陰陽師

深雪ちゃんの難儀な一日。
陽光に照らされた晴明邸の庭先には清々しい朝の空気が立ち込めている。
冬の早朝。耳に届くのは式達の纏う十二単の衣擦れの音や穏やかな談笑。とても優美な光景である。
――――だが。

『ガタンッ・・・・・・・・どだだだだだだだだだだだだグキッ、べしゃ!!』

「「「深雪様!!?」」」
寝衣を着た起きぬけの姿のまま必要以上に大きな足音を轟かせ、化生の仔・深雪は式達のいる濡れ縁へと駆け込む・・・・が途中で足をもつれさせ転倒した。
見事に顔面から倒れこんだ深雪は暫く微動だにせず、やがてゆっくりと顔を上げる。
かける言葉が見つからず、式達は深雪の第一声を黙って待った。
「―――――」
「・・・・・いたいよぉ・・・・・・」
「深雪様・・・・・大丈夫ですか?」
「うう〜・・・・・」
深雪が走ってきた廊下を通り、その後ろから姿を現した葉常。何が起こったのかは分からないが、とにかく何かがあったらしいことを感じ取った。
「何事です?随分と騒々しいようでしたが。・・・・深雪様の御寝所、几帳が倒れておりましたよ」
「・・・・・・せいめいは?」
「「「「はい?」」」」
「――――せいめい・・・・・どこにいったんだ?」
顔面強打の痛みのためか、瑠璃色の双眸は見る見るうちに潤んでいく。式達は初めて見る深雪の涙に度肝を抜かれた。
深雪は朝起きたら第一に晴明の姿を見付けるのが習慣になっている。
今日も今日とて例外ではなく、目を覚ました深雪は式を呼んで着替えるよりも先に晴明の姿を探し自分の寝所を後にした。―――のだが。
「せいめい・・・・せいめいが・・・・っいないぃぃいぃ〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!」
止めるよりも早く深雪は堰を切ったように泣き出してしまった。
どこから出てくるのかと不思議に思えるほど、わんわんと大声を張り上げる。

最初に晴明の寝所。お次は書庫。大抵ならここいらで見つかるはずの姿が、無い。
その後はなんと厠(かわや)にまで足を運び、この時点で既に大分気が動転し始めていた深雪は何を思ったか自分の寝所に戻り夜着をひっくり返した。

『いない』。

ようやくその事を呑み込んだ深雪。混乱するままに夜着を放り出し、無意識に濡れ縁に向かおうとした際、気付かずに几帳に体当たりした。が、そんな事には構っていられず、全速力で濡れ縁に飛び込んできたのである。



「深雪様。晴明様は帝からの使いが来た為、内裏へ行かれているのです」
「午の刻までには戻られると仰っておりましたよ」
「今日は博雅様もいらっしゃいますわ」
「さあ、お着替えになって朝餉を頂きましょう」
式達は臨機応変に対応し、いっこうに泣き止む兆しを見せない深雪を宥める。
頭を撫でたり背中をさすったりして精一杯宥めてやる。するとどうにか落ち着いたらしく、鼻をすすりながら赤い目を袖口で何度も擦っている。
(・・・・・・・可愛い・・・・・っ!!)
普段見慣れないものを見たせいか。
この瞬間式達の心は(良くも悪くも)一つになったようだ。





午の刻になった。

晴明が、この頃までには帰ってくると言った刻限になったのだ。

式達は顔を強張らせる。内心冷や汗をかきながら何気な〜く深雪を窺う。
庭にある池の水面を見つめている深雪。
濡れ縁に集まっている式達からは背中しか見えないが、その小さな後姿からは明らかに澱んだ気が昇っている。

はっきり言って、怖い。

「・・・・・・み、深雪様?」
「・・・・・・」
「お腹は空きませんか?昨日博雅様が下さったお饅頭、持ってきましょうか?」
「・・・・・・」
「・・・・あ・・・でしたら、林檎でも・・・・」
「そ・そうね。深雪様?林檎でもいただきましょう!」
「ばか」
「「「「え?」」」」
式達は一瞬で石化する。

