29
俺が自販機まで行くと、すでに親父さんは缶コーヒーを二本買っていた。
その片方を俺に投げてよこす。
「あ、どうも。」
それを受け取ってプルタブを空ける。
そう言えば起きてからまだなんにも胃に入れてないな。
俺は空きっ腹にそのコーヒーを入れた。
数時間ぶりの水分が喉を潤す。
まぁ、コーヒーだから空きっ腹には悪そうだけど。
親父さんもグビリと飲む。
そして一息つく。
「・・・なぁ、兄ちゃんは千紗のことどう思う?」
突然の質問だった。
でも俺は、さっと答える。
なぜなら、千紗ちゃんへのこの質問には答えは一つしかないから。
「いい子ですよ。」
色々と言い方を変えたとしても、結局はこの意味でしかない。
「・・・ああ、いい子だ。俺の子供とは思えないぐらいに素直に育ってな。
 俺達を喜ばせるために勉強もし、
 家計に負担がかからないように、いい高校に奨学生で入ったぐらいだ。」
千紗ちゃんは普段からの姿を見ると、とてもそうとも思えないが、勉強が出来る。
かなり有名な進学校でトップを取る程だ。
その学校を選んだのも、ただ奨学生制度があると言うことだけ。
親の負担になりにくい学校を選んだ結果、たまたまこの学校だったというわけだ。
「不満らしい不満も聞いたことがねぇ。
 あの、印刷所も閉めて引っ越すことになる寸前でも何も言わなかった。
 俺はあいつが『嫌』と言う言葉を声にしたことさえ、ここ数年ねぇ。」
・・・。
俺はあった。
千紗ちゃんが嫌というのを聞いたことが。
あれは親父さんの言う、引っ越す寸前のこと。
俺や由宇、詠美、他にもたくさんの友達。
それらと離ればなれになってしまうことに対し、
千紗ちゃんは泣きながら嫌だと言った。
何とか借金を返していけるめどがこの後すぐにたち、
千紗ちゃん親子は引っ越さずに済んだのだが。
その頃のことを思い出していると、親父さんが俺の顔をのぞき込んできた。
「・・・そうか、兄ちゃんは聞いたことがあるのか。」
親父さんは寂しそうな声で言い、残ったコーヒーを全て飲み干す。
「あっ、その・・・。」
「いや、いいんだ。あいつも・・・、
 千紗も親以外に心から信頼できる人が出来たと言うことなんだから。」
親父さんは苦々しい笑みを見せる。
寂しいけどそれを吹っ切ろうとしている、俺にはそう言う風に見えた。
「惜しいよな。兄ちゃんがあいつのツレになるんだったら俺も大歓迎なんだが。
 でも、兄ちゃんにはあの嬢ちゃんが居る。」
親父さんはマンションの方に目線をやる。
そこには通路からこっちを見ている瑞希が居た。
「うちには千紗しか産まれなかったから、息子というのに憧れてなぁ。
 俺は兄ちゃんのこと息子みたいに思って居るんだよ。
 何回か飯を一緒に食い、酒を飲んでいるうちにな。」
「それだったら俺も似たような感じですよ。
 俺の親父は田舎にいるけど、
 こっちでの親父に当たる人と言えば親父さんのことですから。」
これは合わせたのではなく、本当にそう思ったから。
俺の中にある理想の親父像の一つに、親父さんが当てはまっていたし。
もちろん、本当の親父も理想の一つに入っている。
「本当に惜しいな、兄ちゃんが俺の息子にならないのが。」
そこで親父さんはニカッと、笑みを見せる。
「すみませんね。」
「いや、いいんだ。こっちのわがままだしな。
 ただ、千紗のことは頼む。
 あいつが、本当に自分と一緒に歩んでいける男と会うまで、
 兄ちゃんが兄として見守っていってくれねぇか?」
親父さんは今度は真剣な表情をする。
そう言えば親父さんがこれだけ語るのも珍しい。
それだけ、真剣に話していると言うことか・・・。
だったらこっちも。
俺は親父さんのその真剣な眼差しから目を逸らさずに言う。
「俺の目の届く範囲なら、俺は兄として千紗ちゃんの力になっていきますよ。
 これは親父さんから言われたからじゃなく、
 俺自身の意見としてです。」
親父さんはその言葉に再度ニカッと笑うと、
俺の肩を数度叩く。
結構力がこもっていて痛いけど、黙って叩かれた。
その時はそれが一番望ましいと思ったから。
●30へ●
●戻る●