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red_web HOME>>中国を旅する>>思い出アルバム「シャングリラ・濾沽湖編」 |
眠らせておくのは勿体ないのでつくっちゃいました!
思い出アルバム「シャングリラ・濾沽湖編」
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昆明のバスターミナル |
世界遺産・麗江の川縁 |
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シャングリラ県の中心広場 |
立ち往生するバス |
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「さっき背の高い西洋人が来ませんでした?」「ああ来た来た。まあ泊まるかどうか部屋を見ていきなさい」ということでこの蔵式客桟に泊まることに。「夏場は常に満室になっちゃって、どうしても泊めてっていうお客さんのために屋上で寝袋をひいて寝かせたりもしたのよ」というお姉さんの話どおり、茶器から天井の細部にわたるまで、蔵族っぽさがよく感じられたけれども暖房はなし。「冬にわざわざ遠いところから来たんだから」」と本来1泊80元のツインルームを半額にしてもらった。寒そうな演技が効果あったか。荷物を置いてぶらぶらしてみる。維西へ続く道は工事中で時速10kmの速度規制。ということはやはり今日来た道を中甸にもどるか、茫康経由で西蔵入りするかしかないということになった。それより心配なのは明日の車の手配。デンマーくんにももう言っちゃったし何とかルートだけでも調べなくては。 つづく↓ |
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徳欽県全景 |
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Q.徳欽での車のチャーターのしかた
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山道を歩く |
石膏で出来た柱 |
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境界線の表示 |
神秘的な山々 |
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チベット族の巡礼者に助けられる |
風に翻る飛来寺の経文布 |
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1月16日 中甸に帰るバスがない!厚さ1mほどの雪が山道を覆っているらしい。 来るときに予想はしていたけれど現実のものになるとは。 ベンツ君のサポートが必要と考えた私は三菱パジェロに一緒に乗って帰ることにした。 昼35元、ジープ100元、土産90+36、宿60 1月17日 ゆっくり起きて松賛林寺に行く。 塔を回ったら免費になった。 16元でお祈りしてもらう。 食事は朝作ったザムパ、バス代2元。 日本人3人乗っていたがかかわらないことに。 大亀山3元、超巨大転経は5人で回せるらしい。 外国人旅行客の意外と多いことに気づく。 長征路の先にハングルまで書いているのには驚いた。 15元で夕食。 |
世界遺産・麗江で考えたこと 1月18日 二時ごろ麗江到着。人々はいつにも増して活気に満ちてた。帯30元 地図6元 米線2.5元 湯円1元白馬龍潭 からの泉の水はやはり澄んでいたが、そこに暮す人々の水の使い方を改善しなければ下水道の町になりかねないと痛感した。 栄養物に満ちた川からは蚊が大量発生。 それを食べる生き物などもともと居なかったのだから、殺虫剤に頼らざるを得なくなるだろう。そうすれば有益な生物も根絶やしにすることになり、麗江はただの汚水の垂れ流しスポットと化してしまうだろう。そのようなところに誰が来たいと思うだろうか。 恐ろしい速度で進む商業地域化も、この古城の今後にプラスに働くとは思えない。ちなみに天珠は全て安いニセモノだった。 質では中甸のほうが100倍いいと思う。 1月19日 無残な麗江の姿を目の当たりにして哀しみの中昆明へ戻ってきた私であったが、次の目的地、景洪のことを思うとただただ楽しみでならなかった。熱帯の楽園生活。春節を迎えるタイ族の姿を思い浮かべるとそれだけで心躍った。さぞかし楽しいだろうなー。 |
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わたしが濾沽湖に行くことになったわけ |
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昆明のバスターミナルでs切符を買ったあと、街角の米線屋で券を買って小鍋ものをすすった。19:45の発車まで半日もあるわけだから、あれこれと手を尽くして時間を消費せねばならなかった。 米線屋の次は豆乳屋で半時間、その後昆明のメインストリートを歩き、家楽福で半袖シャツとトランクを買うことにした。 ただ余にも早く買いすぎるとそれを引きずってバスターミナルに行くまでの時間をすごさねばならない。 ということで、まずマックのお世話になって、5時ごろまで家楽福の無料ロッカーに一式を入れ、出発前を見計らって買い物、いざ南へ向かうぞ!という気持ちだった。そのときまでは。 マックに入って3番セットを注文、貪るように食べているときバックで各種ラブソングが流れていた。「唯一」「至少還有Ni」「命中注定」など名曲ばかり、これは明らかに店内のカップルを狙ったものであったが、あろうことか僕の気持ちにも変化が生じた。一昨年、昨年、僕が嫌った人たち、僕が好きになって離れていった人たち、そのとき感じた罪の意識、苦しみといった気持ちをどうにかしたい。 人を心から愛せなくなっている自分に癒しの機会を与えてあげたい。 これからの自分が生きる力、生きる意義を見つけたい。それがこの旅の待つ目的であるなら、残りの一週間で行くべきところは明らかであった。 必要なものだけ買うとバスに飛び乗りバスタで再び麗江行きの切符を手に入れた。向かうは濾沽湖である。 湖岸で《誕生》を歌いながら号泣してすっきりして帰ってきてやるー。 何かを悟って二月以降それを信じて生きていくのだ。 |
