冬来たりなば 春遠からじ
3

2001年10月27日

 丈は習慣からか、自然いつもと同じ時間に目が覚めてしまった。

――午前6時

 眼鏡を探すのに手を伸ばそうとして、その痺れた腕から、丈は自分がずっとタケルを抱きしめていたことに気が付いた。タケルは未だぐっすり眠っていて、起きる気配もしない。

(こうして寝顔だけ見ている分には、まだまだ可愛いのにな…)

 最近大人びてきた恋人に、ときどきハッとさせられて、彼が未だ小学生だということを忘れてしまいそうになる。それでもやっぱり寝顔は未だ十分あどけなくて、少し安心してしまう。

 そっと、頬に手を乗せてみると、タケルはくすぐったいのか、もそもそと身じろいだ。

(…やっぱりまつげも金髪なんだ)

 カーテンの隙間から洩れる朝の日差しに、タケルの金髪がきらきらと光る。

(綺麗だな…)

 丈はタケルの髪を指に絡めようとするが、細く、さらさらとした髪質の所為か、絡まることなく指の間から零れていってしまう。

(…いつの間に…こんなに好きになっちゃったんだろう…)

 丈の心の中で、タケルの存在はいつの間にか何よりも大きくなっていた。その事を今回の件で、痛いほど実感してしまった。

(引越し…か…)

 どこに引っ越して行くのか、そういえば未だ聞いていなかったと、ふと思い出す。

(ミミくんみたいにアメリカとかに行っちゃったら嫌だな…)

 つい3ヶ月前にアメリカへと引っ越していった仲間、太刀川ミミの事を思い出した。あの時も皆が受けた衝撃は大きく、凄く悲しく思った。ミミも、卒業するまでは引っ越したくない!と、散々駄々を捏ねていたのだが、結局大騒ぎの末に渡米したのだった。

 そしてその事を思い出すと、タケルは一体どこに引っ越すのか、また不安になってきた。  

 そんな丈の気持ちを知ってか知らずか、タケルは相変わらず丈の腕の中で小さな寝息をたてている。

(千葉とか、埼玉とか茨城とか、神奈川とか…その辺りだったら会いにいけるよな…)

 それでも遠いことには変わりないのだけれど、出来るだけ近くであって欲しいと祈った。

「……ん〜〜」

 ふと、腕の中のタケルが動いた。

「あ…、起こしちゃった?」

「〜〜…ん、おはよ…丈さん」

 両手で大きく伸びをしようとしたタケルは、自分の腕が、未だ丈にしがみついたままだった事に気が付いた。

「ごめんなさい、丈さん。寝苦しくなかった?」

「ううん、こっちこそずっと抱き付いててごめんね」

 言って二人は顔を見合わせて笑った。


 タケルが顔を洗ってリビングに足を運ぶと、そこには、丈の母が作っておいてくれたであろう朝食を、テーブルの上に並べている丈がいた。

「未だ7時なのに、母さんもシン兄さんも、もう出掛けちゃったみたいなんだ」

「じゃあ、二人っきりだね」

「うん」

 卓上の朝食は、御飯と味噌汁と野菜サラダ。それから丈が作り足した目玉焼きと、カリカリに焼いたベーコンの五品で、タケルは目玉焼きを見ると、思わず笑ってしまった。

「…何?」

「いや、目玉焼きに、何をかけるかで揉めたなぁって…」

 デジタルワールドへ飛ばされてから間もなくの、皆で食べた夕食を思い出した。

「丈さん、目玉焼きには絶対塩と胡椒だって言ってたんだよね」

「そうそう、今ではそうでもないけど、あの頃は全く融通が利かなかったからね…」と、丈もくつくつと笑い乍ら椅子に腰を下ろした。

「さ、食べようか」

「うん」

 いただきますという声を重ねて、二人は箸を取った。二人きりで向き合って食べる朝食は、不思議といつもより美味しく感じ、これも恋の諸症状かなと、丈は小さく笑んだ。

 食後にフォションのアップルティーを煎れて、のんびりとそれを啜りながら、二人は今日、これからどうするかを考えることにした。

 休みだというのに、早い時間に目が覚めてしまったので、十二分に時間はある。何といっても、一日は未だ始まったばかりなのだから。

「あ、ところで丈さん、今日は塾休みなの?」

 思い出したかのように言ったタケルの問い掛けに、休みだよと言って丈はニコリと笑った。

「それに、昨夜言っただろう?僕は、…君が嫌だって言っても一緒にいるって」

 言いながら丈が赤くなって照れたので、タケルもつられて赤くなってしまった。第三者が見たらバカップルとしか言い様の無い二人は、今日これからの事を、あれこれ話し出したのだった。