「・・・・・・せいめいの・・・バカぁ――――――――――――っ!!!!」

―――――晴明は、未だ帰ってきていなかった。





「・・・・・・お前達・・・どうかしたのか?」
いっこうに泣き止まない深雪にぐったりと疲れきっていた式を見るなり博雅は実に素直な疑問を投げた。
「博雅様・・・・・いつの間にお出でに・・・・・」
「いや、たった今だが。ところでこの声は―――」
「「「「深雪様です」」」」
きっぱりと言い切った式達。博雅の耳に届くのは騒々しいほどの泣き声。今こうして式達が慌てるでもどうするでもないのだから、怪我をしたとか、具合が悪いとかいうのではないのだろう。
「なんだ、深雪でも泣くことがあるのだなぁ。一体何があったんだ?」
「それが・・・・・・なんと言うか・・・ねえ?」
「目が覚めて晴明様がいらっしゃらなかったのが余程効いたようで・・・・」
あを子と葉常の言葉に、蜜虫と綾女は溜め息混じりに深々と頷いた。
「晴明様が参内でいらっしゃらないのです。午の刻までにお戻りになると言付けを賜っておりましたので、そう深雪様にもお伝えしたのですが」
得心がいったと言うように博雅は頷く。
「晴明がまだ帰ってこないのか」
「「「「はい」」」」
今度は四人揃って溜め息を付く。そして僅かな沈黙の後、またも四人揃って手を打った。
「博雅様!博雅様ならきっと深雪様も泣き止まれますわ!」
「え?」
「そうですわ!お願いいたします!!」
「何故俺が・・・」
「博雅様は深雪様のお父上ですもの!深雪様だってきっと・・・」
「だが俺はどう宥めれば良いかさっぱり――」
「普通にすれば良いのですよ!さ、博雅様」
「そうは言っても・・・」
「「「「博雅様ぁっ!!!」」」」
荒げられた声とは反対に縋るような目で見つめられ、博雅はそれ以上何も言えない。
殆ど無意識のうちに頷き、几帳の裏に居るだろう深雪のもとへと向かった。
そろそろと覗き込み、おずおずと声をかける。
「・・・・・深雪?博雅だ。どうかしたのか?」
「―――ひろまさ・・・・・」
「ん?なんだ、何を泣いておる。綾女殿たちが困っているだろう」
「せーめいが・・・・かえってこない」
「仕事で行ったのであろう。なに、もうじき帰ってくるよ。泣いていないで、こちらで一緒に遊ぼう。今日の土産は葛餅だ」
「・・・・・・うん」
父の力は偉大であった。散々泣き喚き式達にはどうにも出来なかったというのに、博雅の僅か三言だけで涙を引っ込め立ち上がった。
ほっと胸を撫で下ろした式達は博雅に心からの感謝をし、買い置きの酒と肴を取りにいそいそと動き出す。そんな式を眺めながら博雅は深雪を自分の膝に座らせる。
季節がら肌寒い日が続いているので子供の温かさがとても心地よい。
「深雪。お前、本当に晴明が好きなのだな」
「・・・・?」
「朝起きて晴明がいなかったのが、泣くほど辛かったか」
「?『つらい』って?」
「―――うーん・・・深雪は博雅より、晴明のほうが好きか?」
「ううん」
「?なら、博雅のほうが好きなのか?」
「ひろまさも、せいめいもすきだ」
「比べられぬか。蜜虫や、綾女殿は?葉常殿やあを子殿も好きか?」
「うん。みんなおなじくらいすきだぞ」
「そうか。・・・・俺も、皆もお前を好いておるぞ、深雪」



式達が濡れ縁に戻る頃。博雅に寄りかかったまま深雪は眠ってしまった。夜着の代わりのつもりなのか、博雅は律儀にも直衣の袖で深雪を覆っている。
すっぽりと包まれている幼い子供の姿に思わず全員が苦笑を浮かべた。

刻一刻と夕闇に呑まれていく空。
ロウソクに明かりを灯し、火桶を囲んでのささやかな酒宴が催される。
つい数刻前までの騒ぎは何処へやら。にこやかに幼子の寝顔を愛でる一同。実に穏やかでほのぼのとした空気ではあったが。
「――――おお博雅。来ていたのか?」