1月20日 終点の寧浪はィ族自治県らしくいたるところでひし形の日よけ板を頭にセットした女の人たちを見かけた。他にもいろいろな形があるらしい。大年29の雰囲気が感じられ、市場では足を縛られた鳥たちが買われるのを静かに待っていた。明日にはみんな殺されて正月料理とささげものに供されるのであろう。韓国やら東南アジアでは食べられずに処理されていく兄弟たちがこの時期話題になっているが、彼らに比べればいくらか自分の生命の価値を感じて天に上っていくことができるかもしれない。さて困ったのがここ寧浪から湖までの足である。予定より早く、5時前にはついたが、みんなが各家庭に散っていく中、四方を見渡しても湖行きの乗り物らしい乗り物を見つけられなかった。目の前を通り過ぎていくのは「乗車1元」プレートをフロントに掲げて走る地元の面包車ばかり。(後で気づいたのだが、このプレートの裏側には寧浪ー湖―永寧と書いてあり、運ちゃんたちは季節と客数に応じて使い分けているのだった。頭いい。)こりゃあ今夜は寧浪泊決定か、というところで、後方を追いかけてきたもう一台のバスが到着。 遠くから眺めると明らかに旅行目的で来たと思われる乗客の姿が。 ラッキー!「湖に行く人でしょ」「そうです」「みんなで車拾っていけばいいらしいけど、その車がね」「今一人が探しに行ってるから」テンガロンハットのおっさんが答えた。残ってる後ろの二人は広州あたりから連れ立ってやってきた学生旅行者のようだった。ときおりぼそぼそと広東話で談笑している。走行しているうちに一台のジープが坂を上ってきて中から運転手のおっさんが顔を出して「湖へ行くなら乗せていくよ」そこに車を探しに行ってたおっさんが戻ってきて、二人は会うなりがっちり握手。「知り合いだったのか」こうなると話はまとまらないものもまとまるもので、車内にいた女の人が買い物から戻ってくるのを真って、いざ湖へGO!ということになった。 その車内では何を話したのか覚えていないが、隣に座っていたテンガロンのおっさんと前席の女の人が知り合いで大年30はこの女の人が試営業を始めたばかりという客桟で大いに騒ごうということになった。 つづく |
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湖に浮かぶ里格村 |
網を引くモソ族の女性 |
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散乱する廃材 |
この日の収穫 |
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その夜焚火晩会が有るというので、peterに連れられて行ってみた。モソ人の男女が半分と全国各地からやってきた旅行客が半分といった所か。式次第としては@ディスコAモソ人たちの民族舞踊Bみんなで手をつないで踊るC対歌 このとき初めてモソ人の女の人の手のひらに触れたが、とても硬く日焼けした手は彼女たちの苦労を物語ると同時に、母系社会の中でたくましく生きる女性の姿を表してもいると感じた。 暗闇の中で歌いながら踊る光景は盆踊りのそれと重なって見られた。原始社会から受け継がれてきたこうした闇夜の集まり。ここでは旧暦7月24日がもっとも賑やかなものとなる。そのとき意中の相手を探し「走婚」を始めるということだが、考えてみるとムラ社会ではそうして祭りこそが若者の集まる場であり、自分のケースを考えてみても、夏祭り、盆踊りともなれば子供から年寄りまで、おぼっちゃまから不良連中までだれかれ構わず集まり、集まってはそれぞれに「何か」をしていたような。つづく← |
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焚火を囲み歌って踊る |
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カメラマンたちは挙って撮影 |
希望小学に通っていた |
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翌日、昨日の家に行ってceさん(13)の儀式に参加。Peterに連れられて居間に入るとそこには20人以上のカメラマン、観光客たちが儀式を今か今か止まっていた。
ceさんが入ってくると、外交部新聞記者招待会を超える頻度で絶えずカメラのフラッシュがたかれ、母子共に緊張した面持ちであったが、スカート、上着、髪飾り、腕輪とドレスアップしていくと立派なレディーに変身。
宿代はまた彼に頼ってただ。 最後に正体を明かしたらやや驚いたようだったが「バイバイ」と一言。
つづく↓ |
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小さなモソ族 |
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小落水手前の丘の上で |
風に波打つ湖面 |
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落水村への道 何でああいう流れになったのか…早足で村を通り過ぎようとする私と歩を合わせようとする男が。 「飲んでけ」と言われて顔を見ると、もう完全に出来上がっている酒飲みであった。 彼は自分から自己紹介をし、家で一休みしていけと言う。 こちらも酒を勧められては断れなくなってきたので、「これ飲み終わったら行く」といってガラスビンに入っていた白酒を半分以上一気飲みして見せたら、「兄弟!」ということになり、その男は私がいくら止めても見送るといって聞かず、その兄弟と一緒に途中また酒を買っては一口ずつ三人で回し飲み、湖のほとりで記念撮影をし、熱い抱擁を交わし、また一人で歩き始めた、というところで私の記憶は完全に途切れ、次に覚えているのは眼鏡の長髪兄さんとそのスタッフらしい人たちに救助され、車で落水の客桟の一室に担ぎ込まれて宿代も代わりに払ってもらい、その後一回だけその人たちは戻ってきて目を覚ましたようだったが、後はその部屋のベッドの上で昏睡状態、翌日の7時にようやく目を開けられるようになったが、まだ魂が湖を彷徨っているような感覚であった… |
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おわりに 今回旅した二箇所は各旅行サイトでも紹介されているし、行こうと思えば行けるところなので、時間に余裕の有る方はぜひ足を運んでいただきたいと思います。 最後に |
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