 ヤマトが目覚めたのは、既に日が昇りきった頃だった。
 昨夜の出来事が頭の中をぐるぐると回って、なかなか寝付けなかったからだ。
 寝癖でハネまくった頭をもさもさと掻きながらリビングに向かうと、丁度父親が帰ってきたところだった。

「おう。何だ、今ごろ起きたのか?」

 パジャマ姿で現れた息子に対して呆れた声を漏らした。その呆れた息子は、父のそんな声に気づいていないのか「あぁ、おかえり」と、どこかぶっきらぼうに返事をした。

「今まで仕事だったのかよ」

「まぁな。秋の特番真っ盛りだしな」

 仕方がないと苦笑する父親に、ヤマトはふと、昨日から考えていた事を話すことにした。

「なぁ親父、…母さんたちが引っ越す話、聞いた?」

「ん?ああ。まぁな」

 昨日ナツコから電話があってなと、笑いながら言う父親に、ヤマトはどこか疑問を感じた。父は、何とも思わないのだろうか…?

それとも…

「親父は知ってるのか?母さんたちがどこに引っ越すのか」

 父親は驚いた顔をして、「何だ、聞いてなかったのか?」と言った。それにヤマトが頷くと、にやにやと薄ら笑いを浮かべた。



 ヤマトがそんな話をしている頃。二人はというと、どこに行くわけでもなく、丈の部屋でのんびりとビデオを観ていた。折角だからどこかへ行こうかという話もしたが、二人っきりでずっとこうしているのも偶には良いかと、今に到るのである。

 二人の観ているTV画面には、一昨年ヒットした映画が映し出されている。

「懐かしいね…」

 …それは、付き合いだした二人が、初めて観に行った映画だったから。

「うん。懐かしいね」

 タケルが引っ越してしまうと、こうして二人で映画を観る事も出来なくなる。そう思うと、それはとても悲しくて、寂しくてたまらなく感じた。

「また、二人で映画、観に行こうね」

 そう言うと、タケルは丈の肩に頭を乗せた。

「そうだね、約束しよう…」

 このままが永遠に続けば良いのにと、決して叶うことのない無理な願いを胸に、丈は自分の肩に乗った、タケルの頭の上に頬を寄せた。

「偶にしか会えなくても、僕はずっと君を好きだからね」

「それ、ぼくが今、言おうと思ってたのに…」

 タケルは少し膨れて見せて、それから続けた。

「どんなに離れても、僕はずっと丈さんの事だけを想っているから」

 微笑みながら、タケルはゆっくりと丈に口付ける。突然のキスに戸惑いながらも、丈はそれに答えた。

 付き合い始めてから、もう2年と少しが経っているというのに、実はこれが、未だ3度目のキスだったりする。名残惜しそうに、触れていた唇を離すと、タケルは照れながら笑った。

「ぼくが大人になるまで待っててね」

 もう、十分大人びたタケルが、丈に甘えるように囁いた。






 ヤマトは「まるで陸上選手のような走りっぷりだった」と、後に目撃者がそう語るであろう勢いで走っていた。
 父親から、タケルの引越し先を聞いて飛び出してしまったのだ。
 実はタケルと丈のそういった関係を快く思っていない、心の狭い兄バカ(失礼)なヤマトは、弟が道徳から外れた恋愛をするのに反対なのだ。
 別に丈が嫌いなワケではない。しかし、兄として、弟にはまっとうな恋愛をして欲しいと、常日頃から思っているのだ。
 ヤマトは、逞しく、そしてどこか恐ろしく成長してしまった弟の、年上男とのデートに、毎回懲りずにストーカーまがいの尾行行為を繰り返しては、なんとか邪魔をしようと無駄な時間を費やしているのだ。(それは、タケルと丈が2年以上も付き合っていて、2回しかキスしたことのなかった、その原因の一つでもある)
 そうにもかかわらず、今回ヤマトが何も言わなかったのは、タケルがどこか遠くに引っ越すと思っていたからだった。弟を不憫に思い、少しでも良い思い出を作って欲しいと…そう思っていた。

……が、

「お台場だよ。これからは近くなるな」という父の、笑いを含んだ発言に、ヤマトは単純に喜んだ後、はたと現状に気付き、今に到るのである。

(タケルの貞操は…オレが守る!)

