、こんな小さい女の子が周りを気にして一人で声を殺して泣くなんて……。
切ないっす、蓮美さん。
前回、「悲しい」のと「ほのぼの」と両方……とか考え無しに書いてしまいましたが、やっぱりハッピーエンドが良いです。
自分にとって都合のいい結果だけを求めるのは大間違いですけど、自分の好きな人たちが悲しい思いをするのはやっぱり辛いです……。
……うぬ〜〜〜、ええ歳して我が儘大爆発ですね、すみません蓮美さん。

あ、それはそうと私の事なんて呼び捨てで結構っすよ? なんてったって蓮美さんあっての私ですから!
『嵐』も大変待ち遠しいっすが無理は言いません。(言ったら罰が当たる!)
蓮美さんのペースで仕上げてください。私、何時までも待ってますから!
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