今現在の時刻は暮れ六つ。
『午の刻までには戻る』などとほざいたのは一体どの口か。

「・・・・・・晴明・・・・・・」
「・・・・・・晴明様・・・・」
「なんだ?」
意識的だか無意識でだか、あれよあれよと目つきが険しくなっていく面々。

―――――諸悪(少々語弊あり)の根源、安倍晴明のご帰還である。

永いような短いような不可思議な沈黙。
それを破ったのは深雪を抱えたままの博雅だった。
「おい晴明。お前今まで何処で何をしていたんだ?」
「いきなりだな博雅。今朝早くに帝からの使いが来てな、侍女のひとりが鬼に憑かれたなどと言うて祓いをさせられた。存外簡単だったが」
「ほう。簡単だったのか。それにしては随分と戻るのが遅いではないか。
『午の刻までには戻る』と言っておいて、もう暮れ六つだぞ?」
「なんだ。怒っておるのか?遅れたからというて何も博雅が機嫌を損ねることは無いだろう」
「――俺ではない、深雪だ!」
「・・・・・何?」
ついにしびれを切らした博雅の言葉に、晴明はようやく気がついた。博雅の着ている直衣の袖にくるまれぴくりともせず眠っている深雪。目許が赤く、腫れぼったい。
まじまじと見つめてから、晴明は口を開く。
「泣いておったのか・・・・?」
「そうですわ。朝起きたら晴明様がいらっしゃらないので、散々泣き喚かれて・・・」
「今まで晴明様がいないこと、ございませんでしたもの。慌てふためいて几帳まで倒されたうえに、駆け込みざまに転んでしまったり」
「午の刻になればお戻りになるものだと思って、結局は大声を張り上げて・・・・・」
「―――なんと言っておったのだ」
「はい。『せいめいの・・・バカぁ――――――――――――っ!!!!』・・・と」
順番に話す式達の話を聞きながらも、晴明の視線は深雪から離れない。
普段見せるような冷めた視線とは違い、細められた目には柔らかさが含まれている。
楽しそうな笑みを浮かべながら博雅のすぐ隣りに座ると、その腕の中で眠る子供を眺めつつ満足げに言葉を紡ぐ。
「俺が何も言わず姿を消したのが・・・・・それほどに辛かったのか」
いけしゃあしゃあ、ってのは貴様の言ったようなヤツを指すんだろうよ。
式達はひとり残らずそのようなセリフを口走りかけたが、仮にも主である晴明にそのような無礼な言葉を吐くことは出来ず、ぐっと呑み込む。
そんな彼女達の心中を知ってか知らずか。晴明は笑みを絶やすこともせず、イタズラをするように博雅の腕にかかっている白銀の髪を己の指に絡め、ぴん、と引く。
細い髪を何本かつまんで、幾度となく繰り返してみる。
その時、ふと深雪が身じろいでうわ言のように呟いた。
「・・・・・・・ひろまさ〜・・・・・」
その途端に晴明は片眉を跳ね上げ、反対に名を呼ばれた博雅は嬉々として笑う。
「残念だな晴明。深雪はもうお前が帰ってこない事もすっかり忘れたようだ」
「それは聞き捨てならんな、博雅。深雪は俺が居ないと泣き喚くが、お前が毎日帰っていっても泣いたことなどないぞ。けろんとしておるわ」
「分かっていないな。自分が眠っている内に何も言わず出かけてしまうような者、そういつまでも慕うわけがないだろう。日々気をかけて遊び相手になっている者の方がいいに決まっている」
「確かに俺は遊び相手こそしないが、構ってやらないわけではないぞ。第一『日々気をかけている』などと言っても、瓶子か肴を下げて来て酒盛りをしながら様子を見ているだけであろう!」
「何も持たずに来るとお前が文句を言うからではないか!晴明、俺が毎日ここに何を土産にしようか悩んでいることも知らないくせに、勝手を言うなっ!!」



「終わりませんね・・・・」
「仕方がありませぬ。今のうちにさっさと夕餉の支度を済ませましょう」
「・・・・・あら、深雪様?起きてしまわれましたの」
いつの間にか目を覚ました深雪は直衣の袖をすり抜け、寝惚け眼で眉を顰め一言。
「・・・・・あいつら、うるさい」
至極不機嫌そうな声に苦笑しながら、あを子は深雪の手を引く。
「深雪様。殿方とは幾つになられても、子供のようなものなのですよ」
「博雅様はもとより、ここ最近はつられて晴明様も・・・・」
博雅は自分の膝に乗っていた深雪がいなくなっていることに気付いていない。
それは晴明も同じで、今や本筋から大いにずれた言い合いが始まっている。
「あれ、ほうっておいていいのか?」
「構いませんよ。それより、深雪様も今から夕餉の支度を手伝ってくださいまし」
「飽きたら勝手に終わります。さ、参りましょう」
「はーい」





晴明と博雅による喧騒が止んだのは深雪が二人の前に膳を並べてから。
やっと静かになったと思いきや、今度はどちらの隣りに深雪を座らせて膳を取るかというなんともくだらない小競り合いが生じた。

収まらない騒がしさに深雪はついに小声で「うるさい、ばか、どっちもきらいだ」と
吐き捨て、それを機に同じような事は二度と起きなかったという。

深雪の言葉に打ちひしがれた博雅はヤケ酒を煽り、大して気にもしていないような素振りの晴明も心なしか口数が減っていた、と式達は後日語っている。



あとがき
【懺悔状】
前回とは打って変わったお騒がせ話です。
式達の出番多し。晴明立場無し。博雅父っぷり全開。
そして真の王者は深雪嬢であると判明(笑)
晴明パパさん。そのうち娘に愛想つかされるぞ。
こんな調子でラストはどうなることやら・・・・。
次はどんなんにしよっかな〜♪ふふんふ〜ん。
しかしこれを書き終わった直後からスランプに陥って
しまい何も書けんのです。ああ何も思いつかない(泣)

ほのぼので終幕でしょうか?どうでしょうね?空也さん。
ドキドキわくわくウルウルしながら待っててくださいね☆
すっげぇ面白かったっすよ! 蓮美さん。
もうなんかホッとして暖かくて、じんわり優しくて……。

もう、今回は晴明、ナイス減点パパっすよ。イカンがな、相手の愛情に胡座をかいちゃ……。
博雅もナイス及第点パパ! なんか姪っ子に相手にしている時に私にだぶってしまいました。
ところでこれ読んでる時のBGM(頭ン中)は『♪昼間の〜パパはいい汗かいてる〜』でした。(←知ってる?)

やっぱほのぼのでお願いします。m(_"_)m
もう、この待たせ上手!! いっくらでも待ちますよ! 
「待つわ」の歌も歌っちゃいますよ!!
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