 かなり勘違い甚だしい誓いを胸に、ヤマトは全速力で走りつづけるのだった。


 ヤマトが丈の住むマンションに辿り着いたのは、彼が家を飛び出してから時間にして5分と経っていない頃だった。息を切らして着いたそのマンションの前で、ヤマトは見慣れた人影を見つけた。

「よぉ! ヤマトじゃねぇか、何やってんだ?そんな爆発頭で…しかもパジャマじゃんか。ファンの子が見たら泣くぜ?」

 八神太一。選ばれし子供の仲間で、リーダーで親友で、更にはクラスメイトでもあるその男は、フリースのパーカーにジーンズというラフな格好でそこに立っていた。

「お前こそ、何やってんだよ、こんな所で」

 友人に恥ずかしいところを見られてしまい、赤くなってヤマトは太一のほうを見た。

「何って…そりゃ光子郎とデートに決まってんじゃねーか」

 羨ましいか?などとニヤニヤしながら聞いてくる太一に、ヤマトは(畜生…お前と光子郎がホモだから、タケルがそれに感化されたんだよ…)と、自分勝手な事を思い、殴りたくなる衝動に駆られたが、そこはグッと持ちこたえた。

「今日は秋葉原に行くんだ〜。光子郎のヤツがさぁ、オレのパソコンもっと使いやすくしてくれるっつってさ」

「…聞いてねぇっての…」

 惚気態勢に入った太一に構っていられないと、ヤマトは先へ進もうとした。するとその時、マンションの入り口から、件の泉光子郎が出てきた。

「あれ、ヤマトさん。どうしたんですか?その格好。何かあったんですか?」

 その光子郎の問い掛けに、「そうそう、どうしたっていうんだよ」と太一も聞いてくる。

「別に…なんだっていいだろ? お前らデートならデートでさっさと行けよ」

 不機嫌に、ぶっきらぼうに答えるヤマトに、光子郎はピンときた。

「タケルくんが、丈さんの家に居るんですね?」

「うっ……」

 思いきり顔を顰めたヤマトに、光子郎が「図星ですか…」と肩を落とした。

「いい加減…認めてやったらどうなんですか?あまり反対してるとタケルくんから嫌われますよ?」

 言われてヤマトはグッと息を詰まらせた。最近弟が冷たいのは、それが理由だとわかっていても、ヤマトはやっぱり認めることが出来ずにいるのだ。

「そうそう、恋愛は自由なものなんだぜ?ヤマトもさっさと誰かと付き合えよな」

 太一は気楽にそう言いながら、光子郎の肩にそっと手を回した。光子郎は顔を赤らめながらも、それを嫌そうにしない。そんな二人を見て、ヤマトは無性に腹が立ってしまった。顔は引き攣り、眉は自然に寄ってしまう。

「さっ…さてと、そろそろ行こうぜ、光子郎」

「あ、はいっ」

 そんな、ヤマトの不機嫌状態に気付いた太一は、光子郎を促して、そそくさとマンションを後にした。

 残されたヤマトは、その行き場のない感情を、取りあえず世界中の、顔も知らぬ、何ら罪の無い同性愛者たちを毒づくことで治めたのだった。



 再生されていたビデオが終わり、丈はテレビの電源を落とした。タケルはというと、いつの間にか舟を漕ぎはじめてしまっている。やはり睡眠時間が少なかった所為だろう。いくら大人びているとはいっても、未だ彼は小学4年生なのだから。

「タケルくん…眠いの…?」

 本当に寝ていた場合、起こしては拙いと、丈は小さな声で話しかけたのだが、タケルはその声に反応して、バッと顔を上げると、慌てて首を横に振った。

「丈さんに寄り掛ってると…なんだか気持ちよくなってきちゃって…」

 そう言って、へへへと照れて笑ったタケルに、丈は小さく笑った。

 甘く、のほほんとした幸せ空気に包まれている二人は、これから、超特大級の嵐が来ることを、未だ知らずにいた。





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